第36話 きちっと倍返ししてやりました
「ガキが……! 少し魔法が使えるからって、調子に乗りやがってッ!」
剥き出しの殺意が、その目に宿る。
「【石纏衣】ッ!」
一つずつ灰色の魔法陣が形成され、三重がゴンツに降り注ぐのに十秒弱。
その間、俺は黙ってそれを眺めていた。
「へへッ、どうだ! 【石纏衣】を纏った俺にゃ、どんな攻撃も効かねぇ! ……あの世で後悔しやがれ、小僧ッ!」
咆哮とともに、ゴンツが突っ込んでくる。
まるで重戦車。
だが、それに真正面から付き合うつもりはない。
俺も即座に魔法を紡ぐ。
「**【風纏衣】**!」
瞬時に風が、俺の体を滑るように包む。
軽さと加速――それがもたらすのは、圧倒的な機動力。
バックステップ。
空気を切る音。
ゴンツの拳がギリギリを掠める。
そして、即座に反撃――
まずはこれ!
「**【石撃】**!」
放たれた拳大の石塊が、一直線にゴンツの額を撃ち抜いた。
ドンッ!!!
鈍い音が響く。
ゴンツのスキンヘッドが大きく揺れ――
……しかし、奴は踏みとどまった。
一歩も、引かない。
(……やはり、第三位階魔法を纏った者に第一位階魔法は通じないか?)
が、すぐにその異変に気付く。
奴の頭皮が、みるみるうちに腫れ上がっていく。
青黒いたんこぶが、皮膚の下に盛り上がり始めていた。
ゴンツも苦悶の表情を浮かべ、頭に手を当てて呻く。
「チッ……!」
――効いてる。
完全無効ではない。
【石纏衣】を纏っても物理ダメージは入る。
これは大きな収穫だった。
俺も油断しているとやられるということだ。
魔法書にも書いてあったが、どのくらいの強度とかは実戦でないと身につかない。
これが、ゴンツに【石纏衣】を纏わせた理由――
こいつを通して【石纏衣】のことをもっとよく知ろうと思ったのだ。
頭にたんこぶをこしらえたゴンツが、血走った目で吠えながら突っ込んでくる。
「ガァアアアアッ!!」
単純、かつ一直線。
これほど動きが読みやすい相手もいない。
(助かるよ、ほんと)
次に試すのは――熱だ。
「**【火撃】**!」
魔法陣から放たれた火球が、一直線に飛ぶ。
【石纏衣】を纏ったゴンツに着弾し、衣服が勢いよく燃え上がる。
炎が布を舐め、あっという間に肩口から胸元までを焦がしていった。
「ぐ、あああッ!? あちッ! 熱ッ! てめぇ、火は反則だろうがァ!!」
地面にのたうち、必死に火を払おうと手で叩くゴンツ。
ふむ、【石纏衣】は物理の衝撃には強いが、熱への耐性は低いのか。
「どうした、さっきの勢いはどこいった?」
挑発の言葉を投げながら、俺は一歩も引かずに立ち続ける。
――まだだ。
まだ試したいことがある。
ここで戦意を喪ってもらっては困る。
地面に倒れ込んでいたゴンツが、再びその巨体を起こす。
服の前面は焼け焦げ、炙られた肌が露出している。
怒りのせいか、顔はまるで熟れたトマトのように真っ赤だった。
歯を剥き出し、唾を飛ばしながら俺を睨みつける。
滑稽だ――
だが、それでも来る。
「クソがぁぁぁッ!!」
咆哮と共に、ゴンツが突っ込んでくる。
まるで理性を欠いた闘牛のように、真っすぐ、ただ真っすぐに。
(よし、来い。次に確かめたかったのは、これだ)
熱を通すということは、きっと――
「**【雷撃】**!」
魔法陣から解き放たれた稲妻が、真っすぐにゴンツを貫く。
「グ、グアアアアアアアアッ――――!!」
ゴンツの巨体がビクリと震え、焦げ臭い匂いが漂う。
その瞬間、瞳の光がスッと消え――
――ドサリ、と。
感電しているだけで、死んではいない。
ただ雷系統の魔法も有効ということが分かった。
俺は一歩だけ前に出て、倒れた男を見下ろす。
すでにゴンツの意識は戻っていた。
だが、つい先ほどまでの殺意はどこへやら――
目に宿るのは恐怖と、諦めに似た陰りだった。
……まぁ、ある程度試したかったことは試したしな。
と、思ったが、一つやり忘れていた。
一度は意識を失ったゴンツだが、【石纏衣】の効果はまだあるようだ。
狙いをゴンツの頭に向けて――
「【石撃】」
もう一つたんこぶを作ったところで倍返し完了っと。
きっちりな。
あとは、任せるだけ。
「ユンさん! こいつを縛ってもらえますか!? 僕はリンの戦闘を見届けたいんです!」
「了解! 任せな!」
ユンたちが素早く動き、ゴンツの両腕を背中に回して拘束していく。
もはやゴンツは暴れることもなく、ただ大人しくされるがままだった。
完全な敗北を、奴なりに理解したのだろう。
その様子を確認して、俺は視線を横へと滑らせる。
――リンとベンダの戦い。
一見すれば、戦況は拮抗しているようにも見える。
しかし、そこに漂う空気は、まるで違った。
額から滝のような汗を流すベンダ。
その対面に立つリンの表情は、まるで涼風の中に佇むかのように冷静だ。
呼吸ひとつ乱れていない。
「ほら……もう終わりか?」
リンが煽るように、一歩踏み出す。
その足取りは重みを感じさせないほど軽やかで、獲物を追い詰める豹のようだった。
「私を麻痺させて、好き勝手するって言ってたろ? どうした、やらないのか?」
近づくリンに対し、ベンダは明らかに怯んだ様子で後退する。
一歩、また一歩。腰が引けているのが明白だった。
先ほどまでの余裕など、もはや見る影もない。
「な、なんで……なんで魔法が効かねぇんだよ……っ」
それでもベンダは一縷の望みにすがるように、右手を前に突き出す。
「【麻痺針】……ッ!」
諦めとも懇願とも取れる声で放たれた魔法は、空中に二重魔法陣を描き、その中心から鋭い針が弾けるように放たれた。
しかし――
その針を、リンは驚くほどあっさりと、剣の腹で打ち払った。
刃を使わず、まるで枝をはらうかのような軽い動きで。
「この前は、喰らったじゃねぇか……」
ベンダの呻きは、もはや敗者の呟きだ。
「あのときは不意打ちだったし、腹も減っていて集中力も散っていた。来ると分かっていれば、怖くもなんともない」
……普通であれば、「来る」と分かっていても避けられない。
ましてや剣で受けるなど、到底できる芸当ではない。
しかし、リンはそれを容易にやってのけた。
ベンダも、ようやく悟ったのだろう。
目の前の少女が、自分の手に負える相手ではないと。
すでに、戦意は消えていた。
――だが、諦めたのは戦うことだけだった。
「お、おい! 話がある! 交換条件だ!」
まるで命をつなごうとするネズミのように、ベンダが叫ぶ。
その声には、どこか必死さとずる賢さが滲んでいた。
誰がそんな戯言に耳を貸すものか――そう思った俺の予想に反して、リンは意外にも足を止めた。
「なんだ? 条件次第では、呑んでやらぬこともないぞ?」
「なっ……」
思わず声を上げかけて、俺は口をつぐんだ。
今回の件、私に任せてくれないか? ――そう言ったリンの言葉を思い出す。
そして俺は、頷いたのだ。
任せると決めたなら、リンを信じて最後まで見届けるべきだ。
「へへっ……条件は、俺を騎士団に突き出さないこと……それと、グレスト男爵にもだ」
「ふむ。それで見返りは? 相応の見返りがなければ、躊躇なく突き出すが?」
リンの声は、少しも揺れない。情けも戸惑いも、そこにはない。
「分かってるよ……! 《尖鼠団》が奪ってきた財宝をくれてやる。全部だ」
「……財宝?」
リンの目が、わずかに細まる。
「ああ、金も銀もある。魔法書もな。貴族の屋敷から奪ってきた特位階魔法の書まであるんだ……!」
ベンダの声には、どこか勝ち誇った響きがあった。
これで命は助かる。金と魔法書をちらつかせれば、さすがに見逃してもらえるだろう――そう踏んでいたのだ。
だが――
「なるほど……で、あれば不要だ」
リンの声は、氷の刃のように冷たく澄んでいた。
そして、次に続いた言葉が、ベンダの目論見を無残に打ち砕く。
「そんなものでお前の罪が消えるわけがない」
――やはり。最初から交渉に応じる気など、さらさらなかったのだ。
これはただ、ベンダの交渉材料を見定めるため。
「なっ……!? ふ、ふざけんな! 大金貨数枚分の価値はあるんだぞ!? それでも足りないってのかよっ!」
必死の抵抗だった。
だが次の瞬間――これまで冷静だったリンの表情が、見る間に怒気を帯びる。
「――ふざけているのは、どっちだ!」
熱を帯びた怒声が、空気を震わせた。
「民の命を奪い、怯えと苦しみの中に突き落とし、自らの快楽と欲望のために他人を喰い物にした……」
リンの目が、燃えるように鋭くなる。
「貴様の所業が、金や物で償えるとでも思ったか?」
ベンダの口が、ひくりと震える。
もう言い訳も、交渉の言葉も出てこない。理解したのだ。
――この少女は、本気で自分を許すつもりなどないと。
「命をもって償え……それも、この世でもっとも惨たらしい死をもって……盗賊団に落ちたくはないと誰もが思うくらいにだ」
ベンダは項垂れ、重たく息を吐く。
まるで敗北を受け入れた男のように――
「分かった……俺の負けだ。ほら、迷宮核,、返すぞ」
左手に持っていた迷宮核をリンに差し出すと、リンは剣を下ろし近づく。
左手に握られていた迷宮核が、光を受けて鈍く輝いた。
ベンダはそれを無言で差し出す。
リンもまた、剣をわずかに下ろし、一歩前に――
――その瞬間だった。
迷宮核が、空に向かって高く放り投げられる。
視線が、条件反射のように上へ向く。
誰もがその軌道を追った、その一瞬。
――赤い魔法陣が、ベンダの右手の先に現れた。
リンがベンダに意識を戻した時には、すでに遅かった。
魔法陣は完全に描かれ、今まさに火球がその中心から噴き出そうとしていた――
――だが、次の瞬間。
ズガンッ!
衝撃音とともに、弾丸のような火の塊が、ベンダの顔面に着弾する。
吹き飛ぶベンダ。
その腕から放たれかけていた火球は、空に向かって逸れ、虚空に霧散した。
……危なかった。
リンも、ユンも、周囲の冒険者たちも迷宮核の動きに目を奪われていた。
ただ、俺だけは、視界の端でベンダの異変に気づけた。
たしかに、第一位階魔法は発動が速い。
だが――
【ストック】された魔法に敵うわけがない。
俺が放った【火弾】は、発動の隙すら与えず奴の野望を吹き飛ばした。
ベンダの身体は【火弾】に弾き飛ばされ、土煙を上げながら大きく地面を滑った。
奴は顔を焦がしながらも、燃え広がる炎をどうにか消し止め、そのまま意識を手放した。
《蛇咬団》の奴は即死したことを思えば、しぶといにもほどがある。
だが、周囲に動く敵影はもうない。
これで、本当に終わった。
「リン、大丈夫か?」
すると、彼女は先ほどまで見せていた厳しい表情から一転――柔らかな笑みを見せる。
「うむ。奴の目に、まだ諦めがなかったことは見抜いていたが……まさか、迷宮核を投げるとはな」
苦笑混じりに言ってから、彼女は姿勢を正し、背筋をしゃんと伸ばして、深々と頭を下げた。
「また助けられてしまった。礼を言う、レオ」
「俺も、リンに助けられてばかりだよ。お互い様だ」
互いの顔に自然と笑みがこぼれる。
「さて……この盗賊たちを引きずって戻るか。ユンさんたちも、悪いけど手伝ってくれますか?」
ユンたちはすぐに頷き、大人しく捕まったゴンツと共に、足早にこちらへと駆け寄ってくる。
迷宮は攻略され、《尖鼠団》の頭目は捕らえた。
そして、第一位階魔法【解毒】も、習得することができた。
振り返れば、迷宮の奥――主を失った迷宮は、低く、くぐもった音を立てながら、静かに崩れ始めていた。
まるで、幕引きの合図のように――。




