豚汁屋三日目。形になりだす。孤児。ヨイチとの契約。場が温まりだす。ここは伊勢の国松坂。北畠領であることを把握する。
三日目だった。
店は、まだ小さい。だが、確実に“場”になり始めていた。
晩の仕込みを終え、火を弱めた頃、俺はようやく一息ついた。ヨイチは薪をまとめ終え、
店の端に腰を下ろしている。新しく買った古着はまだ少し大きいが、昨日までのぼろ布よりは
ずっとましだ。
「そういや、お前の名前、聞いてなかったな」
何気なく言うと、ヨイチは顔を上げた。
「……ヨイチだ」
「ヨイチか。年は?」
「元服前だ。十二」
短いが、はっきりした答えだ。
「そうか。俺は博之。四十二だ」
言ってから、少しだけ苦笑する。
「まあ、見ての通りのおっさんだ」
ヨイチは一瞬だけ迷うような顔をしたが、すぐにうなずいた。
俺は指を一本立てる。
「ただしだ。おっさんじゃなくて、“旦那”と呼べ」
「……旦那?」
「ああ。この関係でいく。お前を取って食うわけじゃないし、無理もさせねえ。だが、
働くなら筋は通せ」
ヨイチは少し考えたあと、こくりとうなずいた。
「……わかった、旦那」
「よし」
俺はそのまま話を続ける。
「条件も決めとくぞ。まかない二食、寝る場所はここ。で、日当は十文」
「……十文」
「薪の駄賃も含めた手当だ。少ないと思うなら、他を当たれ」
あえて淡々と言う。
ヨイチは少しだけ俯いたが、すぐに顔を上げた。
「……飯が食えるならいい」
そして、小さく笑う。
「旦那の飯、うまい。腹に溜まるし、元気出る」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
「ならいい。あとは働け」
「はい、旦那」
言い直すところが、少し可笑しい。
そのまま昼の仕込みに入る。火を起こし、鍋をかける。ヨイチは言われた通りに動き、
少しずつ手際が良くなっている。
やがて、客が来始めた。
「お、なんだ。二人とも、まともな格好になってるじゃねえか」
昨日来ていた男が笑いながら言う。
俺は鍋をかき混ぜながら肩をすくめた。
「店やるなら、それなりにな」
「いやいや、ええこっちゃ。なんか飯も、心なしかうまくなった気がするわ」
「そんな口悪く言うなよ」
軽く返すと、周りから笑いが漏れる。
「悪い悪い。まあでもな、しばらくここでやるなら、世話になるわ」
「好きにしろ。ただし銭は払えよ」
「わかってるって」
そんなやり取りが自然にできるようになっている。
――馴染んできたな。
鍋の湯気を見ながら、そう思う。
客の一人が、ふと真面目な顔になる。
「そういやお前、どこのもんだ?あんまり見ねえ顔だよな」
少しだけ間を置いてから答える。
「さあな。細かいことはあんまり覚えてねえ」
「は?」
「気がついたらここにいた。それだけだ」
半分本当だ。
男は眉をひそめたが、すぐに肩をすくめた。
「まあ、このご時世だしな。変なのも流れてくるか」
「変って言うな」
軽口を叩きながら、俺は話題を変える。
「それより、この辺のこと、あんまり知らねえんだ。教えてくれよ。ここって、どんなとこなんだ?」
男は少しだけ誇らしげに胸を張る。
「ここか?ここはな、北畠様の領地だ」
「北畠……」
聞いたことはあるような、ないような名前だ。
「まあ、最近はでっかい戦は少ねえけどよ、小競り合いはちょこちょこあるな」
「へえ」
「でもな、この松坂は悪くねえ。伊勢神宮が近いからな。参りに来るやつも多いし、人の出入りもある」
別の客も口を挟む。
「そうそう。街道も通ってるしな。商売するなら悪くねえ場所だぞ」
――やっぱりな。
内心でうなずく。
人が動く場所には、必ず金が動く。
「なるほどな。じゃあ、しばらくここでやらせてもらうか」
「おう、好きにやれ。ただし、変なことはすんなよ」
「しねえよ」
軽く笑って返す。
ヨイチはそのやり取りを横で聞きながら、静かに椀を運んでいる。
客の流れは途切れない。
鍋は何度も空になり、そのたびに仕込み直す。
夕方になって、ようやく一息ついた頃、俺は小さく息を吐いた。
――なんとか、形になってきたな。
まだ小さい。だが、確実に根が張り始めている。
ヨイチが隣で言う。
「旦那、ここ、いい場所だな」
「ああ」
「人も来るし、飯も売れる」
「そうだな」
俺は火を見つめながら答える。
「だからこそ、油断するな。一個一個だ」
「……うん」
ヨイチは真面目にうなずく。
その姿を見ながら、俺は鍋をかき混ぜる。
伊勢の松坂。
北畠の領地。
人の流れ。
――悪くない。
少なくとも、ここでならやれる。
そう確信しながら、俺はまた次の仕込みに手を伸ばした。




