第41話 バックスでの初クエストです
翌日――
五時に起きて、朝の支度を済ませた俺はダイニングで【毒矢】の魔法書を精読していた。
隣ではリンも【誘惑】と真剣ににらめっこしている。
俺がいつも起きてすぐ魔法書に取りかかるのは、頭が一番冴えている時間だからだ。
どうやらリンも同じように考えているようで、歯磨きを終えると、迷わず俺の隣に腰を下ろしてきた。
魔法書のページをめくる音だけが静かに響く、朝のひととき。
こうして並んで集中する時間は、なんとなく心地よい。
やがて、朝食の時間となり、俺たちは並んで食堂へ向かう。
食堂に入ると、すでに香ばしい匂いが漂っていた。
今日の朝食は、焼きたての黒パンに、とろりと溶けたチーズとハーブ入りのスクランブルエッグ。それに、薄切りのハムと温野菜が添えられている。熱々のポタージュと果実入りのヨーグルトもついていて、見た目にも彩り豊かだ。
「わあ……いい匂いだな」
リンが目を輝かせながら席につき、手を合わせて一言。
「いただきます」
さっそくスプーンを手に取ったリンは、まずポタージュをひと口。ふうっと息を吹きかけてから口に運ぶと、目を細め、ほっと息を吐いた。
まるで心まで温まるようだと言わんばかりの表情で、もうひと口。またひと口。
今度は黒パンにスクランブルエッグをのせて、ぱくりと頬張る。
頬を緩ませて嬉しそうに微笑むその顔に、俺もつられて笑ってしまいそうになりながら、自分の皿に手を伸ばす。
食事を終えると、まだ少し早い時間だが、俺たちは街に出た。
目指すのはもちろん、クエスト開始場所となるバックスの東門。
宿は街のやや北西に位置しており、東門へ向かうには中心街を抜ける必要がある。
朝の光が差し込む石畳の通りには、すでに多くの冒険者たちの姿があった。
露店も次々と開きはじめていて、通りはちょっとした朝市のようなにぎわいだ。
香ばしいパンの匂い、焼き立ての肉の匂い、甘い果物の香り……胃袋を刺激する匂いがそこかしこに漂っている。
「……はぁ、朝ごはん、もう一回食べたくなるな……」
隣でリンがうっとりとした表情で、串焼きの香りに鼻をくすぐられている。
確かに、朝食を済ませていなかったら、確実に足を止めていたに違いない。
俺も軽く腹が鳴ってしまったが、ぐっとこらえて東門へと足を進める。
定刻よりも少し早く東門に着いたが、そこにはすでに一人の女性が立っていた。
栗色の髪をざっくり束ねた、明るく裏がなさそうな雰囲気の女性だ。
エプロンを掛け、頭には三角頭巾。いかにも働き者って感じがする。
「もしかして、ネール武具店のネルさんですか?」
俺の声に、女は一瞬、顔をしかめた。
「そうだけど……もしかして、あんたかい? レオってのは?」
「はい、僕がレオで、こちらがリンです。今日はよろしくお願いします」
俺が軽く頭を下げると、隣のリンもフードを下ろして、静かに一礼した。
「うーん……こりゃ困ったねぇ。今回運ぶ荷物、結構重いんだけど……」
ネルがやれやれと肩をすくめて言いかけたその時――
「――って、ちょっと! あんた! その顔で、どうしてフードなんて被ってたんだい!?」
リンの顔を見た瞬間、ネルが目を丸くし、声を張り上げた。
驚きと若干の怒りが入り混じったような反応に、リンは目を瞬かせる。
「え……?」
「え、じゃないよ! その美貌、もったいないにも程があるでしょ! なんでフードで隠しているんだい!?」
ネルの率直すぎる反応に、俺は思わず吹き出しそうになる。
「美貌……? 私がか……?」
リンが目をぱちくりさせながらつぶやいた。
まぁ、彼女が自分の美しさを自覚していないのは、今に始まったことじゃない。
だが、今は俺の実力を見せる番だ。
なんたって、これは冒険者ランクの昇級に関わる重要な任務でもあるんだからな。
「荷物はどこですか? 持っていきますよ?」
リンに見惚れていたネルが、はっと我に返る。
「そうかい……? じゃあ、一応倉庫まで案内するけど……これ、ジャンク品とはいえね、雑に扱われるのは困るから。あと、間違っても通行人の邪魔になるような持ち方はダメよ?」
少しだけトーンを強めてそう言うと、ネルはスタスタと歩き出した。
俺とリンは顔を見合わせて、慌ててその後を追いかける。
歩くこと五分――
通りを一本外れた先、古びた石造りの建物の前で、ネルは立ち止まり、頑丈な鉄の扉を開ける。
中に入ると、そこにはずらりと並んだ剣の数々。
まるで傘立てに突っ込まれた傘のように、柄が上向きに整然と突き立てられている。しかも抜き身の状態……鞘などはない。
古びたものや、手入れの行き届いていないもの、さらには刃こぼれの目立つ剣もあった――まさに、ジャンク品と呼ぶにふさわしい品々だ。
「ここから剣を百本と盾と鎧を適量、街の中心にあるネール武具店に運び入れてほしいんだ」
ネルは奥から古びた帳簿を取り出しながら言う。
「台車は用意してある。問題は、道中の揺れと、衝撃で刃がぶつからないように固定して運ぶことさ。できる?」
ネルが真剣な目で俺を見据えてくる。
「はい。任せてください。絶対に無事に届けますよ」
胸を張って答えると、ネルはふっと笑った。
「じゃあ、最初だけは私も手伝うよ。リンも、少し持っておくれ……でも、あんたの本番はこっちだよ」
そう言いながら、ネルは指先で小さな包みを指さす。
「かわいい服、用意しておいたからね。今日はたっぷり店番してもらうよ。冒険者たちを、その美貌で誑し込んでおくれ。期待してるからねぇ?」
ニヤリと笑うネルに、リンが少しだけ眉をひそめながらも素直に頷いた。
「……了解した」
早速、仕事に取りかかる。
まずは手近な剣から順に、【収納】の中へと放り込んでいく。
――すっ、と音もなく剣が消えるたび、隣で見ていたネルがどんどん目を見開いていき、ついには口をぽかんと開けた。
「あ、あんた……今の剣、どこに消えちまったんだい……?」
その反応で察する。【収納】という魔法の存在を知らないらしい。
「はい、僕は特位階魔法を扱えるので、亜空間に収納してるんです。内部では衝撃も劣化も起きませんから、安心してください。ただ、容量が限られていて……今は二十本くらいが限界です」
容量は空けてきたが、まだ【収納】の中には、非常時用の食料がぎっしり詰まっている。
何かあったときのために、これは残しておかないといけないからだ。
一方、ネルは興奮気味に盾と鎧を台車へと積み込んでいた。
「こりゃあいいね! 盾と鎧は台車に、剣はレオの【収納】に入れれば、五往復もすりゃ全部運べるじゃないかい!」
先ほどの俺を疑うような態度が嘘のように、今やネルは弾むような笑顔で声を張っている。
「そうですね。でも……なぜ最初から店まで搬入しないんですか?」
俺の問いに、ネルは肩をすくめて答えた。
「ああ、それはね、馬車を街中に入れるには、バカみたいな金がかかるのさ。だから門の近くで荷を下ろして、あとはこうしてクエストにして依頼するのが、一番安上がりってわけ」
なるほど、理にかなってる。
俺たちにとっても、まさにうってつけの制度ってわけだ。
倉庫からネール武具店までは徒歩で四十分。
台車を押して進む以上、多少の時間がかかるのは仕方ない。
店に着くと、俺は剣を一本ずつ、丁寧にカウンターへ並べていく。
ネルは帳簿と照らし合わせながら、一本ずつ状態をチェック――やがて、満面の笑みを浮かべた。
「すごいよレオ! ここまで無傷で届いたの、初めてだよ!」
ネルはご機嫌で鍵を俺に手渡す。
「これが鍵。面倒だけど、出るたびにちゃんと施錠しておくれ。前に雇った冒険者が鍵をかけ忘れてさ、見事に泥棒に入られたからね」
ネルはそう言って鍵を俺に手渡すと、くるりと向きを変えてリンの方へ。
そして、さっきちらっと見せていた小さな包みから――
ライトブルーのフリルがたっぷりあしらわれたドレスのようなワンピースに、真っ白なエプロンを取り出した。
「ほら、リンはこれを着るんだよ。裏で着替えるよ、ついてきな! レオはそのまま、そこで大人しく待ってな……間違っても覗こうなんて思わないことだね?」
「の、覗きませんって!」
俺の必死の否定に、ネルはニヤリと笑いながら奥へと消えていく。
そして――待つこと数分。
ゆっくりと店の奥から現れたリンの姿は……まさに、天使だった。




