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第71話 チグリ村

 翌朝――


「大丈夫か、リン?」


 俺とリンは交代もせず、夜通し見張りを続けていた。


「ああ、大丈夫だ。第三位階迷宮で寝ずに過ごすのは慣れている……まあ、【洗濯ウォッシュ】がなければ無理だったがな」


 リンが両手を組み、伸びをしながら答える。


 第三位階迷宮――そこは、ボス部屋までの道のりがとにかく長い。

 だから俺たちは、毎回【洗濯ウォッシュ】で疲れを癒し、寝ずに深部まで一気に踏破するのが常だった。


 そんな話をしていると、エイガーが俺たちのいる焚火の前まで歩いてきた。


「二人とも、お疲れさん。おかげでぐっすり眠れたよ。チグリ村に着いたら、今度はお前らがたっぷり寝ろよ?」


 彼に続き、続々と隊商護衛や冒険者が起きてくる。


「やっぱり、二人が起きてくれているとぐっすりだよな!」

「他の銀証ではこうはいかねぇ!」

「おい、昨日夢の中でリンが俺によぉ……最高だったぜ!」


 後で一人の記憶を消す必要があるな。

 冗談めいた声が飛び交う中、馬車の扉がゆっくりと開いた。


「おはようございます、サグマ様!」


 皆が一斉に頭を下げると、サグマは軽く頷いた。


「……準備は整ったか?」


「はい。出発の準備、完了しています」


「そうか。ここに長居は不要だ。チグリ村までもうわずか……村の門もそろそろ開く頃だろう。急ぐぞ」


 その言葉を皮切りに、隊商は動き出す。


 森の中――湿り気を帯びた獣道を、馬車三台を連れて進む。

 ぬかるみに車輪が取られれば、皆で息を合わせて背後から押し上げる。

 しかも、チグリ村まではずっと緩やかな上り坂。

 馬車を押しながらの旅に、自然と歩みも鈍る。


 そして――二時間後。

 視界の先に、ようやく目的地が姿を現した。


 森の中に忽然と現れる、場違いなほどの分厚い鉄門。

 他からの侵入を防ぐために、周囲には深い堀が張り巡らされている。

 さらに、村の中心部には見張り塔が構えていた。


「ようやく着いた……」


 誰かが漏らした一言に、全員の肩から力が抜ける。


「にしても、いつ見ても大げさな門構えだよな……」

「他とはまた違った警備だよな」


 サグマがエイガーたちを引き連れて前へ出る。

 門前に立つ槍を構えた村兵たちと短く言葉を交わすと、あっさり通行が許可された。


 軋む鉄門を潜る。

 村の中の印象は先ほどとは正反対。


 鉄門の向こうに広がっていたのは、外の物々しい警備からは想像もできないほど、穏やかな光景だった。


 不規則に苔むした木造の家々が並んでいる。屋根には藁や木の皮が敷かれ、ところどころツタが絡まっているものもあった。


 軒先では、乾いた草の束が陽に当てられ、風に揺れている。

 鼻をくすぐるのは、草特有の青い香りと、薪のくすぶる香ばしさ――ここが森の中の村であることを、五感すべてが教えてくれる。


 小さな畑では、老人たちが黙々と鍬を振るい、子どもたちはその脇で木の枝を振って剣ごっこに興じていた。

 その視線の一部が、俺たちを遠巻きにとらえている。だが、その目に敵意はない。


 防衛面ではどうだろうか?

 視線を村の中から外に向けてみると、チグリ村の周囲は、森の中にあるとは思えないほど見通しがよかった。


 村の外縁は開拓が進み、高木は一本も残されていない。

 そのぶん、遮蔽物が少なく、隠れて近づくことはまず不可能。

 見張り塔からの視界は広く、どこから敵が来ようとも、早期に察知できる構造になっているようだ。


 村の出入り口はもちろん、見張り塔にも、若い男たちが槍を構えて目を光らせている。


 守りに徹するために、最小限に絞られた自然との距離感――まさに、外敵と向き合いながら生き抜くための村だ。


「防御面は、完璧に近いな……」


 周囲を一通り確認したリンが、小さく呟く。


「これなら……サグマ殿たちを残しても、しばらくは大丈夫そうだ」


 村の内部を観察しながら進んでいくと、やがて視界の中央――見張り塔の前に、一人の老人が立っているのが見えた。

 その後ろには、村に似つかわしくない、立派な槍を手にした若い衆が数人、緊張した面持ちで控えている。


 老人の目が、こちらを捉えた。


「ムスク伯爵家の……サグマ様でいらっしゃいますか?」


 サグマが頷く。


「ああ。話は村長でいいか?」


「ええ、私がチグリ村の村長です。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 案内されたのは、街で一番大きな屋敷。

 それでも、俺たち全員が入れるほどではなく、屋敷の中へと通されたのは、サグマに指名された数人だけ。

 俺とリンもその一人として、玄関を跨ぐ。


「ようこそ、遠路はるばるチグリ村へ」


「歓迎、痛み入る」


 サグマが姿勢をそのままに応じる。


「滞在期間は三日ほど――そう文にはありましたが?」


「うむ。そのつもりでいるが、何か問題でもあるか?」


「いえ、滞在自体に問題はありません。ただ……最近、この近くの廃村に、物騒な輩が住みつきまして」


 村長の言葉に、サグマは表情をわずかに引き締める。


「元銀証冒険者――ザンクを頭にした盗賊団か?」


「……ご存じでしたか」


「ああ。昨夜、その連中に襲撃を受けたばかりだ」


「なんと! それでいて、こうして無事に――!」


「まぁな。こちらには優秀な護衛が揃っているからな。今回は取り逃がしたが、村の滞在中に討伐するつもりでいる」


 村長の目が見開かれ、次いで深いため息と共に、にじむような安堵が漏れる。


「なんという心強いお言葉! あいつら、ヒールウッドを伐採し、樹液を片っ端から採取していくものですから、我々も困り果てておりました」


 このままサグマたちを野放しにすれば、ヒールウッドの樹液が枯渇する事態にも陥るな。


「お前たちも村長に訊きたいことはあるか?」


 サグマが俺たちに訊ねる。


「では、僕の方から。初めまして。銀証魔法師三段のレオと申します。最近、隊商や馬車がこの村に寄ったりはしましたか?」


「失礼ですが、年齢はおいくつですかな?」


「十三歳です」


「その歳で銀証魔法師――!? さすが、伯爵家の護衛……数カ月前に一度来たっきりでそれ以降は寄ってもなければ、見かけたこともないかと」


 やはりか……森の中に残っていた車輪の跡は、ザンクに略奪されたものと見て間違いないな。盗賊団が村人に紛れているという可能性も皆に周知をしてはいたが、それはなさそうだ。もっとも油断をする気はないが。


 俺が黙考していると、エイガーが前に出る。


「護衛のリーダー、エイガーです。村に宿などはありますか? もしくは、入浴できる場所など」


 村長は申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ありません、旅人用の宿はありません。ただ、今回はサグマ様の来訪が事前に知らされておりましたので、使われていなかった家をいくつか整えております。簡素な造りではありますが、浴槽も備え付けてあります。村の中央に井戸がありますので、湯を沸かす水はそこから汲んでいただければ」


「それで十分です。ありがたい」


「どうかごゆっくりなさってください」


 村長の言葉に礼を返すと、俺たちは一度馬車に戻り、それぞれの荷物を持ち出す。


 当然、サグマには一番立派な屋敷があてがわれ、エイガーもそこに滞在することに。身の回りの世話と警護を兼ねて、だ。


 そして、次に広い家が与えられたのが――俺とリンだった。

 とはいえ、日本で言えば一人暮らし向けの1LDKといったところだが、森の中にある村にしては十分すぎるほどの住環境だ。


「お前たちには、しっかりと休んでもらわないとな。今日のところはもういい。昨日からほとんど休んでいないのだから、ゆっくり風呂にでも入って、たっぷり睡眠をとってくれ」


 サグマの言葉は簡潔だったが、その言葉に誰も異を唱える者はいない。


 むしろ全員、俺たちの働きを目にしてきたからこそ、当然の報酬として頷いてくれていた。


「……お言葉に甘えさせていただきます」


 深く頭を下げると、俺とリンは新たな宿へと足を向けた。


 ♢


「うむ……なかなか、いい家だな」


 中に入るなり、リンが周囲を見渡しながら頷く。


「そうだね。造りはしっかりしてる。木材の継ぎ目や床の艶……手入れも行き届いてるよ」


 ただし――。


 浴室だけは別だ。空間に、どこかカビの匂いが残っていた。


「……リン、ちょっと来てくれないか?」


 水の張られていない浴槽に入りながら、俺は振り返って彼女を呼ぶ。

 服は着たまま。だが、俺の意図は言わずとも伝わったらしい。

 リンは無言で浴室に入り、ためらいもせず、ぴたりと腰が触れるまでの距離まで近づく。

 これは、魔法の恩恵を受けるための行動だ。


「**【洗濯ウォッシュ】**」


 魔法の発動と同時に、こもっていたカビ臭さは一瞬で消え去り、柔らかな陽の香りと、ほのかに花の香りが漂いはじめる。リンの香りだ。これはちょっと……いや、これが一番癒される。


 もちろん、俺たちの身体もすっきりと清潔に整えられていたが――やはり、風呂には入りたい。


 生活魔法で湯を張り、いつもの流れで、リンが先に浴室へ。次に俺が続く。

 風呂から上がると、簡単な食事を済ませ、寝る準備へと取りかかる。


 こういう事態も予想して、俺たちは布団を持参していた。リンは寝室の方に布団を敷き始めている。

 俺はリビングに一枚、布団を広げかけたところで――後ろから、あきれたような声が飛んできた。


「どうした? 早く寝るぞ?」


 振り返ると、リンが首を傾げて、俺の布団をじっと見ている。


「いや……さすがに、同じ部屋はマズいだろ。ほら、寝室って言っても、けっこう狭いし」


「ふむ……なら、テントではいいのに、家ではダメという理屈を説明してくれ」


「……ぐっ」


 言葉に詰まる。反論できるほど明確な線引きは、俺の中にはない。

 リンは小さくため息をついてから、俺の布団を持ち上げ、寝室のほうへと運んでいった。


「いいから。今は非常時だ。近い方が何かと都合がいい」


 彼女はそう言うと、隣に布団を敷いた。


「お、お邪魔します……」


 別に同じ布団に入るわけでもないのに、ぼそりと呟く。

 心臓はバクバクで喉が渇き、思わず生唾を呑み込んでしまう。

 すると、リンがくすりと笑う。


「変な奴だな。まだ明るいが、もう寝るぞ」


「ああ……いい夢が見れそうだしな」


 半日前には命を賭けた戦いの渦中にいたというのに、なぜかそんな予感がした。


「……いい夢?」


「うん。リンが夢に出てきてくれそうな、そんな気がする」


 何気なく言ったつもりだったが、ふと視線を向けると――

 リンの頬が、ふわりと桜色に染まっていたように見えた。


 彼女は何も言わず、寝返りを打つと、俺に背を向ける。

 そして、ほんの少しだけ間を置いて――

 彼女の柔らかな声が、布団越しに聞こえてくる。


「……おやすみ。いい夢、見れるといいな」


 その声は、まるで優しい魔法のようで――

 子守歌のように俺を睡眠へと誘うのであった。

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