番外編 若奥様が頑張ること 前編
ノーティル国との式典が終わった。いろいろとあったが無事にオリバンズ国へ戻り、ユフィは少しだけ変わった日々を送る。
公爵邸には新しい仲間シーランが加わり、慣れない中でもエラゼやメイド長からいろいろと教わりながら働いている。試験に合格したと聞いたときは嬉しかったものだ。
公爵邸の使用人たちもノーティル国からやってきたシーランにも距離を置くことなく、同僚として接している。当初は少し身構えていたシーランだがすぐにそんなものは不要だと気づいた。
穏やかな日々が過ぎる中、ユフィは屋敷の仕事を少し減らして勉強に時間を費やしている。
これはオルガからの提案であり、オルガの傍にいたいという自分の気持ちに気づいたユフィも、不安を覚えつつも了承した。オルガはその不安をきちんと感じ取っており、屋敷の仕事をやめろとは言わない。
それでも、いつかは止めなければいけない日がくるのだろう。
そう思ってユフィはそっと両の手を握り合わせた。
(わたしにできることは、ちゃんと勉強をすることと、魔法を使えるようになること。オルガ様と陛下のお役に立てるようになること)
まだまだたくさん不足している身だから頑張らなければいけないことは山ほどある。
毎日勉強をして。魔法もシーランに教わりながら少しずつ使えるように。そうなればオルティス王が求める魔法の知識についても役に立てるはずだ。
(それに……オルガ様の妻としても、頑張らないと)
考えて、ユフィは少しだけ視線を下げた。
そんなユフィを見て、朝の身支度を手伝っていたミュレスはこてんと首を傾げた。
「若奥様。どうされました? あんまり眠れなかったんですか?」
「い、いえ。大丈夫です。よく眠れました」
「そうですか? なら良かったです。今日のお洋服はどれにしましょうか?」
「えっと……」
ドレスを選ぶのは慣れないし、なんならドレスを着るというのも慣れない。屋敷の仕事があるからなるべく動きやすいものを、そう思って毎朝ドレスを選ぶのだ。
「ではユフィ。いってくる」
「はい。お気をつけていってらっしゃいませ」
頭を下げて仕事へ向かうオルガを見送る。毎日のことだから慣れてきた。
オルガは颯爽と馬に乗って門へと向かっていく。その姿が見えなくなってユフィはすぐに屋敷の仕事へと向かった。
朝の洗濯と掃除を少し。少し減らされた仕事のおかげで午前中は少し余暇ができた。
ダリオスとの勉強は午後からなので、ユフィはこの時間を使ってそそっと屋敷の書庫に向かう。
ウルフェンハード公爵邸の書庫は膨大な量の書物が収められている。専門書や歴代当主たちが行った施策、国の動き。伝記や旅行記、巷で出回るような小説などなど実に様々な分野のものが存在し、読み切るには途方もない時間がかかるだろう。
本は全てジャンルごとに分けられているので、ユフィはその中から探しものに合いそうな棚へと急いだ。
(まだオリバンズ国の文字は読むのに時間がかかるから、読み始めるのは早いほうがいいはず……)
勉強の中でもよく出てくる単語ならばすらっと読むことができる。けれど中にはそういかないものも多い。分からないものはオルガやダリオスに聞いて自分用の勉強紙に書いておく。そうすれば何度も聞かなくて済む。
あっちかこっちかと探し回ってそれらしい場所を見つけたユフィは、数冊の本を手に取って机に座った。
静かな書庫の中で紙を捲る音だけがよく聞こえる。読み終えれば本を戻し、また別の本を手に机に戻る。そうして時間を過ごしていたユフィは時間を忘れていた。
「若奥様」
「! はいっ……!」
呼びかけに慌てて顔を上げる。そこにはミュレスがいて、自分を見て微笑んでいた。
「そろそろ昼食のお時間ですが、もう少し後にしますか?」
「いえ! すぐにいただきます」
待たせてしまっては申し訳ないし、せっかく作ってくれた料理が冷めてしまうだろう。そう思って慌てて本を閉じて片付けようとするユフィだが、ミュレスがやんわりとそれを止めた。
「では、わたしが片付けておきますから。若奥様はどうぞ食堂へ」
「ですがっ、わたしが出してしまったものですし…」
「これくらいメイドの仕事ですから! 二冊三冊くらいそう時間はかかりません。ほら、エラゼさんも待ってます」
慌てて書庫の入り口を見ると、確かにそこにエラゼがいた。ユフィに気づいて微笑んでいる。
エラゼを待たせてしまう。けれど片付けをミュレスにやらせてしまう。どうしよう。
おろおろするユフィを見つめ、ミュレスはユフィの背を押した。
「さあ。若奥様はお食事に」
「は、はいっ!」
押されると断れないのが難しいところだ。
慌てて「ありがとうございます」とミュレスに深々と頭を下げて、ユフィは急いでエラゼのもとへ向かった。
ユフィからは「やっておきなさい」の一言が出ない。むしろ自分がやろうとする。使用人にすら敬語で物腰も低い。
だからまだまだ次期公爵夫人としては未熟で足りないところとして映ることもある。けれどそれに不満を覚えるよりも、その人柄を好ましいと感じる。
ユフィは未熟であることを知っている。それに甘えず頑張っている。
きっと少しずつ変わっていける。そう思えるユフィ自身の頑張りと、それを見守るオルガがいる。
「よーし。私も若奥様のために頑張るぞ。――……あれ。この本って……」
ユフィが読んでいた本を見てミュレスは目を瞬かせた。
昼食を食べてからはダリオスから勉強を受ける。その時間は時にシーランも一緒になって勉強をする。
ダリオスから今日の内容を教わり終えれば、自習としてユフィがシーランに教えることもある。シーランもユフィと同じようにノーティル国の文字とオリバンズ国の文字を並べながら学んでいる。
「ノーティル国とはまた違いますね……」
「はい。お仕事のほうは慣れましたか……?」
「はい。わたしは元よりさほどに魔法の強さに頼ることはありませんでしたので、大変ではありますが皆さまのおかげでなんとか」
「よかった……」
シーランも獣人の使用人たちと上手く関われている。ユフィ自身も屋敷での仕事でそれを見ているのでほっとしている。
「若奥様こそとても多くを学ばれているのですよね? きちんとお休みになられていますか?」
「は、はいっ。もちろんです。……ほ、本当です……!」
なんだか疑いの目で見られてしまったので必死に訴えた。するとふっとシーランの口角が上がって笑顔になるから、ユフィも心が軽くなって小さく笑った。
♦*♦*
オルガは日が沈む前に帰ってくる。国王の護衛についてユフィは詳しくは知らないが、時には帰宅が朝になることもあれば、夕方から出勤することもあるので、騎士たちが一日中詰めているのだろうということは想像できる。
しかし、そういったことは決して多くはなく、オルガは朝出勤して夕方に帰ってくることがほとんどだ。
今日もまたそうして帰ってきたオルガはダリオスの出迎えを受け、同じように出迎えてくれたエラゼからユフィの居場所を聞いた。
足がすぐさまその場所へ向かう。足早に歩くオルガを使用人たちは下がって見送り、その表情に笑みをのせる。
書庫室の前まで来たオルガは、その扉の傍にいるミュレスを見つけた。同時にどこか落ち着きなくうろうろしていたミュレスもオルガに気づき、はっとした様子で駆け寄ってきて頭を下げる。
その慌てようにオルガは僅か眉根を寄せた。
「どうした。ユフィに何かあったのか?」
「いえ。実は、若旦那様に折り入ってお話したいことがあります。若奥様のことで!」
神妙な顔で言われ、オルガの視線が書庫室の扉をちらりと見る。
扉を開ければそこに今すぐにでも会いたい人がいる。しかしミュレスの様子もただ事ではない。
(……ミュレスは勘違いでもってくる問題も少なくないんだが)
だからこの様相が、中身を聞けば全く想像と違うという可能性もある。……しかし、内容はユフィのことについてのようだ。
後で聞くという選択肢もあるが、わざわざ書庫室の前で待ち構えていたことと、これからの時間はできるだけユフィとの時間に使いたいオルガはミュレスを見た。
「今すぐ手短に」
「実は若奥様が――……」
夕食の席。ユフィの隣にいつもどおりに座るオルガはちらりとユフィを見た。
普段の食事はユフィの右隣に座っている。ユフィが見やすい視界であるからなのだが、逆に料理は左側から運ばれてくる。当初はそれに肩を跳ねさせていたユフィは、そっと声をかけてもらえることと慣れによってその反応を徐々に小さなものに変えていった。けれど今もまだどこか慣れない様子はある。
慣れないのは無理もないとオルガは思う。だから慣らすのは少しずつ、ユフィの反応を見ながら少しずつ環境を変えていくことにしている。
ユフィは公爵邸で食事をするようになってから少しずつ量も増えているし、屋敷へ来た当初は痩せすぎていた体も健康的になっている。髪も肌も綺麗になって、だけどきっとユフィは自分がそうして綺麗になっているだなんて思っていないのだろうなと読み取れるから、オルガは少し困ってしまう。
相も変わらず野菜やスープを好むユフィは肉をあまり食べない。だから小さく一口の大きさに切ってその口へ運ぶ。
「ユフィ。肉もちゃんと食べるように」
「はい……」
差し出されたものは断れないユフィは、小さな肉の欠片をぱくりと食べた。
おそらくユフィはヒーシュタイン侯爵家にいた頃にはまともな食事ができていない。だから胃の負担にならないものを好み、肉は避けようとする傾向がある。
長年そういった食事を続けていたとしても、これからはそうはさせない。だからこそきちんと食べてほしいが難しいかもしれない。
(ユフィは好き嫌いがないからな。魚を増やしてみるか)
あとで料理長と話してみよう。そう考えながら隣のユフィを見て、どうしてもミュレスの言葉を思い出してしまった。
「……ユフィ」
「はい」
「最近困っていることはないか? なにか、俺が手伝えるようなことは?」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です」
俯いて少しだけ怪訝とした目をしながらもユフィは通常通りの返答。それを受けたオルガも「そうか…」とそれ以上を返せない。そんなオルガをユフィは食事の手を止めてそっと見上げた。
「……オルガ様は、なにかお困りなのでしょうか……?」
「うん? いや。そんなことはない。君が式典後にもこれまでどおり頑張っているから、頑張りすぎていないかと思って」
「! だ、大丈夫ですっ」
……余計に「大丈夫」にさせてしまった。そうではなくてとオルガは自分を叱責する。
「最近は、どんな勉強をしているんだ?」
「今はウルフェンハード公爵家が治める地の細かな貴族について学んでいます。今日はヒューラー伯爵の領地であるレーゼル領について少し」
「そうか。今度領地を案内しよう。ユフィにはいろいろなものを見せたい」
「はいっ。ありがとうございます」
楽しみに思ってくれているのだろうか。その笑顔が嬉しい。……のだが。
食事の手を再開させながらオルガは内心悩んだ。




