第二話 三人の関係
四月の柔らかな日差しが、窓から差し込んでいた。
入学式から数日。新しい制服にも少しずつ慣れてきたけれど、教室の空気はまだ落ち着かない。
誰もが探り合いながら、新しい友達を作ろうとしている。
そんな中で、俺――
佐倉悠真
(さくらゆうま)
は、ひとり窓際の席から外を眺めていた。
校庭に咲く桜は散り始め、薄桃色の花びらが風に舞っている。
(あの子……やっぱり目を引くな)
クラスに転校してきた
綾瀬澪
。
透き通るような白い肌、澄んだ瞳。笑顔はどこか浮世離れしていて、周りの空気ごと輝かせてしまう。
俺が一目惚れした女の子。
――でも、それはきっと片思いだ。
それを痛感する出来事が、今日起きた。
「おーい悠真! お前また窓の外見てんのかよ」
がっしりと肩を叩かれ、思わず顔を上げた。
声の主は、
神谷颯真
。
小学校からの幼なじみで、明るくて人望のある奴だ。
「……いってぇな。颯真、相変わらず手加減知らねーな」
「はは、悪い悪い。でもお前、また澪ちゃんの方見てただろ?」
「なっ……!」
図星を突かれて、思わず言葉が詰まる。
颯真は口角を上げて、からかうように俺を覗き込んだ。
「おー怖い。まあ気持ちは分かるけどな。綾瀬さん、クラスの人気すごいもんな」
「……別に、そういうんじゃ」
「はいはい、照れるなって」
茶化す颯真に、俺は視線を逸らした。
けれど澪の方をもう一度見た瞬間、胸がざわめいた。
彼女が、颯真と楽しそうに話していたからだ。
放課後。
帰り支度をしていると、颯真が澪を呼び止めた。
「なあ綾瀬さん、もし良かったら一緒に帰らない? 悠真もいるしさ」
「え、私も?」
「もちろん! 三人で帰ろうぜ」
突然の提案に驚いたが、澪は一瞬きょとんとした後、花が開くように微笑んだ。
「うん、いいよ」
その笑顔を見た瞬間、胸がちくりと痛んだ。
俺だけじゃない。この笑顔は、颯真にも向けられる。
いや、むしろ――颯真の方が自然に引き出せている気がした。
春の風が吹き抜ける道を、三人で並んで歩く。
住宅街を抜けると、小さな商店街が広がっていた。
「へえ、こんなとこに駄菓子屋さんあるんだ」
澪が立ち止まり、興味津々で覗き込む。
「お、知らなかった? ここ、小学生の頃はよく通ったんだぜ」
「へー、颯真くんって子どもっぽいとこあるんだね」
「はは、悪いかよ」
二人は自然に笑い合っている。
俺も隣にいるのに、なぜか輪の外にいるような気がした。
(……そうだよな。颯真は誰とでも仲良くなれる)
その明るさに、澪も引き寄せられる。
俺にはない強さだ。
「ねえ、悠真くんはどうなの?」
ふいに澪が振り向き、俺に問いかけた。
「え?」
「こういう駄菓子屋さんとか、小さい頃から通ってた?」
「あ、ああ……まあ、たまにな」
ぎこちなく答えると、澪は小さく笑った。
「そっか。なんだか二人とも、いいな。私、転校ばかりで……そういう思い出、あんまりないから」
寂しげに呟く声。
その表情に、心臓が強く跳ねた。
「……でも、これから作ればいいんじゃないか」
気づけば口から出ていた。
「思い出って、これから増やせばいい。俺たちと一緒にさ」
一瞬、澪は目を丸くした。
けれど次の瞬間、ふわりと柔らかな笑顔を浮かべた。
「……うん。ありがとう、悠真くん」
その笑顔に、胸の奥が熱くなる。
だけど同時に、彼女の視線がまた颯真に向けられるのを、俺は見逃さなかった。
帰り道の分かれ道。
澪が手を振って去っていく背中を、俺と颯真は並んで見送った。
「……澪ちゃん、いい子だよな」
「……ああ」
「なあ悠真」
颯真が真剣な顔で俺を見る。
「俺、綾瀬さんのこと……ちょっと気になるかも」
その一言で、心臓が凍りついた。
足元がぐらりと揺れるような感覚。
「……そっか」
それだけ言うのが精一杯だった。
笑顔を作ろうとしたが、うまくいかなかった。
唇の端が震えて、情けない顔になっていたかもしれない。
(やっぱり、そうなるよな……)
俺の片思いは、最初から報われない。
でも――それでも、彼女を好きでいることをやめられなかった。
その夜、机に向かってノートを開いたけれど、何も書けなかった。
頭に浮かぶのは澪の笑顔と、颯真の言葉ばかり。
(愛を捨てる……って、どういうことなんだろう)
もし、この気持ちを捨てることができたら。
俺はもっと楽になれるのだろうか。
でも――それは、俺にはできそうになかった。
窓の外を見上げると、星が滲んでいた。
あの光の中に、澪の秘密が潜んでいることなど、このときの俺はまだ知る由もなかった。