これも作戦です
「ハイドラ。君はいつもそうやって、家のために尽くしてくれた。けれど、これからはそんな必要はない。これから先の人生は、自分のために生きなさい」
「あ……」
最後まで家のために生きようとするハイドラ。そんな娘に、フタレイ子爵は優しい表情を浮かべながら、そう言葉を掛けた。……貴族でなくなるということは、家のため、町のために尽くすという義務からも解放される。そうなれば、これから先は、自分のためだけに生きることが許される。もしかすると、彼はそこまで考えた上で、ハイドラを勘当したのだろうか。
「今晩中に荷物を纏めなさい。後は―――そうだね、お二人と一緒に旅をするというのもいいだろう。二人とも、うちの娘を任されてくれないかい?」
「そういう事情なら、まあ……」
「喜んで。っていうか小父様、最初からそのつもりであんなこと言ったのね。人が悪いんだから」
「はは、手厳しいな」
エーテルに指摘されて、フタレイ子爵は苦笑する。……彼は、娘の献身的な姿勢を不憫に思ったのだろう。貴族の娘として生まれてしまったが故に、自分を犠牲にしてまで家や町に尽くそうとするその生き方は、一方で危うくもあった。今回の件がなければ不本意な結婚をさせられていただろうし、それでも彼女は不満の一つも口にせず胸の内に仕舞い込んだはずだ。それを完全に役目と割り切ってはいるものの、心の底では納得しきれていないため、常に苦しみ続けなければならない。そんな彼女を、貴族としての役目から解き放とうとしたのだと、彼は言外に認めた。
「まあ、そういうわけだ。―――ではな」
そうして、フタレイ子爵は彼らの前から立ち去ろうとする。
「お、お父様……!」
そんな父親を、ハイドラが呼び止めた。
「あの……例えエタールの名を捨てても、お父様から受けた御恩は一生忘れません」
「……ああ。私も、君のことを忘れない」
父娘の最後の対話は、たったそれだけだった。……それぞれの胸の内に、いくつもの言葉を残しながら。
「……ふぅ。これで、ようやく、か」
娘と別れ、書斎に入ったフタレイ子爵は、窓の外を眺めながら呟いた。……彼は、娘とは今生の別れだと思っている。彼女が出ていくのは翌朝だが、彼はもう会うつもりもないし、彼女のほうも同じだろう。そして恐らくは、彼女が戻ってくることもあるまい。
「ようやく、エタールを終わらせることができる」
フタレイ子爵にとって、エタール家の血筋というのは呪いでしかなかった。……元々、エタール家は男系である。だが、稀に女子が生まれてくることがあった。その場合、その子はある宿命を背負うこととなるのだ。
「本当に、馬鹿馬鹿しい話だ。時代錯誤もいい加減しろって話だよ」
エタールの女子は月乙女と呼ばれ、セルロの町において重要な役割を持つ。その中でも特に有名なのは、「月乙女を娶った者はその末代まで、セルロを支配する権利が約束される」というものだ。実際、ホルム家は先祖が月乙女を娶り、その後に侯爵の地位を得ている。そのせいで、この言い伝えはかなり信憑性が高いとして、貴族の間で出回ってしまっている。今回、ハイドラを巡って事件が起きたのも、これが原因だった。
「だが、それもこれで終わりだ」
だからこそ、フタレイ子爵は尤もらしい理由をつけて、ハイドラを勘当したのだ。貴族とは関係ない世界で、平穏に生きて欲しい。そう思った末の決断である。……勿論、最初からここまで狙って動いたわけではない。ホルム家やネレート家の行動については予想外だったし、グラたちのことも偶然でしかない。だが、偶然に偶然が重なって、ハイドラの安全を確保しつつ家から遠ざけることが出来た。それは幸運と呼ぶしかなかった。
「……さて。これからどうするか」
フタレイ子爵は妻を既に亡くしている。子供はハイドラ一人だけなので、このままではエタール家が断絶してしまう。しかし、彼は再婚するつもりも、養子を迎えるつもりもない。エタール家は自分の代で断絶させてしまおうと考えているのだ。そうすれば、今後このようなことにならずに済む。貴族としては間違っているかもしれないが、それでもいいと彼は思った。
「とりあえず、研究成果の継承から始めるかな」
家を潰すための段取りを考えながら、フタレイ子爵は溜まっていた書類に手を付けるのだった。
「……そろそろ戻るか?」
一方のグラたちは。フタレイ子爵が去り、散歩という雰囲気でもなくなったので、グラは部屋に戻ろうと提案していた。
「そうね」
「……」
彼に同意するエーテル。だが、ハイドラはそれに答えなかった。
「ハイドラ?」
「大丈夫? もしかして、やっぱりショックだった?」
「い、いえ……勘当されたのには驚きましたが、これも全てお父様が私を思ってくださったが故のことですから」
黙り込むハイドラを心配するエーテルだが、それは杞憂だった。彼女はちゃんと、父親の思いを理解している。
「なら、どうしたんだ?」
「……グラ様。先程の話なのですが」
すると、ハイドラはそう切り出してきた。……先程、つまりはフタレイ子爵の登場で流れた、グラとの結婚の話だろう。
「……言っただろう。俺は―――」
「魔神、なのですよね? はい、存じていました」
「え……?」
改めて断ろうとするグラだったが、そこでハイドラから意外な一言が。
「最初にお会いしたとき、グラ様はボルカショットを―――魔法を受けて、平然とされてました。それで分かったんです。グラ様こそが、噂に聞く正義の魔神なのだと」
ハイドラが話したのは意外な真実。グラが彼女を助けたあのとき、ハイドラは既にグラの正体を見抜いていたのだ。
「ですから私は、グラ様に助けを求めたのです。グラ様であれば、今回の一件を解決してくださると思いましたから」
「……ホルム家とネレート家のこと、知ってたのか?」
「いいえ。少なくとも、私を狙っていたことは分かっていましたが、ここまでになるとは想像していませんでした。ですが、万が一のことを考えて、グラ様を頼ったのです」
そして、グラが悪人退治をしていると知り、それを込みで助力を願った。その結果が、今回の件というわけだ。二つの貴族の悪巧みが公となり、ハイドラは勘当される代わりに自由を手に入れた。
「グラ様。私は他人を利用して自分の身を守る、臆病で卑怯な女です。……やはり、私はグラ様には相応しくありません。グラ様を利用したばかりか、そのことを隠したまま、グラ様を縛り付けようとする悪い女です。結婚はおろか、グラ様と共に歩くことすら叶いません」
「ハイドラ、まさか……」
ハイドラの懺悔に、エーテルは彼女の意図に気づいた。……グラの正体に気づいて、彼を利用しようとした彼女は、全てを打ち明けた上で、彼に別れを告げるつもりだろう。




