第79話 鳳龍とカリの木
北カリ村にたどり着いた頃には、すでに夕日が山の端に沈みかけていた。
空は茜色に染まり、肌寒い風が、登山で火照った体を労うように冷やしてくれる。
「すまぬな……いつもレオには迷惑をかけてばかりだ」
そう言って、リンは息を整えながらも、俺に感謝の言葉を向けてくる。
登山の間、何度も彼女の身体を支えたり、腕を貸したりしたからだ。
……とはいえ、俺としては別に苦でもなかった。
むしろ、リンの華奢な身体を支えるたび、どこか得した気分になるのは――
まぁ、惚れた者として仕方のないことだろう。
村の門をくぐると、そこには一人の青年が立っていた。
「ようこそ、北カリ村へ! オイラはこの村の戦士、ヤンフィルっす。ここから先の案内は、オイラにお任せくださいっす!」
年の頃は、二十歳になるかならないかといったところか。
陽に焼けた褐色の肌に、快活な笑顔。そして常に白い歯を見せるその表情は、まさに人たらしという言葉がよく似合う。
初対面でありながらも、ぐいぐいと距離を詰めてくるその雰囲気に、自然とこちらも表情に笑みがこぼれる。
――どうやら、そういう類の男らしい。
「うむ。私はこの隊商のリーダー、ムスク伯爵家のサグマだ。さっそくだが、村長に会わせてもらえるか?」
サグマが代表してそう告げると、ヤンフィルはにこやかに首を横に振る。
「分かったっす。でも今、村長はちょうど外に出てるっす。戻るまでは、まずは旅の疲れを癒してほしいっす」
「そうか。では、宿があれば案内してもらいたい」
「了解っす! 北カリ村には、数年に一度だけ宮廷魔法師の方々が泊まる専用の宿があるっす。皆さんには、そこを使ってもらうっす!」
そう言うなり、ヤンフィルは軽やかな足取りで先導を始めた。俺たち一行もそれに続く。
宿へ向かう道すがら、俺は自然と村の中に視線を走らせていた。
規模としてはチグリ村よりもかなり大きい。
建物の多くは木造で、造りはチグリ村に似ている。ただ、明らかに違う点もある。
見張り台がない。重々しい鉄門も見当たらない。代わりに、どこか開放的な空気が漂っていた。
そんな印象に浸っていたところで、ふと違和感に気づく。
(……ん? この村って、カリの木の実で有名なんだよな?)
周囲を見渡すが、それらしき木は一本も見当たらない。
地形的にも、ここより上へ続く道はもうなさそうだ。
(おかしいな……カリの木って、いったいどこに群生してるんだ?)
疑問を胸に抱きつつも、俺はヤンフィルの後ろ姿を追い、宿の敷居を跨いだ。
北カリ村の宿は、予想以上に立派だった。
外観は質素な木造ながら、手入れが行き届いていて清潔感がある。中へ入ると、落ち着いた木の香りとともに、柔らかな灯りがあたりを包み込む。
床や壁には無垢の木材が使われており、装飾こそ少ないものの、そこには品格が漂っていた。
村の雰囲気からは想像もできなかった高水準のもてなしに、自然と背筋が伸びる。
ただ、宿の部屋数は四部屋しかなかった。
俺たちは八人。単純計算で二人ずつ相部屋になるしかない。
そのタイミングで、サグマが部屋割りを決め始めた。
「エイガーは俺と同室だ。それ以外は好きに組んでいい。ただし――リンスはレオンと同室でいいな?」
一応の確認だったが、その言葉にリンは即座に頷く。
「もちろん。私が行く場所は、レオの行く場所だ。レオがその部屋に泊まるというなら、私もそこに泊まる」
当然のことのように言いきるリンに、隊商の面々の表情に少し嫉妬が浮かぶ。
俺はというと……今にも天に上りそうなほど嬉しい気持ちを抑えるの必死。
それが、恩義からくるものであってもだ。
割り当てられた部屋は、チグリ村で泊まった宿と似たような間取りだった。
リビング兼ダイニングが一つと、その奥に寝室が一部屋。簡素だが、十分にくつろげそうな造りだ。
まずはリンが風呂に入り、その間に俺は椅子に腰をかけながら魔法書の精読を始める。
そして、リンが上がったあとに俺の番。
ひととおり汗を流して、風呂から上がる……と、そこで一つ困ったことが起きた。
「……洗濯、どうしようか?」
服は汗と埃でべったりと重く、着続けるには到底無理がある。
いつもなら【洗濯】の魔法を使って一瞬で清潔にできるのだが、ここでは魔法の使用が禁じられている。
当然、生活魔法の【創造水】もアウトだ。
とはいえ、使い終わった服をそのまま放置するわけにもいかない。
風呂のお湯を使って手洗いするのが一番現実的だろうが……問題はそのあとだった。
――干す場所が、ない。
部屋の片隅に物干しらしきものはあるが、それを使えば必然的に室内干しになる。
もし、リンの下着なんかがそこにぶら下がることになったら……考えただけで落ち着かなくなる。
ましてや、木窓の外にぶら下げるなんてことは言語道断。
服を洗う以上に、どこに干すかのほうが悩ましい。
散々思案した末に、リンと相談して、とりあえず洗濯物は部屋の隅に、それぞれ置いておくことで落ち着いた。
まあ、戦闘などで服が破れることも多いため、予備は多めに持ってきている。今はそれで凌げるが、いずれ根本的な対策を考えなければならない。
そんな思考を巡らせつつ、気分転換も兼ねて部屋を後にし、ふらりと宿の外へと足を向ける。
サグマの護衛というクエストを請け負っている以上、この北カリ村のことを少しでも理解しておく必要がある。
案内役のヤンフィルは村長のもとへ向かってしまったため、リンと二人で適当に村を散策してみようかと考えていたそのとき――
「えっ!? レオじゃない!?」
「リンもいる! どうしてここに!?」
不意に背後から声をかけられ、驚いて振り返ると――そこに立っていたのは、懐かしい顔ぶれだった。
「あっ! お久しぶりです! カタリナさん! ミザリーさん!」
もしかしたらどこかで再会できるかも……と、淡い期待を抱いてはいたが、まさかこんなに早く出会えるとは思わなかった。
久しぶりの再会に、二人は満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってくる。
俺には力強く手を握ってくれ、リンには遠慮のない親しげなハグ。そんな自然なやりとりから、すぐに話に花が咲いた。
「レオ、あんた随分背が伸びたじゃない! もう私より高くなってるし!」
「リン、ちょっとは年相応にしなさいよ。その歳でそんなにスタイルが良かったら、私たちの立つ瀬がないってば!」
二人とも変わらぬ様子で、口調こそ軽口交じりだが、再会を心から喜んでくれているのが伝わってくる。
「この一年でだいぶ伸びましたよ。今も成長期の真っ最中ですから、まだまだ大きくなります」
そう答えると、隣でリンも小さく首をかしげながら口を開く。
「スタイルがいい……? いや、これはただの駄肉がたるんでいるだけなのだが……」
そう言いながら、彼女は困惑気味に自らの下乳を服の上からそっと支える仕草を見せる。
それを見たカタリナが即座にツッコミを入れた。
「ちょっとリン? それ、世界中の女性を敵に回す発言だからね?」
しかし、リンの顔には本気で困惑した色が浮かんでいた。
……まさか、本当に自分のスタイルが気に入っていないのか?
そんな疑問が頭をよぎったそのとき、ミザリーが話題を切り替えるように、再度問いかけてきた。
「ねぇ? 二人とも、一体どうしてここにいるの?」
「ええ、実は――」
俺はこれまでの旅路と、ここまでの経緯をかいつまんで話して聞かせた。
すると、二人は目をまん丸に見開いて、思わず声を上げる。
「えっ――!? もうレオ、銀証魔法師になったの!?」
「ザンクを討伐したって!? あの銀証冒険者十段の!?」
二人の視線は、俺とリンの胸元で鈍く光る銀の徽章にくぎ付けになっていた。
驚きと興奮が入り混じった様子で、しばし言葉も出ないようだった。
「ええ、それでちょっと困っていることがありまして……」
俺は、麓の集落で、魔法の使用は厳禁と言われて以来、【洗濯】だけでなく、生活魔法ですら使えずにいることを打ち明けた。
すると、二人は顔を見合わせ、すぐに動き出す。
「確かにそれは不便ね。【洗濯】が使えないのは地味にキツいわね」
「じゃあ、私たちが村長に使用許可を取りに行ってあげる!」
頼もしい言葉に、思わず聞き返してしまう。
「えっ? この村で魔法を使ってもいいんですか?」
ミザリーが、当然だと言わんばかりに胸を張る。
「もちろんよ。何のために私たちが【治癒】を覚えたと思ってるの?」
言われてみれば確かにそうだ。
彼女たちは覚えるか、魔法書を持ってこいと言われていたはず。
もし使えないのなら、わざわざ覚えさせる必要も、書を持ち込ませる意味もない。
「でもね、ちょっと厄介な事情があるの」
今度はカタリナが、少し真剣な顔つきで言葉をつなぐ。
「変な魔法を不用意に使うと、鳳龍様を刺激してしまう恐れがあるのよ。だから、村の外から来た人には一律で魔法全面禁止を伝えているの」
「どの魔法なら使ってもいいか、外部の人には判断がつかないでしょ? だったら最初から全部ダメってしておいたほうが安全、ってわけ」
なるほど……そういうことか。
にしても、鳳龍『様』か。
龍って、本来は魔物の一種だよな?
敬称をつけて呼ぶというのは、この北カリ村独自の習わしなのかもしれない。
もっとも、俺自身はそれをどうこう言うつもりはない。
よそ者の価値観を押しつけて場を荒らすのは、もっとも避けたいことだ。
だからこそ、今後はこの村の者たちと同じように、敬意を込めて「鳳龍様」と呼ぶことに決めた。
「あの……お願いがあるのですが……村長に会う前に少し、鳳龍様のことを教えてくれませんか?」
俺はなるべく丁寧な口調で訊ねる。
「実は、僕……そのへんの歴史や伝承に疎くて……あまりちゃんと勉強してこなかったんです」
その言葉に、カタリナとミザリーは一瞬きょとんとした後、ふっと笑みをこぼす。
「ふふ、正直でよろしい。レオらしいわね」
「そうね。この村に滞在する以上、鳳龍様のことは知っておいた方がいいわ」
二人はそう言うと、俺とリンを促し、歩き出した。
案内されたのは、村の中心近くにある大きな食堂――外観は素朴ながらも、村の規模に不釣り合いなほど立派な建物だった。
中に入ると、温かい湯気とともに、出汁のきいた香りがふわりと鼻をくすぐる。
居心地のよさそうな木造の内装。あちこちで村人たちが食事を楽しみ、和やかな声が響いていた。
カタリナとミザリーが店主に軽く声をかけ、手慣れた様子で料理を注文すると、俺たちは四人がけのテーブルについた。
そして、飲み物が運ばれてきたタイミングで、二人はようやく本題を切り出した。
「鳳龍様っていうのはね、カリ山脈の山頂に棲むとされる龍のことなの。姿を見た者はいないけど、昔からこの地にいると信じられてるわ」
ミザリーの言葉に、俺は思わず眉をひそめる。
(ってことは、眉唾って可能性もあるということか)
そんな思いが表情に出てしまったのか、カタリナとミザリーは少し苦笑いを浮かべる。
「レオ、まさかおとぎ話か何かだと思ってる?」
「姿を見たことはなくても、声を聞ける人がいるの。それが、北カリ村の村長よ」
姿が見えずとも、声を……? 何かの魔法的な感応能力か?
ミザリーが続ける。
「この村の村長は代々、【龍賜】というギフトを授かった者だけが就くの。世襲でも投票でもない、選ばれた者がなるのよ」
てっきり村長ってのは、血筋とか村人の信頼とかで選ばれるもんだと思ってたけど、ギフトを軸に選ばれるっていうのはかなり異質だ。
だがそれだけ、この村と鳳龍との関係が深いってことでもあるのだろう。
「で、どうしてそこまで鳳龍様を敬うんですか?」
俺が一番知りたかった核心だった。
問いかけると、カタリナとミザリーは顔を見合わせてから、真剣な表情でぐっと身を乗り出してきた。
「それはね、レオ。カリの木も、そこになるカリの実も――全部、鳳龍様からあふれ出る魔力がないと育たないのよ」
「言ってしまえば、あの木と実は鳳龍様の魔力の結晶そのものなの。鳳龍様の存在があるからこそ、私たちは生活していけるの」
「……つまり、カリの木はこのカリ山脈でしか育たないってことですか?」
「そう。ほかの土地に種を移しても、枯れるだけ。鳳龍様がこの地にいるからこそ、木も実も命を得るのよ」
――衝撃だった。
まさかカリの実が、そんな由来を持っていたとは。
(ってことは……)
思い返す。
俺が以前飲んだ、サグマからもらった魔力回復薬――
最高級品質と言われていたが、鳳龍の魔力から作られたものを飲んだってことか……。
そう考えた瞬間、背筋にうっすら冷たい感覚が走る。
つい先日、あの含魔薬騒動があったばかりだ。
あれを思い出すと、素直に喜んではいられない。
だが、もし今の話が本当なら、鳳龍という存在はただの魔物ではない。
魔力回復薬に副作用がないというのは、俺自身が証明してしまっている。まぁ今のところは……という条件付きだが。
ただ、鳳龍を崇拝する理由は納得できた。
最高級品質の魔力回復薬の原材料――その源である鳳龍を敬うのは当然だろう。
納得したその矢先、テーブルの上に次々と色とりどりの料理が運ばれてくる。
香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、思わず腹の虫が小さく鳴いた。
「今日は私たちのおごりよ。遠慮しないで、たくさん食べてね」
「それと、この皿……これを二人に一番食べてもらいたかったの。この村でも、めったに口にできないものだから内緒にしてね」
そう言って、カタリナとミザリーがそっと差し出したのは、小さなお皿に盛られた、黄金色に輝くとろりとした液体。
柔らかく光を反射するその姿は、まるで液体の宝石のようだった。
「これは……まさか、蜂蜜?」
俺がそう訊ねると、二人は揃ってにっこりと微笑んだ。
「うん、でもただの蜂蜜じゃないのよ」
「ミツバチたちがカリの木の樹液や、カリの実から集めた蜜を、巣の中でじっくり熟成させた特別なもの。その名もカリハニー――魔力を回復するだけでなく、体力の回復や病気の予防にも効果があるのよ」
……すげぇ。
ただの蜂蜜とはわけが違う。
まさに自然と魔力の結晶――まさに北カリ村の至宝だ。
横を見ると、リンが目を輝かせ、今にも涎を垂らしそうな勢いで皿を見つめていた。これ以上焦らすのは酷ってものだ。
「じゃあ、早速いただくか」
そう言って、北カリ村のご馳走をいただくのであった。




