最終話【未来へ向かって】
「……大丈夫か」
祝願祭の終わった翌日。早朝から、歩ける様になったミーナを連れ港へと向かっていた。明け方も近い。白んだ空に薄らとした月が西へと沈んでいく。
教会から続く長い下り坂を、ゆっくりと下りて行った。
祭りが終わり、誰の姿もない。街がミーナと俺を残して行ったみたいに静まり返っている。
微かに届く波の音。潮の香りが混じった、乾いた風が頬を抜けた。
「もぅ、エル君それで三回目だよ。大丈夫だから」
時折ふらつきはするが、食事を食べられる様になり医者も驚くほどに、ミーナは回復していた。
「あーぁ、やっぱりパンが恋しいよ……エル君。少しだけ——」
「ダメに決まってるだろ……」
「エルくんのケチ!」
小麦粉を抜いた食事を続けていたミーナは、倒れる事はなくなった。拒んでいた食材は小麦粉で間違いないようだ。
だが、起きてからというもの少しだけ食事に違和感を感じているらしい。
いつもの様に食べても何故か満足しない。
それが大樹の涙の影響かはわからないが、ミーナは二週間も眠り続けていた。起きたとはいえ、それが完治したとは……誰にも言えなかった。
「昨日——ソウと別れてきたよ……」
「——そっか。ソウさん世界中回ってるって言ってたから……行っちゃったんだね」
少しだけ寂しそうな表情を浮かべたミーナは、ただ前を向き歩みを止めない。
「アイツ、ムカつく奴だけど……いい奴だった」
「そうだね、いい人だよね。ムカつくのは、ちょっと——わかんないけど」
——ミーナの前では違ったのか?
だが考えたところで、今となっては比べる事も出来ない。
「なぁ、ミーナはいつアイツと会ったんだ?」
「ソウさんとは、王都だったかな。お父さんの商談に付いて行った時に、一人で王都散策してたの。美味しそうな香りに釣られてフラフラ~って辿ったら、迷子になっちゃって——」
——本当にミーナらしいな。どうせその後は……。
「美味しそうな屋台——あの燻製のお店に出会ったの。そう、それは運命のお導き——」
——やっぱりな……それに、どんな運命だ?
両手を祈るように合わせたミーナの喜劇を、隣で黙って聞いていた。
「立ち昇る煙は雲のようにモクモクと上がり、沸き立つ肉汁が溢れた溶岩のように滴り落ちた。そうあれは肉の饗宴。モクモクと上がる煙をかき分け私は進んだの。駄目。駄目よミーナ、それ以上先に進んだら戻れなくなるわ。止めようとする感情を、必死で抑えて前に進んだわ」
——食欲が勝ったんだな……。
「席に着くと運ばれてきた、薄く切られたお肉。たまらずフォークを突き刺したの——あぁ、これがお肉が届けてくれた世界なのね……ジュルリ」
——負けたな。
欲望が理性に完膚なきまでに勝ったようだ。それに、肉の世界ってなんだよ。
「——それで、ソウの奴はいつ出てくるんだよ」
「もう!エル君せっかくお肉の話をしてるんだから、途中で止めないでよ!」
——いや、ソウの話……。
一度短く息を吐き出し、もう一度ミーナに尋ねた。
「それで、あの屋台を祝願祭に誘った訳だな?」
「大~正~解♪いやー口説くのに苦労しちゃったけど、大成功だったみたいだし、よかったよ♪」
うんうんと満足に頷いているが、少しだけ悲しそうな表情に見える。
「……どうしたんだ?」
「えっ?」
「いや、悲しそうに見えたからさ……」
「まぁ、そのね……招待したのに、全然いけなかったからさ……」
「——それなら、大丈夫なんじゃないか?いつも列はかなり長かったぞ」
通るたびにミーナがいないかと見回した店だ。言葉だけ濁し、列の事だけ伝えた。
「それは心配してなかったんだけど——五回しか行けなかったなって……」
——心配した俺が馬鹿だった……。
久しぶりにミーナとこうして話せる嬉しさに忘れていたが、食欲に全振りしてるような奴だった。本当に変わらないな……。
「なぁ——そろそろソウの話を聞かせてくれよ」
「もぅ!エル君が話しかけるから、沢山浮かんだお肉の妄想がどっかにいっちゃったでしょ——」
——えっ……肉の妄想に包まれてたのか。
わかっているつもりだったが、いつも通りのミーナが戻ってきたんだと改めて感じた。
「——悪かったな。それで?」
「仕方ないなー」
二人で話していると、海の香りがすぐそばまで近づいていた。視界に広がる水平線。明るさはあるが、まだ陽は登っていない。港には誰もいない……無意識に探した外套はどこにもいなかった。
すぐ側にあった山積みされた木箱。隙間から手が出てくるかと覗いたが中はもの毛の殻。
——本当に……。
また、寂しさが少し込み上げた。
「なにしてるの?」
「いや……」
三段ほどに積み上がった木箱の上に登ると、下にいるミーナに手を伸ばした。するとミーナはキョトンとした表情を浮かべた。
「——早く掴まれよ」
「フフッ♪前と反対だね」
「——そうだな。無理するなよ」
「うん♪」
伸ばした手をミーナが掴むと、力を込め引き上げた。
「ありがとう、エル君」
「いいさ」
——お前には一杯助けてもらったからな。
感謝の言葉は、口に出せなかった。
「——風が気持ちいいね」
「そうだな……」
水平線に輝く光りが一段と強くなった。もうすぐ日の出だ。頬に当たる海風が心地良い。一定の旋律を刻む波の音が、弱々しくも力強く二人きりの世界に広がった。
「——ソウさんね。私も助けてもらったんだ」
「さっきの話か?」
「うん。屋台に目を奪われて迷子なんて何歳かなって思うけど……でも、そこから送り届けてくれたのがソウさんなの」
「——そうか」
「お父さんとも意気投合しちゃって、王都にいる間はずっと飲み歩いてたんだよ。その時に、祝願祭の事を伝えたんだ。来てくれるとは思ってなかったけど……」
「どうしてだ?」
「夢人だから……いつ消えちゃうかわからないんだって。だから、行けるかわからないってそう言われた」
「……そうか」
アイツの事はそんなに知らない。聞いても答えない、聞きたいことしか言わない奴だから。
「なぁ、夢人ってなんだろうな?」
「そう……だね。————奇跡を掴む人。かな」
「奇跡を掴む?」
「うん。類稀な奇跡をただ待つんじゃなくて、自分から掴みに行く人。その為に自分から動く人。——そんな気がするんだ」
「奇跡を掴む人……か。——悪くないな」
不意に降ろした手がミーナの手と重なった。ミーナはその手を退けようとはしない。俺もそのまま手の温もりを感じた。
「なぁ……早く帰ってこいよ」
「うん。私の家はここだから。みんながいるこの街が私の帰る場所だよ」
「——待ってるからな」
「うん」
水平線に一筋の光りが伸びた。雲一つない空に太陽が昇っていく。
伸びた陽の光が、二人の影を映し出し。静かに重なった。
♦︎♡♦︎♡♦︎♡
正午になると、ミーナは船に乗りポルトを離れた。
みんなはミーナとの別れに涙を浮かべたが、俺はただ笑顔で見送った。
ミーナは必ず帰ってくる。
帰ってきたミーナが驚くほどに成長したい。ミーナと同じ病に苦しむ人を助けたい。——そう思い始めていたから。
別れ際に渡したケーキと小さな小袋。ミーナが無事に帰ってこれるように願いを込めた。
手を振り小さくなっていくミーナの姿を、見えなくなるまでみんなで手を振り応えた。
「いっちゃったね……」
「そうだな——でも、またすぐに会えるさ」
みんなが頷き、誰も否定的な事は言わなかった。
「なぁみんな、俺……俺王都に行くことにするよ」
「ハッ?」「エッ」
「俺はミーナが行っている間、王都の学校に通う。そしてミーナと同じ病に苦しむ子を助けたい」
「——そうか、寂しくなるな」
誰も止めはしなかった。暖かく、ただ肩に手を置き頑張れよ。そう言ってくれた。
ミーナが旅立った一週間後、許可もおり王都に向かう日になった。
みんなに見送られ、一人で馬車に乗り込んだ。
王都の学校には三年間通う。
「——三年間は一人だな」
幸いにも王都には別邸がある。家族とは行き違いになるがなんとか出来るだろう。
「一人になんてさせないですー」
ビクリと体を震わせて振り向くと、後ろにはアリーチェが乗り込んできた。
「アリーチェ何やって……もうすぐ街道だぞ。どうやって乗り込んできたんだ」
「細かい事は気にしない方がいいですー」
——細かくないだろ。
短く息を吐き出し、アリーチェに視線を向けた。
「いいのか?」
「はいですー。エルさまに付いていくのもメイドの仕事ですから」
「そうか……行こう、アリーチェ」
馬車が街道を駆けていく。ただ真っ直ぐに伸びた路を進んでいく。
小さくなっていくポルトの街。
振り向いた先には雄大なリヴォーラ山脈。
——この景色。
館に飾られていた絵と同じだった。
……父さんも、帰るたびに見ていた景色。
「いってきます」
窓を開け小さく口にすると、前を向き席へと戻った。
リヴォーラ山から流れてくる微風が頬を優しく撫でた——。
「いってきます」
この物語の最後に、エルはそう言いました。
それは旅立ちの言葉であり、新しい未来へ向かう決意でもあります。
『Gateau de fantasie~ガトー・ド・ファンタジー~【港町ポルトと甘い約束の物語】』は、この最終話をもちまして完結となります。
ここまでエルやミーナ、そしてポルトの仲間たちと一緒に歩んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
この作品は、「お菓子を通して人と人が繋がる物語を書きたい」という想いから生まれました。
甘い香り、港町の景色、誰かを想って作るお菓子、そして小さな約束。
その一つひとつを大切に積み重ねながら、この物語を書いてきました。
最後まで書き切ることができたのは、読んでくださる皆様がいたからです。心より感謝申し上げます。
この物語はここで一区切りとなりますが、エルたちはこれからも、それぞれの未来へ向かって歩き続けていきます。
そして、この『Gateau de fantasie~ガトー・ド・ファンタジー~』の世界も、まだ終わりではありません。
物語の舞台を少し変え、新たな出会いと、新たな約束を紡ぐ物語として、8月より新シリーズをお届けする予定です。
もしこの作品が、皆様の心に少しでも甘く、温かな余韻を残せたなら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。
最後にもう一度。
ここまで『Gateau de fantasie~ガトー・ド・ファンタジー~【港町ポルトと甘い約束の物語】』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
また新しい物語で、お会いできるのを楽しみにしています。




