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俯き令嬢は獣の騎士様から逃れられない  作者: 秋月


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37/52

37,会いたい

 震える身体は恐怖など隠せていない。それでもその口はなにを言った。

 聞いたローザはその言葉を理解して、驚きと怒りを混ぜてユフィを睨んだ。


 そこにあるのは見慣れた小さくて無能な小娘の頭。俯いているのはいつもどおりなのに、今はそれがひどく苛立たせる。


「――……随分と、生意気になったじゃないの」


 びくりとユフィの身体が震える。それを見てローザは口許を歪めた。扇を閉じたまま、俯いたユフィの頭にそっと置く。


「あなた。何を言ったか解っている?」


「わ、わかって……」


「魔力も持たない、役立たずで、無能で、地面をはいつくばっているだけのあなたを侯爵家に置いてあげたのは誰?」


「そ、それは……旦那様と…奥様……で…」


「その私に逆らうんじゃないわよ!」


 ばしんっと頬に痛みが走った。ユフィの小柄な体が床に倒れ、掃除のされていない床の埃がユフィのドレスを汚す。

 床に手をついて、じんじんとする頬の痛みを必死に堪えた。


 床に倒れ込んだユフィを見てローザは容赦なく責め立てる。


「育ててもらった恩を忘れるなんて恥知らず。卑しい女の血が流れているだけあるわね」


「っ……」


「随分と野蛮国の肩を持つようだけど、あなたが行った時点で戦になることは決まっているのよ? いっぱしの口を利いたって無駄なのよ」


 きゅっとユフィは拳をつくった。痛くて、胸が張り裂けそうで、必死に唇を噛む。


(無駄じゃない。だって、オリバンズ国は、ノーティル国が思っているような国じゃない)


 戦にはならない。アルヴェスターにも国王にもそんな意思はない。貴族だって表立って声は挙げない。――ユフィが優れた魔法使いであったから。


 気をしっかり持って息を吸ったとき、鼻が感じた違和感に思わず視線を動かした。


「ああ……。もう時間ね。あなたがさっさと頷かないから仕方ないわ」


「な、なにを……」


「あなた、ここで死になさい」


 言われたことが理解できず固まった。

 ローザの靴音が元の位置へと戻っていくのを耳が聞きとる。鼻はすでに焦げ臭いにおいを嗅ぎ取っていて、バチバチという火の音も聞こえている。


(死ぬ……ここで…? それにこの音と匂い)


 心臓が嫌な音をたてる。全身に汗が流れる。ひどく落ち着かない。


 がばりとローザを振り向けば、窓を開け放ってその縁に乗っていた。


「それじゃあ後はお願いね」


「承知」


 そう決まっていたかのようにローザは窓から身を躍らせる。一瞬肝が冷えたユフィだが、男が窓の外を確認して慌てていないのを見ると理解出来た。

 魔法だ。ローザはそれで着地したのだ。


 途端に周囲が静かになって、重い空気が流れる。そのせいかユフィも見たくないのに男に視線が向いて、けれど怖くて直視はできない。

 そしてその男は表情を変えることなく、剣を抜いた。


(同じだ。あのときと……)


 心臓がどくどくと煩い。身体が震えて、逃げなければと頭が訴える。

 けれどそんな訴えにユフィは驚いた。


(逃げる……? どうして?)


 ローザはなんの迷いもなくユフィを殺すように男に命じた。男だって迷うことなく頷いた。

 ――それは、昨夜と同じような光景ではないか。


(昨夜は…死ねると思った。それでいいって思って……。なのに、どうして…?)


 今は身体が恐れている。こちらへ向かってくる剣が、男が、恐ろしいと。


 痛みを避けたいと恐れた。痛みが恐ろしいと思った自分は、死を受け入れた。昨夜の望みがそこにある。

 たった一日で矛盾した胸の内。昨夜のそれはずっと積み重ねられたもので、そう簡単には変わらないと、そう思っていた。


 自分で自分に驚いて、理解した。


(ああ、そっか……)


 あるはずのない、黒い耳と尻尾と、頼もしい背中が目の前に視えた気がした。


 眠るまで傍にいてくれた。茶会でも当然のように守ってくれた。そしてそれは、オリバンズ国にいたときから変わっていない。

 同時に浮かぶ。昼間の茶会で笑みをくれたケミティ、嫌な気分になっただろうに演技であっても声をかけてくれた夫人たち、心からの言葉を招待という形でくれた令嬢たち。


 初めて嬉しいと感じた。誰かと話をすることは嗤われるばかりではないのだと。

 一緒に楽しんで、言葉を交わして、笑って。共有することを知った。俯かなくていいのだと教えてくれた。


 初めて、約束を交わした。「行きたい」と初めて自分の口からそんな言葉が出た。


(お約束した。だから守らないと。それに――……)


 きゅっと心が苦しくなる。どうしてだろう――無性に、会いたいと思ってしまうのは。

 会いたい。出会ったのはたった数ヶ月前なのにもうこんなにも心がその優しさを感じている。嘘ではないと。本物だと。信じたいと、願うから。


 だからユフィは駆け出した。ばんっと扉を開けて出口に向かって走りだす。


「げほっ…!」


 建物にはすでに火の手が回っている。煙が立ち込め階段の下からは火が見える。ちらちらと見えるそれはすでに一階を染め上げているかもしれない。

 足を引いて、ユフィは二階を逃げまわった。


 自分にはローザのように窓から逃げることはできない。まだ風の魔法を使ったことはないし、使えるとも思えない。


 後ろからは男が追ってくる。その手にある剣の輝きは美しいのに、今はひどく恐ろしい。

 廊下を走って、後ろに姿が見えないのを確認して近くの部屋に飛び込んだ。


 扉を閉めてすぐに室内を見まわす。小さな部屋だ。古びたテーブルと椅子、クローゼットがあるだけで家財道具はすでに処分されたか持ち出されたかして物はない。

 窓辺に駆け寄るが、やはり高さがあって飛び下りても無事にすむとは思えない。


 いつ見つかるか分からない。なんとかやりすごさなければ。けれどどうやって。

 呼吸が浅く短くなって、頭がひどく混乱する。


 廊下から足音が、聞こえた気がした。


 だから思わず、ユフィはクローゼットに飛び込んだ。

 震えながら、音をたてないよう息を潜める。自分の心臓の音は外に漏れていないだろうか。


 音が聞こえる。扉の開く音と、火の勢いが迫る音。――そして。


「あのときと同じだな。憐れな」


 ――記憶に重なる、その顔と剣の輝き。


 突きの体勢で切っ先が向いた剣を見て、ユフィはあのときと同じように右へ無意識に動いた。

 顔の横、耳の上を通った剣は髪とリボンを切り、深々と壁に突き刺さった。

 舌打ちと剣を抜こうとする動きの隙をみて転がるようにクローゼットを飛び出す。


「ぁっ……!」


 が、すぐに足首に衝撃を感じて前へ倒れた。

 逃げなければと立ち上がりかけて、リボンが取れて、無意識に身体が強張って動きが止まった。


 剣を抜いた男がすぐ後ろにいる。はっとして振り向いて見たのは、汚いものを見るかのように歪んだ顔。――知っている。ずっと見てきた、向けられていた目。


()()()()死んでいれば、無様な生を送ることもなかっただろう」


 あのときは、剣を振り下ろされてもなんとか逃げて、逃げている最中に転んで、そして――。

 それでもその後死ななかったのはすぐに近くの柱が焼けて倒れたから。男はこのままでは自分も死ぬと判断して逃亡、ユフィも痛くて怖くて泣きながらなんとか逃げ出した。


 そして今、同じ光景となっている。


 ユフィの呼吸が浅く速くなる。建物を焼いている炎はすでにひどく回っているのだろう、煙も火も部屋に入り込んでいる。建材が燃え、ユフィたちの周囲も赤く染まりだす。

 それを見遣り、男は逃げ道がないことを見て取ると、座り込むしかないユフィを見下ろした。


「死ね。それがあの方と国の願いだ」


 あっけない人生の終わり。だけれど――そんなの受け入れられない。


(戻るって、決めた。決めたのに……)


 逃げ道がない。扉からは逃げられそうにない。窓から飛び下りることはできない。いや、イチかバチかやってみようか。

 立ち上がらなければと思っても身体はどうしようもなく震える。


 男の手にある輝きがなんの迷いも躊躇いもなく振り下ろされ――ユフィはぎゅっと目を瞑った。

 ――瞼の裏に浮かんだのは、いつも見つめてくれる優しい金色のぬくもりだった。


 刹那、風が吹き荒れた。ドンッという衝撃音と「チュ…!」という小さな鳴き声のようなものが微かに耳に届く。

 ばさばさと自分の髪が暴れるのを感じたが、暴風は途端に吹き止んだ。ユフィは無意識に止めていた呼吸を思い出したように再開させる。


「っ、はっ…。げほっげほっ」


 視界が狭まりそうになる中、なんとか呼吸をして息を整える。

 見えるのは、男との間にできた距離。男は壁にぶつけられたのか呻いている様子。これならば逃げられる。


(あ、れ……)


 だというのに、足が動かない。視界が少し暗い。


(どうして……。煙を、吸いすぎた……?)


 周りはもう逃げられない状況だ。そしてユフィ自身、立ち上がれないほどに疲労を覚えていた。

 走り回って疲れたのは確かだが、それにしてはいきなりすぎるようなおかしな気がしながらも、倒れてはいけないとなんとか目を開く。

 そして、男との距離がまた縮まったことに気づいた。


「おまえ、まさか……。いや。そんなはずはない」


 なにやら自問自答している男がなにを言いたいのか分からないが、このままでは殺される。

 なんとか立ち上がろうとしても足が動かない。そんなユフィを男は冷たく見つめた。






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