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第83話 ミノタウロス

 歩けば半日かかる険しい山道を、風の力を纏った俺は、リンを抱えたまま駆け抜ける。疾風のように、木々をすり抜け、岩を飛び越えるが、【風纏衣シルフィード】の効果時間は限られている。


「**【魔力増強《マジックアップ】**」

「**【風纏衣《シルフィード】**」


 二度目の詠唱。

 もう残り魔力は『16』。


 その甲斐あって、十分ほどで北カリ村に到着。

 だが、目の前に広がるのは、惨状だった。


 家の扉は固く閉ざされ、窓の隙間からは、子どもたちの悲鳴にも似た泣き声が絶え間なく漏れ聞こえてくる。

 その家を、見たこともない魔物が、斧を振りかざしながら叩き壊していった。


 黒々とした体毛に覆われた、五メートルはあろうかという巨躯。

 雄牛のような顔には、二本の角がねじれながら生え、目は理性なき怒りで爛々と燃えている。

 筋骨隆々とした両腕には、戦場を一掃するほどの巨大な戦斧。

 一振りで石壁をも粉砕するそれを、奴はまるで玩具のように振り回していた。


 ヤンフィルが数人の男たちを伴い、武器を手に立ち向かうも、まるで意に介さず、その魔物は女、子どもを狙って、あまりに執拗に追い回す。


「――あれは……ミノタウロスか!? ブルホーンじゃなかったのか!?」


 その言葉に答えたのは、近くにいた村人。


「ブルホーンが突然、私の目の前に現れたと思ったら洞窟に向かって……しばらくして出てきたら、あの異形な魔物に……」


「カリの実を喰らったか……! レオ、行くぞ!」


 リンがその光景を見ながら、自身に【加速ヘイスト】を詠唱し、翼竜剣を素早く抜刀。

 今なお家屋を破壊し続けるミノタウロスに斬りかかる――!


 だが、そこに異変があった。

 男たちの攻撃にはまったく反応を示さなかったミノタウロスが、リンの接近に気づいた瞬間、突如としてその動きを変える。


 ギラリと目が赤く光り、斧を振るう手を止める。

 その目は、まるで極上の獲物を見定める狩人のようにリンに釘付けとなり――

 涎を垂らしながら、狂喜に満ちた唸り声を上げ、ミノタウロスの巨体が、リンの俊敏な突進を正面から迎え撃つ!


 ぶつかり合う、翼竜剣と戦斧――!

 金属の悲鳴にも似た衝撃音が響き、空気が震える。


「くっ――重っ……!!!」


 リンの細腕に伝わるのは、剣ごと押し潰されるような圧力。

 戦斧の一撃は地を裂くほどの破壊力を孕み、次の瞬間、彼女の身体は弾かれたように宙を舞った。


 凄まじい衝撃――だがリンは、空中で冷静に身体を捻り、足先から岩肌へと着地。その勢いを巧みにいなし、無理やり衝撃を逃がす。


 だが、その表情にわずかに浮かんだ苦悶。

 膂力のの差は、明白だった。


 ヤバい……!


 リンの攻撃にここまで反応できた魔物なんて、ワイバーン以来だ。

 しかも――力は圧倒的にミノタウロスの方が上。


 俺の中に残っている魔力はもう僅かで、【風纏衣シルフィード】を再詠唱する余力すらない。

 追い討ちをかけるように、放出系の魔法は使用禁止。

 本来であればこの状況を打破できる【火爆ファイアバースト】や【火弾ファイアバレット】も、使うことは許されていない。


 ――せめて、ミノタウロスの攻撃を無効化できる何かがあれば……!


 その刹那、俺の考えと同調したかのように、リンが振り返り、声を張り上げる。


「レオ! クレイモアを使え! 私では薙ぎ払われてしまう!」


 一瞬、俺もその選択肢を脳裏に浮かべた。

 だが、あまりにも無謀すぎる。ぶっつけ本番にしては、リスクが大きすぎるのだ。

 カリ山脈を離れたら、じっくり向き合おうと……そんな風に考えていた。


 が、そんな悠長なことは言っていられない。


「分かった! ただし、これだけは言っておく。不発に終わる可能性もある。だから、いつでも逃げられる準備をしておいてくれ」


 だが、俺の懸念を――いや、弱音すら、

 リンは迷いのない笑みでかき消した。


「大丈夫! レオは失敗などしない!」


 迷いの一切ないその声。

 その瞳は、まっすぐに俺を信じている。

 疑いも、不安も、一片たりともない――。

 そんな彼女が、剣を構えて俺の隣に立った。

 ……ここまで信じられていて、期待に応えないのは男じゃない!

 俺は深く息を吸い込み、吠えるように唱えた。


「**【石纏衣ノームディア】**!」


 まずはリンの身体の保護。

 そして、新たに習得したこの魔法――!


「**【闇魔腕カイナ】**!」


 俺の背後に三重トリプルの魔法陣が浮かび上がる。

 そこから、闇そのものを凝縮したような異形の腕が空気を切り裂くように生えた。黒く、禍々しいほどに巨大で、意思を持っているかのように蠢く第三の腕。


(魔法書には、人外の力を持つ腕が一分間出現と書いてあった。だが、俺が使えば威力は高く、効果時間も長いはず! あとは、この第三の腕を俺が使いこなせるかが問題!)


 背中から伸びた魔腕の指を、ぐーぱーと握ってみる。

 まるで最初から、俺の体の一部だったかのようになめらかに動く。


(よし! 水球ウォータースフィアよりも扱いは簡単! これならいける!)


 背中から伸びる【闇魔腕カイナ】で、背負っていたクレイモアの柄を握る。

 グッと引き抜くと、体がふっと、驚くほど軽くなった。


(……まさか、重さを感じない?)


 常人では持ち上げるのも困難なこの剣が、まるで空気のように自在に動く。


(なるほど……【闇魔腕カイナ】で扱う武具は、魔力によって支えられているのか。物理的な重量が意味をなさないんだな)


 もちろん、持てる物の大きさや魔力の限界はあるだろう。

 だが、それを差し引いても――これは戦況を大きく変える一手になり得る。


 と、そこへ避難誘導をしていた元宮廷魔法師であり、北カリ村の村長・イシュバルが、こちらに気づき、目を見開いた。


「なっ――!? 【闇魔腕カイナ】に剣……!? 馬鹿な! あの魔法は……【魔力障壁マジックバリア】と同系統、防御に特化した補助魔法のはず……!」


 その声は、驚愕というよりも、もはや動揺に近い。


「腕で魔法師を護る、それが【闇魔腕カイナ】の本来の役割だ……それを……それを攻撃に使うだと……!? しかも、あの鈍重な魔腕が――まるで、人の腕のように……」


 イシュバルの声が震える。

 元宮廷魔法師の常識が、音を立てて崩れていくのが分かった。


 【闇魔腕カイナ】を習得する前――

 俺はリンに、「これを、人の腕のように使いたい」と打ち明けた。


 そのとき、彼女は本来の用途を教えてくれた。

 ――防御の魔法であること。

 ――魔法師を護る盾であること。


 だが、彼女は一度も「無理だ」とは言わなかった。

 否定も、疑いも、ためらいも……なにもなかった。

 ただ一言――


 「レオなら、できる」


 その言葉が、俺の背中を押し続けてきた。

 そして、今――

 まさにその信頼を証明するとき!


 俺は長剣を【収納ストレージ】から引き抜き、リンと並んでミノタウロスへと駆け出す。


 対する、ミノタウロス。

 俺の背後から迸る魔力の奔流に気づいたのか、赤い目をギラリと光らせてリンと俺を交互に見据える。

 そして、先ほどと同じく、戦斧を凶暴に薙ぎ払い、リンを吹き飛ばそうとする。


 だが、リンはそれを躱す動作を一切見せない。

 完全なる信頼。

 俺が、必ず止めると信じている――!


 ――裏切れるわけがないッ!!


「うぉぉぉおおおおおッ!!」


 【闇魔腕カイナ】が、クレイモアを天へと掲げ、

 そのまま勢いを乗せて、戦斧を真っ向から迎え撃つ!


 ――激突。


 轟音が山間に轟き、火花が弾け飛ぶ。

 クレイモアと戦斧がぶつかり合い、風圧が爆ぜ、地面に砂煙が舞った。


 だが――俺は一歩も引いていない!

 ミノタウロスの膂力を、【闇魔腕カイナ】の怪力が完璧に受け止めている。


 一方のミノタウロスは、あまりの衝撃にたたらを踏み、体勢を崩す。

 その一瞬の隙――リンが見逃すはずがない!


 「はっ!」


 鋭い掛け声とともに、彼女の翼竜剣が弧を描く――!

 閃光のような一撃が首を狙うが、ミノタウロスは左腕を素早く間に入れる。

 首を刎ねることはできなかったが、腕から鮮血が空中に弾けた。


 続けざまに俺も動く。

 すかさず長剣を振り抜き、ミノタウロスの脛を狙って薙ぎ払う――が、

 傷は浅く、分厚い皮膚が防いでしまう。


(……それでも、効いてる! 確実に削れてる!)


 だが――ミノタウロスも黙ってはいない。


 再び、戦斧が唸りを上げて薙ぎ払われる。

 俺のクレイモアがそれを受け止め、火花が散る。

 だが、次の瞬間――


 大地を抉るように、ミノタウロスの巨脚が蹴り上げられる!

 大木のような脚が唸り、地面にひびが走るほどの一撃。


 「リン、跳べっ!」


 声に応じて、リンは瞬時に跳躍。

 だが、それすらミノタウロスの計算の内――

 空中の無防備なリンに、奴の左手がハエを叩くような軌道で振るわれる!


 「っく――!」


 翼竜剣でいなしにかかるも、完全には捌ききれない。

 空中で受けた衝撃は絶大――

 リンの身体が弧を描き、家屋の屋根を貫いて吹き飛ぶ!


 「リン!!!」


 俺の叫びが響くなか、家々の間から砂煙が舞い上がる――


 ……が、次の瞬間、その砂煙を割ってリンが飛び出す!


 立っている。だが、口元には血の跡。

 胸を上下させながらも、その手から剣は離れていない。


「【石纏衣ノームディア】がなければ、戦闘不能だったな」


 リンは大丈夫と言いたげに笑顔を作るが、その顔には明らかに疲労の色が滲んでいる。

 俺はすぐに魔法を詠唱――


「**【洗濯ウォッシュ】**!」

「**【治癒ヒール】**!」


 リンの身体の血と傷、疲れを洗い流していく。

 だが、これで俺の生命線である魔法を使ってしまった。


(まずい……このまま長期戦になるのは避けたい。魔力は少なく、使える魔法の【ストック】も残りわずか……!)


 そのとき――

 ふと視界に、戦闘の様子を固唾を呑んで見守っていたヤンフィルの姿が映る。


「ヤンフィルさん! 魔力回復薬マジックポーションをください!」


 必死の声に対し、ヤンフィルは顔をしかめ、首を横に振る。


「申し訳ないっす! 村の魔力回復薬マジックポーションは、一本残らずサグマ様たちに売り渡してしまったっす! それに、今日精製した分は、まだ……洞窟の中に……!」


 なんてこった――

 だが、その瞬間、リンが叫ぶ。


「――では! カリハニーだ! あれも魔力を回復するはずだ! ありったけのカリハニーを持ってきてくれ!」


 ヤンフィルも目を見開き、すぐに大きくうなずくと、男どもを従え、大急ぎで食堂へと駆け出していった。


「レオ!」


 振り返ると、リンの眼差しがまっすぐ俺を射抜く。


「カリハニーが届くまで、時間を稼げ! 魔力が戻ったら一気に決めるぞ!」


 頷くと同時に、俺は剣を握り直す。

 二人で、咆哮を上げながらこちらを睨みつけるミノタウロスを――その巨躯を、見上げる。


 息を合わせるように、俺たちは駆け出した。

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