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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第七章 戦雲急を告ぐ
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九十  久夛良木島・清太郎 遠来の客

「親方ァ、禽網(とりあみ)に穴()いてます」

 納屋で仕事道具を点検させている、弟子の寛治(かんじ)が大声で言った。

「ありゃあ、ふたっつもだ」

 小屋で(かまど)に火を入れていた清太郎(せいたろう)は立ち上がり、同じく大声で答えた。

「なら、今日じゅうに(つくろ)っときな」

「はあい」

 いつも返事はいいが、寛治には少し忘れっぽいところがある。念のため、あとでもう一度言いつけたほうがいいかもしれない。

 清太郎は水を張った鍋を火にかけ、刻んでおいた大根と葱を放り込んだ。それが煮えるのを待つあいだに、朝炊いた米の残りで握り飯を作る。

 いつもより早めに昼飯の支度を始めたのは、(ひる)ごろに来客の予定があるからだ。

 味噌を溶き入れた鍋をかき回しながら、立ったままで握り飯と(かぶら)の漬物を食べていると、奥の部屋から呼ぶ声がした。

「清太。清太郎よう」

「いま行く」

 吹きこぼれる前に鍋を火から下ろし、指についた飯粒を舐めとりながら板間に上がる。間仕切りに使っている衝立(ついたて)障子を脇へよけると、父親の松五郎(まつごろう)が寝床の中から遠慮がちに言った。

「すまねえ、湯をもらえねえか」

「湯より茶がいいよ。すぐ()れるから、ちょっと待っててくんな」

 安物しか買えないが、茶葉はいつも切らさないように気をつけている。松五郎は煎茶の味が大好きなのだ。

 囲炉裏端(いろりばた)で手早く淹れて持っていくと、松五郎はゆっくり体を起こし、かすかに震える左手を右手に添えて茶碗を受け取った。

「ありがとうよ」

「熱いから、こぼさねえようにな」

 清太郎は父の細い肩に半纏(はんてん)を着せかけてから、傍に座って彼が茶を飲む様子を見守った。

 すぼめた唇で大事そうにひと口ずつすすり、そのつど目を細めて鼻に抜ける香りを楽しんでいる。

 茶碗の半分ほど飲むと、松五郎はふうと息をついて清太郎を見た。

「いま時分から、もう昼の味噌汁作ってんのか」

「今日は客があるんだよ。おいでなすったらおれは出かけるから、昼は寛治とふたりで食ってくれ」

 客ゥ、と松五郎は訝しげにつぶやき、また茶をひと口すすった。

「どなたがおいでなさるんだい」

黒葛(つづら)さまの禽籠(とりかご)衆さ。立身(たつみ)国からってお話だったから、鉢呂(はちろ)砦の榧野(かやの)孫兵衛(まごべえ)さまだな。(ひな)の買い付けに来られるんだ。それと今回は、支族の殿さまがたもご一緒らしい。(とり)が産卵する崖をご覧になりてえんだと」

 支族と聞いて、松五郎の顔色が変わった。

「おめえ、粗相(そそう)のねえようにしろよ。お武家の殿さまに失礼があったら、その首はねられっちまうぞ」

「平気だよ。崖にご案内して、何か聞かれたらお答えすりゃいいだけだ」

「ご身分の高いかたのお顔を、じろじろ見ちゃなんねえぞ。お答えする時も目は下に向けてな」

「心配いらねえって。ちゃんとやるさ、餓鬼じゃないんだから」

 籠負(かごお)いの親方富造(とみぞう)に弟子入りしたのは十三歳の時だった。それからずっとこの小屋で暮らして、もう十九年になる。大恩ある親方は五年前に亡くなり、その際に稼業と家財をすべて清太郎に譲ってくれた。初めての弟子を取ったのは二年前だ。

 徒弟奉公に出てからは富造が父親だったようなもので、実の父とはずっと疎遠になっていた。何年かに一度は休みをもらえて実家へ顔見せに戻ったが、そのたびに松五郎は行商に出ていて留守だった気がする。

 一年ほど前、父は体を壊して働けなくなった。急な病で倒れ、回復はしたものの左半身が不自由になってしまったのだ。

 母はすでに亡く、それぞれ家族を抱える兄弟たちは日々の暮らしに精いっぱいだったので、気楽な独り身でそこそこ稼ぎもいい清太郎が松五郎を引き取った。二十年近く離れていた父と、また一緒に暮らすのは何か奇妙な感じではあったが、やってみれば案外悪くないものだ。

 これまで生きてきた中で、父とは心身ともに今がいちばん近くにいると言えるかもしれない。

 昔は松五郎に嫌われていた――と思うし、自分も気難しい彼をあまり好きではなかった。だが年を取れば人間誰しも角が取れ分別(ふんべつ)もつくもので、今はお互いに気づかいしながらうまくつき合えている。

 かつての父は、家の手伝いよりも岩登りや木登りにばかり夢中な清太郎に心底あきれ、苦々しくも思っているふうだった。笑顔を向けられた記憶はほとんどなく、父から注がれる眼差しにはいつもかすかないら立ちが混じっていたように思う。

 だが今の父は籠負いとして一本立ちした清太郎を認めてくれているし、養って面倒を見ている彼に感謝もしてくれている。

「もう一杯、淹れるかい」

 茶がなくなったのを見計らって訊くと、松五郎は小さく首を振った。

「いや、もういい。(つくろ)い物やっとくから、裁縫箱取ってくれや」

「根を詰めすぎて疲れねえようにな」

 彼は最近、不自由でないほうの手を器用に使って、衣類の穴をかがったり(ほころ)びを繕ったりできるようになった。左手がほぼ利かないため時間はかかるが、几帳面な性格なので仕上げは丁寧だ。

 もともと働き者だった父にとっては、何もせずに寝ているほうが苦痛らしいので、清太郎は彼がやると言うことはなるべくさせるようにしていた。だが火を扱わせるのだけは不安なので、台所のことは任せるように言ってある。

「親方ァ」

 外から寛治の声がした。

「おいでなさったよう」

 客が到着したようだ。

「じゃあ、行ってくる」(から)の茶碗を持って腰を上げる。「何かあったら寛治を呼ぶんだぞ」

 父は彼を心配そうに見上げ、優しい声で言った。

「気ィつけてなあ、清太」


 小屋の外では立州(りっしゅう)鉢呂(はちろ)砦の禽籠(とりかご)衆が、うららかな春の日差しを浴びながら待っていた。籠長(ろうちょう)榧野(かやの)孫兵衛(まごべえ)と、配下の籠番(ろうばん)衆が四人。彼らは天翔(てんしょう)隊の隊士たちが騎乗する天隼(てんしゅん)――(とり)を育て、訓練する役目を負っている者たちだ。

 禽籠衆の背後には、三人の若い侍がいた。彼らが乗ってきたらしい馬と荷運び用の駄馬は、すでに周囲の木立につながれている。

 清太郎(せいたろう)は少し緊張しながら出ていき、孫兵衛の近くまで行ってお辞儀をした。

「孫兵衛さま、お待ちしてました」

「久しぶりだな」

 徒弟時代からの顔見知りである孫兵衛がうなずいて見せ、ほかの籠番衆も会釈を返す。

「あちらは、立州天翔隊のかたがただ」

 そう言いながら彼が脇によけると、うしろにいた侍たちが進み出てきた。

 間近で顔を合わせることになるとは思っていなかったので、彼らが近づいてくるのを見ながら息が詰まるような感覚に襲われる。清太郎は頭に血が上り、頬がかっと熱くなるのを感じた。身分の高い人々に対して、どんな挨拶をすればいいかなどまったくわからない。

「よ、ようこそおいでくださいました。籠負(かごお)いの清太郎といいます」

 精いっぱい丁寧に言って、深々と頭を下げる。

 いや待て。こういう時は地面にひれ伏すもんじゃねえのか。

 はっとなり、急いで(ひざまず)こうとすると、それを察した孫兵衛に笑いながら止められた。

「やめておけ。このかたの前で平伏したりすると、平伏し返されていたたまれない思いをするぞ」

 戸惑いながら顔を上げると、すぐ前に二十代前半と思われる身形(みなり)のいい侍が立っていた。

 好奇心を(たた)えた彼の目は澄んで明るく、唇にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。その横には同じ年ごろと思われる、凛々しい顔つきのすらりとした青年がいた。

「一番隊隊長石動(いするぎ)博武(ひろたけ)さまと、副長の真境名(まきな)(りょう)さまだ」

 孫兵衛が紹介してくれたが、ふたつ目の名前が清太郎の意識に引っかかった。りょう、とは女の名前ではないのか。

 彼がおずおずそちらを見ると、燎という名のその侍はかすかに笑みを浮かべた。男の格好をして二刀差してはしているが、女と言われればそんなふうにも見えなくはない。

「うしろにいるのは、うちの隊士だ。暇そうにしていたので連れてきた」

 博武が気さくな調子で言い、彼らの背後に控える男が軽く会釈をする。堂々たる体躯の持ち主で、この場にいる誰よりも背が高い。肌の色は海の男のように浅黒く、眼光鋭く、彫りの深い厳しい顔立ちをしていた。

 怖そうだ――いかにも侍って感じだ。

 じろじろ見るなと父に言われていたから、清太郎は少しだけ観察してすぐに視線を落とした。そんな彼の顔を、腰を屈めた博武が興味深げに覗き込む。

「すごい傷だな」

 彼が言っているのは、清太郎の額の左側に斜めに刻まれた大きな傷痕のことだ。ほかにも傷はたくさん負っているが、それがいちばん目立つ。

「初めて崖登りした日に、天隼の鉤爪でやられました」

 あまりにも普通に話しかけてくるので、なんの構えもなくつい返事をしてしまった。だが、それを誰かが(とが)めるような気配はない。

「やはり攻撃されることもあるのか」

 博武が意外そうに言う。

「籠負いは獲った(ひな)をしばらく手元で育てるというから、天翔隊の隊士と同様、(とり)には受け入れられているのかと」

「獲ってしまえば雛はなつきますが、親禽(おやどり)は襲ってきます」

「危険な仕事なのだな」

 燎が博武の横でつぶやき、いたわるような眼差しを清太郎に向けた。

「禽がおらねば我ら〈隼人(はやと)〉の活躍もない。籠負いのおぬしも、いわば天翔隊の一員のようなものだ」

「そんな、も、もったいねえ」

 思いもしなかった言葉をかけられ、清太郎は本当に平伏したい気持ちになった。そんなことを言われたのは初めてだ。

「たしかに」

 博武がほがらかに相槌を打つ。

「うちの隊の天隼は、ほとんどが久夛良木(くたらぎ)島から送られてきたものだしな。ここで産まれた禽には(しょう)のいいものが多い」

 嬉しかった。まるで自分の子を褒められたように感じる。子など持ったこともないのに、おかしなものだ。

「よし、では崖を見にいくか。案内(あない)を頼む」

 そう言って、博武は清太郎の背をぽんと叩いた。

「かなり遠いのか」

「い、いえ、それほどは。歩いて小半刻ほどです」

「なら、馬はここに置いていこう」


 四人の籠番(ろうばん)衆は小屋に残ったが、榧野(かやの)孫兵衛(まごべえ)が崖見物についてきてくれたので清太郎(せいたろう)は内心かなりほっとしていた。

 三人の侍たちは一見穏やかだが、やはり彼らの中に自分ひとりだけで混じるのは気後れする。いや――正直こわい。なにしろ相手は刀を持っており、何か気にくわなければ彼を斬殺しても許される身分なのだ。

 岩山と浅い川に挟まれた道を歩いて崖へ向かいながら、清太郎はうしろにいる侍たちの様子が気になって仕方なかった。

 こんな何の変哲(へんてつ)も見どころもない場所を、ただ歩かされて退屈しているのではないだろうか。もっと気をつかって、ご機嫌を伺ったりするべきかもしれない。

 彼の迷いを感じ取ったように、すうっと孫兵衛が近寄ってきた。

「清太郎親方、近ごろ仕事のほうはどうだ」

 話しかけられると、肩の力が少し抜けた。

「忙しいです。今年に入ってから、三州(さんしゅう)丈州(じょうしゅう)禽籠(とりかご)衆がもう三度も買い付けに来られました。おれと寛治(かんじ)とで、二十日に一度は(ひな)を獲りに行ってます」

「そうか。これからもっと忙しくなるかもしれんぞ」

 清太郎ははっとして、声を落としながら訊いた。

「また戦が始まるんですか」

 (とり)が必要とされるというのは、そういうことだ。それぐらいは彼も知っている。

 孫兵衛は横目に清太郎を見て、低く含み笑いをした。

「戦はな、七年前に始まってからずっと続いているのだ。今は一時的に停戦中であるにすぎん」

 そうなのか——。

 黒葛(つづら)家と守笹貫(かみささぬき)家の戦は、去年の秋ごろに終わったものと思っていた。開戦してからこの七年間に何度も停戦はあったものの、どれも長くて三月(みつき)ほどだったから、戦いの噂が途絶えて半年以上も経った今回はついに終結に至ったのだろうと。

「なんで途中で止めたりするんです?」

 素朴な疑問を投げると、突然横から石動(いするぎ)博武(ひろたけ)が答えて清太郎を飛び上がらせた。

「今回の場合は昨年、三廻部(みくるべ)――大皇(たいこう)家に嫡男が誕生したからだ。めったにない大きな慶事なので、まず一年は両軍ともに動かぬだろう」

 黒葛家ほど大きくて立派な家でも、大皇にそんなに遠慮しないといけないのか。

 それは清太郎には、ひどく理不尽なことのように思えた。黒葛氏が領するこの島で生まれ育った彼にとって、大皇や天山(てんざん)というのは、遠い異郷で崇められている神か何かのように曖昧でぼんやりしたものだ。たいして尊敬の念もありがたみも感じてはいない。

 聳城国(たかしろのくに)()べる人だというのだから、たしかに絶大な力を持っているのだろうが、それでも実感として黒葛家の宗主より上だなどとはとても思えなかった。

 もしこの久夛良木(くたらぎ)島にふたりが同時に来たとして、どちらの前に(ひざまず)くかとなったら、島民はみな迷わず黒葛の殿さまを選ぶだろう。南部人にとって、黒葛家とはそういう存在だ。

 その黒葛家が大皇に頭を抑えられて、思うように戦ができないなどということがあっていいものだろうか。

 清太郎は一介の領民に過ぎないが、それでも何かしら義憤めいたものを感じずにはいられなかった。

「慶事以外で停戦になるのは――」

 博武がのんびりした口調で続ける。

「主に内紛があった時、それから戦費が尽きた時だな。武器が足りない。兵糧が足りない。人が足りない。それでは戦にならんから、続けられる算段がつくまで休戦を申し入れる」

「相手がかまわず攻めてきたらどうするんですか」

 無礼かとも思ったが、何となく許される気がして訊いてみた。

「こちらの戦費が尽きる時には、たいてい向こうも尽きているものだ」

 博武は平然として言い、快活な笑い声を響かせた。

 金がなくなるまで戦って、尽きたらかき集めて、またそれがなくなるまで戦うのか……。

 侍の世界のことはよくわからないが、戦というのは大変なのだな、と思う。

「いつ、決着がつくんでしょう」

 出過ぎた、馬鹿な質問をしてしまった。言ったあとで一瞬ひやりとしたが、幸い博武が不快に思っている様子はない。彼は聡明そうな目で前を見据え、しばらく考えてからゆっくりと口を開いた。

「そうだな……たしかに今回の戦は、当初思っていた以上に手間取っている。おれは五年もあれば守笹貫家を倒せると考えていたんだが、すっかり予想を外されてしまった」

「強いんですか、守笹貫家は」

「強いし、存外しぶとい。三年前にあと一歩で倒せるかというところまでいったんだが、そこからまた息を吹き返した。どこからか密かに支援を得ているのだと思う」

「支援……ですか。ど、どこから」

「さて。北部か――永州(えいしゅう)、かな」

「博武どの」

 うしろから真境名(まきな)(りょう)が静かに言った。どことなく(いさ)めるような口調だ。

 肩ごしに振り向いて見ると、彼――彼女――は、眉をひそめて博武を軽く睨んでいた。もうひとりの、怖そうな顔つきをしたあの長身の侍は、いちばんうしろを歩きながら唇に薄く笑みを浮かべている。表情は違うものの、やれやれ困った人だ、とでも言いたげな雰囲気はふたりに共通していた。

 普通、こういうことは籠負(かごお)いふぜいに教えたりしないものなのだろう。それも当然だ。

 博武があまりに気安いので、つい調子に乗ってあれこれと訊いてしまった。そろそろ控えなくては。

〝おめえ、粗相(そそう)のねえようにしろよ〟

 父の忠告が耳に蘇る。

「――とまあ、そんなわけなので、決着がつくまでにあと数年はかかるやもしれん。二年か三年。あるいは五年」

 途方もないことをあっさりと言ってから、博武はふいに真面目な顔になった。

「少しでも早く終わらせて南部に安寧(あんねい)をもたらせるよう、及ばずながら奮励(ふんれい)努力する所存だ。おぬしもよい雛をたくさん獲り、天翔(てんしょう)隊の一員として貢献してもらいたい」

「は、はい。もちろんです」

 お侍ってのは人を乗せるのがうめえんだな――と心の片隅で思いながらも、清太郎は湧き上がる使命感に突き動かされて力強く答えた。


 島の南端にある断崖には、今日も強い潮風が吹きつけていた。空からは真昼の陽光が降り注ぎ、頂上の草地に転がる石やむき出しの岩を白く輝かせている。

 崖縁の向こうへ目を転じれば、その先に広がるのは深い藍色をした大海原。遠い水平線まで、なにひとつ視界を遮るものはない。

 清太郎(せいたろう)はここに立つといつも、空と海と自分との境が消えてひとつに溶け合うような気分になる。

 彼に続いて小道を上りきり、崖上の平たい地面にたどり着いた石動(いするぎ)博武(ひろたけ)は、そのまままっすぐに歩いて断崖の縁まで行った。崖っぷちぎりぎりに立ち、無造作に下を覗き込んで清太郎を瞠目させる。

 すげえ、怖くないのか。やっぱりお侍は度胸があるな。

「博武どの」

 あとから来た真境名(まきな)(りょう)が警告を発する。

「ここは浮昇(ふしょう)力が働かないから、落ちたら死にますよ」

 博武がはっとしたように振り返りながら、一歩うしろに下がった。苦笑いをしている。

「高所にいるものと、つい錯覚をしてしまった」

 ふたりのやり取りをよそに、もうひとりの侍もまた、かなり(きわ)のほうまで躊躇なく歩いていった。少しうねりのある長い髪を強風になぶられながら、黒い影のようにじっと佇んで水平線を見つめている。

「あのう――」清太郎は少し様子を窺ってから、彼らに声をかけた。「壁面をご覧になりたければ、こっちから見られます」

 博武がすぐに反応し、嬉しそうに近寄ってくる。ほかのふたりと、少し離れて立っていた孫兵衛(まごべえ)も彼のあとに続いた。

 巨大な屏風のように切り立つ崖の縁に沿って西へ歩くと、少し窪んで海側へ突き出した場所に行き着く。そこからは、天隼(てんしゅん)が卵を産みつけて(ひな)を育てる岩壁を斜めに見ることができた。

 雛がいるのは崖の中段あたりなので、かなり目がよくても姿を捉えるのは難しい。だが餌を運ぶ親禽(おやどり)の姿ははっきりと見える。

 清太郎が教えた場所から、博武らは花崗岩の壁面と無数の岩棚、そこに次々と飛来する天隼を眺めた。

「あんな狭い岩棚で卵を抱けるのか?」

 博武が訊き、清太郎は彼がそれを知らないことに驚きながら答えた。

(とり)は卵を抱きません。産みっぱなしで、ちゃんと(かえ)ります」

「抱卵しない――のか」博武が目をしばたたき、小さくつぶやく。「やはり、ただの鳥類とは違うんだな」

「営巣する岩棚は、親が卵を産みつける時の足場になる程度の幅があればよくて、そこが手狭になるころには子供はもう飛べるようになってます」

 まさか天翔(てんしょう)隊の隊士に、自分が天隼の生態について教える日がくるとは思わなかった。富造(とみぞう)親方ですら、こんな経験はしていないに違いない。

 そのあとしばらく崖の上を散策してから、博武はもう一度縁の近くまで行って、用心深く下を覗きながら言った。

「雛はかわいいだろうな。見えなくて残念だ」

「小屋に戻ればご覧になれます。ほとんどは雛というより、もう若禽(わかどり)ですが」

 清太郎の言葉に博武が振り向き、目を輝かせる。

「よし、そろそろ戻ろう」

 彼が仲間に声をかけると真境名燎はすぐに従ったが、もうひとりは何か手振りで簡単に伝えたあと、また海を眺め始めた。

「残るそうだ」博武が説明する。「ここの風景が好きらしい。気が済んだら勝手に戻ってくるだろう」

 彼は雛を見たくないのだろうか。清太郎の小屋を訪れる人は、みんな禽の雛を見たり触ったりしたがるのに。博武にそう言うと、彼は意味深な笑みを浮かべた。

「たぶん雛はあの男を怖がるから、近寄らせないほうがいい」

 冗談を言っているのだろうか。

「でも、あの……隊士さまなのでは」

「そうだ」

「禽に嫌われる人は、天翔隊には(はい)れないと聞いたことがあります」

「嫌われてはいない。怖がられるんだ」

 禽が人の好き嫌いをするというのは知っているが、人間を怖がるなどという話は初耳だ。

「でも、それだと――乗れないんじゃ」

「入隊試験は見ものだったぞ。はじめ禽は彼を恐れて乗せたがらなかったが、それを睨み負かして強引に乗ってしまったんだ」

 博武の横で燎がふっと笑みをもらす。その試験とやらを、彼女も見ていたのだろう。

「乗られたあと、禽はちょっと茫然としていましたね」

「今もそうだ。騎乗されると緊張するのか、妙にしゃちこばった様子になる」

 ふたりが声を合わせて笑った。おそらく聞こえているはずだが、崖っぷちにいる侍はこちらを見もしない。きっと何度も笑い話のネタにされていて、慣れっこになっているのだろう。

 彼をひとり残して崖道を下り、清太郎はほかの三人と共に小屋へ帰った。ちょうど寛治(かんじ)籠番(ろうばん)衆に雛を見せているところだったので、彼らも納屋に隣接した禽小屋へ案内する。

「こっちの二羽は、二日前に獲ってきたばかりの雛です。あっちにいる少し大きいのは二十日ほど前。別の仕切りに入れてあるやつは、もう羽根が生え替わりかけてます」

 籠番衆と入れ替わりに中へ入ったあと、清太郎の説明を聞きながら博武は竹製の柵にゆっくり歩み寄った。上からそっと覗き込み、仕切りの中でひとかたまりになっている雛たちを観察する。

「産毛は白いんだな。まるで綿の団子みたいだ」

 その肩のうしろから燎も仕切りの中を見て、優しい笑みを浮かべた。

「小さいけど、もう一丁前に天隼の顔をしていますね」

「それにしても、ものすごい声だ」

 雛たちは清太郎が来たのに気づいてから、ずっと大声で鳴き続けている。餌の催促だ。

「親方」

 戸口から顔を覗かせて、孫兵衛が呼んだ。外で買い取りの話をしたいのだろう。

「どうぞ、ごゆっくりご覧になってください」

 清太郎は博武と燎にひと声かけてから禽小屋を出た。ねだる相手が消えたとみるや、雛たちがぴたりと鳴きやむ。

「孫兵衛さまも、中でご覧になられては」

「いや、籠番たちがじっくり見せてもらった。どれも健康で、いい禽だと言っている。小さい雛二羽と大きめの四羽、かなり育っている三羽、合わせて九羽すべて引き取りたい」

「承知しました」

 長いつき合いなので、細かいことをあれこれ確認する必要もなく、取り引きはあっさりまとまった。すぐに孫兵衛の指示で、籠番衆が移送用の籠を準備し始める。

「次は、夏真っ盛りのころにまた来ると思う。事前に知らせをやるが、そういう心づもりでいてくれ」

「はい。お待ちしてます」

 移送の作業にかかった籠番衆に場所を譲って、侍ふたりが禽小屋から出てきた。博武は小袖に羽毛をいくつもくっつけている。

「触ろうとしたら(つつ)かれた」

 悪びれる様子もなく言って、彼は手の甲についた傷を清太郎に見せた。

「ちびのくせに(くちばし)が強い」

「す、すみません」へたに触ると危ないと言っておくべきだった。「獲ったばかりのやつは用心深いんです。人の手に慣れるまで、五、六日はかかります」

「謝ることはない。勝手に触るのが悪いのだ」

 燎が冷たく言うと、博武は愉快そうにけらけら笑った。

「違いない」

 籠番衆を手伝って籠を運びながら、寛治はこちらが気になるようでちらちらと見ている。清太郎が立派な侍たちと親しげに話しているので驚いているようだ。

 雛が入った籠に布をかけ、すべて駄馬に積んで固定し終えたところへ、崖に残ったあの侍が戻ってきた。ひとりで存分に景色を堪能したらしく、満足げな顔をしている。

 それからほどなくして代金の受け渡しも終わり、客人たちは引き揚げることになった。孫兵衛ら禽籠(とりかご)衆は北にある森子(もりこ)湊から明日にも船で島を出るが、侍たちは久夛良木(くたらぎ)城の城代に招かれているので、途中で待たせている従者と合流してから東へ向かう川舟に乗るという。

 終わってみれば短い、あわただしい来訪だった。今も傍にいて緊張させられるのに変わりはないが、もう博武らには会うこともないのだろうと思うと、少しばかり名残惜しさのようなものも感じる。

「今日は楽しませてもらった。世話になったな」

 別れ際にそう言って去って行く博武たちを、清太郎は寛治と共に小屋の前の道に出て見送った。三人の侍は馬上にあり、禽籠衆は移送籠を背に積んだ駄馬をそれぞれ引いている。

 彼らの姿が木々にまぎれて見えなくなると、隣で寛治が大きく深呼吸をした。

「いい人らでしたねえ。お侍ってのは怖いもんだと思ってたけど」

「そうだな」

 でもあの人たちは特別かもしれない、とも思う。

「お会いできてよかった。まあ、だいぶ気が張ったけどな」

 本音をもらすと、寛治がくすくす笑った。

「親方、すっごく堂々としてましたよ」

「そうか」

「雛がみんな売れて嬉しいけど、いなくなるとちょっと寂しいや」

「なに、またすぐに獲ってくるさ」低くつぶやき、清太郎はくるりと(きびす)を返した。「おまえ、忘れずに禽網(とりあみ)(つくろ)っとけよ」

「はあい」

 打てば響くような返事を背中で聞きながら、ひとり気をもんでいるに違いない父親の待つ小屋へ向かう。

 戦はまだ続くようだと教えたら、親父は不安がるだろうか。いや、雛がもっと入り用になるということだから、儲かると言って喜ぶかもしれない。そうだ、おまえも天翔隊の一員だと隊士さまが言ってくださった話をしてやろう。きっと、びっくり仰天するだろうな。

 そんなことを考えて微笑みながら、清太郎は「いま帰ったよ」と声をかけて戸口を入っていった。



玉響の群像 第一部 戦乱の幕開け  了

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