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第85話 光り輝く洞窟

 ミノタウロスの巨体が地響きを立てて崩れ落ちると、張り詰めていた空気が一気に解ける。

 次の瞬間――村のあちこちの扉が開き、人々が歓喜と安堵の声を上げながら外へと飛び出してきた。


「助かった……本当に、助かったんですね!」

「ありがとうございます! 村を、私たちを救ってくれた英雄です!」

「鳳龍様も、きっとお二人を祝福してくださっているはずです!」


 泣きながら抱き合う者、手を取り合って跳びはねる子どもたち――

 村は歓喜に包まれ、かつてないほどの熱気にあふれていた。


 その中心に立つ俺たちを、村長・イシュバルもまた、驚愕と賞賛の入り混じった表情で見つめる。


「いったい……あの魔法陣の規模は何だ? 発現までの速度も異常だ……それに、同時発動された魔法の数……」


 言葉を区切りながら、村長の目は俺からリンへと移る。


「あの身のこなし……あれは王宮騎士団でも、団長クラスの技量だ――これで銀証など、あり得ぬ!」


 驚きと尊敬の視線が、どこまでも俺たちを追いかける。

 称賛の声は止むことを知らず、誰もが心からの感謝と敬意を注ぎ続けていた。


 そこへ、ヤンフィルが嬉々として駆け寄ってきた。


「さすがはオイラの師匠と兄弟弟子っす! 最初から信じていたっす!」


 胸を張って満面の笑みを浮かべるヤンフィル。

 師匠? 兄弟弟子?

 妙に盛られた肩書に、俺とリンは思わず顔を見合わせ、目で問い合う。


 言いたいことが多すぎて、今はツッコめない。

 勝利の余韻が、ようやく体の力を抜かせてくれたそのときだった。


 「――っ! 誰か、早く来て!」


 その声は、あまりに切羽詰まっていた。

 洞窟の方角から、血相を変えた一人の女性が駆けてくる。


「カリの木が……! 魔蟲に侵されてるの! このままじゃ根までやられる! 私たちだけでは手が足りないの! お願い、誰か手を貸して!」


 その悲痛な叫びが事の重大さを現していた。


 最初に反応したのは、ヤンフィルだった。

 あれほど歓喜に沸いていた彼の顔から一瞬で笑みが消え、真剣な眼差しに戻ると、地を蹴って洞窟へと駆けだす。

 そして、飛び出してきた女性に向かって短く叫んだ。


「母ちゃんも来てほしいっす! オイラ一人じゃ、間に合わないかもしれないっす!」


 母ちゃん!?

 ってことは、この女性もヤンフィルと一緒で【植賢プラントマスター】の持ち主か!?


 だが、今はそんなことに思いを巡らせている余裕はない!

 俺もすぐさまヤンフィルの後を追って駆け出す。

 歩けば十分の距離も、全力で走ればわずか二分足らず――


 そして辿り着いた洞窟の奥、広間のように開けた空間。


 その中央に立っていた、かつて生命力に満ちていたはずのカリの木は――

 赤黒く変色していた。


 まさか……これは毒か?

 そう思った瞬間、木の幹が、かすかに――いや、確かに、蠢いた。


 ぞわり、と背筋を撫でる悪寒。

 まさか、これは――


 目を凝らすと、確信に変わる。

 赤黒く見えたその幹――それは蟲の群れだった。


 全身が硬質な殻に覆われた赤黒い体表。

 細かく動く無数の脚と、ちらつく鋭い顎。

 それらが、まるで一枚の布のように木を覆っている。


 「これが……魔蟲……っ!」


 大きさは蟻ほどか、それよりやや大きい程度。

 だが、その数、その密度――常識を超えていた。

 奴らはカリの木本体だけでなく、周囲の苗木にまでびっしりと群がっている。


 数人の村人たちが、必死の形相でピンセットと虫かごを手に、魔蟲の駆除に取り組んでいた。

 その作業は、まるで徒労。進捗は遅々たるもので、見るからに手遅れの様相を呈していた。


「オイラたちも駆除するっす!」


 ヤンフィルが叫びながら手にしていた予備のピンセットを俺たちに差し出す。


「駆除って……」


「レオもリンも、お願いっす! オイラたちだけじゃ間に合わないっす!」


 言葉を返す暇もなく、俺たちもピンセットを受け取り、魔蟲を一匹ずつ引きはがし始めた。

 だが、思っていた以上に厄介だ。

 魔蟲はしがみついたままびくともせず、無理に剥がせば、傷を残してしまう。

 しかも、奴らはカリの木から吸収した栄養を糧に、徐々に巨大化していく。


「……もう、ピンセットでどうにかできるレベルじゃない……!」


 数が多すぎる。成長速度が早すぎる。

 すでに虫かごの中には入りきらないサイズの魔蟲も現れ始めていた。


 そして――

 俺たちが必死に格闘しているところへ、息を切らした村長が駆け込んでくる。


 カリの木の惨状を目にした村長は、しばし呆然と立ち尽くした後、膝から崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。


「こ、これは……もう……もう、手の施しようがない……」


 そのかすれた声が空気を凍らせる。

 村人たちの顔から一斉に希望の色が消え、洞窟内には、絶望と沈黙だけが支配する。


「鳳龍様の恵みが……」

「どうしてこんな……」


 そんな囁きにも似た嘆きに、ヤンフィルの母が反応する。


「……きっと、ブルホーンよ。あれがここに来た時、糞をしたか、体についた菌を運んできたんだわ……それに虫たちが感染して……魔蟲に――!」


 そこまで言いかけた彼女の表情が一変する。

 何かに気づいたように、突如洞窟の奥へと駆け出した。


「母ちゃん! まさか……!」


 ヤンフィルもただならぬ気配を感じ取り、すぐさまその後を追う。

 そして数秒後――奥から響いたのは、聞くに堪えない、力の抜けた声だった。


「こっちは……全滅……」


 息を呑む。

 もしかすると、奥にあったのは――カリハニー専用の特別なカリの木。

 ミノタウロスの脅威から救ってくれた力の源。


 二人は肩を落とし、足取りも重く戻ってきた。

 その表情には、すでに結論を出した者の覚悟と、抗いきれなかった現実への悔しさがにじんでいる。


「……燃やしましょう。こうなってしまった以上、もうどうすることもできない」

「……そうするっす。とにかく、ここを……浄化するしかないっす……」


 沈痛な声でそう告げるヤンフィルに、俺は一歩前に出て問いかけた。


「もし、ここを燃やすのであれば、一つ試してみたいことがあるのですが……」


「ん? 別に構わないっすけど……でも、鳳龍様の怒りを買うような魔法はダメっすよ? 放出系の魔法とか……やけになってはダメっす。村が滅びるだけでなく国が……アストラリアが滅びてしまうっすから」


「その放出系の魔法を使おうと思うのですが、聖属性であればいいのですよね?」


 ヤンフィルは驚いたように目を見開き、一瞬の沈黙の後、頷いた。


「それだったら問題ないっすけど……村長、いいっすよね?」


 振り向いた先の村長は、重く口を閉ざしたまま、無言で頷いた。


 もし失敗すれば、俺自身がただでは済まないかもしれない。

 だが、もし成功すれば……この木々を、村を、未来を、救えるかもしれない。


 覚悟を決めたその瞬間――

 隣に立っていたリンが、そっと俺の手を握った。


「……レオ、お前ならできる」


 もう彼女は俺が何をしようとしているのか分かっていた。

 リンの手をそっと離し、ためらうことなく魔蟲が群がるカリの木の幹――

 その根元へと、腕を突っ込んだ。


 瞬間、幹に取り付いていた魔蟲が、俺の手に一斉に群がる。

 鋭い牙が皮膚を裂き、毒がじわじわと流れ込む感覚。


「おいっ!? 何をしている!?」

「魔蟲の牙には毒があるのよ! すぐに手を引いて!」

「やめろ! 死ぬつもりか!?」


 村人たちの悲鳴が飛び交い、俺を止めようと駆け寄ってくる。

 だが、構わない。


 俺は激痛に顔を歪めながらも、なおも幹に手を押し当てた。

 この魔法なら……賭ける価値がある!


「**【魔力増幅マジックアップ】**!」


 最大限に威力を高めて――


「**【洗濯ウォッシュ】**!」


 咆哮のように唱えた瞬間、純白の光が爆発的に弾ける。

 巨大な四重クアドラプル魔法陣が幹を包むように展開され、その眩い輝きが根から幹、枝、葉の隅々にまででんしていく!


 同時に魔蟲が悲鳴のような鳴き声を上げた。


 魔力を帯びた浄化の光が、木に巣食う魔蟲を根こそぎ洗い流していく。

 幹に噛みついていた魔蟲たちは、まるで溶けるように次々と弾け飛び、白い霧と化して消えていった。


 同時に、俺の腕を食らいついていた魔蟲たちも、跡形もなく消滅する。


 村人たちの目が、驚愕に見開かれる。


「うそ……あんなにいた魔蟲が……一瞬で!?」

「な、なんて力だ……! こんな魔法、見たことがない……!」


 よし! 成功!


 そう思った、次の瞬間。


 「……!?」


 突如、苗木を食い荒らしていた魔蟲たちが、俺が浄化した母樹に向かって跳びはじめた!


 まずい!

 【洗濯ウォッシュ】の効果が切れる!


 俺は歯を食いしばり、崩れかけた魔法陣を必死に維持しようと、残った魔力のすべてを注ぎ込む。

 だが、現実は残酷だった。いくら浄化しても、数が――圧倒的に多すぎる!


「くそっ……ここまでか!?」


 限界寸前の意識の中、最後の魔力を絞り出す。


 ――刹那。


「……んっ!?」


 俺の魔力が、カリの木の根を伝い、大きな何かに触れた。


 とてつもなく大きく、すべてを包み込むような温かさ。

 今までこんな感触を得たことはない。

 勘違いか? いや、確かに伝わってくる、この圧倒的な力強さ……。


「なんだ……? これは……」


 呟いた瞬間だった――


 俺のすぐ傍に、突如として巨大な魔法陣が展開された。

 見たこともない大きさに、思わず息を呑む。


 その魔法陣は俺の【洗濯ウォッシュ】よりもはるかに強い輝きを放っている。

 一重シングル……二重ダブル……三重トリプル……四重クアドラプルと、層を重ねていき――


 第五の魔法陣が描かれ始めた。


 ――五重クインティプル!?

 まさか、第五位階魔法!?


 何が起きている!?

 誰が――何者がこの魔法を発動しているのか!?


 魔法陣が完成した瞬間、世界が白く染まった。


 一瞬、視界すら奪われ、ただ無音の光が辺りを支配する。

 そして次の瞬間、光が収束し――その中心に、ひとつの球体が現れた。


 それは、まるで水球ウォータースフィアを白に染めたような、美しい玉。

 大きさはサッカーボールほど。しかし、それ以上に異様なのは――

 その球体の内部に浮かぶ魔法陣だった。

 しかもその魔法陣は、どの角度から見ても正面に見えるという、常識では説明できない構造をしている。


 皆がざわめく中で、イシュバル村長――かつての宮廷魔法師が、目を見開き、声を震わせて叫ぶ。


「まさか……! 聖属性の第五位階魔法……!? そんな……ありえん……! 第五位階は、火の【紅玉クリムゾン】、水の【蒼玉セレスト】、土の【坤玉グラヴィス】、風の【翠玉ヴェリデ】、雷の【雷玉ヴォルト】、光の【光玉ルクス】、闇の【闇玉アビス】の七玉しか存在しないはず……!」


 目の前の球体は、それらいずれにも属していない。


 しかし、今はそんな理屈などどうでもよかった。

 問題は、この第五位階魔法は誰が発動し、俺たちにどんな影響を及ぼすかだ。

 せめて、せめてリンだけでも守らなければ。


 そう思い、俺は即座に【魔力障壁マジックバリア】を展開しようとしたが、遅かった。


 白く輝く球体――不思議な玉が、再び魔法陣を描きはじめたのだ。

 しかもその魔法陣は――


 「……【洗濯ウォッシュ】……だと……?」


 間違いない……だが、俺のよりさらに大きく、精微。


(魔法が、魔法を発動しているというのか――!?)


 思考が追いつかぬまま、次の瞬間――

 球体がふわりと浮かび、宙を駆け巡りはじめた。


 純白の軌跡を描きながら、空間に洗浄の光を撒き散らす。 

 その神々しい光に触れた魔蟲たちは、まるで罪を洗い流されるように蒸発し、音もなく霧散していった。


 沈黙の中――

 震えるような声が聞こえた。

 それは、ヤンフィルの母のものだった。


「……カリの木が……命を取り戻してる……枝に葉が……実も、こぼれるように垂れて……」


 その言葉に導かれるように、皆が視線を向ける。

 

 白き球体は、ただ魔蟲を祓っただけではなかった。

 カリの母樹に、生命の息吹を与え、苗木にまで、瑪瑙のような果実が、宝石のように実りはじめていた。


 そして球体は再び動き出す。

 今度は、別の魔法を新たに描き始める――

 それは【洗濯ウォッシュ】とは異なる、四重クアドラプルの聖系統の魔法。


 敵意がないことは、誰の目にも明らかだった。

 けれど、次に何が起こるのかまでは、誰にも読めない――。


 そう思った瞬間、視界が再び純白の光に包まれた。


 光が静かに満ちた次の刹那――

 全員の傷が、すべて癒えていた。

 ミノタウロス戦で負った傷も、魔蟲に刺されていた傷も全部……完全に。


 その奇跡に、村長――元宮廷魔法師であるイシュバルが、呆然と呟く。


「……これは……【範囲治癒エリアヒール】……まごうことなき、第四位階魔法……聖なる力そのもの……やはり、あの球体は聖属性の第五位階魔法だ!」


 まるで誰にも干渉されることを拒むかのように、

 白き球体は、皆の視線をすり抜けるように洞窟の奥へと漂っていった。


 その様子には、意思があるかのような神秘が宿り、

 誰一人として声をかけることも、手を伸ばすこともできない。


 ただ、俺たちは――

 言葉もなく、息を呑み、その光の軌跡を――その光が起こす奇跡を――ただ呆然と眺めることしかできなかった。

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