28,敬意? もちろんありますとも
「あ、あのっ」
「いつまでも座ったままではいけないだろう。休めないかもしれないが、そろそろベッドに入ろう」
そう言ってオルガはユフィをベッドに運ぶと、そっとその身をベッドに乗せた。
すっかり目が覚めているし横になっても眠れそうにないと思っているユフィは、戸惑いを浮かべてオルガを見上げる。
「せめて横になろう。大丈夫。俺がいる」
「ですが……」
「夜間の室内警備は断られたが、やはり不測の事態にはこれが一番だ」
そう言ってオルガはベッドの傍に椅子を持ってくる。完全に居座る気満々の様子にユフィもさらに困惑を深めた。「ですが…」と言い募ろうにもオルガは微笑んで座ったままで、動かないのだろうとなんとなくユフィでも感じ取ることができてしまって。
けれど、やはり眠れそうにはない。
「さきほどの人は……」
「どこかの誰かの先触れかな。困ったものだな。そういう用件ならば扉から来てほしい」
肩を竦めるオルガにユフィは思わず瞬いた。なにを言っているのかと問うユフィの目にもオルガは態度を崩さない。
(あの人はたぶんわたしを……。オルガ様はどうしてそんなことを?)
顔は見えていないから誰かは分からない。けれど、相手の目的など剣を抜いたオルガも解っているはずだ。
でも、オルガがそれを言わないならユフィにそれを問うことはできない。問うてもいいのかが分からない。
なにも言えなくなって俯いてしまうユフィを見てオルガは椅子から立ち上がると、ユフィの前に膝をついて手に触れた。
「さあ、もう横になろう。眠ろうとしなくてもいい。目を閉じるだけでいい。明日……今日か。倒れては大変だ」
「はい……」
その言葉に大人しく従いユフィはベッドに横になった。掛布を被ってから視線を動かせば、オルガが椅子に座り直す様子が見える。
本当に朝まで部屋で警備をするつもりなのだろう。それが分かるから申し訳なくて、眠れない。
「あ、あの、オルガ様」
「うん?」
「わたしのことはお気になさらず、オルガ様もお休みになってくださいね」
「分かった。ユフィも気にせず休んでくれ」
素直に頷いてくれたオルガに少しほっとしつつ、ユフィは目を閉じた。眠れそうにはないけれど少しは身体が休まるかもしれないし、いつの間にか眠っているかもしれない。
倒れてしまっては、オリバンズ国にもアルヴェスターにもオルガにも迷惑がかかってしまう。それだけはだめだ。
ユフィが目を閉じてしばらく傍で見守っていたオルガは、そっと椅子から立ち上がって窓辺に近づく。ユフィが気づいていないのを確認して、さらにしばらく窓辺に佇んでいた。
その視線を窓の向こうの庭へと向ける。庭には時折侯爵家の騎士が巡回のために訪れている。異常発生を知らせるような様子はない。
そんな様子をオルガは睨み続けた。
一時間以上経ってからやっとユフィから規則正しい呼吸音が聞こえ出して、ほっとして。
けれどその三十分後には目を覚ましてちらりと自分を見つめるから「俺も少し休んだところだ」と伝える。そのままユフィが眠れない様子でいると空が白み始める。夜がもっと続けばと恨めしく思ったのは初めてかもしれないと思っていると、タイミングよく小さくノックされた部屋の扉を開けた。
「隊長。お連れしました」
そこにいたのは扉の外で警備中の部下と、部下に連れられたエラゼ。平然と堂々としたエラゼを見てから、オルガは「ご苦労」と部下を労いエラゼを室内に入れた。
室内に入ってエラゼもどこかほっとしたように息を吐く。余計な緊張をさせてしまった謝罪を、しかしそれをおくびにも出さない態度には感心を抱き、オルガはエラゼと寝室へ入った。
ユフィはとうに起きている。寝間着の上に一枚上着を羽織っていたユフィは、エラゼを見て少し驚いたようにオルガを見た。
「エラゼ。急なことによく対応してくれた」
「とんでもございません。ウルフェンハード公爵家のメイドたるもの、常とは違うことにも慌てることなどしないもの。――ふふっ。「夜明け前ですが、いつものようにユフィ様のお傍へお願いします」と言われたときには少々驚きましたが」
「だろうな」
「ええ。なにせユフィ様は夜明け前にはご自身で起床なされて、すぐに仕事にとりかかる御方ですもの」
頬に手をあて愉快に笑うエラゼにオルガは肩を竦めた。
公爵邸でのユフィはエラゼが言う姿そのものなのだが、なにせ部下たちはそれを知らない。知るエラゼからすれば笑ってしまう言葉だっただろう。
「あ、の、えっと……申し訳ありません」
「まあまあ、ユフィ様が謝罪なさることなどなにひとつございません。私たちはそうして一生懸命なユフィ様を好ましく思っております。もっとお傍でお世話させてほしいだけですよ」
「え、えっと……」
「エラゼ、そのへんにしろ。ユフィが困ってしまう」
「失礼いたしました」
すぐに謝罪するエラゼに、謝らせてしまったとユフィも身を小さくさせてしまう。そんな様子を見て眉を下げ、オルガはすぐにエラゼに指示を出した。
「ユフィの着替えを。まだ早いが……そうだな。なにか落ち着けることをしてやってほしい。何かあればすぐに言え」
「承知いたしました」
ユフィを一度だけ見て部屋を出る。扉一つ隔てる隣室ならば何かあればすぐに駆け付けることができる上、エラゼなら危険に対する対処も心得ている。
エラゼには一切昨夜の事は伝えていない。伝えずとも何かあったのだと察しているだろう。
主人が口にしない限りそれを問うことはしない。優秀でユフィを任せられる信頼できるメイドであるからこそ、こうして夜明け前に呼び出したのだ。何かあったのだろうと察し、ユフィの心が落ち着けるように手を打ってくれるだろう。
(その間にユフィの身辺を固め、殿下にも事の報告をして式典時の警備を見直さなければ)
「――……オルガ。俺は時々思うんだ」
「はい」
「おまえ……実は俺に敬意持ってなくない?」
「そのようなことはございません。殿下はいずれオリバンズ国の民の上に立ち、竜神より加護を賜る特別な御方。そして我ら獣人の王になられる」
平然と決まり文句のように告げるオルガの言葉に「うんうん」と頷くアルヴェスター。嘘が欠片でも感じられれば「やっぱり」とでも言って遮ってやったけれど、オルガの言葉はいつも嘘がないのを知っている。
しかし、だ。
「でもな、オルガ。夜明け前に掛布剥がれて胸倉掴まれて強制的に覚醒させられたら疑いたくもなるから」
「緊急事態でしたので」
「分かるけど。緊急の報告は俺も起こされたって文句言わないよ? 遅くなったほうが困ることも少なくない。……おまえ、これ父上にもやってる?」
「まさか。陛下は御声をおかけすればお目覚めになられます」
「俺に声は?」
「かけました。こうして、ベッドの傍で」
「反応ないから私情混ぜたな? 公私混同反対!」
先述の方法で夜明け前に起こされたアルヴェスターは報告を受けたのもベッド上。起こし方に文句を言う前にオルガに報告を始められ、ベッドの上で胡坐をかいたまま今に至る。
アルヴェスターを起こしたオルガはアルヴェスターを起こしてからはベッドの傍に膝をついて臣下の態度を崩さない。行動と態度、なされた報告にアルヴェスターも二つの意味で脱力してベッドに再び倒れ込んだ。
「やだもう……面倒くさい。睡眠へ逃亡したい……」
「もう一度起こしましょうか?」
「今度はなんだ。ベッドから落とされるのか? ビンタか?」
言いたくなる気持ちは理解できる。が、妻が危険な目に遭った後なので犯人は締め上げないと気が済まないオルガは、慇懃にアルヴェスターを諫めた。
「魔法の使用からノーティル国の手の者だと分かっております。その方法故こちらが気づくのは遅れはしましたが、匂いは覚えました」
「で? 捕まえて、こいつがユフィ殿を殺そうとしましたとノーティル国に突き出すか? 証拠がない」
「ユフィ殿自身の証言は高圧的態度で封じ、こちらの五感は信用できないと言うでしょうね」
「現場を押さえろ。それ以外ない」
そう言って、ちらりとその視線をオルガに向ける。金色の瞳は感情を読み取らせず、あくまで淡々と静かだ。
しかし、決して快く思ってはいないだろうと解るから、アルヴェスターは盛大なため息を吐いた。
「俺より狙いやすいしいちゃもんつけやすいし魔法が使えないから反撃も抵抗もされない。そりゃ狙いやすいよ。まあ、そう思っての行動なら唯一の誤算はおまえだな」
気怠そうに身を起こしながら、アルヴェスターはオルガを見る。その表情はさきほどから変わらない。
それを見て頭を掻いた。今のオルガの傍にいるから分かってしまう。
「オルガ」
「はい」
「力の制御、できるくせに感情に任せるなよ。やりすぎるとせっかくの停戦協定が台無しだ」
「……わが身が至らず申し訳ありません」
自覚があるのだろう。オルガは素直に頭を下げる。それを見つつ、アルヴェスターはやれやれと肩を竦めた。
そのまま「よいせっ」とベッドから下りて侍従を呼ぶ。すぐに着替えを始めながら、寝起きを無理やり覚醒させられた頭で思考に入る。
(式典会場にユフィ殿を襲った犯人がいればオルガがすぐに見つけられる。といっても、確実に突き出すにはこちらとしても証拠がいる。現行犯にするか、やり過ごしてさっさと帰国するか。わざわざ乗りこむよりは後者がいいな。ユフィ殿を守るならオルガがいれば問題ない)
なにせ、オルガは国王の護衛を任されるほどの実力者。四種聖獣後継者として育てられた人物。これまでは戦場を駆けたこともある実戦を知る男。
まさか、普段国王の護衛をしている者が傍につけられているなどとノーティル国側も思わないだろう。
アルヴェスターが知る限り、オルガ・ウルフェンハードはいたって平凡に問題なく育ってきた男だ。幼い頃からの仲で、当然のように教養と実力を身につけ、今の立場にいる。
四種聖獣の生まれともなればそれなりの苦労もあっただろう。一時荒れていたのは知っているが、それ以外に特別な悲劇に襲われたことがあるわけでもなく、大きすぎる苦しみがあったわけでもない。
そんな男が今、ただ一人の小さな女性に浮足立ち、幼い頃から身につけていたものを少し崩す。
着替えを終えてちらりと視線を向ければオルガも首を傾げた。そんな友人に向かって、小さく、獣人の耳で聞き取れて人間には聞き取れないほど小さく、問うてみる。
「ユフィ殿のどこにそんなに惚れこんだ?」
耳が拾った問い。思わずアルヴェスターを見れば、好奇心というには静かで気力の薄い目が自分を見ている。
その目を見て、アルヴェスターに近づいて、考えながら答えた。
「……いつも一生懸命すぎるほどで。自分より相手を思いやって。背負わされても逃げず。それに――……見逃してしまいそうなものを、嘘のない言葉で光らせてくれたところ、でしょうか?」
公爵邸の書庫で交わした言葉を思い出す。
きっとユフィにとってはなにげない言葉だったのだろう。けれど、できて当たり前と指導されてきたオルガにとって、その言葉は純粋すぎた。
ユフィの言葉にはいつも嘘がない。思っていないことを口にはしないし、口にする言葉にはよく迷っている。
嘘を言わない。だから、自分が非難を受けようとする。
国王との謁見でも。レオルラーゼ公爵と対したときも。
思い出して浮かぶ小さな姿がどうしても頭から離れなくて、守りたくなってしまった。
優しい眼差しでユフィを想うオルガを見て、アルヴェスターはすぐに視線を逸らした。
「……惚気られた」
「殿下がお聞きになるからですよ」
扉の傍で警備している自分の護衛騎士までなんとも言えない表情をしている。獣人なので聞こえた被害者を増やしてしまったとため息をつきつつ、アルヴェスターは「はいはい」と話を切った。
「朝から甘いのはごめんだから。さっさとユフィ殿のところに行くか」
「……今からですか?」
「おまえがそういう顔する理由は分かるけど、どうせ朝食もまた一緒だから。ちゃんと様子は見とかないと」
言ってすぐに向かおうとするアルヴェスターにオルガも続いた。




