第54話 我が選んだ居場所
自由市場の喧騒が過ぎ去り、北領にはいつもの穏やかで澄んだ朝が訪れていた。
領主館のテラスに立ち、出来立ての暖かい大麦茶を手に、眼下に広がる街並みを見下ろす。
かつては泥と雑草に埋もれ、飢えに怯える人々が無気力に身を寄せ合っていた最果ての地。
それが今では、美しい石畳の街道がまっすぐに伸び、建て直された家々の煙突から温かな煙が立ち上っている。
(……ここまで来たのね)
前世の社畜時代、身を粉にして働いても手柄を掠め取られ、ただ組織の歯車として使い潰された日々。
今世でも「不要品」として冷酷に追放され、凍える冬の餓死を待つだけだったあの日。
だが、私のシステムの中に、もはや「被害者」のデータは存在しない。
自分の頭で考え、ロジックを組み立て、泥に塗れて手を動かしてきたからこそ辿り着いた、揺るぎない実績だけがここにあった。
「リーゼロッテ様」
静かな足音とともに、ルークがテラスへやってきた。手には、今後の北領の長期予測を記した羊皮紙が握られている。
「朝の冷え込みも和らぎましたね。自由市場の成功を受け、隣領からの移住希望者の申請が急増しています」
「ええ。ですが、無計画な拡大はボトルネックを生むわ。住居の確保と農地の再配分を優先し、段階的な受け入れを進めましょう」
「同感です。……相変わらず隙のない経営判断ですね」
ルークが眼鏡の奥の瞳を和ませ、柔らかく微笑む。
「……何か言いたそうね、ルーク」
私が問いかけると、彼は手元の書類をゆっくりと閉じ、まっすぐな眼差しをこちらに向けた。
「いえ……ただ、王都にいた頃の僕は、学問とは孤独に深めるものだと思っていました。ですが、ここであなたと共にデータを取り、未来を組み立てる時間は、僕の人生で最も誇らしく、愛おしい時間です」
風が吹き抜け、彼の髪を揺らす。
「僕はこれからも、あなたの最も近くで、あなたの描く未来を支え続けます。一人のパートナーとして」
「ルーク……」
ただの知識の共有者でも、利害関係者でもない。
対等な志を抱き、背中を預け合える最高の存在。
その言葉の奥にある静かな情熱に、胸の奥がキュッと締めつけられ、甘い熱が広がっていく。
「……ええ。よろしく頼むわ、ルーク。あなたなしのシステムなんて、もう考えられないもの」
私が少し頬を赤くしながら答えると、ルークは嬉しそうに目を細めた。
「おーい! リーゼ! ルーク!」
階下から威勢の良い声が響いた。
見下ろすと、作業着姿のテオが手を振っている。
その横には美しいドレス姿のエレナと、優雅に一礼するアルフレッドさんの姿があった。
「今日の開墾エリアの測量、準備できたぞ! 早く降りてこいよ!」
「リーゼちゃん、新しいパッケージの試作も届きましたの! 早く見ていただきたいわ!」
朝の光の中で、仲間たちの弾けるような笑顔が輝いている。
親の威光でも、王都の庇護でもない。
己の知恵と努力で勝ち取り、かけがえのない仲間たちと共に築き上げた、世界でたった一つの確かな居場所。
私は手に持ったカップを置き、ルークと視線を交わすと、力強い一歩を踏み出した。
「さあ、行きましょう。私たちの北領……いえ、未来を、もっと素晴らしい場所にするために」




