博之が各拠点の遊びを見ている中で大和八木で流しそうめんをやっている試みに喜ぶ。うちでもやろう(笑)
博之は、半月締めの帳面を見るのが少し嫌になっていた。
銭の桁が大きくなりすぎて、見ているだけで疲れる。
拠点は増える。
人も増える。
飯も増える。
買い付けも増える。
そのうえ、自分で言い出した「半月ごとに三十万文の遊び金」である。
「……自分で言うたことやけど、これ見るの嫌やな」
博之がぼやくと、ヨイチが静かに帳面を差し出した。
「旦那様が始めた制度です」
「それ言われると弱い」
半月ごとに、各拠点へ一万文。
ただし、ただ遊んで終わりではない。
何を試したか。
客がどう反応したか。
失敗したなら、どう失敗したか。
最低三つ、紙一枚に書いて出す。
そういう仕組みにした。
最初は、正直なところ博之も半信半疑だった。
金だけ配って、何も出てこなかったらどうしよう。
変な使い方をする拠点が出るかもしれない。
真面目な者ほど、かえって重く受け止めるかもしれない。
そう思っていた。
だが、届いた紙を見ていると、思ったより面白い。
「鶏の皮だけ焼いたら、酒飲みが喜んだ」
「雨の日に熱い湯を配ったら、客が長居した」
「子ども向けに小さい団子を作ったら、親も買った」
「売れ残りの野菜を焼いて塩をかけたら、まかないで評判がよかった」
小さい。
本当に小さい。
けれど、現場の匂いがあった。
博之は畳に寝転がりながら、一枚一枚をめくっていた。
その中で、ひときわ目を引くものがあった。
大和八木の郊外からの報告である。
「…三輪そうめんの産地の近く、湧き水が出る場所に竹を渡し、半分に割って水を流し、
そうめんを流して食べました。子ども、若い者、女衆に大変受けました。
流れてくるそうめんを箸ですくうのが面白く、失敗しても笑いになりました」
博之は、むくりと起き上がった。
「おお」
お花が顔を上げる。
「どうしました?」
「なかなか面白いことやってるところあるやんけ」
ヨイチが横から覗く。
「大和八木の報告ですね」
「流しそうめんや」
「流しそうめん?」
「竹を半分に割って、つないで、湧き水をちょろちょろ流す。そこにそうめんを流す。
下で箸ですくって、めんつゆにつけて食う」
お花は少し考えてから言った。
「……飯で遊んでませんか?」
「遊びや」
「認めるんですか」
「でも、食べ物を粗末にしてるわけやない。流して、すくって、食う。失敗しても下で受ければええ」
ヨイチが報告書を読みながら頷く。
「下に受け桶を置き、落ちたものは従業員で食べた、と書いてあります。水も湧き水を使い、
何度も替えたようです」
「ええやん」
博之は嬉しそうに笑った。
「こういうのがいいんよ」
「旦那様が望んでいた“遊び”ですか」
「そうや。立派な新商品じゃなくてええ。こういう、ちょっと阿呆みたいで、
でもやってみたら楽しいやつや」
お花は少し呆れながらも、報告書を見た。
「確かに、子どもは喜びそうですね」
「子どもだけやない。若い男女も喜ぶ。すくい損ねたら笑う。隣の人が取ったら悔しい。
うまく取れたらちょっと嬉しい。飯を食うだけやなく、場ができる」
「また縁の話ですね」
「そう。飯は縁を作るんや」
「言い方だけは立派です」
「だけって何や」
博之は報告書を畳に置き、すでに頭の中で組み立て始めていた。
「うちでもやろう」
「やっぱりそうなるんですね」
「湧き水がなくても、井戸水でええ。上に桶を置いて、女衆か若い衆が少しずつ水を流す。
竹を半分に割って、節を抜いて、斜めに組む」
ヨイチがすぐ帳面を開いた。
「水は使い回さない方がよいですね」
「そうやな。飯に使う水やからな。上から流した水は下の桶で受けて、洗い物か庭に回す。
そうめんも一度にたくさん流さん。少しずつや」
「衛生面は気にした方がよさそうです」
「そこは大事や。腹を壊したら終わりやからな」
お花が首を傾げる。
「水車を使うんですか?」
「使わんでええ」
博之は手を振った。
「水車でどうこうするほど大げさな話やない。桶でええ。上に水桶を置いて、
そこから少しずつ流す。人力で十分や」
「縁日向けですね」
「そう。普段の飯屋で毎日やるもんやない。夏の市、子ども向け、ご縁の会、郊外の催し。
そういうところでやる」
「値段は?」
ヨイチが聞く。
「そうめん自体は安めでええ。ただし、席代か参加代を少し取る。見て楽しい、
取って楽しい、食べて涼しい。そういう売り方や」
「旦那様、もう完全にやる気ですね」
「そらやるやろ」
博之は報告書をひらひら振った。
「せっかく現場が面白いことを持ってきたんや。拾わな損や」
ヨイチは少しだけ笑った。
「この制度、役に立ちましたね」
「せやろ?」
博之は急に得意げになった。
「三つだけ書いてこい、紙一枚でええ、っていうのが良かったんや。三十拠点分、
全部長々書かれたら見られへん。紙一枚なら見られる。面白かったら、こっちから突っ込める」
「確かに、拾いやすいです」
「しかも、ちゃんとした案じゃなくてもええ。楽しかったです。子どもが喜びました。
客が笑いました。それでええねん」
お花も頷いた。
「現場の空気がそのまま来ますね」
「そうや。これが見たかったんや」
博之は胸を張った。
「俺のセンス、どうよ」
その瞬間、お花の目が少し冷たくなった。
「旦那様」
「なんや」
「そういうことを言わなかったら、かっこいいのに」
座敷が一瞬静まり、それから女衆たちがくすくす笑い始めた。
博之は固まった。
「……今の、あかんかった?」
「かなり」
「だいぶ調子に乗ってました」
ヨイチも淡々と言う。
「制度はよかったと思います。ただ、自分で“俺のセンスどうよ”と言うと、急に安くなります」
「ひどい」
博之は、しょぼんと畳に倒れ込んだ。
女衆たちの笑い声が、さらに広がる。
「旦那様、褒められるの待てばいいんですよ」
「自分で言うからあかんのです」
「でも、流しそうめんは楽しそうです」
「それはそう」
博之は顔だけ上げた。
「やろ?」
「すぐ戻ってきた」
お花が笑う。
博之は照れ隠しのように咳払いした。
「とにかく、大和八木には返事を出せ。面白かった。詳しく聞きたい。竹の角度、水の量、
そうめんの量、客の反応、全部書いてこいって」
「承知しました」
ヨイチが筆を取る。
「あと、松坂郊外の夏市でも試す。井戸水でやる。子ども向けと大人向けで分ける。
めんつゆは薄めと濃いめを用意。薬味も欲しいな」
「薬味ですか」
「ねぎ、しょうが、梅。できれば大根おろしも」
「また増えましたね」
「そうめんは薬味で変わるんや」
お花が呆れながらも笑った。
「旦那様、楽しそうですね」
「楽しい。こういうのが欲しかったんや」
博之は報告書を見つめた。
大和八木の郊外。
三輪そうめん。
湧き水。
割った竹。
流れてくる白い麺。
それを子どもが笑いながらすくう。
大人が失敗して笑われる。
女衆が声を上げる。
暑い日に、水音がする。
それは、大きな商売ではないかもしれない。
だが、人を集める力がある。
飯を楽しくする力がある。
「遊び金、悪くなかったな」
博之がぽつりと言うと、ヨイチが頷いた。
「はい。ただし、半月ごとに三十万文ですから、次も何か拾えないと困ります」
「急に現実に戻すな」
「帳面係ですので」
「嫌な役やな」
「必要な役です」
博之はまた畳に寝転がった。
けれど、その顔はさっきよりも明るかった。
半月ごとに配る遊び金。
各拠点から届く紙一枚の報告。
その中に、次の飯の種が眠っている。
今回は、流しそうめんだった。
次は何が来るか分からない。
博之は天井を見上げながら、少しだけ笑った。
「やっぱり、みんなで考えた方が面白いな」
お花が静かに言う。
「そうですね。旦那様一人で考えるより、少し健全です」
「少しって何や」
また、座敷に笑いが広がった。




