王家からの手紙と、令嬢の「取引」
1. 執務室の重苦しい空気
領地改革が本格的に始動し始めた矢先、オルフェウス伯爵家に一通の「重い」手紙が届いた。父エリオンに呼び出されたリアナは、何かを察したように執務室の扉を叩いた。
「お父様、何の御用でしょうか?」
執務机で頭を抱える父。その煮え切らない態度を見て、リアナは自分の心当たりを一つずつ並べ始めた。
「……先行投資は仕方のないことですわ。領地を豊かにするには必要経費です」
「ん? 何を言っているのだ?」
「伯爵家の資産を散財している件についてのお叱りではないのですか?」
「それは理解している。そうではない」
「なら、『月香蜜』の件かしら? あれは一旦封印しましたわ」
「それも分かっている」
「……あとは、移住計画? それともスラムの方々の雇用? もしかして、石鹸の試作がバレました?」
「石鹸は絶対に売り出すな! ……いや、そうではない!」
父の叫びと共に、一通の手紙がリアナに手渡された。そこには、見る者が姿勢を正すような、王家の重厚な蝋印が押されていた。
リアナが手紙の内容を確認すると、そこには驚くべき要求が記されていた。
『王家より料理人を二人、そちらで修業させてほしい』
「え? 嫌です。では、私は失礼いたしますわ」
「待て待て! リアナ、王家の依頼を断る権利が我々にあると思うか!?」
リアナは露骨に嫌そうな顔をした。なぜなら、修行に来るであろう料理人たちの顔ぶれに心当たりがあったからだ。
「あの城の料理人たちですよね? 私が唐揚げを作った時に、散々馬鹿にしてくださった方々。……彼らが素直に私の言うことを聞くとは思えませんが?」
かつて王城で唐揚げを披露した際、伝統を重んじる彼らはリアナを「小娘の遊び」と鼻で笑っていた。最終的には味で黙らせたものの、その傲慢な態度はリアナの記憶に深く刻まれている。
「さっきも言ったが、これは王命だ。断れば伯爵家の立場がない」
「はぁ……分かりましたわ。お受けしましょう」
溜息をつき、リアナは不敵な笑みを浮かべた。ただでは起きない彼女である。
「ただし、こちらからも条件を付けさせていただきます」
「王家に条件をつけるのか!?」
「当然ですわ。教わる気がない人を教えるほど、私は暇ではありません。『態度が悪い場合は即刻、強制送還する』。これを条件に含めてください。それと……」
リアナはさらに一歩、父に詰め寄った。
「お父様には、『石鹸の試作』だけは正式に認めてもらいますわ」
「わ、私にまで条件を……」
「聞き入れられない場合は、私は教えません。アロイスにでも丸投げしますわ。……どうされます?」
「む……。分かった。王家にはそう伝えておく。……だが、石鹸は試作だけで絶対に売りには出すなよ! 良いな!」
「お父様、ありがとうございます」
少し離れた場所で控えていたエリーは、主人の口元に浮かんだ「悪魔の微笑」を見逃さなかった。
(……あ、これ、あの料理人たち、確実にただでは済みませんね。それに、お嬢様が『試作だけ』で満足するはずがありません……)
2.王命の衝撃
王都の中心、活気と熱気に包まれた王宮の広大な厨房。そこへ一人の騎士が姿を現し、冷徹な声で王からの命令を読み上げた。
「王命である。オルフェウス伯爵家のリアナ・オルフェウス伯爵令嬢のもとで、新たな調理技法を学ぶ者を二名派遣せよ」
その瞬間、包丁の音が止まり、料理人たちの間に冷ややかな沈黙が流れた。しかし、それはすぐにざわつきへと変わる。
「……あの『わがまま令嬢』のところかよ」
「唐揚げとかいう油っこい料理で王をたぶらかした、あの小娘だろ?」
「俺は行きたくないぞ。あんな生意気な子供に教わるなんて、職人のプライドが許さねえ」
彼らにとって、伝統ある王宮厨房を差し置いて、一介の貴族の娘に「教えを請う」など、屈辱以外の何ものでもなかった。
「静かにしろ!」
料理長が場を制し、一同を見渡した。「誰か、自薦する者はいるか?」
誰もが目を逸らし、下を向く中。一人だけ、自信満々に手を挙げた男がいた。
「はい、私が行きましょう」
それは、料理の腕よりも上への「媚び」で今の地位を築いた男、料理主任のハオン・フォン・ミルフォードだった。
「おいおい、マジかよ……」
「まあ、ちょうどいいんじゃないか。こいつがいない方が現場の空気は良くなるし」
「どうせ、向こうで令嬢を丸め込んで、手柄だけ持ち帰るつもりだろうさ」
陰口を叩かれるハオンだったが、当の本人はどこ吹く風。料理長に向かって、芝居がかった礼をして見せた。
「お任せください。このハオン・フォン・ミルフォードが、伯爵家の技術などというものを暴き、王宮の威信を見せてまいりましょう」
「うむ、他にはいないか?」
料理長が再び問うが、ハオンと共に行きたいという奇特な者は一人もいなかった。すると、ハオンがニヤリと笑い、一人の青年を指差した。
「いないのであれば、私が選んでもよろしいでしょうか? ……コルンを推薦します」
「え? ぼ、僕ですか……!?」
突然指名されたのは、厨房で最も身分が低く、雑用ばかりを押し付けられている気弱な少年、コルンだった。
ハオンの狙いは、明白だった。自分の言うことを何でも聞き、雑用をすべて押し付けられる「便利な手下」が必要だった。
それに対し、周囲の反応は冷ややかだった。
「自分は何もしないでコルンに丸投げする気だぞ」
「かわいそうにな、あんなのと一緒にされるなんて」
こうして、王宮から派遣されるのは、野心にまみれた主任と、状況を飲み込めていない小間使いの二人に決定した。
ハオンは確信していた。相手は世間知らずの令嬢だ。適当におだてて時間を潰せば、王家への報告書には「完璧に習得した」と書き、自分だけが昇進する……そんな青写真を描いていた。
しかし、彼はまだ知らない。
リアナが「教わる気がない奴は強制送還」という、条件を父・エリオンに認めさせていることを。
「楽しみですね、コルン君。田舎の貴族の家で、少しばかり休暇を楽しもうじゃないか」
「は、はい……」
王宮一の「お調子者」と「不運な少年」。
彼らを乗せた馬車がオルフェウス領に到着した。




