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散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


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藤堂平助 7

             *




 紺色の道着の袖口で額の汗を拭う。


 私は毎日の剣術の稽古を欠かさない。


 御陵衛士で鍛錬に付き合ってくれるのは、二人だけだ。


 服部武雄(はっとり たけお)


 毛内有之助(もうない ありのすけ)


 二人は屯所内でエゲレス語を学んでいて、今日の稽古に付き合ってもらえない。


 御陵衛士の屯所である月真院の表で木刀を振るうが、人の姿はない。


 宙を木刀で切っていると視線を感じ、門前に目を向ける。


 一人の小さい子がこちらを見ていた。


「おーい。どうしたのー? なにか用?」


 声をかけてから小走りで近づいていく。


 小豆色の着物には馴染みがあった。その顔もよく知っている。


 屯所に豆腐を売りに来る、六歳になる女の子のサヨちゃんだ。


「どうしたの、サヨちゃん。

あっ! もしかして、遊びに来たの? いいよー、遊ぼう!

なにやる? お手玉? 手毬?

負けないからねー! かかってこーい!」


 私の勢いとは対照的に、もじもじと手を弄るサヨちゃんの視線は定まっていない。


「どうしたの? なにか困りごと?

私にできることがあれば、遠慮なく言ってね」


 サヨちゃんは答えず、瞳が泳いでから俯く。


 次に私と目が合ったときには、涙を浮かべていた。


 そして、震える声を出す。


「お、お文……とどきましたん?」


「文? えっと……誰にかな?」


「平助おねえちゃん」


「私に? ううん、届いてないよ」


 そう返すと、サヨちゃんの目から涙が流れた。


 私は袴を手で捌いて、彼女の前にかがむ。


「大丈夫だよー、なにがあったか話してみて。

もしね、誰かがサヨちゃんに悪いことをしているなら、私が倒してあげるから。

ね、大丈夫だよ。話してみて」


 手で涙を拭うサヨちゃんは涙声で話してくれた。


「あんな、あんな、総司おねえちゃんから……お文……わたしてな、て言われてん。

平助おねえちゃんに……わたしてほしい……て。

新選組んとこに、お豆腐をうりに行ったときにな、たのまはってん」


「総司ちゃんから、私に……」


「そんでな、そんでな……。

ここに来たらな、こわいおばちゃんにお文をとられてしもてん……。

平助おねえちゃんに、わたしとくさかいて」


 怖いおばちゃん……御陵衛士に所属する一人の顔が頭に浮かぶ。


 傍若無人な振る舞い。他者を気にかけぬ者。嘲笑うことが日常。


 いつも大声で笑う女性だ。


「サヨちゃん、泣かなくて大丈夫だよ」


「あんな……総司おねえちゃんには、平助おねえちゃんに、わたしてな、て言われてん。

ほかの人には、わたさんといてな、そう言わはってん。

ちゃんと……わたす、て……総司おねえちゃんと約束したのに」


 サヨちゃんは小さい肩を震わせ、泣き声が大きくなる。


「お文、わたせへんくて……かんにんな、かんにんな」


 彼女の黒髪と背中を優しく撫でていると、嗚咽は少しずつ緩やかになっていく。


「大丈夫だよー、泣かないで。怒ってないよー」


「あんな、あんな……総司おねえちゃんからな、お駄賃もろうてん。

総司おねえちゃん、三両もくれはってん。うち……こばん、はじめて見た」


「新選組は給金がいいからねー」


「あんな、三両もあったらな、お母ちゃんのお薬……ぎょうさん、かえる思ててん」


「サヨちゃんの母上は、お身体が優れないの?」


「うん……ちかごろな、寝てることがおおくなってん。でも……もう……かわれへん」


 その言葉に嫌な予想が生まれる。あの人であれば、やりかねない。


「もしかして、その怖いおばちゃんに……三両取られたの?」


 サヨちゃんは、こくりと頷いた。純粋な黒い瞳は真っ直ぐに私を見る。


「お駄賃もろうたんか、て聞かれてな。うち、怖うて、怖うて……。

もろうた、言うたらな……ぜんぶ出せ、て言われてん。ほんで……とられてしもてん」


 下品な笑い声で、相手から物を奪う女性の姿が目に浮かぶ。

私は彼女に因縁をつけられて喧嘩することもある。

相手が年長者であるから、表向きは敬っているふりをする。

けれど、腹の底ではいつか殴ってやろうと思っていた。


「サヨちゃん、少し待ってて」


 そう告げて、私は屯所の自室に戻った。


 買ったばかりの若草色の巾着袋を手にする。

中身を確認すると、およそ五十文ほどあって、一分銀が一枚だけ光った。


 自室を出る前に文机の上や箪笥の上などを見てみても、文は置かれていない。


 総司ちゃんからの……文か。


 私は駆け足でサヨちゃんの元に戻った。


 彼女の前にかがみ、涙が滲む目尻を指先で拭ってあげる。


「はい、どうぞ」


「え?」


 若草色の巾着袋をサヨちゃんの小さな手に握らせる。


「これは私からの駄賃だよ。これでサヨちゃんの母上に薬を買ってあげて。

残った小銭で好きなお団子や甘い物を買ってね。

この巾着袋はサヨちゃんが使っていいから」


 サヨちゃんの黒髪は左右に揺れた。


「あかん。うちな、お文をわたせてへんもん。

総司おねえちゃんと約束したのに……守られへんかったもん。

やから……もらわれへん、もらわれへん」


 小さい身体でも己の義を通す、立派な女の子だ。


 私の身体から力が抜け、笑みがこぼれてしまう。


「届いたよ……!」


「え? 怖いおばちゃんから、お文わたされたん?」


「うん、届いているよ!

さっき戻ったときに見てみたら、文机の上に置いてあったの!

ごめんね、心配させちゃって!」


「ほんまに? お文……わたされたん?」


「うん! 総司ちゃんからの文はちゃんと届いてるよ!

これは私からの感謝の気持ち。がんばって文を届けてくれた駄賃だよ!」


「もろうて……ええの?」


「もちろん! 大切な文を届けてくれてありがと!」


 黒髪を撫でると、サヨちゃんの顔は明るくなった。


 その笑顔につられて、私の心も軽くなる。


「あ、サヨちゃん。もし、父上に金子を返してこいって言われたら、こう言って。

新選組の八番組長である藤堂…………えへ、今のは……間違い。

御陵衛士の藤堂平助が、金子を返すことは許さないって言っていたと伝えて」


 こくこくと頷く彼女は、大きい円を描くように両の手を広げて、顔を綻ばせた。


「あんな、総司おねえちゃんも平助おねえちゃんもおんなじやねん」


「え……同じ? なにが?」


「二人ともな、お母ちゃんにお薬こうてあげて、て。

そんでな、そんでな、返すことは許さへん、て。

二人ともおんなじこと言うてはってん」


「そっか……」


「あんな、おじゃみで遊ばへん?」


 サヨちゃんは懐から小さいお手玉を二個取り出した。

朱色の布に白い花が多く咲いている。

それを空中に向かって投げては回し、投げては回しを繰り返す。


 そして、互いにお手玉を送り合う。


「ええ音やろ? お母ちゃんがな、なんかあったときに中の小豆を食べや、て。

いっぱいな、いーっぱい、小豆を入れてくれてん」


「そうなんだー、優しい母上だね」


「これ、ひとつあげる」


 可愛い手に握られるお手玉は、私の手のひらに乗せられた。


「受け取れないよ。大切な物でしょ?」


「これな、うちからのお礼やねん。

平助おねえちゃんが、お駄賃くれはったから、お母ちゃんのお薬こうてあげられる」


「でも……」


「平助おねえちゃん、たたかったりすることもあるんやろ?

お父ちゃんが言うとった。いくさすることもあるて。お腹がすいたら、たべてな」


「うん……じゃあ、貰うね。ありがと!」


 サヨちゃんの頬は寒さのせいか赤らんでいる。


 それを見て思い出した。


 私は彼女に待つように言って、屯所内の台所に入り、素早く準備する。

幸いにも夕げの支度をしている者たちがいたから、火を起こす必要はなかった。


 門前に戻ると、そこに見えるのは小豆色の着物を纏う小さい身体だ。


 サヨちゃんは背を丸めて、屯所内の地面を小枝で引っ掻いて絵を描いていた。


「サーヨちゃん!」


 手に持つ小枝を地面に刺したまま、彼女は目を丸くした。


 私の手には湯気の立つ、二つの湯呑みがある。


「ごめんね、遅くなって。はい、どうぞ」


 一つの湯呑みを彼女に向ける。


「もろうて、ええの?」


「うん、温まるよ!」


 私はサヨちゃんの手に湯呑みを握らせた。


「おおきに! これ……あまざけ?」


「うん! 私の友が少し前にくれたの。

冬に飲む甘酒もいいもんだよ。温めてさ。

ゆっくり冷ましながら飲んでね、火傷しちゃうから」


 数日前、ミナトくんとクオンが甘酒を届けてくれた。

私は出かけていて会えなかったけれど。

二人は菓子を作れば、届けてくれることもある。


 新選組にいたときのように、みんなで菓子作りをすることはなくなった。

けれど、いつでも気にかけてくれる二人の優しさは心に染み渡る。


――話したかった……な。


 ふう、ふう、と息を吹きかけて、甘酒を冷ますサヨちゃんは口を小さくして啜る。


 彼女の顔は一気に緩んだ。


「わ、わあ……」


「おいしいでしょ?」


「うん! あまい……お砂糖なめてるみたいや!」


「それを作った人が言うには特製なんだって。

なんかね……お米を選んで、一番おいしくなるように混ぜたって。

私にはよくわからないんだけどね!」


 クオンは甘酒を渡した武雄さんに熱く語っていたらしい。


「すごい人なんやねえ」


「うん! でもさー、お米の声に耳を傾けます、って言ってたみたいだよ。

意味わからないよね。変だから、その人」


 二人で階(きざはし)に移動する。

腰を下ろして、とろりとした甘酒を啜っていく。


「平助おねえちゃんは、いまのおしごとが好きなん?」


 問いかけてくる瞳は純粋だ。


 小さい手に握られた湯呑みからは、白い湯気が微かに上がる。


「好き……か。うーん、私は今の私がやるべきことだと信じてるよ。

それに……なんであろうと、己が選んだ道に責任を持つべきだと思うから」


「ようわからへん」


「へへ、わからないかー。もう少し大きくなったらわかるかも!」


「大きゅうなったら?

あんなー、うちな、大きゅうなったらな、きれーなお嫁さんになりたいねん」


「お嫁さんかー、いいねー」


「平助おねえちゃんは、お嫁にいかはらんの?」


 私は甘酒を一口飲む。鼻から息を短く抜いて、門前を見つめる。


「うーん。私は武士だから……婿を取ることになるの。お嫁に行くことはないかな」


「ええ人おらへんの?」


「うーん。慕う人はいるけど……簡単にはいかないかな。

サヨちゃんは立派なお嫁さんになれるよ」


「うちな、お母ちゃんみたいに優しゅう人になりたいねん。

でな、料理のじょうずなお嫁さんになりたいねん」


「なれるよ、きっとなれる。その頃には世の中も明るくなっていると思う。

私たちが良くしてみせるからね」


「うん! あんな、うちのしゅうげんに平助おねえちゃん、きてくれはる?」


 その言葉は弓矢のようで、骨を避けて胸の奥に刺さった。

私は笑っている。けれど、重い鏃(やじり)は心の中で抉るように暴れた。


 命のやり取りは京に来てから、ずっと続いている。


 死にかけたこともあった。

明日を迎えられるだろうか。昨日を振り返れるだろうか。

そのように考えることもあった。

恐れはないけれど、悔やむことはあるかもしれない。


 この先に命を紡いでくれる、丸い瞳のサヨちゃんに返す。


「祝言ね! もちろん、行くよ! たくさん金子を包むからね!

総司ちゃんも、いっぱい包んでくれるよ!

クオンとミナトくんっていう人たちも連れて行くからね!」


 サヨちゃんは甘酒を啜った後に、小さく首を傾げた。


「うち知ってんねん、ミナトおにいちゃんとクオンおねえちゃん。

まえに豆腐をこうてくれて、今もこうてくれる。

そんでな、クオンおねえちゃんが豆腐の作り方をお父ちゃんから教わっとった。

でな、お父ちゃんとクオンおねえちゃんがケンカしとった」


――クオンらしい……な。


「じゃあ、みんなで行くからね!」


「そんな、いっぱいきてくれはるん?」


「うん!」


「じゃあ、指切り!」


「うん! サヨちゃんの祝言に出たい! 約束ね!」


 サヨちゃんの柔らかい小指。私の硬い小指。


 二本をそっと絡ませる。


 私が口にする約束は脆い。残酷な嘘に変わるかもしれない。


 それでも私はサヨちゃんに言ってしまった。


 先のことを言葉に示すことで、私の想いを無意識に託したのだろうか。


 忘れないでね、と。


 空は茜色だ。夕日が私たちをぼうっと照らし、石畳の上を美しく通っている。


「また遊ぼうね、サヨちゃん!」


「うん! おおきに、平助おねえちゃん!」


 走っては振り返り、走っては振り返り、走っては振り返る。


 サヨちゃんの笑顔は、角を曲がるまで消えることはなかった。




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