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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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藁の中の悪魔と、勇気ある撤退

1. 春の嵐と、不穏な影


オルフェウス領に、本格的な春が訪れようとしていた。


雪解け水が川を躍らせ、冬の間に仕込んだ味噌や醤油、そして完成したばかりの「お酢」が、領主邸の蔵で静かにその出番を待っている。


しかし、領地の平和な空気とは裏腹に、リアナの執務室(という名の遊び場)には緊張感が漂っていた。


「リアナ様。やはり来ました。隣領のドレイク家が派遣した、公式の『親善視察団』……という名のスパイ共です」


ゼノが苦い顔で報告する。隣領のドレイク家は、オルフェウス領とは対照的に武力と強欲で知られる新興貴族だ。急激に豊かになり、王都でも噂になっているオルフェウス領の「秘密」を盗もうと躍起になっているらしい。


「いいわ、ゼノ。拒絶すれば角が立つし、秘密を隠そうとすればかえって怪しまれる。……だから、彼らには『我が領地の誇る、究極の秘儀』を体験してもらいましょう」


リアナ(工藤玲子)の口角が、不敵に吊り上がった。



2. 「藁」に包まれた最終兵器


リアナは、醸造家ユーグの元へ向かった。


「ユーグ、例の『わら』の準備はできているかしら?」


「ええ、お嬢様。……しかし、これは本当に、人に出してもよろしいのですか? 私は正直、最初に匂いを嗅いだ時、地下室で何かが死んでいるのかと思いましたぞ」


ユーグが差し出したのは、厳重に藁で包まれ、魔導の熱で一定期間「放置」された、温かい塊だった。

リアナがその藁をゆっくりと解く。


そこにあったのは、煮豆の表面が白く濁り、そして……糸を引く、独特の強い発酵臭を放つ物体だった。


「これこそが、納豆なっとう。……納豆菌という、藁に棲む最強の妖精がもたらす『腐敗と再生の奇跡』よ」


前世の日本では朝食の定番だったが、この世界において、この「強烈な臭い」と「粘り気」は、間違いなく兵器に等しい。


「エリー、彼らが来る部屋の温度を少し上げておいて。……香りを、より『濃厚』にするためにね」


「……分りました。リアナ様、本当に時々悪い顔をなさいますね」


エリーは引きつった笑顔で、魔導回路の調整に向かった。



3. スパイ、深淵を覗く


翌日。ドレイク家からの視察団、リーダーのバロンとその部下たちが伯爵邸を訪れた。


彼らは鼻を高くし、傲慢な態度で「オルフェウス領の技術を教えろ」と迫る気満々だった。


「さあ、オルフェウス伯。貴殿の領地で流行っている『新技術』とやらを拝見しようか。……ん? なんだ、この……妙な臭いは」


通された客間には、ミリアの魔導具によって「最適な温度と湿度」が保たれていた。そして、テーブルの中央には、美しく飾られた「藁づと」が鎮座している。


リアナは、天使のような微笑みを浮かべて彼らを迎えた。


「ようこそ、ドレイク家の皆様。これは我が領地が、精霊の啓示を受けて開発した究極の滋養食……『魂の白糸なっとう』でございます」


「魂の……白糸?」


リアナが、おもむろに藁を解き、中からネバネバとした豆を掬い上げた。


空気に触れた瞬間、発酵臭が部屋中に爆発的に広がった。


「っ!? ……ぐはっ! な、なんだこの臭いは! 腐っているのではないか!?」 


バロンが顔を青くして後ずさる。部下の一人は、あまりの臭気に鼻を押さえて跪いた。


「腐敗ではありません、超克ちょうこくです。……さあ、一口どうぞ。この粘りが長ければ長いほど、精霊の加護が強い証拠。……これを受け入れられない者に、我が領地の技術を学ぶ資格はありませんわ」


リアナは、醤油と辛子からしをたっぷり混ぜ、激しく糸を引く納豆を、彼らの鼻先に突きつけた。



4. 勇気ある撤退


「ひ……ひぃいっ! 糸を引いている! 豆が生きているように動いているぞ!」


「お、お嬢様……これは、暗黒神の儀式か何かですか!?」


スパイたちは、技術を盗むどころの話ではなかった。


彼らの目には、納豆の粘り気が「呪いの触手」に、あの強烈な臭いが「死の毒気」に見えていた。


「さあ、遠慮なさらず。これを食べれば、あなた方も『納豆のしもべ』になれますわよ」


リアナがさらに一歩踏み出すと、視察団一行は悲鳴を上げて客間を飛び出した。


「お、覚えていろ! この呪われた領地め! こんな『腐った豆』を崇めているような奴らに、盗む価値など何一つない!」


捨て台詞を残し、彼らは脱兎のごとく領地を去っていった。


ドレイク家への報告書には、こう記されることになるだろう。


「オルフェウス領は、死臭を放つ謎の宗教に支配された、忌むべき魔境である。関わるべからず」



5. 静寂と、一膳のご飯


「……ふう。これでしばらくは静かになるわね」


リアナは、嵐の去った客間で、残された納豆を見つめた。


ゼノも、ユーグも、エリーも、まだ遠巻きにその豆を見ている。


「お嬢様……本当に、これを食べるのですか?」


「ええ。最高の出来だわ」


リアナは、炊きたての「真珠の実」をご飯茶碗に盛り、その上に醤油で和えた納豆を乗せた。


ズルズルッ、と小気味よい音を立てて頬張る。


「……んー! 醤油のキレと、納豆の深いコク。……やっぱり、これこそが日本人の……いいえ、私の魂の味だわ!」


その美味しそうな食べっぷりに、恐る恐るアロイスが一口試食した。


「……!? ……お、お嬢様! 臭いは凄まじいですが……これは、癖になる味です! 体の中から力が湧いてくるようだ!」


「でしょう? 好き嫌いは分かれるけれど、ハマれば抜け出せない。……これが『発酵』の恐ろしさであり、楽しさなのよ」


オルフェウス領は、納豆という名の「最強の盾」によって、外敵からの干渉を防ぐことに成功した。


春の陽光が差し込む中、リアナは次なる目標に思いを馳せる。


「さて、スパイも撃退したことだし……次は、春の山菜を使った『天ぷら』と、あの透き通った『お出汁』の完成を目指しましょうか」


八歳の板前令嬢のわがままは、もはや誰にも止められなかった。

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