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俯き令嬢は獣の騎士様から逃れられない  作者: 秋月


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10,初めての仕事と初めて知ること

 やがてその姿は見えなくなり、ユフィは小さく息を吐く。


 魔法が使える令嬢を望んだわけではなく、魔法の知識を得ようとしていたというオリバンズ国王の狙い。だからこそ、やってくる令嬢には国の一員としての待遇を与えること。オルガの妻として、今もまだその待遇は変わっていないこと。

 解ったことはいくつもあれど、それでもやはり、自分には相応しくないと感じてしまう。


(傍にいたいけれど妻なんて、わたしには不相応だから……)


 自分がどんな人間かなんて自分が一番分かっている。だから使用人でちょうどいい。

 きゅっと小さな手を握りしめて拳をつくるユフィに、穏やかな声が向けられた。


「さあ、若奥様――……いえ、しばらくはユフィ様とお呼びしてもよろしいですか?」


「様などと呼ばれる者では……」


「王命であろうとなんであろうと、若旦那様がユフィ様を大切になさるのですから、私たちも同じです。決定に従うということではなく、私たちはユフィ様がいらしてくれてとても嬉しいと思っておりますよ」


 包み込むような穏やかな笑みが向けられる。それを感じつつも、見返すことができないユフィはおろおろと視線を彷徨わせた。

 そんな目を向けられたことがない。どうしていいか分からないユフィに、そのメイドは「ふふっ」と微笑ましいものを見るように笑みをこぼした。


「改めましてユフィ様。私はユフィ様のお世話をさせていただくメイドたちを束ねております。エラゼと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」


「こ、こちらこそ。わたし付きなど申し訳ない限りで、いつでも離れてくださってかまいませんのでっ」


「まあまあ。こんなにも素敵な若奥様のお傍を離れるなんてするはずありませんよ」


 エラゼは、オルガの命でユフィ付きになっているメイドたちと同じ人間種だ。獣人種ではない分ユフィへのあたりは柔らかいが、敵国の令嬢であることは変わらない。

 だからこそのユフィの言葉であるが、エラゼはオルガの言葉を聞いているのでその態度にも言葉にも驚くことはない。


 微笑みを消さないエラゼに、自分にそう接してくれる人は初めてでユフィは少し落ち着かない。そんな両者の間にダリオスが入った。


「若奥様。私は屋敷の執事を務めております、ダリオスと申します。見てのとおり牛の獣人にございます」


「は、はいっ。よろしくお願いいたします、ダリオス様」


「ほほほっ。私に敬称など不要にございますよ」


「あ、いえ。ですが……」


 オルガの妻であるユフィのほうが立場は上になる。が、自覚もないユフィにそれを求めるのは酷かと、ダリオスはすぐに「では、さん、といたしましょうか。慣れれば不要ですぞ」と微笑んで伝えた。

 強く己の意思を訴えることもできないユフィは、ダリオスの提案にほっと胸を撫でおろす。


「では、若奥様にしていただくことはエラゼに一任しましょう。エラゼ」


「承りました。ではユフィ様。まずは朝の洗濯、それからお部屋の掃除をいたしましょう」


「はい!」


 本当は、こんなことをしてはいけない。解っているけれど、されるままに過ごすなどあまりにもこれまでと違いすぎて、世話をさせてしまうことが申し訳なくて。

 今は少しでも、オルガや迎え入れてくれた公爵邸の皆の役に立ちたい。


 その一心で、ユフィはエラゼの後ろについて歩いた。


 ユフィがメイドたちと同じように働くということに最初こそ驚いていた屋敷のメイドたちだったが、おろおろと落ち着きない様子ながらも決して邪険に扱うことはなくユフィに接する。

 まずは洗濯だ。


「朝の洗濯はお洋服やシーツ、いろいろとあるので重労働ですが……本当によろしいのですか?」


「はい。よろしくお願いします」


 ユフィが朝一番に洗濯をした洗濯場。二度目のそこはメイドたちが行き交い、洗濯するものが山積みになっている。

 ごしごしと手を動かしているメイドは圧倒的に獣人が多いが、ユフィは迷うことなく頷いた。そんな若奥様に戸惑う獣人メイドはエラゼを見るが、エラゼも頷く。


 メイドたちの中に戸惑いがあるのは当然感じつつ、ユフィは仕事に交ざることにした。

 朝の行動と現在のメイドたちの動き、手元や道具の扱い方と観察しながら動く。


 ささっと桶に水を汲み洗濯物を濡らす。波打つ洗濯用の板を手にすぐさま洗い始める。手で洗う場合もあれば踏み洗いもこなす。誰に聞くでもなくてきぱき行動するユフィにメイドたちも驚きつつも手を動かす。

 洗濯を終えた物は籠に入れ、そのまま別のメイドが干し場へ持っていく。それを視界の隅に捉えユフィも洗ったものを籠に入れる。

 それを何度か繰り返していると、ユフィの隣で同じように働く猫種のメイドが声をかけた。


「……若奥様、こういう仕事に慣れていらっしゃるんですか?」


「え。あ……少し。皆さまほど手際がいいわけではありませんが……」


「とんでもないです」


 洗濯中のメイドが一斉に首を横に振る。俯いている中でそれを見ることは難しく、ユフィは必死に手を動かし続ける。


(わたしがノーティル国でどう過ごしていたかを知ったら、きっと皆さまはわたしがオルガ様に相応しくないと思う。それは当然、だけど……)


 いや。だから、なにを言われてもせめて働いて恩を返せるようにしたいのだ。

 オルガの推測が屋敷の使用人たちに伝わっていると知らないユフィは俯いたまま仕事をこなす。そんなユフィを見て、エラゼはメイドたちに向けてゆっくりと首を横に振った。


 今はまだ、踏み入るべきときではない。


 公爵邸の使用人たちは皆優秀である。主人一家に踏み入りすぎることはしないが意見は述べ、主人の命なしに余計なことはせず望まれないことはしない。

 教育されている面々はすぐにユフィに向けて話題を変えた。


「若奥様。ノーティル国とは洗濯方法は違いますか?」


「え、えっと……少し、違います」


「まあ。あちらはどういうふうに?」


「水は基本的に魔法で生み出して使っていました。洗い方はこちらと同じなので、そういうところだけが違うのだと思います」


 魔法は生活の一部として馴染んでいるらしい。それを知った獣人メイドたちは感嘆の声を出した。けれどしっかりと手は動いているので、さすがは公爵邸の使用人たちである。


「では、生活用水もすべて魔法で?」


「はい。……魔法を使えない人もいるので、そういった人たちは皆さまと同じように水を汲んできて使います。屋敷に井戸があったり、皆が川で洗濯をしたり、水を汲んだりして」


「ノーティル国には井戸があるんですか!?」


「は、はい」


 ユフィ自身、侯爵邸にいた頃には井戸を使っていた。ヒーシュタイン侯爵家の当主一家も、雇う使用人も当主一家の意向で魔法を使える者ばかりだったので、ユフィだけは魔法を使えない異質だった。

 だから、井戸を使うのもユフィだけだった。


『ねえ? それ、壊してもいいんじゃない? だってほら誰も使わな…あら。そういえば使っている誰かさんがいたかしら? ――ああ。また一からしてちょうだい』


 わざとらしく口角を上げ、せっかく汲み上げた水をわざとひっくり返して去っていく。

 思い出して、頭から振り払った。


「あの…井戸が何か……?」


「あっ。えっとですね、オリバンズ国に井戸はないんです」


「えっ」


 猫のメイドが発した言葉に驚くユフィはメイドが地面を指して続けた言葉に聞き入った。


「オリバンズ国では、地面を掘るのは動物の習性以外では禁止なんです」


「そ、それはなぜ……?」


 疑問符を浮かべるユフィに、猫のメイドに代わりエラゼが答えた。


「オリバンズ国の地はすべて、獣人を守り自然を守る竜神様のお膝元とされています。私たちは竜神様の下で暮らしができておりますから、この地を勝手にすることは許されません」


「では、水は…? それに、家を建てるには木も必要なのでは……?」


「はい。水は生活用水の泉がございます。平民でも川や水路を作ってそこを利用します。竜神様のお膝元であるこの地には水が多く、どこでも水は澄んでいますので」


「水路は問題ないのですか?」


「地を掘らぬ、地上を通る水路であれば竜神様もお怒りにはなられません。川から水を汲み上げ水の通っていない街へ通しているのです。そして木の伐採についてですが、確かに必要となることはあります。ですが我が国では無闇無許可の森林伐採は禁じられており、国が所有し栽培する森林地帯でのみ伐採が許されております。自然に生きるものを刈り取るということで、伐採前には最低限の本数の申請と王家の許可、そして竜神様への祈りを必須としているのです。地面に穴を掘る必要があるときも同様に、竜神様へのお許しをいただくのですよ」


 どこまでも丁寧に、丁重に、獣人の国の神への崇拝にユフィも感嘆の息をこぼした。


 書物や人の話では知ることのない、獣人たちの生活の一部。

 それを興味深そうに聞くユフィにエラゼもメイドたちも微笑みを浮かべた。毛嫌いされるわけでもなく、知らなくていいと聞く耳もたないわけでもなく、知っていこうとするユフィの姿勢は好ましく感じられる。


 洗濯に使う水も竜神の地にあるものを使わせてもらっているのだ。澄んだ水にあるのは神の存在。何気なく触れていたものに少し緊張を覚えてしまったユフィだがさらに質問を続けた。


「では、お屋敷での生活用水はどうされているのですか?」


「敷地内に生活用の泉がございます。そこから公爵家の騎士たちが汲み上げ、洗濯場や厨房、湯殿まで運んでくれるのです」


「そんなにも……! それはとても大変なお仕事ですね……」


「ふふっ。時には私たちも行いますし、荷馬車などで運びますので、ご想像ほどではないかもしれません」


 一人一人が運ぶ光景を想像していたユフィは、荷馬車でまとめて運ぶ方法や人海戦術を繰り出す方法を言われて思い付き、恥ずかしそうに俯いた。そんなユフィをまた微笑ましく見つめる。


(それじゃあ、今朝会った騎士様も)


 彼の朝一番の仕事なのだと理解できた。他の騎士たちと分担しているのか、洗濯場の水を補給することも仕事なのだろう。

 こうして洗濯をするのはメイドでも、その支えになっているのは水を汲んでくれる騎士たち。屋敷の皆が協力して仕事をしているのだ。


「すごいです……。皆さまが協力しないとできない仕事なのですね。誰かに任せきりにはできないものこそ皆さまで行う。皆さまの関係性も大切で……、仕事を行うためのもっと根本にあるものが、皆さまの生き生きとした……やり甲斐に満ちているような、そんな素敵な表情にも繋がっているのですね……」


「「……!」」


 言葉を失う者。呆気にとられる者。はっと口許を押さえる者。

 さまざまな反応はすべてユフィに向いているけれど気づかず、頑張らねばと一層仕事に精を出す。

 そんな姿にメイドの中には尻尾をぶんぶん振る者もおり、とても機嫌良さそうに洗濯に戻る者もいる。


「うふふっ。そうだ若奥様! いいこと教えて差し上げます。実は、時々若旦那様も水汲みをされるんですよ」


「そうなのですか?」


「はい。体を動かしたいけれど考え事もしたいってときにされるようです。思考と鍛錬にちょうどいいらしくて」


 鍛錬といえば、ユフィが思い出すのは火事の現場に迷いなく飛び込んだ姿。屋敷で見るものとは全く違う、立派だが動きを妨げない服装と腰に佩いていた剣。今朝のオルガもその服装だった。

 国王陛下との謁見の場にもいたオルガだが、ユフィは詳細を知らない。


「あの……若旦那様はどういったお仕事をされているのですか……?」


 国王陛下との謁見までの三日間に集中して。それまでの命だと覚悟して。魔法が使えたことも目覚めたのもまだ昨晩のこと。

 だからユフィは、オルガのことを知らない。


 ユフィの控えめな質問に、一瞬場が沈黙した。しかしすぐにエラゼが微笑む。


「それは若旦那様にお聞きください。若旦那様もそのほうがお喜びになられますでしょう」


 喜ぶ…のだろうか? エラゼの言葉に怪訝としつつも、ユフィは「…はい」と頷いた。


 オルガに聞いてもいいのだろうか? 自分はそんなことをしてもいいのだろうか?

 まだ迷いを持つユフィは、洗濯をする手に意識を戻すことにした。






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