瀬戸物の買付と熱田神宮を見に博之が尾張に向かう。松坂城主に挨拶する。気を付けて行ってこい。
翌朝、博之は松坂の城へ軽く挨拶に向かった。
出立の前である。
今回は、買い付け衆を何人か連れていく。信楽焼の道を見てきた者、常滑で荷を見ている者、
帳場の若い者、そして港回りに強い者。
瀬戸物を見る。
熱田神宮を見る。
尾張の人の流れを見る。
それだけでも、十分に大仕事だった。
松坂の城主は、博之の顔を見るなり、にやにや笑った。
「ついに尾張へ行くんか」
「行くだけです」
「帰ってこおへんのやないか」
「帰ってきますって」
博之は苦笑しながら頭を下げた。
「こっちの居心地の良さ、半端じゃないんですから」
「ほんまか?」
「ほんまです。松坂の屋敷でごろごろして、お花さんに怒られて、
夜市に帳簿見せられてる方が落ち着きます」
「それは落ち着くんか?」
「落ち着くんです」
座敷が笑いに包まれた。
城主は茶をすすりながら聞いた。
「昨日は何や、また何かやってたらしいな」
「飯の道の会、というか、語り部会みたいなのをやりました」
「語り部会?」
「はい。各拠点の主だった者を集めて、伊勢松坂屋がどう始まったかとか、
何を大事にするかとか、そういう話をしました」
「お前、とうとう噺家にでもなるつもりか」
「いや、でも実際、最近は噺家みたいになってますからね」
博之は少し照れくさそうに頭をかく。
「信長公にも手紙で昔話を書きましたし、国人衆にも話しましたし、
女衆にも昔話せえって言われますし」
「で、受けたんか」
「結構受けました」
「なんや、受けた話は俺にもしてくれるんか」
「それはまた今度で」
「なんや、もったいつけるな」
「いや、今は受けた話と受けなかった話を、各拠点から手紙で送ってもらうようにしてるんです」
城主が面白そうに身を乗り出す。
「ほう」
「で、受けた話ばっかり集めて、本にしようかなと思ってます」
「ほんまに噺家やないか」
「でも、堅苦しい掟だけやと誰も読まないじゃないですか」
「それはそうやな」
「だから、私の失敗談とか、ヨイチが恨めしそうに豚汁見てた話とか、
布団二百組買った話とか、地侍に捕まって伊勢神宮へ連れて行った話とか」
「お前の人生、ほんまに話になるな」
「自分でも最近ちょっと思ってます」
城主は腹を抱えて笑った。
「名残惜しそうにしてたやろ、女衆も」
「まあ、多少は」
「なんや、モテてるんか」
「モテないです」
即答だった。
「そこは即答なんやな」
「はい。みんな優しいんですけど、そういうのとは違うらしいです」
「哀れやなあ」
「哀れ言わんといてください」
また座敷が笑いに包まれた。
笑いが落ち着いたところで、城主は少し真面目な顔になった。
「で、熱田やな」
「はい」
「熱田神宮と伊勢神宮がどう違うのか。そこはきちんと見てこい」
「もちろんです」
「伊勢は特別や。あの門前、人の流れ、神宮の空気、茶三十文でも払ってしまう空気。
あれを熱田でそのままやれるとは思わん」
「私もそう思います」
「だが、信長公は見てしもうた」
「見てしまいましたね」
「だから、お前に振った」
「本当に困ります」
「困りながら何か出すやろ」
「出せたらいいですけどね」
博之は息を吐いた。
「熱田がどれだけ人を集めているのか。周りに店があるのか。道はどうか。
港や川とのつながりはどうか。まず見ないと分かりません」
「瀬戸物は?」
「買います」
「即答やな」
「欲しいですから」
城主は満足そうに頷く。
「いいものがあったら、うちにもきちんとよこせよ」
「分かってます」
「大名向けの高いものだけやなくてええ。小皿、湯呑み、飯椀、そういうものもや」
「それが売れると思ってます」
「松坂の者も喜ぶぞ」
「でしょうね」
「信楽焼もええが、瀬戸物はまた違う。少し格が上がる感じがある」
「そこを見たいんです」
博之は少し前のめりになる。
「高いものだけじゃなくて、日常に使える瀬戸物をどれだけ買えるか。どれだけ壊さず運べるか。
どこの拠点でどれぐらい売れるか。熱田で並べるなら、どう見せるか」
「もう頭の中は商いでいっぱいやな」
「飯の道です」
「出た」
城主は笑いながら杯を置いた。
「まあ、気をつけて行け」
「はい」
「尾張は織田の領分や。信長公は面白がってくれているが、周りが皆そうとは限らん」
「分かっています」
「買い付け衆も守れ」
「はい」
「それと、松坂を忘れるなよ」
広行は、少し真面目な顔で頭を下げた。
「忘れません。帰ってきます」
「ほんまやな」
「はい」
「ならええ」
城を出る頃には、買い付け衆が荷を整えて待っていた。
信楽焼を扱ってきた者は、目を輝かせている。
「旦那様、瀬戸物ってどんな感じなんでしょうね」
「わしもちゃんとは知らん」
「知らないのに買いに行くんですか」
「知らんから見に行くんや」
港回りの者が笑う。
「熱田神宮も見るんですよね」
「見る」
「伊勢みたいになりそうですか」
「それは無理や」
博之は即答した。
「伊勢神宮は特別や。けど、熱田には熱田の形があるかもしれん」
「それを探すんですね」
「そういうことや」
松坂の町を抜け、街道へ出る。
後ろを振り返ると、松坂の城が見えた。
博之は小さく息を吐いた。
「……帰ってくるからな」
誰に言うでもなくそう呟く。
買い付け衆がにやにやした。
「旦那様、もう寂しいんですか」
「うるさい」
「女衆が恋しいんですか」
「うるさいって」
笑いながら、一行は尾張へ向かって進み始めた。
瀬戸物。
熱田神宮。
尾張の商い。
また新しい飯の道が、博之の前に広がろうとしていた。




