21,聞かれていることを知らない
オルガとともにそれからも貴族への挨拶に向かう。残る四種聖獣種である『狐種』のフォックランズ公爵家と『鷹種』のイグハントリー公爵家。
狐種はオルガの獣種と特徴が似ていた。しかしオルガの少し跳ねた毛と違って狐種の毛はさらさらであるようで、尻尾もオルガのほうが大きい。鷹種の翼は外側が茶色で内側は薄茶や白に近く、リークヴェルで知った鴉種のそれよりも大きいように見えた。
(種によって微妙に特徴が違う……)
普段は見ない獣人の種にユフィは俯きながら視線を動かす。耳と尻尾が似ている種族でもやはり違いがあるようだ。
公爵家の当主一家と挨拶をする中では、オルガの幼馴染でもあるという子息令嬢たちとも挨拶を交わす。とんでもなく緊張する中で探るような目を向けられもしたが、ユフィもなんとか乗り切った。
そしてひと段落……ではなく。
「オルガ様。お久しぶりです。この度は――……」
「初めまして、ユフィ様。私は群れの一翼であり、サブダクトル領を治めております――……」
「実は先日の取り引きの件で――……」
四種聖獣への挨拶が終われば今度は貴族たちからの挨拶。まず声をかけてくるのは、ウルフェンハード公爵家が預かる国の北東に領地を持つ、獣種の群れの貴族たち。
彼らの長はウルフェンハード公爵であり、ウルフェンハード公爵は群れの仲間である彼らに領地を与えそこを治めさせる。他の四種聖獣もまた同じで、公爵家は上がってくる報告と領地全体の事を把握しておかなければいけない。
学んだときにはあまりの大変さに驚いたものだ。
「ユフィ様は私が預かる領地をご存知でしょうか? 内陸で山の険しい場所なのですがねえ」
頭に手をあて、どうだろうとうかがうのは猫種の獣人男性だ。その傍には妻と娘らしい人物もいる。
オルガとの挨拶で目の前の人物はヒューラー伯爵であるというのは分かった。そして飛び出したその言葉にユフィは学んだことを必死に思い出す。
「……私の妻に不満でもあるか?」
「とんでもありません! どういう御方か気になっただけですよ。それに、オルガ様のご負担が増えることになるかもしれませんし……」
「心配はいらん」
本心なのか上辺なのか。オルガは息を吐いてしまう。
それを見ていたユフィは、二人の会話が途切れたのを見て「あの…」と声をかけた。猫種の男性の人の良さそうな微笑みがユフィを見る。
「わたしの学び不足でなければ……ヒューラー伯爵様が治める地は、ヤルバルト山近隣のレーゼル領ではないでしょうか?」
「あ、はい……」
思案の後に出てきた言葉にヒューラー伯爵は驚いたように目を瞬かせた。その傍にいる妻と娘もまた「あら」とユフィを見つめるが、ユフィはそれに気づかず僅か頭を下げた。
「わたしはまだまだ学び不足で、それ以上のことは存じ上げません。これからはさらに学びを深め、ウルフェンハード公爵家が治める地や皆さまのことを学んでまいります。……よろしければ、ご教授よろしくお願いいたします」
「ああいやいや! こちらこそ失礼しました。まさか領地を当てられてしまうとは……」
「ユフィは屋敷でも毎日書物で文字を学び、今では少しずつ読めている。勉強を頑張ってくれるのは嬉しいが少し心配だな」
苦笑う伯爵と困り顔のオルガ。両方になんと返していいものか分からずユフィは困り果てた。
それからも貴族たちとの挨拶は続いていく。
「ユフィ様は我が領地がどこにあるかご存知ですかな?」
「えっと……ネッツェ侯爵様が治めるミーカーン領は北の海沿いにあると記憶しています」
家名と領地を必死に結び付け――……
「ウルフェンハード公爵家現当主であらせられるゼルン様も素晴らしい御方ですが、次期当主たるオルガ様もまた素晴らしい方であると、あなたにはお分かりになりますか?」
「だ、旦那様は素晴らしい方です。毎日朝早くから剣の鍛錬をされて実力をさらに磨き、お時間があるときには読書をされて知識を増やしておられます。屋敷の皆さんにも声を荒げることなく諭し時に感謝を口になさる行動は、皆さんがお仕えしたいと思う心に繋がる行為であると感じています。周りの方々の些細なことにも常に目を向け、気遣う心は次期当主としても個人としてもすごいことだと思います。それに、不出来なわたしのような者にも根気強くオリバンズ国のことや公爵家、領地のことを教えてくださって。そんな想いにお応えできればと思い、今後も精進する所存です」
すごいのだと語るその姿をオルガは隣で優しく見つめたり――……
挨拶回りだけでも必死なユフィの様子を見つつ、オルガは休憩を挟みながらそれをこなしていった。
「ユフィ。大丈夫か? 父の名代でもあるから余計に忙しくさせてすまないな」
「いえっ。皆さまがわたしを気にするのは当然のことですので、わたしももっと頑張ります」
「頑張りすぎないように」
震えても自力で立とうとする健気な姿に眉が下がって、オルガはそっと背に触れた。
(叶うなら、ユフィにもたくさんの友人をもってほしい。今はまだできなくても、これからもっと色んな場に参加して、たくさんの経験を積んでほしい)
きっとそれはいいことばかりではないだろう。けれどもう、そんなことがあっても独りにはさせない。
いつだって傍にいる。傍で守る。そうして経験することはきっと、これまでとはまた違うものになるはずだ。
そう思いながら、オルガはユフィと歳の近い令嬢たちの集まりに足を向けた。
♦*♦*
オルガの妻としての初めての社交会はなんとか乗り切ることができたユフィだが、その胸中は依然として薄い雲が覆っていた。
ノーティル国との式典。
初めてといっていいほど、きちんと他の人たちと挨拶をして話ができた社交会。そのあとに待っているのは、一年に一度だけドレスを着させてもらって体裁を保つためにだけ会場に向かい、嘲笑と軽蔑を向けられた壁際に独りぼっちだった社交会と同じ、あの視線と空気の場。
停戦のため、外交のためにオリバンズ国に来たのだから、出席しないなんて真似はできない。
それでも、どうしても気は進まない。わがままなんて言える立場ではないと解っているけれど。
(ノーティル国はきっと、わたしとオルガ様が婚姻を結んだことを知らされているはずだから、わたしの傍にいるオルガ様にまで何か……。わたしがしっかりして、オルガ様を嫌な気持ちにさせないようにしないと)
嗤われるのには慣れている。平気だ。
だけど、自分に優しくしてくれるオルガを嗤われるのは、嫌だ。
(しゃんと、立って。背筋を伸ばして)
そう思いながらユフィは今日も屋敷の仕事をこなす。これはまだオルガにも「やめろ」と言われていないから。
そう言い訳をしながらせっせと働く。働いていれば嫌なことは考えなくてすむから。
(本当は振る舞いの指導を受けたほうがいいんだろうけれど、オルガ様はわたしを侯爵令嬢だと思ってるから……)
本当は、令嬢としての教育なんてまともに受けていない身だ。いまさら「立ち居振る舞いの指導を受けたい」なんて言えばきっと「なぜ?」と言われてしまう。
だからユフィは、これまでどおり見て盗む。
といっても、この屋敷で貴族として振る舞うことができるのはオルガだけ。だからオルガの歩き方や立ち姿、食事作法などなんでもいいから見て盗む。
オリバンズ国へ入国してから王都へ来るまでの各領地の領主の屋敷でも同じようにしていた。そのおかげなのかオルガにもこれまで指摘されたことはない。それには少しだけほっとしている。
オリバンズ国について学ぶことも忘れない。社交会以降さらにユフィは熱心に勉強に励んでいる。
そんなユフィをオルガはいつも黙って見守っている。
「ユフィ」
「はい。若旦那様」
「今度の式典について少し話があるんだが、いいか?」
ある日の夜、夕食を終えてからオルガはユフィにそう声をかけた。
ユフィは少しだけ体に緊張をにじませながら頷き、オルガに手を引かれてソファに腰をかける。その浅い座り方に気づいてもオルガはまだなにも言わずユフィを見つめる。
「ユフィ。話を進めても大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です」
強張っているユフィを見つめてまず聞く。強張りが解けないのは分かっていても、オルガは優しく尻尾を絡ませてユフィの頷きを見つめた。
式典はこの国へ来たユフィにとっても重要な催しだ。だからこそ、緊張してもオルガの声に耳を傾ける。
「今度のノーティル国とオリバンズ国との式典は、停戦協定を内外に知らしめるためのものだ。互いに王族が出席してそれを宣言、外交上の話をして、夜には夜会が開かれる。特別な催しなどはないから心配ない」
「はい……。その、わたしは何か……」
「いや。出席する貴族と同じようにしていればいい。ただ、アルヴェスター殿下のお傍にいることになるから少し目立ってしまうかもしれない」
「大丈夫です。わたしは、両国のために来たのですから」
きゅっと小さな手が拳をつくる。それを見つめるオルガはそっとユフィの手に自分のそれを重ねた。
触れあいに慣れないユフィは少し身体に緊張を見せる。けれどオルガは「大丈夫だ」と優しく伝えた。
「あまりそう背負いすぎなくていい。式典では俺も、殿下も、皆がユフィの味方だ」
「み、かた……」
驚くユフィにオルガは「そう」と優しく頷いた。
オリバンズ国内において当初は疑念と警戒を抱いていたユフィの訪れ。けれどそれは、ユフィのおかげで収まった火事と、獣人に忌避なく国のことを学んでいると分かる姿勢から少しずつ好感に変わりだしている。
その好感の一助には、ラジェイナと高位貴族夫人たちとのお喋りなどがあるのだが、ユフィはまだそれを知らない。
(あの夜会以降ユフィへの目は少し変わっている。それに……こういっては台無しだが、今回の敵はユフィではないからな)
停戦協定を結んだ。けれどそれは実際のところ、どうなるか分からないものだ。
オリバンズ国にそれを破るつもりはなくとも、ノーティル国の真意はまだ分からない。
ノーティル国は獣人を蛮族と称して侮蔑を隠さない。そんな相手がこの式典でどう出るか、今のオリバンズ国内はその警戒が強い。
『なんですと? ウルフェンハードの次期夫人が魔法を使えることを隠す? 奴らは彼女が使えないと思っておるのですな?』
『ハッハハハ! なんだその面白い化かし合いは!』
『奴らの笑みをさらに上から笑ってやろうという魂胆ですな喜んで! おいオルガ殿! まかり間違っても先日のような愛妻ぶりはふりでも見せるなよ?』
国王と王太子と重鎮たちでなされる会議を思い出してしまった。夫である自分が室内警備に呼ばれていたせいかとばっちりを受けた気がしなくもないし、国王が笑っていたのもなんとも言えない。
頭を悩ませる国の駆け引きと獣人たちの笑い声はひとまず片隅に置き、オルガは切り替えてユフィを見つめた。
「ユフィ。実は式典のことで大事な話がある」
「はい」
改まっった様子を感じつつユフィはオルガを見つめた。オルガにも、屋敷の使用人たちにも、まだ俯き癖は直らない。だから最大限上げる視線で見つめる。
オルガは少し迷っているように言葉を区切ってからユフィを見つめた。少しだけ困ったような顔をしているからユフィは内心で首を傾げる。
「明日、殿下から話があるんだ。王城へともに行ってくれるか?」
「……はい。分かりました」
殿下からの話となると一層に緊張する。頭に浮かぶのは夜会の前に少しだけ見た王子殿下の姿。
アルヴェスター殿下は今後の式典についても国王から一任されている。呼び出しとなるとそれだけ大事な、オルガに言伝るには難しいことなのだろう。
そう思って、緊張を感じながらユフィは頷いた。




