表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

1 朝の憩い


翌朝、僕は別居塔の部屋にいた。

マチルダが扉をノックして入ってきた。

本棚の前で少しボーっとしていた僕は彼女の方を振り返る。


実の父親に別居追放という仕打ちを生まれて初めて受けた。

その僕に向ける彼女の表情は穏やかだ。


彼女は我がアッシュルーズ家に仕えているメイドだ。

一児の母で歳は40歳過ぎだったはず。

僕は10歳で母と死別した。 

母の面影に重なる柔らかい笑みを見せ、彼女が近づいて。


「ラルク坊ちゃま……」

「おはよう、マチルダ」


軽く瞳をとじ、会釈だけの仕草を見せ。


「おはようございます、ラルク坊ちゃま」


いつも通りの朝の挨拶。


「ゆうべはよくお眠りになられましたか?」 


メイドだから定形の挨拶をしているだけさ。

昨夜のことは僕だけの衝撃だったかのようにそっけない。

その笑みも、仕事をするのに都合がいいから見せる営業用さ。


「そろそろ朝食をお運びしても構いませんか?」

「……ああ」


いつもと似たような時が流れていく。

僕は気のない返事を返す。


眠れなかったわけじゃなかった。

ある理由で朝食時刻よりずっと早く目覚めただけだ。


「べつに、お腹は空いてないけど」


食べたくないと言わないから「かしこまりました」といい彼女は踵を返した。

朝食の支度が整ったことを報せに来た。

後ろ姿を見つめる。

中年女性とは思えない腰つきに思わず目をそむけた。


今僕は朝食でお腹を満たしたいという気持ちを素直に持てない。

だけど彼女も早起きをして用意してくれた料理だ。

残したりしては気の毒だ。


開けた扉を固定し、部屋を出ていく。

間もなく食事を運び入れる。

朝食は部屋の前まですでに運んであったようだ。

手押しのワゴン車に乗った色とりどりの濃密な香りが室内に広がる。

香りが逃げないようにしっかりと扉を閉める。


メニューの説明をする彼女の声は朗らかで──。


「今朝のお食事は坊ちゃんの好物のパンケーキと天然紅茶ですよ」


メイドが配膳前にメニューを語るのは命が惜しいからだ。

僕は野菜嫌いで甘い物を好く。野菜を混ぜて噓をつけば首が飛ぶ。

メイドは皆その認識しか持っていない。これまでの日常だ。


アッシュルーズ家は豪商で上流の家柄だ。おまけに賢者の系譜でもある。

僕はそこの三男として生まれたラルク・アッシュルーズ。

「うそをついたら斬首にするぞ」が僕の口癖だから。


直視せずともわかる。

鼻をくすぐったのは温かくて香ばしい匂い。

生地にミルクを混ぜて高温のかまどで焼き上げた黄金の穀物。


「う~ん。この甘いミルクの匂いと香ばしさはやっぱり食欲をそそるー!」


かすかに腸活が起こりお腹が空いていたことに気づかされる。

僕の後ろ向きな気分を晴らしていく。


「前言撤回だ」


たとえ腹が空いていなくても、好物を見れば食欲が湧いてくる。

ふしぎな症状だ。


「ふふ。ゆうべは、お食事があまり喉に通らなかったようでしたから──」


食べ残したのではなく、そんな気分ではなかったのだ。

食事どころではなかった。

ふしぎな症状の正体は追放されたストレスだったか。


「──今朝は軽食にいたしました」と彼女は軽い笑みで締めくくる。


ティーセットとほかほかのパンケーキにたっぷりと乗っかるバター。

アツアツのスポンジの上をじわじわと溶けてく。

湿った気持ちも一緒に温めて溶けないものか。


僕はパン系の甘いものが大好物。

それがない膳は見向きもしないほど。 

容器に入った果肉もちらっと見えた。


あれは「赤の実」をバラ切りにして塩味に浸して、がっつりと糖を加え煮詰めて作った極上のジャムだ。

おかわり用のパンケーキが何枚も木皿の上に積み上げられている。

はさんで食べると最高なのだ。


私生活の中で唯一至福の時だった。


身内からも邪険にされ続けた人生だったから。

食だけが救いになっていた。


だけど、あともう少しでテーブルへの配膳が終わるという時だった。


配膳中にマチルダはふと自分の背後を気にする。

妙な気配に気づく。

「あの子……」と呟き、目を細めた。


直後に部屋の扉が勢いよく開いた。

次の瞬間、奴隷エルフのルディがそこに立っていた。

この娘は僕の魔法指南役で最近親父に雇われた少女だ。


こんな時間に何の用だ。 

なんだか目が血走っているようにも見えた。


マチルダも、ルディの突然の訪問に気づいてとっさに扉の方を向く。

そして、頭のてっぺんから出るような甲高い声を上げる。


「ルディさんったらなんですか!? 坊ちゃまのお食事ですよ、はしたない!」

「だってだって、体が言うこと聞かなくて……」


いったい何の話だ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ