雨音の聞こえる夜
それから数週間。
何も壊れないまま、時間が過ぎた。
特別な出来事はない。
でも、何もないことが心地いい。
平日の夜に軽く食事をして、
週末にスーパーへ行き、
彼女の部屋で映画を観て、途中で内容がどうでもよくなる。
大きな言葉はない。
未来の宣言もない。
でも、続いている。
それがもう、変化だった。
彼は気づく。
前なら、この“穏やかさ”に飽きていた。
刺激が欲しくなっていた。
曖昧な距離に逃げていた。
でも今は違う。
彼女がキッチンに立つ背中を見ているだけで、妙に落ち着く。
安心は、退屈じゃない。
安定は、停滞でもない。
それを、少しずつ体で理解している。
ある夜。
雨。
帰れなくなるほどではない。
でも、わざわざ帰る理由もない。
彼女の部屋。
静かな照明。
距離は、以前より自然に近い。
彼が先に触れる。
慎重ではある。
でも、前ほど迷いはない。
キスはゆっくり。
確かめるように重ねる。
奪うのではなく、合わせる。
彼女は逃げない。
むしろ、ほんの少しだけ自分から近づく。
それが彼の理性を静かに揺らす。
身体を重ねる。
前回より言葉は少ない。
でも、目は逸らさない。
彼は途中で一度止まる。
彼女を見る。
「大丈夫?」
確認。
自分の欲望より先に。
彼女は頷く。
「うん。」
そして、少しだけ微笑む。
その笑みが
彼の愛情をより一層深くする。
終わったあと。
抱き合ったまま、彼は思う。
これは衝動じゃない。
選んだ距離だ。
欲しいからではなく、
この人だから触れたい。
それが前と違う。
彼女も思う。
怖さはゼロじゃない。
でも、嫌じゃない。
奪われた感じがない。
一緒に進んだ感じがある。
それが安心に変わる。
静かな夜。
外はまだ雨。
彼は彼女の髪に顔を埋めながら思う。
「これを失うのは、嫌だな。」
初めて、はっきりと。
恐れではなく、
大切さとして。




