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鯛のあら大根や新年の目玉つくりの料理をする博之。伊勢への拡張に関しても着々と。商売うまくいかなくても5万文つかうまでかえってくるな(笑)

松坂港の横丁については、準備が粛々と進んでいた。

九鬼水軍にも筋を通した。五千文を納め、弁当も握り飯も渡した。港での商いについては、

ひとまず大きな障りはない。

 一方で、伊勢の方は少しだけ時期をずらすことにした。

「伊勢は神宮さんがあるからな」

 博之は帳面を見ながら言った。

「焦って突っ込むより、段取りを整えてからや」

その代わり、まずは松坂港の横丁をしっかり立ち上げる。港には魚がある。魚があるなら、

飯屋としてやれることは多い。

「鯛のあらが出るやろ」

 博之が言うと、料理場の若い衆が顔を上げた。

「鯛のあらですか」

「そうや。頭とか骨まわりとか、焼いて高く売れる身とは別のところや」

 それを大根と炊く。

 味噌や味噌だまりを少し使い、生姜とねぎで臭みを抑える。大葉も試す。

「アラ汁と、あら大根やな」

 博之は言った。

「港の者はあらを食うてるかもしれんけど、うちは店で出せる味に整える」

 魚のあらは、雑に炊けば臭い。血やえらを残せば苦い。だからこそ、処理して、味を整え、

 飯に合う形にする。

「これも研究や」

 さらに、博之は別の指示を出した。

「アジとイワシを多めに仕入れてくれ」

「小魚ですか」

「そうや。安く見られがちなやつや」

 イワシやアジの小さいもの、売りにくい端の身。そういうものを集めて、何か作るつもりだった。

「正月の目玉にする」

 博之がそう言うと、料理場の者たちがざわついた。

「何を作るんですか」

「それは、飯の発表会で見せる」

「またですか」

「またや」

 古参の面々で集まって、試作を食べる。港の魚を使った新しい飯。皆、何が出てくるのかと

 気になって仕方がない様子だった。

 その一方で、伊勢の準備も止めてはいなかった。

 伊勢神宮には一万文。

 伊勢郊外の寺と神社には、それぞれ五千文ずつ。

 寄進の準備を進める。

「伊勢は松坂と違う」

 博之は古参たちに言った。

「北畠様だけやなく、神宮さん、寺、神社、その土地の顔を立てなあかん」

 松坂港の横丁は、ある程度、松坂の延長で動かせる。やる気のある者を見繕い、港で飯を出せばいい。

 九鬼水軍に筋も通した。

 だが、伊勢は違う。

 そこには別の空気がある。参詣の人もいる。昔からの商いもある。神宮の存在も大きい。

「伊勢には五万文持たせる」

 博之がそう言うと、場が少しどよめいた。

「五万文ですか」

「そうや」

 博之は頷く。

「店を出すための銭や。けど、ただ店を建てる銭やない」

 五万文を使って、伊勢で顔を作る。

 店を借りる。

 飯を仕込む。

 必要なら酒場で少し奢って、伊勢の話を聞く。

 寺や神社に挨拶する。

 読み書きを教えてくれる場所を探す。

 飯が食えない子や、身寄りのない者がいれば声をかける。

「住むところと飯は用意する。横丁で働かへんかってな」

 博之は言った。

「やり方は、松坂の郊外でわしが最初にやったことと同じや」

 違うのは、最初から五万文あること。

 ボロ小屋から始めた頃とは違う。湯浴みも着物も寝具も、ある程度用意できる。

 寺社への挨拶もできる。古参も送り込める。

「だから、敷居は低いはずや」

 ただし、博之は釘を刺した。

「これはのれん分けやない」

 皆が顔を上げる。

「伊勢松坂屋は、わしを頭にして一つや。勝手に別の店になるわけやない」

 紋付き袴も五枚渡す。

 丸に井の紋が入った袴だ。

 伊勢へ行く者は、それを着て挨拶に回る。店に立つ。寺社へ行く。人を雇う。

「その紋を着る以上、伊勢松坂屋の者として動け」

 博之は言った。

「偉そうにするためやない。信用してもらうためや」

 利益は、最初はどうでもいい。

 トントンなら上出来。

 赤字でも、理由があるなら構わない。

 まずは馴染むこと。

 飯を食わせること。

 伊勢で伊勢松坂屋の名を覚えてもらうこと。

「商売があかんかったら、帰ってきてもええ」

 博之は少し笑った。

「ただし、野盗に襲われたとか、命に関わる話以外なら、五万文を使い切ってから帰ってこい」

 その言葉に、何人かが目を丸くした。

「使い切ってから、ですか」

「そうや」

 博之は真顔だった。

「五万文は、伊勢に根を張るための銭や。失敗したとしても、使い切るまで動けば、何かは残る」

 寺との縁。

 神社との縁。

 飯を食わせた子ども。

 顔を覚えてくれた職人。

 酒場で聞いた噂。

 借りられそうな小屋。

 そういうものは、帳面にはすぐ出ない。

 だが、後で効いてくる。

「銭を持って帰ってくるな。縁を持って帰ってこい」

 博之がそう言うと、部屋の空気が一気に熱を帯びた。

「俺、行きたいです」

 最初に手を挙げたのは、古参の若い男だった。

「私も行けます」

 女衆の一人も続く。

「伊勢で店を作るんですよね」

「読み書きも少しできます」

「飯炊きなら任せてください」

 次々と声が上がる。

 ヨイチが苦笑した。

「旦那、みんな行きたがってますよ」

「ありがたいけど、全員は無理や」

 博之は笑った。

「選ぶ。飯が作れる者、帳面が少し見られる者、揉め事を起こさない者、現地の者を馬鹿にしない者」

 お花が静かに頷く。

「女衆も何人か必要ですね。飯だけでなく、身寄りのない子を受け入れるなら」

「頼む」

 博之はお花を見た。

「伊勢に行く者の見立ては、お花さんにも見てもらう」

 港の横丁。

 鯛のあら大根。

 イワシとアジのすり身。

 正月の振る舞い飯。

 そして、伊勢へ向かう五万文と五枚の紋付き袴。

 話が一気に現実味を帯びていく。

 博之は皆の顔を見ながら、少しだけ胸が熱くなった。

 最初は、ただ飯を食うためだった。

 それが今では、誰かが新しい町へ行きたいと言う。

 伊勢松坂屋の紋を背負って、自分たちで横丁を作りたいと言う。

「ええか」

 博之は最後に言った。

「伊勢に行くのは、出世やない。飯を作りに行くんや」

 皆が頷く。

「腹を空かせたやつを見つけて、飯を食わせる。そこから始めろ」

 それが、伊勢松坂屋のやり方だった。

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