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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第42話】 面倒な客ほど、宿を育てる

 その日の朝、灰白亭には少しだけ空気の悪い客がいた。


 初めて見る男だった。

 年は四十前後。

 身なりはきちんとしているが、入ってきた時から視線の動きに落ち着きがない。

 席に着く前に、扉、窓、帳場、鍋、二階への階段まで一度見ている。


 旅慣れているというより、粗を探す目だった。


「……嫌な感じね」

 ミアが小さく言った。


「そうだな」

 恒一も答える。


 男は席へ着くなり、まず水差しを見た。

 それから、器が置かれる前に言う。


「持ち帰りもやってるのか」


「やってます」

 ミアが答える。


「じゃあ、先にそっち見ていいか?」


 いきなりだった。


 ミアは一瞬だけ目を細めたが、すぐに答える。


「見てから決めるんですか?」


「食う前に確認しときたい性分でね」

 男が言う。


 言い方は柔らかい。

 でも、柔らかいだけに余計面倒だ。


「……どうする?」

 ミアが小声で聞く。


「見せればいい」

 恒一が答える。

「どうせ隠すもんじゃない」


 ミアは壁際の壺を一つ持ってきた。

 布の巻き方、蓋の閉まり、水分の加減。


 男はそれを手に取り、重さまで確かめた。


「悪くないな」

 ようやく言う。


「ありがとうございます」

 ミアが返す。


「でも、熱いままだと持ちづらいか」


 その一言に、ミアが少しだけ止まった。


 たしかにそうだ。

 布は巻いている。

 でも、持ち手のない壺は熱が残ると手に厳しい。


「……そうですね」

 ミアは素直に言った。

「そこはまだ甘いです」


 男は少しだけ意外そうな顔をした。


 たぶん、言い返されると思っていたのだろう。


「ふうん」

 彼は壺を戻した。

「じゃあ、店で食う分を頼む」


 ミアが器を置く。

 男はひと口食べて、今度はすぐに言った。


「うまい」

「……」

「でも」

 男は続ける。

「急いでる朝だと、ちょっと熱いな」


 今度は恒一の手が少しだけ止まる。


 熱い。

 悪いことではない。

 でも、“急いでいる朝”という条件がつくと、話は別になる。


「猫舌ですか?」

 ミアが聞く。


「いや、そうじゃない」

 男は言う。

「でも市場へ入る前に急いで食うには、あと一口目だけ少し入りやすいと助かる」

「……」


 かなり具体的だった。


 文句というより、使う側の要望に近い。


 ドノヴァンが隣で静かに食べている。

 ガドは二杯目を待ちながら聞き耳を立てていた。

 リナも壺を抱えたまま、ミアの横顔を見ている。


 こういう時の灰白亭は、店全体が少しだけ息を潜める。


「……なるほど」

 恒一が言った。


「気を悪くしたか?」

 男が聞く。


「いや」

 恒一は首を横に振る。

「使い方が見える」

「……」

「ありがたい方だ」


 男は少しだけ眉を上げた。


「そうかい」


「うん」

 恒一が答える。

「店でゆっくり食う客と、市場へ急ぐ客で、一口目の入り方はたしかに違う」


 ミアがそこで小さく聞いた。


「どうする?」


「店内用を少しだけ分ける」

 恒一が言う。

「先によそう分を浅めにして、熱の抜けを少し早くする」

「……」

「持ち帰りは逆に保つ」

「……」


 ミアはすぐに帳面を引き寄せた。


 急ぐ客の一口目

 熱の入り方を少し変える


「また増えたわね」

 リナが言う。


「増えるわよ」

 ミアが答える。

「こういうの、見えたら書かないと」


 そのやり取りを聞いて、男が少しだけ笑った。


「面倒な店だな」

「宿なので」

 ミアが言う。


「客に言われたこと、毎回書いてるのか」


「毎回じゃない」

 ミアが答える。

「でも、残す価値があるものは残す」


 それはよい答えだった。


 感情で受けていない。

 かといって、ただ流してもいない。


 面倒な客の言葉をちゃんと店の材料にしている。


 男はそれ以上何も言わず、粥を食べ終えた。

 そして立ち上がる前に、ぽつりと言った。


「ここ、また来ると思う」


 ミアが目を上げる。


「ほんとですか」


「今度は、持ち帰りで」

 男は言う。

「さっき見た分、ちょっと工夫されるかもしれんしな」


 そう言って、銅貨を置いて去っていく。


 扉が閉まったあと、しばらく誰も喋らなかった。


 最初に口を開いたのは、ガドだった。


「……面倒な客だったな」


「うん」

 ミアが言う。

「かなり」


「でも」

 リナが続ける。

「今の、悪くなかったんじゃない?」


 ミアは帳面を見た。


 急ぐ客の一口目。

 熱の入り方。

 持ち帰りの持ちやすさ。


 全部、今までは見えていなかった。


「……ねえ」

 ミアが言う。

「何だ」

 恒一が聞く。


「面倒な客って、ちょっと嫌だけど」

「うん」

「宿はああいう人にも育てられるのかもね」


 恒一は少しだけ笑った。


「かなりそうだな」


「普通なら、文句言われたら腹立つじゃない」

「腹立つな」

「でも」

 ミアは扉の方を見る。

「今のは、“こう使いたい”が入ってた」

「……」

「だったら、ただの文句じゃない」

「そうだな」


 ドノヴァンがそこで、小さく口を開いた。


「現場でもそうだ」

「何が」

 ペトルが聞く。

「面倒な注文の方が、あとで形になる」

「……」

「最初は腹立つがな」


 それは職人の言葉だった。


 そして宿にも、たぶん同じことが言える。


 褒められるだけでは育たない。

 使われ方をぶつけられて、初めて形になる部分がある。


「……」

 ミアはしばらく黙っていた。


 それから、帳面をもう一度見て、小さく書き足す。


 面倒な客ほど、宿を育てる


「そのまんまだな」

 恒一が言う。


「今日はそのまんまでいいの」

 ミアが答える。

「かなり大事だから」


 その言葉に、リナもガドも頷いた。


 朝の食堂には、湯気がまだ静かに残っている。

 その湯気の中へ、また一つ、新しい使い方が混ざった。


 灰白亭は、うまい宿になるだけじゃ足りない。

 使われる宿になって初めて、残る。


 そのことをミアは少しずつ自分のものにし始めていた。

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