これでも内心複雑なんです?
◇
……翌日。
「さてと、そろそろ行くぞ」
「ああ」
朝。オクサは家の前で、グラたちに言った。今から彼女の案内で、パーヘ公爵領にあるウィルストン牧場へと向かうのだ。
「楽しみね、ハイドラ」
「……」
出発して。エーテルは隣を歩くハイドラに話し掛けるが、彼女はそっぽを向いて答えようとしなかった。……昨日の一件はグラには伏せることで決着したのだが、ハイドラは未だにエーテルへの怒りを鎮めていない。彼女がビッチなのは分かりきっていたのだが、まさか旅先で、しかも世話になっている家でことに及ぶとは思っていなかったのだろう。或いは、グラに手を出そうとしておきながら、別の男にちょっかいを出すというのが許せなかったのかもしれない。
「ん? どうしたんだよ?」
「な、なんでもないわよ、なんでも」
「グラ様はお気になさらず。このアバズレ尻軽女のことも、どうか気に留めないでください」
「そ、そうか……」
そんな彼女たちに気づき、グラが問い掛けるも、返ってきたのは誤魔化しの言葉だった。けれども、ハイドラが彼女らしからぬ単語を連発したので、(怖くて)それ以上問い質す気にはなれなかった。
「何だよ、昨日のことかよ?」
「昨日のこと?」
「実は昨日、エーテル様が―――」
「あ、ちょ、二人とも……!」
しかし、オクサが口を滑らせた途端、ハイドラはこれ幸いと告げ口しようとする。無論、エーテルは慌ててそれを止めた。
「ハイドラが怒ってるってことは……大方、エーテルが馬鹿なことをやらかしたんだろ? オクサの兄貴に尻でも触らせたか?」
「いいえ、お尻ではなく胸でした」
「ハイドラ……!」
だが、その必要はなかった。グラは既に、おおよその予想をつけていたのだ。
「やっぱりな……ま、安心しろ。お前がそういう人種なのは最初から知ってたことだ。今更軽蔑したりしないさ」
「お優しいんですね、グラ様」
「諦めているだけだ」
「うっ……なんかこれ、普通に罵倒されるよりもショックかも」
とはいえ、それで特別何かを思うこともないらしい。……そういえば、エーテルはセルロでも、情報収集のために男に尻を触らせたと言っていたな。やはり、普段の行いという奴か。
「おーい、お喋りばかりしてると置いてくぞー?」
「悪い、今行く」
「エーテル様は放っておいて、行きましょう」
「ちょ、置いていかないでぇー!」
そんな風に、彼らは和気藹々と、北トレハへと向かうのだった。
◇
「この先が北トレハ―――パーヘ公爵家の領地だ」
数時間後。グラたちはパーヘ公爵領の手前までやって来た。ハイドラに考慮したペースだったので多少時間は掛かったものの、昼前には辿り着けた。
「でも、これって……」
「どうなってるんだ?」
だがグラたちは、その様子を見て驚愕した。……パーヘ公爵領は、鉄柵で区切られていた。しかも、その上部には鉤爪が取り付けられている。その先端は外部ではなく、内部を向いていた。これは、侵入者を阻むためではなく、脱走者を逃がさないためだろうか。
「パーヘ公爵家は、自分の領地を鉄柵で囲ってんだよ。んでもって、関所を作って、人の出入りを制限してやがる。ま、今回は叔父さんが口実を作ってくれたからな。叔父さんの名前があれば、おいそれと酷い目に遭うこともないだろうしな」
「なるほど……だが、パーヘ公爵家の領地は広いんだろ? それを全部囲ってるのか?」
「囲ってるって言っても、南北の境界線に柵を置いてるだけだけどな。そもそも、トレハ自体が塀で囲われてるから、それで十分なんだ。北と西は山で塞がれてるし」
言いながら、彼らは関所のほうへと歩いていく。関所は、柵の切れ目にある門と、その隣にある小屋で出来ていた。その周りには、棍棒を装備した男たちが立っている。
「あれはパーヘ公爵家の私設警備団とかいう奴で、ぶっちゃけ自分専用の兵士だな。あたしが話すから、お前らは余計な真似するなよ」
「了解だ」
そうして近づいてくる彼らに気づき、私設警備団の者達が振り返った。皆、一様に厳しい目線を向けている。警戒しているのだろうか?
「通行手形を発行してくれ。四人分な」
「目的は?」
「ジクロ男爵様の使いで、ウィルストン牧場まで取引に。ほら、これが申請書」
「……確かに」
門番の男は、オクサから書類を受け取ると、小屋にいる男にそれを渡した。それから少しして、男が別の書類を持ってくる。これが通行手形という奴だろうか。
「分かっているとは思うが、ここから出る際にも手形が必要になる。なくした場合は、一生この地で暮らすものだと思え。それと、勝手な真似は慎むように」
「へいへい。んじゃあ、行くぞお前ら」
「ああ」
無事に申請を終え、グラたちはパーヘ公爵領へと入るのだった。
◇
「ここがウィルストン牧場だ」
パーヘ公爵領に入り、暫くして。彼らは目的地に到着した。……広大なトレハの土地を利用した牧場は、この町の畜産業を担っている。このウィルストン牧場もその一つで、主に牛と鶏を扱っていた。
「わぁ、本物の牛だわ!」
「あんなに大きいんですね!」
エーテルとハイドラは、初めて見る牛にテンションを上げていた。白地に黒いまだら模様の牛たちが、柵の向こう側をゆったりと歩いている。
「後で触らせてもらえよ。ここのおっさんとは知り合いだし、前は観光客相手に牧場体験とかやってたからな」
「いいわね、それ」
「はい、楽しみです」
オクサは二人を宥めると、入り口のところにある小屋へと入っていく。グラたちもそれに続いた。
「おっす、邪魔するぜ」
「ん? おっ、オクサじゃねぇか。久しぶりだな」
中に入ると、大柄な中年男性が出迎えてくれた。彼がこの牧場の主だろうか?
「おっさん、今暇か? 暇だよな? よし、じゃあちょっと茶でも出せや」
「おいおい、こちとらこれでも多忙な身なんだぜ? 今も、作業の合間に事務作業を片付けてるところだ」
「いいじゃねぇかよ、ちょっとくらい。あたしがここまで来れることなんて、そうそうないんだぜ」
「それもそうだな。んじゃあ、ちょっと待ってろ」
そんな親しげなやり取りの後、男性は奥に引っ込んだ。言われた通り、お茶の準備をしに行ったのだろう。
「ほらよ。……ってか、その子ら誰だよ? お前が連れてきたのか?」
「今気づいたのかよ。まあ、そうだけどさ」
そしてすぐに戻ってくるのだが、彼はグラたちに気づいていなかった様子。
「ったく、そういうことはもっと早く言えよな」
「相変わらずそそっかしい奴」
「うるせぇ」
オクサに言われながら、男性は足りないティーカップを取りに戻るのだった。




