第84話 死闘
咆哮とともに地響きが走る。
ミノタウロスが再び戦斧を振り上げ、こちらに迫ってくる。
「来るぞ!」
「わかってる!」
俺は【闇魔腕】でクレイモアを構え、リンは翼竜剣を逆手に握り直し、二手に分かれて駆けた。
正面からは俺、リンは右へと回り込む。
「うおおおおっ!!!」
クレイモアが真っ向から戦斧を受け止め、火花と風圧が周囲に炸裂する。
踏み込みとともに背中の【闇魔腕】が激しくしなるが、俺には何の衝撃はない。
その隙をリンが突く。
軽やかな動きでミノタウロスの脇に滑り込み、翼竜剣が筋繊維を断つように突き刺さる。
『グォォォオォオォォォッ!!!』
吠えるミノタウロス。
だが深手ではない。動きは鈍るどころか、ますます凶暴性を増していく。
(あと、どれくらいだ!? もう俺の【闇魔腕】もリンの体力も尽きてしまう!)
ミノタウロスの戦斧が横薙ぎに振るわれる。
俺はクレイモアで再度受け止めるが、風圧で体が浮かされるほど。
さらに、ミノタウロスは怒りに任せて左手を大きく振るい、傍らの家屋をまるで玩具のように叩き壊した。
砕け散った瓦礫が唸りを上げながら飛来し、俺たちの頭上を襲う。
家の奥からは、子どもたちの恐怖に満ちた泣き声が漏れ聞こえてくる。
だが、ミノタウロスの血走った紅い瞳は、俺とリンにしか向けられていない――まるで、他の命など眼中にないかのように。
その執着が逆に功を奏し、住民たちはその隙に安全な場所へと避難を進めていた。
リンはわずかな機を逃さず、少しでも多くの傷を刻もうと身を翻す。
宙へと軽やかに舞い上がり、身体ごと旋回。遠心力を最大限に乗せて一気に距離を詰める。
その全身からは基礎魔法の光が迸り、翼竜剣は桜色に輝きを纏う――
斬撃に合わせて舞うように放たれた桜の花びらがミノタウロスへと降り注ぐ。
その一閃すら、ミノタウロスは戦斧で正面から弾き返した。
吹き飛ばされはしなかったものの、リンの目には明らかな焦燥の色が浮かぶ。
しかし、俺もそのわずかな隙を見逃さない!
戦斧がリンの翼竜剣を受け止めた今、ミノタウロスの防御は片側に集中している。つまり、俺のクレイモアは今、完全にフリーだ!
全力で振りかぶれば対応する時間を作られてしまう。
ならばと、最小限の動きで鋭く、威力を殺してクレイモアを水平に一閃――
硬質な手応えとともに、ミノタウロスの胸元に大きな裂傷が走る! 赤黒い血が飛び散り、巨体が一瞬のけ反った。
いける、このまま押し切る!
そう確信した、その瞬間だった。
バチン、と音がしたような気がした。背中から伸びていた【闇魔腕】が、まるで霧が晴れるようにスッと消え失せる。
主を失ったクレイモアが、地面に落ち、重たい金属音を響かせた。
とうとう【闇魔腕】の効果時間が切れたのだ……。
追い打ちをかけるように、リンの【岩纏衣】も失せていく。防御魔法が切れた今、彼女はもはや強引な攻めに出られない。
俺たちの攻勢が、一気に鈍る。
「リン! ヤンフィルさんが来るまでの間、時間を稼ぐ! こっちからの攻撃は控えろ、迎撃に専念だ!」
ミノタウロスも、ここまでの連戦で少しは消耗しているはず。
そう思い、巨体に目を凝らす。だがその視線の先で、戦慄が走る。
――塞がっている。
リンが最初に刻んだはずの左腕の傷が、いつの間にか跡形もなく癒えていたのだ!
なんという回復力――!
これはまずい。ダメージを少しずつ重ねていく消耗戦では通用しない。
確実に、一撃で仕留めるか、畳みかけて倒すしかない!
俺が斬りつけた胸元の傷も、みるみるうちに皮膚が再生し、赤黒い血すらも止まりつつある。
リンもそれに気づいたのか、わずかに眉をひそめながらも、基礎魔法で強化した身体でミノタウロスの猛攻を間一髪でかわし続ける。
その身のこなしはまるで舞うようだが、時間が経つほど不利になるのは明白だ。
ミノタウロスの再生にこちらの体力と魔力が追いつかない。
――くそっ……!
いつ来る!? ヤンフィル……!
カリハニーは、まだか……っ!?
もはや限界が近い――
なんとかリンとローテーションをしながら、ミノタウロスの攻撃を躱すが、リンの呼吸は荒く、足取りもわずかに乱れている。
もう長くは持たない……。
撤退の二文字が脳裏を過ったそのとき――
「レオーッ!!! 受け取るっす!!!」
ヤンフィルの絶叫が、戦場に響き渡る。
振り向くと、彼は食堂の扉を蹴破り、何かを高く掲げてこちらに走っていた。
琥珀色の瓶――
陽の光を反射し、黄金に煌めくその中身は、粘性のある甘い液体。
ヤンフィルが力いっぱい投げた瓶が、一直線にこちらに投げられた。
リンが最後の力を振り絞り、宙を舞うようにそれをキャッチ!
「レオ!」
彼女が放り投げるように俺に渡し、俺はすぐさま蓋を開けて中身を喉へと流し込む。
――甘い……だが、それ以上に熱い。
とろりとした蜜が喉を滑り落ちた瞬間、灼けつくような力が体の奥底まで駆け抜ける。
枯渇していた魔力の源に、金色の奔流が流れ込み、渦を巻くように満ちていく!
即座に【ストック】を開始。
すぐにリンの身体をしっかりと抱き寄せ、まずは彼女の体力を回復させる。
「**【洗濯】**!」
さらに、魔力の回復は続く。
十全に染みわたるカリハニーの力が、俺の体内を駆け巡る。
回復のたびに【ストック】を重ね、次々に魔法を紡いでいく。
「**【魔力増幅】**!」
「**【風纏衣】**!」
全身に風の加護を宿し、今――リンはまさしく風そのものとなった。
疾風の剣士と化したリンが、ミノタウロスの巨躯に舞うように迫り、その刃が風と共に閃く――!
先ほどまで、応戦できていたミノタウロスの目が、リンの動きをまったく捉えられずに泳ぐ。
もはや、彼女の斬撃は見えぬ風の刃。
鋼の肉体を持つミノタウロスですら、その身を刻まれるしかなかった。
そしてとどめとばかりに、俺は己にも魔法を唱える。
「**【風纏衣】**!」
「**【闇魔腕】**!」
吹き荒ぶ風が俺の身体を包み、足元の地面すら削るほどの風圧をまとった瞬間――
背中から、闇の魔力が爆発するように噴き出し、二本の巨大な黒き腕が現れた。
一本ですら、ミノタウロスの戦斧と互角に渡り合えたのだ。
それが今、二本――
しかも強化された状態で俺の背に宿る。
背中から伸びた【闇魔腕】の右手が、地に落ちたクレイモアをつかみ上げる。
【風纏衣】が俺の足元を押し上げ、爆発的な加速を生み出す。
そのまま風と闇をまとった俺は、一直線に付きまとうリンを振り払おうと、必死に戦斧と左手を振り回すミノタウロスへと突進――!
ミノタウロスも、さすがに本能で死の気配を悟ったのだろう。
それまでリンを追っていた赤い瞳が、鋭く俺へと向けられる。
咆哮とともに、戦斧を振り上げ――反撃の構え!
しかし、俺の背から伸びた【闇魔腕】の左手が、凶暴な戦斧を握るミノタウロスの右腕をがっちりとつかみ取る!
『グォォォォアアアアアア!!!』
ミノタウロスが雄叫びを上げ、暴れ狂う。
だが、闇の腕はびくともせず、まるで縛られたように動きを封じ込める。怪力を誇るミノタウロスの腕でさえ、解放されることはない。
そして――
右側の【闇魔腕】が、クレイモアを目一杯振りかぶる。
それには技巧も華麗さもない。ただ、圧倒的な質量と速度。
容赦のない破壊の一撃。
ミノタウロスは咄嗟に左腕で顔面をかばうようにして防御の姿勢を取るが――
ドグォンッッ!!!
その左腕ごと、斜めに――叩き潰すように――斬り飛ばされた!
肉が裂け、骨が砕け、空気が悲鳴のように震える。
巨体が一瞬ぐらりと揺れ、叫び声すら押し殺されたように沈黙する――。
最後の悪あがきとばかりに、ミノタウロスは俺に向かって蹴りを放とうとした――
だが、それすら叶わない。
右腕を捕らえていた【闇魔腕】が、信じがたい膂力でその巨体を宙へと持ち上げる。
まるで布の人形のように、ミノタウロスの足が宙を泳ぐ。
間合いは外された。
地に足の着かぬ戦士に、次の一手など存在しない。
その刹那――
「はあぁぁあっ!!!」
リンが舞う。
翼竜剣が桜光をまとい、花弁を散らしながら宙を翔け、空中に浮かぶ魔物の喉元を一閃――!
閃光とともに、赤黒い飛沫が弧を描く。
同時に、俺のクレイモアが、一直線にミノタウロスの胸に突き刺さった。
岩竜の刃が肉と骨を貫き、心臓を穿つ。
二撃、同時。
咆哮はなく、もはや抵抗の気配もない。
ミノタウロスの体は、しばし宙に浮かんだまま硬直し――
ひとひらの桜の残滓が目標物を失ったのように舞い、風の中に消えていった。




