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10月5日PM Side坂口拓真2

長野南警察署へ戻った頃には、すっかり外は暗くなっていた。


庁舎の窓から見える駐車場には、対策本部関係の車両が並んでいる。

ここ数日続く地震の影響で、署内は昼夜を問わず慌ただしい状態が続いていた。

拓真は会議室へ案内した早見を残し、自動販売機の前で缶コーヒーを買った。

横にいた丸山も同じように温かい缶を手に取る。


「どう思う?」


プルタブを開けながら丸山が聞いた。

何についてなのか説明はなかった。

だが、聞かれるまでもなかった。

神林邸の件だ。

拓真は少し考える。


「正直、現時点では何とも言いづらいですが」


「うん」


「事件性があるのは間違いないと思います」


寝室の血痕。

壊された裏口。

荒らされた部屋。

あの光景を見て、単なる失踪だと言うのは無理がある。

だが。


「だからといって何が起きたのかは」


丸山は小さく頷いた。

いつもなら何かしらの見立てを話してくれる相棒も、今日は珍しく黙っている。

現時点では材料が少な過ぎるのだ。

現場検証は現在も進行中。

鑑識もまだ作業中で、今すぐ有力な情報が出てくるとは思えない。


「まぁ、焦っても仕方ないか」


丸山は缶コーヒーを一口飲んだ。


「今分かることだけ積み上げるしかないな」


「ですね」


二人は短く言葉を交わし、再び会議室へ向かった。

会議室では早見が一人で待っていた。

テーブルの上には紙コップのお茶が置かれている。

慣れない土地で突然トラブルに巻き込まれたのだ。

疲れているだろうが、表情は思いのほかしっかりしていた。


「お待たせしました」


「いえ」


早見は姿勢を正した。

追加の聞き取りは一時間近く続いた。

とはいえ、新しい情報はほとんど出てこない。

今日初めて依頼人と会ったこと。

神林恒一という人物を知らなかったこと。

依頼の目的は安否確認だけだったこと。

どれも既に現場で聞いていた内容ばかりだった。

当然といえば当然である。

朝に依頼を受けて東京を出発し、夕方に長野へ到着したばかりなのだという。

依頼人の父親について詳しい情報を持っていなくても不思議ではない。


「失礼ですが

 依頼を受ける際、家族構成や交友関係なんかは聞かないんですか?」


「場合によります」


早見は少し考えてから答えた。


「今回は一人暮らしの安否確認だけだったので」


「なるほど」


「私も、こんなことになるとは思っていませんでした」


拓真は手帳へ視線を落とした。

確かに依頼内容だけ聞けば不自然な点はない。

父親と連絡が取れない。

高齢でもある。

様子を見てきてほしい。

それだけだ。


「探偵事務所って、そういう依頼が多いんですか?」


早見は少しだけ困ったように笑った。


「テレビみたいなのはほとんどないですよ」


「浮気調査とか?」


「そういうのはあります」


「やっぱりあるんですね」


「むしろそっちの方が多いですよ」


意外だった。

もっと事件や犯罪に関わる仕事だと思っていた。


「じゃあ今回みたいな依頼は珍しい?」


「そうですね」


早見は窓の外へ目を向けた。


「身元確認をして欲しいって依頼はありますけど、

 実際に血痕の残った現場を見たのは初めてです」


その言葉には実感があった。

無理に作っている反応ではない。

現場で見せた戸惑いとも一致している。


「怖くはなかったんですか?」


「怖かったです」


先ほどと違う返答だった。

拓真は顔を上げる。


「でも」


早見は苦笑した。


「私より神林さんの方が怖いだろうなって」


「依頼人ですか」


「はい」


父親と突然連絡が取れなくなって。

心配して依頼したら。

待っていたのは血痕だらけの家だ。

早見はテーブルの紙コップを両手で包んだ。


「だから私が慌てても仕方ないかなって」


拓真は黙って頷いた。

その考え方は嫌いではなかった。

今回の件で何かを隠しているようには見えない。

もちろん、それだけで潔白を証明できるほど警察の仕事は甘くない。

だが少なくとも、彼女自身が事件の中心にいるようには思えなかった。

先ほど、早見の車のナンバーを伝え、彼女が言った通りの時間に

インターチェンジを通過したかの確認も依頼した。

聞き取りが一段落した頃。

庁舎がかすかに揺れた。

カタカタと窓ガラスが鳴る。

地震だった。


「またですか」


早見が天井を見上げる。


「この辺じゃここ数日ずっとですよ」


拓真が答える。

しばらく揺れは続いたが、やがて収まった。

慣れてしまっているのか、署内の誰も大して反応していない。

その様子を見て早見が苦笑した。


「地元の人ってすごいですね」


「もう慣れちゃいましたからね」


「私はまだ毎回びっくりします」


それはそうだろう。

これだけ頻繁に地震が続けば東京でもニュースになる。

だが今の松代では、もはや日常の一部になりつつあった。

一通りの聴取を終えた頃には、時計の針は20時を回っていた。

拓真は資料を閉じる。


「今日はこのくらいにしましょう」


「終わりですか?」


「現時点ではこれ以上お聞きすることもなさそうですので」


早見は少し安堵したようだった。

朝から長距離運転をしているのだ。

疲れも溜まっているだろう。


「これからどうされる予定ですか?」


「とりあえず宿を探そうかと」


「まだ取っていないんですか?」


「はい」


早見は困ったように笑う。

拓真は思わず丸山と顔を見合わせた。

この時間に土地勘もない場所で宿探しか。

なかなか大変だろう。


「近くにビジネスホテルがありますよ」


「本当ですか?」


「警察関係者がよく利用するところなので、空きを確認してみます」


そう言うと早見の顔がぱっと明るくなった。


「ありがとうございます、とっても助かります」


数分後。

幸い空室が確認できた。

ホテルの住所を書いたメモを渡すと、早見は何度も礼を言った。


「あと」


拓真は名刺代わりに連絡先を書いた紙を差し出す。


「また捜査への協力をお願いするかもしれません」


「私の方も、何か分かったら連絡していいですか?」


「もちろんです」


今後、依頼人の神林美咲とも接触するだろう。

何か新しい情報が出る可能性もある。

繋がりは残しておいた方が良かった。

署の玄関前。


「今日はありがとうございました」


早見が頭を下げる。


「こちらこそ、ご協力ありがとうございました」


玄関先まで見送る。

早見は車へ乗り込み、エンジンをかける。

軽く会釈をしてから車はゆっくりと走り去っていった。

そのテールランプが見えなくなるまで見送っていた拓真に、


「坂口くん」


背後から丸山の声が掛かった。


「はい?」


「お前もそろそろ帰れ」


「でもまだ鑑識の報告が」


「出たら電話する」


丸山は笑う。


「新婚なんだろ」


拓真は思わず苦笑した。


「マルさんだって帰ってくださいよ」


「俺は独り身だからいいんだよ」


適当なことを言いながら、丸山は手をひらひら振る。

拓真は小さく息を吐いた。

地震も続いている。

行方不明者も増えている。

そして今日、新たな問題が起きた。

だが今は、鑑識の結果を待つしかない。

拓真は駐車場へ向かい、自分の車の鍵を取り出した。

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