第91話 絶たれた鎖
正午過ぎ、山間の静けさを切り裂くように、荒々しい馬の蹄音が響いた。
村の入口に現れたのは、黒い外套をまとった肥満体の男と、剣を腰に下げた数人の用心棒だった。王都の債権回収業者を名乗り、これまでカルナ村から容赦なく食料や資材をむしり取ってきた男――ガストンだ。
「おいおい、どういう風の吹き回しだ?」
ガストンは馬上から村を見回し、不快そうに鼻を鳴らした。
立ち上る暖かな煙、整然と積み上げられた選別済みの石炭、そして血色の戻った村人たち。かつてのように凍えて怯える姿がないことに、あからさまな苛立ちを見せている。
「前領主の借金はまだ残っているんだぞ。おい、その石炭を全部荷車に積め! 利息の代わりに回収してやる!」
用心棒たちが下品な笑いを浮かべ、積み上げられた一番上の精製炭へ手を伸ばそうとした。
「待て! そこから離れろ!」
立ち塞がったのは、ライナーだった。
かつてなら身を縮めて耐えるしかなかった男が、今は泥のついた胸を張り、ガストンを鋭い眼光で見据えている。
「この石炭は、お前たちに渡すものじゃない。俺たちが正当な努力で掘り出し、北領のマルク商会と契約して納める大切な商品だ!」
「はぁ? 契約だぁ?」
ガストンは馬上で大袈裟に首を傾げ、吐き捨てるように笑った。
「寝言は寝て言え! 領主が逃げた以上、この土地の産物はすべて借金の担保だ! 逃亡した領主の債務を払えないなら、身ぐるみ剥がされて当然だろうが!」
用心棒が剣の柄に手をかけ、ライナーを突き飛ばそうと足を踏み出した。
その瞬間――冷ややかな声が、冬の空気を射抜いた。
「そこまでにしなさい」
私とルークが、積荷の影から静かに歩み出た。
私の横で、ルークが胸ポケットから一冊の法令集と、羊皮紙の束を取り出す。
「な、なんだお前たちは……! 余計な口を挟むな!」
ガストンが威嚇するように声を荒らげたが、ルークは一切動じることなく、眼鏡の端を指先で押し上げた。
「王国商法第百十二条および、無主地管理令における債務弁済規定についてご説明いたします」
ルークの声は感情を削ぎ落としたように淡々としていたが、だからこそ圧倒的な説得力を帯びていた。
「前ハルシュタット領に属していた前領主個人の債務は、領主個人の財産および逃亡先の所有物に帰属します。自治権を主張するこの村の住民に対し、連帯保証の同意書が存在しない以上、個人の債務を住民に直接請求する権利はあなた方にはありません」
「な……何を訳の分からん屁理屈を――」
「さらに」
ルークはガストンの言葉を容赦なく遮り、もう一枚の書類を掲げた。
「この石炭および木材は、カルナ村の自治組織と、北領公認のマルク商会との間で交わされた『正当な物品売買契約』に基づく指定売買品です。北領の優先買収権が設定されている物資を不当に強奪・妨害した場合、北領の法に基づき『物流妨害および強盗未遂罪』として、北領騎士団へ通報いたします」
「北領……!? くっ、そんな脅しが届くか! ここは王都の管轄だぞ!」
ガストンが顔を真っ赤にして叫ぶ。しかし、私が一歩前へ出て静かに告げると、その顔色は一変した。
「王都の管轄とおっしゃるなら、王都の中央監察庁へ正式に照会を出しましょうか? 逃亡領主の不法な私的債務を盾に、民間の正規取引を暴力で妨害している業者がいると……。私、北領主代理のリーゼロッテ・フォン・ベルガーの名で告発いたしますけれど?」
「ひっ……!? り、領主代理……!?」
『北領』という言葉の重み、そして私たちが提示した完璧な法的手続きの前に、ガストンはガタガタと震え出した。
王都の威光を傘に着て、世間に疎い貧村を脅かしてきただけの取り立て屋に、正当な法と権威に裏打ちされた反論を跳ね返す術など存在するはずもなかった。
「……お、覚えてろ! こんな山奥の泥炭など、誰が拾ってやるものか!」
ガストンは負け惜しみを叫ぶと、慌てて馬の首を返し、用心棒たちを引き連れて逃げるように山道を駆け下りていった。
静まり返った広場に、やがて地鳴りのような歓声が湧き起こった。
「勝った……! 俺たち、あの業者を追い払ったんだ!」
「もう、奪われないんだ……!」
村人たちが互いの肩を抱き合い、涙を流して喜び合っている。
ライナーは拳を固く握りしめ、去っていく業者たちの足跡を見つめていた。その背中からは、長年彼らを縛り続けていた「搾取と諦め」という不当な鎖が、完全に断ち切られた清々しさが溢れていた。




