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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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20/21

挿話 わがまま令嬢と、二つの商会

1.ゼノ編

オルフェウス領の伯爵邸のある町の一等地に構える、商会会長ゼノの屋敷。


街が深い眠りから覚める前、暁の空がようやく白み始めた頃だった。


ドンドンドン!! ドンドンドン!!


静寂を切り裂くような、激しい叩きつける音が屋敷の門扉に響き渡った。


「な、なんだ!? 火事か、強盗か!?」


一階の控室で眠っていた商会の若い使用人が、ベッドから転げ落ちるようにして飛び起きた。慌てて寝癖を押さえながら玄関の扉へと走り寄り、震える声で外へ問いかける。


「ど、どちら様でしょうか!? 」


「わが名はラウル! オルフェウス伯爵家令嬢、リアナ様が護衛騎士である! ゼノ殿宛の至急の手紙を持って参った!」


扉越しに聞こえてきたのは、切迫した、それでいてどこか「悟り」を開いたような妙に落ち着いた声だった。


使用人がかんぬきを外して扉を開けると、そこには馬を飛ばしてきたのであろう、埃にまみれたラウルが立っていた。彼は挨拶もそこそこに、一通の手紙を突き出した。


「こちらがリアナ様からの手紙だ。……いいか、一刻を争う。至急、ゼノ殿にお渡ししろ。内容は……いや、読めばわかる」


「は、はい! 承知いたしました!」


「では、私はミリア嬢のアルケミア商会へ向かう。至急だぞ!」


ラウルはそれだけ言い残すと、再び愛馬に飛び乗り、朝露を蹴散らして走り去っていった。その背中は、まるで嵐を運ぶ使者のようでもあり、あるいは重荷を次の者へ託した安堵のようにも見えた。


残された使用人は、手の中にある手紙を見つめ、ゴクリと唾を呑み込んだ。


「お嬢様」からの「至急」の手紙。


それがこの商会にとって、そして主であるゼノにとって何を意味するか、若くても理解できてしまう。


使用人は震える足で二階へと駆け上がり、主の寝室の前で立ち止まった。


トントン。


控えめに、しかし確かな緊張を込めてノックする。


「……旦那様」


部屋の中からは、しばらくの沈黙の後、ひどく疲れ切ったような、それでいて全てを諦めたような低い声が返ってきた。


「……何事だ。まだ日の出前だぞ」


「申し訳ございません。……リアナ様より手紙が届いております。……『至急』とのことです」


「…………」


部屋の中から、ドサリと何かが床に落ちる音がした。続いて、深い、深すぎる溜め息。


「はぁ……どうせ、ゆっくり寝かせてはくれないのだろう、あのお方は」


扉が開くと、そこには寝衣の上にガウンを羽織ったゼノが立っていた。その目の下には、商会長としての激務によるものか、あるいはリアナの奇行を予見しているストレスによるものか、うっすらとくまが浮かんでいる。


ゼノは無言で手紙を受け取り、封を切った。

そこには、八歳の少女が書いたとは思えない言葉が一言。


『ゼノ、至急ランバート領の男爵邸に来なさい』


ゼノは手紙を読み終わると視界がかすむのを感じた。


彼は窓の外、昇り始めた太陽を仰ぎ見た。


ゼノの、長い一日が、今始まった。



2.ミリア編

ゼノの屋敷に激震を走らせてから半日。護衛騎士ラウルの愛馬は、王都郊外にあるアルケミア商会専属の「工房村」へとたどり着いた。


ここは腕利きの職人や魔導技師が集まる、いわば最先端技術の聖地だ。


ラウルは馬を降りると、足のしびれを無視して、ひときわ大きく奇妙な煙突が突き出した工房の扉を叩いた。


ドンドンドン!


「ミリア嬢は、おいででしょうか!? オルフェウス伯爵家のリアナ令嬢よりの手紙を持参しました!」


ラウルの声は、疲労のせいか少しかすれている。


扉が重々しく開き、中から顔を出したのは、ミリアの助手であり親友のエマだった。彼女は作業着の袖をまくり上げ、不機嫌そうに眉を寄せた。


「……また伯爵家の方? ミリアなら奥に居ますが、今は依頼の開発に忙しいので後にしてくれませんか? 彼女、一度集中すると食事も摂らないんですから」


エマの視線には、明らかな警戒心が混じっている。


「リアナ様」という名前が出るたびに、自分たちの平穏な研究生活が「食欲」という名の荒嵐に叩き潰されるのを、彼女は何度も経験してきたのだ。


だが、ラウルもまた、この手紙を渡すまでは帰れないという覚悟があった。


「……エマ殿。お忙しいのは重々承知している。だが、リアナ様からの手紙をミリア嬢にお渡ししていただけるだけでいいのです。私は、これを届け終えたらすぐに帰らねばなりません」


ラウルの、どこか哀愁漂う「逃げる者の目」を見て、エマは毒気を抜かれたように溜め息をついた。


「分かりました。……手紙は預かります。返事は期待しないでくださいね」


「……感謝する」


ラウルはしぶしぶ手紙を受け取ったエマを確認すると、吸い込まれるように馬に跨り、来た道を駆け戻っていった。その去り際は、まるで爆発寸前の魔導具を置いてきた者のように素早かった。


エマは手に残された手紙をじっと見つめ、鼻を鳴らした。


「わがまま令嬢からの手紙ですって。……今度は何を無理強いするつもりかしら」


工房の奥へ進むと、そこには複雑な魔導回路が刻まれた金属板と格闘するミリアの姿があった。


「エマ、誰だったの? 騒がしかったわね」


ミリアは工具を置き顔を上げた。 


「……例のお嬢様からですよ。護衛の方が、逃げるように置いていきました」


「リアナ様から……? 何かしら。今は通信魔導具の調整で手一杯なんだけど……」


ミリアは面倒そうにつぶやきながらも、エマから手紙を受け取った。リアナの手紙は、いつも「ありえない難題」と「まだこの世界に見たこともない未来」を同時に運んでくる。


封を切ったミリアの瞳が、一気に紙面を走る。


『ミリア! 大至急、「てん菜」を結晶化させるための「遠心分離機」の設計を始めて! 設計図は追って送るわ。これは領地の……いえ、人類の勝利よ!』


「……っ!!」


ミリアの手が止まった。


それどころか、彼女の顔色がみるみるうちに変わり、目が爛々と輝き始める。


「え、えー? 「てん菜」って! 本当に!? 本当に見つけたの!? あの根菜を!?」


「ミ、ミリア!? どうしたの、急に立ち上がって!」


突然の豹変に、エマがたじろぐ。


ミリアは先ほどまで調整していた高価な金属板を隅へ押し退けると、真っ白な設計用紙を机いっぱいに広げた。


「こうしちゃいられないわ! エマ、悪いけど今の仕事は後回しよ! 予備の魔導石を全部持ってきて! 加熱回路と回転軸の同期……いや、重力を応用した方が早いわね……」


「ミリア、落ち着いて! 一体どうしたの? その……テンサイって何?」


エマの困惑をよそに、ミリアは羽ペンを猛烈な勢いで走らせながら叫んだ。


「エマ、てん菜(砂糖大根)よ! 泥の中に眠る白銀の源泉! これがあれば、南方の商人から金同然の値段で買わされていた砂糖が、自分たちの手で作れるようになるの! リアナ様は本気だわ……この装置ができれば、世界から『甘みの飢え』が消える!」


エマは、興奮してぶつぶつと計算式を呟き始めたミリアをぼうぜんと眺めていた。


「……てん菜? 天才? ……あのリアナ様のことだから、また自分の『天才的』な思いつきを形にしろって言ってるんじゃないの?」


「違うわよエマ! 素材の名前よ! でもそうね、それを見つけ出して私に丸投げしてくるあの人は、ある意味で本当の『天才テンサイ』だわ!」


ミリアは笑いながら、すでに設計図の第一稿を描き上げていた。


「……設計図が届くのを待ってなんていられない。リアナ様の意図はわかるわ。高速回転で不純物を弾き飛ばし、糖分だけを抽出する……。あのお方は、食卓の魔法使い。なら私は、その杖を作る工匠になってみせる!」


「はぁ……。結局、私たちもあのお嬢様の掌の上ってわけね」


エマは肩をすくめると、主人の狂熱に付き合う覚悟を決め、予備の魔導石を棚から取り出した。


「いいわよ、やりましょう。その『テンサイ』だか何だか知らないけど、世界一甘いものができるんでしょう?」


「ええ、最高に甘くて、最高に知的な実験よ!」


工房の明かりは、その夜、一晩中消えることはなかった。


ラウルが運んだ一通の手紙が、王都の天才技師の魂に火をつけ、オルフェウス領の「秘密の砂糖工場」への第一歩が、ここに刻まれたのである。

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