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第96話 ロックとシャルロット

 翌日――


 第四位階の迷宮は、二層目からその本性を露わにした。それは【闇玉アビス】迷宮も例外ではなかった。


 二層へと足を踏み入れた瞬間、足首に絡みつく粘り気を帯びたツタの感触。

 視界に広がったのは、終わりなき樹海――濃い緑の闇が、天井まで鬱蒼と覆い尽くしていた。湿った土の匂い、木々のざわめき、どこかで小枝が折れる音……すべてが罠のように思える。


 先頭を行くセカルズの冒険者が、振り返りざま低く警告を発する。


「気を抜くな……この階層は上から蛇が落ちてくる。さらに魔猿――ブラッドバブーンが徘徊している。奴らを倒すときは一撃で仕留めろ。自分の血の匂いを嗅いだ瞬間、狂ったように凶暴化する」


 そこで一拍置き、さらに声を潜める。


「ただし、上ばかり見るなよ。足元にも蛇が潜んでいて、不意に噛みついてくるからな。この階層は先頭をローテーションしながら進むが、どこにいても危険だ。気を抜くなよ」


「……では、木々を燃やすのはどうでしょうか?」


「駄目だ。燃やすと毒の胞子や有害な煙を放つ植物が多い。火魔法は極力控えろ」


 厄介な……。

 そう胸中で舌打ちしたが、実際の進軍は驚くほど順調だった。

 迷宮そのものの癖を知り尽くしているかのように、危険なポイントを正確に避け、落とし穴のような茂みを事前に迂回していく。何度も往復して鍛えられた勘と経験――それが彼らの足取りに現れていた。


 その余裕のおかげで、俺も少しは話を聞く時間ができた。

 最初に声をかけたのは、サーディスを護衛する金証魔法師――ロックだ。

 彼は返事をしながらも、魅入られたようにリンから視線を外さない。


「え? ファスク様が死んだときのこと? ……見張りなんていなかったさ。ボスを倒して安全を確保したら、次の出現までは休憩できる。だからあの時も気を抜いていた……まさか、あのファスク様が殺されるなんて、誰一人思ってなかっただろうな」


「では、そのとき誰がどこにいたか覚えてますか?」


「……いつも通りだと思うぞ。女は女で固まって、それ以外はそれぞれのパーティのテントだ」


「ではロックさんはサーディス様と一緒にいたと?」


「いや……俺が寝たときには、サーディス様はテントにいなかったと思う。ってか候補者全員、必死に【闇玉アビス】習得に励んでたんじゃないか? 俺が起きたときには、もう騒ぎになってた。そんな感じだな」


 同じテントで寝ているからといって、必ずしも就寝時間が同じとは限らないか。

 となると、最後まで魔法陣の前に残っていた世継ぎ候補こそ、最も疑われるべき存在か……?


「魔法陣の前に、最後まで残っていた者は誰か分かりますか?」


「ん? そりゃ……いつも通り、セイラじゃないか?」


「え? 聖魔法師のセイラさんが? 適性なんてあるんですか?」


「いや、たぶんないな。けど、何年も迷宮に潜り続けてりゃ時間なんて余る。わずかな可能性でも賭けてみたくなるのは自然だろう。セイラだけじゃない……俺だってそうだし、冒険者の中には何時間も魔法陣の前に座り込むやつもいる……」


 なるほど――無為に過ごすくらいなら、僅かでも未来に繋がる挑戦を選ぶか。

 リンだって、あの時間を使って【海嘯タイダルウェーブ】迷宮で泳げるようになり、体力もついた。さらには【誘惑テンプテーション】まで習得できたのだから。


「……その日は俺よりも、シャルロットの方が遅くまで残っていたはずだ。話を聞くなら彼女だな」


 ロックの視線の先――サーディスのすぐ前を歩く、ボブの女性。

 シャルロット。これまで会話を交わしたことはないが、今が好機だ。

 胸の奥でわずかな緊張を押し殺し、俺は一歩踏み出して声をかけた。


「すみません……シャルロットさんですよね? 少し、お話を伺ってもよろしいですか?」


 とっつきにくく感じるのは、彼女が美しいからだろう。

 リンだって、もしきっかけがなければ――俺は一生、声をかけられなかったに違いない。


「ん? ナンパならお断りだよ」


 振り向きざまに投げられた言葉に、思わず足が止まる。

 その反応を楽しむかのように、シャルロットは口元に柔らかな笑みを浮かべた。


「冗談。本気にしないで――それで、聞きたいことって?」


「え? あ、あの……ファスク様が亡くなられたときのことを、少し伺いたくて……」


 背後に気配を感じ、ちらりと振り返る。サーディスがまだ近くにいる。

 彼の耳に入るのは避けたい。シャルロットを促して人の少ない方へと移動した。


「うーん……あの日は、特に変わったことはなかった気がするなぁ……」


 もし異常があれば、真っ先に報告が上がっているか……。

 そう思ったところで、隣を歩くリンがふと口を開いた。


「シャルロット殿。剣は誰に教わった?」


「え、私? ――我流だよ。どうしてそんなことを?」


「……防御を度外視した太刀筋、そして身体の寄せ方。まるで喰らうはずがないと信じ切った者の動きに見えた。気になっただけだ」


 一瞬、シャルロットの瞳が細まり、警戒の色を帯びる。だが、すぐに肩の力を抜き、唇に笑みを刻んだ。


「そう言うリンこそ、危なっかしいんじゃない? 一層の魔物とはいえ、一人で全部片づけようとするなんて……実力を隠しているからこそできる芸当――そう見えるけど?」


 視線と視線がぶつかり合う。

 互いの奥底を試すような探り合い――息を呑むほどの緊張に、耐え切れなくなった俺は咳払いひとつ、話題を逸らした。


「シャルロットさんは【解毒キュア】も使えると聞きました。他に何か得意な魔法は?」


「うーん……秘密、と言いたいところだけどね。これは虚勢を張っても仕方ないか――位階魔法は【解毒キュア】だけだよ……それより、リン。金証冒険者のあなたが第四位階魔法を唱えられるのはなぜ? 冒険者よりも魔法師の方がすべてにおいて優遇されると思うのだけど?」


 こちらが問いを投げれば、必ず問い返される。

 当然のやり取りなのだろうが、どうにもやりづらい。

 リンが口を開こうとした、その瞬間――


「おい、お前ら! 余裕があるなら先頭を代われ!」


 前方からセカルズとフォルランの一団が下がってくる。疲労の色は薄いが、交代を早めるのも戦術のうち。


「分かったわよ……行くよ!」


 シャルロットが応じ、サーディスの護衛に付いていた金証冒険者と並んで前線へと躍り出る。フィオージたちのパーティも続く。


 どうやらこの二層は、二組ずつ交代で進軍するのが定石らしい。

 俺たちが余計な手を止めたせいで負担をかけたのかもしれない――。

 ならば恨みを買わぬよう、俺たちも参加するまで。


 そして、樹海の迷宮を切り裂くように――俺たちは二層を駆け抜けた。

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