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十秒で消える君の名前を、僕たちは記録する  作者: 二条理|アコンプリス


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第十三章 復興式典

 復興式典は、中断されたまま再開されなかった。

 体育館の椅子は、整然と並んだままだった。白い布をかけられた来賓席も、壇上に置かれた演台も、町長のために用意された水差しも、その役目を半分残したまま沈黙している。パネルには、まだ大きく文字が掲げられていた。

 町は忘れない。未来へつなぐ、七つの祈り。

 その下で、八人目の名前が読まれた。

 楢原由奈。

 名前を口にした瞬間から、体育館の空気は変わった。きれいに整えられていた式典は、目に見えないところからほころび始めた。生徒たちはざわめき、保護者たちは互いに顔を見合わせ、報道関係者はカメラを構え直した。先生たちは慌てて生徒を落ち着かせようとしたが、誰も何をどう説明すればいいのかわかっていなかった。

 式典の進行を止めたのは、校長だった。

 正確には、止めざるを得なかった。

 榊先生が声を上げ、安西先生が再調査を求め、レンとカリンが楢原由奈の名前を読んだ。その場で何事もなかったように黙祷へ移ることなど、もうできなかった。もしそれをしていれば、七人の名前に捧げられる黙祷は、八人目の名前を踏みつける沈黙になっていた。

 式典は「確認のため一時休止」と告げられた。

 だが、その言葉を信じた者は少なかった。

 生徒たちは各教室へ戻され、保護者は体育館の外へ誘導された。報道関係者は校門の外へ出されかけたが、数人はすでに映像を撮っていた。町長は一度、控室に入った。三枝はその後を追った。校長、教頭、安西先生、榊先生も呼ばれた。

 レンとカリンは職員室隣の小会議室に通された。

 部屋には長机が二つ並べられている。壁には、避難経路図と、復興記念式典の進行表が貼られていた。進行表には、時間ごとの予定が几帳面に書き込まれている。

 九時十五分、開会。

 九時二十分、町長挨拶。

 九時三十五分、犠牲者氏名読み上げ。

 九時四十分、黙祷。

 九時四十五分、生徒代表の言葉。

 その予定は、もう使いものにならなかった。

 レンは椅子に座り、膝の上で両手を握っていた。さっきまでの緊張が遅れて体に来ている。指先が冷たい。喉が乾く。自分が本当に体育館で立ち上がったのか、今になって信じられなくなる。

 楢原由奈。

 声に出した感触だけが、まだ喉に残っている。

 隣でカリンが資料を確認していた。彼女の手も震えている。だが、いつものように紙を整え、証言メモを順に並べていた。そうしていないと、彼女自身が崩れてしまうのだろう。

「大丈夫か」

 レンが訊くと、カリンは紙から目を離さずに答えた。

「大丈夫じゃない」

「だよな」

「でも、記録はある」

「そうだな」

「それだけで、少し息ができる」

 レンは小さく頷いた。

 会議室の外では、何人もの足音が行き交っていた。廊下の向こうからは、生徒たちのざわめきも聞こえる。学校全体が、落ち着いたふりをしながら揺れている。

 ドアが開いた。

 入ってきたのは、安西先生だった。

 顔色は悪い。額には薄く汗が滲んでいる。それでも、目は逃げていなかった。

「二人とも、ここで待っていてくれ」

「どうなっていますか」

 カリンが訊いた。

 安西はドアを閉め、声を落とした。

「校長と町長側が話している。町としては、楢原由奈さんの件については『確認中の情報』という扱いにしたいようだ」

「確認中」

 レンはその言葉を反芻した。

 まただ。

 確定していない名前。

 確認中の情報。

 混乱を避けるため。

 調査が終わるまで。

 言葉が人を消す瞬間を、レンはまた見た気がした。

「榊先生は?」

「証言すると言っている。高倉さんの書面も確認した。私も、君たちの資料を見た限り、学校として無視はできないと校長に伝えた」

「校長先生は何と」

 安西は少し言い淀んだ。

「慎重だ」

「つまり、町に逆らいたくない」

 カリンが言った。

 安西は否定しなかった。

「学校は町立だ。校長にも立場がある」

「ユナにも立場がありました」

 カリンの声は静かだった。

「生徒でした。地域記録整理係でした。災害の犠牲者でした。でも、その立場は消されました」

 安西は、まっすぐカリンを見た。

「その通りだと思う」

 その言葉に、カリンは少しだけ目を見開いた。

 安西は続けた。

「私は、災害後に赴任した。だから知らなかった、で済ませようと思えば済ませられるのかもしれない。でも今、知らされた。知らされた後に何をするかは、私の責任だ」

 レンは安西を見た。

 この教師は、最初は外側の人間だった。災害後に来た、何も知らない大人。けれど今は、知らないままでいることをやめようとしている。

「先生」

 レンは言った。

「楢原由奈の鞄を、役場から出してもらうことはできますか」

 安西の表情が硬くなった。

「簡単ではない」

「高倉さんが提出したと証言しています」

「その証言は大きい。だが、役場が保管していると認めるかどうか」

「認めなかったら?」

「高倉さんの証言を正式に出す。榊先生の証言も添える。学校としても照会をかける」

「今日できますか」

 カリンが訊いた。

「今日?」

「式典の直後です。報道もいます。町は、このまま時間を稼ごうとするはずです。時間が経てば、鞄も資料も『確認できなかった』ことにされるかもしれません」

 安西は黙った。

 カリンの言うことは極端に聞こえる。だが、これまでの経緯を考えると、あり得ないとは言えなかった。名簿は塗りつぶされ、追悼碑は削られ、報告書から地下通路の文字は消えた。ユナの鞄が今も無事に保管されている保証など、どこにもない。

「わかった」

 安西は言った。

「私から校長に、今すぐ照会するよう求める」

「お願いします」

 カリンは頭を下げた。

 安西が出ていくと、部屋はまた静かになった。

 レンは壁の進行表を見た。

 九時三十五分、犠牲者氏名読み上げ。

 そこには七人分しか予定されていなかった。復興式典とは、あらかじめ決められた記憶の形だったのかもしれない。読む名前も、祈る人数も、未来へ進む言葉も、すべて予定表の中に収まっている。

 ユナは、そこからはみ出した。

 だから消された。

「レン」

 カリンが呼んだ。

「何」

「怖い?」

「怖い」

「私も」

「三枝が来るかもな」

「来ると思う」

「資料を取り上げようとするかも」

「だから、分けてある」

 カリンは鞄を開いた。

「原本に近いものは三つに分けた。榊先生に一部、高倉さんに一部、私たちが一部。写真は森下くんにもコピーを預けた。録音の文字起こしは紙で五部。データは……消える可能性があるけど、複数の端末に入れた」

「いつの間にそんなことを」

「夜」

「三時間睡眠の正体か」

「そう」

 レンは少し呆れ、同時に感心した。

 カリンは戦う準備をしていた。感情で突っ込むのではなく、消されることを前提に、消されにくくする手を打っていた。

「ありがとう」

 レンが言うと、カリンは少し驚いた顔をした。

「何が」

「ユナの記録を守ってくれて」

 カリンは視線を落とした。

「私も、守られたから」

 その声は小さかった。

「ユナに押し出された。あなたに連れて逃げてもらった。なのに私は、半年間、逃げたままだった」

「戻ってきた」

「うん」

「それでいいんじゃないか」

 カリンは答えなかった。

 ドアの外で、足音が止まった。

 ノックが二度。

 返事をする前に、扉が開いた。

 三枝が立っていた。

 スーツの襟元は乱れていない。表情も穏やかだった。ただ、目だけが冷えている。その後ろには、教頭が困惑した顔で立っていた。

「少し、お話ししてもよろしいですか」

 三枝は言った。

 許可を求める言い方ではなかった。

 カリンは資料を手元に引き寄せた。

「先生の同席をお願いします」

「もちろんです。教頭先生がいらっしゃいます」

「安西先生も」

 三枝の眉がわずかに動いた。

「安西先生は校長室です」

「では、安西先生が戻ってから」

 三枝の笑みが薄くなった。

「朝倉さん。君たちがしたことは、式典を混乱させる重大な行為です」

「混乱させたのは、名前が抜けていたからです」

「その名前が正式に確認されていないから、混乱しているんです」

「正式に確認しなかったのは町です」

「物事には手続きがあります」

「名前を消す手続きですか」

 教頭が慌てて口を挟んだ。

「朝倉さん、言葉に気をつけなさい」

 カリンは教頭を見た。

「教頭先生は、楢原由奈さんを知っていますか」

 教頭は言葉に詰まった。

「私は……」

「去年、この学校にいましたよね」

「それは」

「地域記録整理係の活動も、知っていましたか」

 教頭は目を逸らした。

 その反応だけで、答えは十分だった。

 三枝が静かに言った。

「今は感情的な追及の場ではありません」

「感情ではありません。確認です」

 カリンは机の上の紙を一枚、三枝へ向けた。

「高倉誠さんの証言です。楢原由奈さんの鞄を、災害後に役場へ提出したとあります。町は、その鞄を保管していますか」

 三枝は紙を見ようとしなかった。

「個別の遺留品について、私の立場でお答えすることはできません」

「では、存在は否定しないんですね」

「そういう意味ではありません」

「存在しないなら、存在しないと答えられるはずです」

 三枝の目が細くなった。

「君は、ずいぶん大人を疑うんですね」

「ユナがそうしろと言いました」

 カリンは即答した。

「私は、記録を疑う係なので」

 その言葉に、レンは胸が熱くなった。

 三枝には意味がわからなかったのだろう。だが、彼はそれ以上カリンを相手にするのをやめ、レンを見た。

「久瀬くん。君は災害で大きなショックを受けています。記憶も混乱しているはずです。今こうしていることも、本当に君自身の意思なのか、周囲に影響されているのか、慎重に考える必要があります」

 柔らかい声だった。

 だが、その言葉の中には、明確な意図があった。

 レンの証言は信用できない。

 そう言いたいのだ。

「僕の記憶は混乱しています」

 レンは言った。

 カリンが少し心配そうにこちらを見る。

 レンは続けた。

「でも、ユナの声は残っています。作業日誌もあります。写真もあります。榊先生も、高倉さんも、母も証言しています。僕の記憶だけの話じゃありません」

「しかし、君の発言が周囲を動かしている」

「違います」

 レンは三枝を見た。

「ユナの記録が動かしているんです」

 三枝は黙った。

「僕たちは、ユナが残したものを拾っているだけです。先生たちも、森下も、母も、高倉さんも、墓地の人も。ユナの名前を聞いて、思い出し始めている。町が消したと思っていたものは、消えていなかったんです」

 三枝の顔から、笑みが消えた。

「君たちにはわからないでしょう」

 彼は低く言った。

「町を復興させるということが、どれだけ難しいか。ひとつの名前、ひとつの数字が、補償や責任や行政判断を大きく揺るがす。簡単に公表すれば、町はまた混乱する」

「だから名前を消したんですか」

「消したのではない。整理したんです」

 その言葉が出た瞬間、部屋の温度が下がった気がした。

 整理。

 人の名前を。

 死者の記録を。

 生きていた証を。

 整理。

 カリンがゆっくり立ち上がった。

「今の言葉、記録しておきます」

 三枝は自分の失言に気づいたようだった。だが、もう遅い。

 レンも立ち上がった。

「楢原由奈は、整理されるものじゃありません」

 三枝はしばらく二人を見ていた。

 やがて、教頭へ向き直った。

「校長先生と話します。これ以上、生徒だけで資料を扱わせないようにしてください」

 彼は会議室を出ていった。

 教頭は頭を抱えるような顔で残った。

「君たち、事を大きくしすぎだ」

「最初に大きくしたのは町です」

 カリンが言った。

 教頭は反論できなかった。

 昼過ぎ、状況は一気に変わった。

 報道機関の一社が、式典中断の速報を出したらしい。ネット上で「復興式典で八人目の犠牲者の名前」「町の公式名簿にない女子生徒」という言葉が出回り始めた。学校には問い合わせの電話が相次ぎ、町役場にも連絡が殺到しているという。

 校長は、午後の授業を取りやめ、生徒を一斉下校にした。

 だが、レンとカリンは帰れなかった。

 安西先生に呼ばれ、再び小会議室へ入る。

 そこには、校長、安西先生、榊先生、そしてレンの母がいた。

「母さん」

 レンは驚いた。

 母は少し緊張した顔で立っていた。

「安西先生から連絡をもらったの」

 安西が説明した。

「保護者の同席が必要だと思った。久瀬のお母さんにも、証言していただけることがあると聞いたので」

 母は深く息を吸った。

「私が話せることは多くありません。でも、三枝さんが病院に来たことは覚えています」

 校長の表情が険しくなった。

「三枝さんが?」

「はい。災害後、レンが入院していたときです。学校関係者と一緒に来ました。レンが誰の名前を呼んでいるか、何か資料を持っていなかったかを聞かれました」

「資料」

 榊先生が呟いた。

 母は頷いた。

「その後、学校から戻ってきた荷物の中に、濡れた資料のようなものがあった記憶があります。でも、整理したときにはもうありませんでした。私自身、混乱していて……はっきりしたことは言えません」

 レンは鞄からビニール片を出した。

「残っていたのは、これだけです」

 提出――

 その文字を見て、榊先生が目を伏せた。

「提出用ファイルの一部だと思います」

 校長は額に手を当てた。

 明らかに、事態の深刻さを理解し始めていた。

 カリンが静かに言った。

「役場には、楢原由奈さんの鞄が提出されています。高倉さんが証言しています。その中には、ノート、資料、告発文、三人の写真があったはずです」

 安西先生が続けた。

「校長先生。学校として正式に、町へ照会すべきです。鞄の有無と保管状況。死亡者名簿から楢原さんの名前が外れた経緯。追悼碑に名前がない理由」

 校長は沈黙した。

 長い沈黙だった。

 校長もまた、町の仕組みの中にいる。学校を守らなければならない。町と揉めたくない。式典を混乱させた責任を問われるかもしれない。だが、ここで黙れば、もう見なかったことにはできない。

 やがて、校長は言った。

「わかりました」

 その声は疲れていた。

「学校として、正式に照会します」

 カリンが小さく息を吐いた。

 レンも、肩の力が抜けた。

 だが、校長は続けた。

「ただし、君たちはこれ以上勝手に動かないこと。危険区域への立ち入りも、資料の持ち出しも、式典での発言も、本来は許されない。そこは理解しなさい」

「はい」

 レンは頷いた。

 カリンも頭を下げた。

「でも、校長先生」

 カリンが顔を上げる。

「私たちが勝手に動かなければ、楢原由奈さんの名前は今日も読まれませんでした」

 校長は何も言えなかった。

 夕方、レンとカリンは追悼碑の前に立った。

 式典が中断された日とは思えないほど、町は静かだった。通りを行く人は少ない。だが、何人かが追悼碑の前で足を止め、削られた空白を見ていた。そこに何があったのか、気づき始めた人々がいる。

 森下が、友人を連れて来ていた。

「こいつ、楢原さんのこと知ってるかもって」

 森下の隣の女子生徒が、おずおずと言った。

「中学のとき、資料室にいた人ですよね。声が大きくて、よく録音機持ってた……気がします」

 気がします。

 その曖昧な言葉が、今は貴重だった。

 完全でなくていい。

 記録は完璧でなくていい。

 続けるのが大事。

 レンはその言葉を、心の中で繰り返した。

 母も追悼碑の前に来た。

 彼女は小さな白い花を一本持っていた。七人のために供えられた花束の横に、その花をそっと置く。

「いいのかな」

 母が呟いた。

「正式には、まだ何も」

「いいと思う」

 レンは言った。

「名前を知っている人が、花を置くのは」

 母は頷いた。

 そして、静かに言った。

「楢原由奈さん」

 今日、何度目かの名前。

 だが、呼ばれるたびに、少しずつ濃くなる気がした。

 夜になって、町の公式サイトに短い文章が掲載された。

 復興記念式典の中断について。

 災害犠牲者に関する一部情報について、現在確認中。

 関係機関と連携し、適切に対応する。

 楢原由奈の名前は、そこにはなかった。

 レンは画面を見て、唇を噛んだ。

「一部情報」

 隣でカリンが呟く。

 彼女はレンの家に来ていた。資料の整理と、学校への提出用コピーを作るためだった。母がリビングの机を使っていいと言い、二人は紙を広げて作業していた。

「また言い換えてる」

 レンが言う。

「うん。でも、確認中と出した。何もないとは言えなくなった」

「名前は出てない」

「出させる」

 カリンの声は低かった。

「鞄が出れば、変わる」

「出るかな」

「出させる」

 同じ言葉を繰り返すカリンを見て、レンは少しだけ笑った。

「強いな」

「怖いから」

「知ってる」

 その夜、二人は資料を三部に分けた。

 一部は学校へ。

 一部はレンの家へ。

 一部はカリンが持つ。

 さらに、榊先生と高倉にもコピーを預けることにした。森下には写真の保管を頼む。安西先生には、町への照会文に添える一覧表を渡す。

 作業を終えた頃には、夜の十一時を過ぎていた。

 カリンは帰り支度をしながら、ふとリビングの窓の外を見た。

「今日は、長かった」

「ああ」

「名前を一日に何回も呼んだ」

「うん」

「でも、まだ足りない」

「足りないな」

「追悼碑に刻まれるまで」

「公式記録に戻るまで」

「鞄が戻るまで」

「ユナの顔を、ちゃんと思い出すまで」

 レンがそう言うと、カリンは静かに頷いた。

「顔、少し見えてきた」

「本当か」

「写真の中で。まだぼやけてるけど、笑ってる」

「僕も」

 レンは机の上の写真を見た。

 資料室の三人。

 ユナの輪郭は、昨日より明らかに濃くなっていた。顔の白いぼやけは薄れ、目元らしき影が見える。口元は、確かに笑っていた。

 不思議な現象なのかもしれない。

 あるいは、最初からそこに写っていたものを、レンたちがようやく見られるようになっただけかもしれない。

 どちらでもよかった。

 大事なのは、戻ってきているということだ。

 カリンを見送ったあと、レンは自室に戻った。

 机の上にミサンガを置く。

 青と白の糸。

 名前を返すまで切らない。

 レンはノートを開き、今日の記録を書いた。

 復興式典で、楢原由奈の名前を読んだ。

 町は「確認中」とした。

 榊先生、安西先生、母が証言した。

 校長が正式照会を約束した。

 三枝は「整理」と言った。

 鞄はまだ戻っていない。

 名前は、町に広がり始めている。

 追悼碑に花が一本増えた。

 最後に、少し考えてから書く。

 復興とは、忘れることではない。

 名前を戻してから、やっと始まる。

 ペンを置いたとき、スマートフォンが震えた。

 安西先生からだった。

『町から回答が来ました。楢原由奈さんの鞄に該当する保管物が存在する可能性があるそうです。明日、確認の場が設けられます』

 レンは画面を見つめた。

 心臓がゆっくりと強く打ち始める。

 鞄がある。

 まだ「可能性」という言葉で包まれている。だが、存在を認め始めた。

 ユナの鞄。

 ノート。

 告発文。

 三人の写真。

 顔が写っているかもしれない写真。

 レンは、すぐにカリンへ転送した。

 数秒後、返信が来る。

『明日、取り戻そう』

 レンは短く返した。

『うん』

 その夜、眠りに落ちる前、レンは久しぶりにユナの声を聞かなかった。

 夢も見なかった。

 ただ、写真の中の少女が、少しだけ笑っていた。

 それで十分だった。



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