第35話:赤い空の下で
星の代わりに、無数の光が夜空を横切っていた。
鳥ではない。
虫でもない。
規則正しく、一定の速度で、時折ぴたりと止まり、角度を変えてまた滑るように動き出す。あれを俺の知っている言葉で呼ぶなら、たぶんドローンだ。けれど俺の知っているドローンよりずっと静かで、ずっと気味が悪かった。
赤黒く濁った夜空。
遠い地平線のあたりだけ、薄く紫が滲んでいる。
そこに、二つの月が浮かんでいた。
一つは白く。
もう一つは、欠けた青色で。
俺たちは、その二つの月に照らされた砂の上で立ち尽くしていた。
足元の砂は乾いている。踏むたびに細かく沈み、靴の裏へざらついた感触を返してくる。ただの砂じゃない。ところどころに、砕けたガラスみたいな粒や、錆びた金属片のようなものが混じっていた。
風が吹く。
砂だけじゃなく、細かい金属粉まで舞って、頬をかすめた。
冷たい。
けれど空気は乾いていて、喉の奥だけが焼けるように痛い。
視線の先には、未来都市の廃墟みたいな建物が並んでいた。
半分崩れた塔。
斜めに傾いた高層建築。
外壁からむき出しになった管。
割れた窓の奥で、まだ消えずに瞬いている灯り。
そこに、人の気配はない。
誰もいない。
なのに、電気は点いている。
何かが動いている。
まるで、人間だけが抜き取られた世界に来てしまったみたいだった。
いや。
みたい、じゃないのかもしれない。
俺たちは、そこへ向かって歩き出した。
とりあえず、隠れられる場所が必要だった。
風を避けられて、休めて、できれば水か食料がある場所。
欲を言えば、ここがどこなのか分かる場所。
欲を言わなくても、それくらいは必要だった。必要というのは、つまり、ないと困るという意味だ。ないと困るものが多すぎる時、人間はたいてい何から困ればいいのか分からなくなる。
今の俺が、まさにそれだった。
けれど、四人全員がまともに歩ける状態じゃない。
ネリュアが【時・緑詠環】を使った代償で、体力をほとんど使い切っていた。
彼女は平気な顔をしようとしていた。
けれど、その顔色は砂の白さよりも悪い。
唇の色も薄い。
背筋だけはいつもみたいに静かに伸ばしていたが、それが逆に痛々しかった。
俺はネリュアの前で膝を折る。
愛斗「……ごめん。乗ってくれ」
ネリュアは一瞬、目を丸くした。
それから、困ったように笑う。
ネリュア「妾は、大事ない」
愛斗「大事ない奴は、そんな顔で立ってない」
ネリュア「……お主は、時折ずるいのぉ」
そう言ってから、ネリュアは小さく息を吐いた。
そして俺の背に、そっと身体を預けてくる。
細い腕が、俺の肩に回った。
軽い。
あまりにも軽い。
いや、それだけじゃない。
ネリュアの身体は、まるで熱を失ったみたいに冷たかった。
森の精霊。
悠久を生きる存在。
そんな言葉とは裏腹に、今の彼女は俺が支えなければ砂の上へ崩れてしまいそうで。
その冷たさが、背中越しに妙に現実的だった。
瑠香が、横からそれを見ていた。
何か言いたそうに口を開いて、けれど何も言わずに閉じる。
その表情は、怒っているようにも、心配しているようにも、拗ねているようにも見えた。
全部が少しずつ混ざった顔。
昔から知っている顔なのに、最近の俺は、その意味をすぐに読み切れない。
それが少しだけ、胸の奥に引っかかる。
瑠香「……落とさないでよ」
愛斗「落とす前提で言うな」
瑠香「愛斗、たまに無茶するから」
愛斗「たまにで済んでるなら優秀だろ」
瑠香「そこ、誇るところじゃないから」
そう言いながらも、瑠香はネリュアの足元に絡んでいた布を直した。
強い口調のわりに、手つきはやけに丁寧だった。
アズは少し前で、小剣を胸に抱えるように持っている。
彼女は、この砂漠が嫌いみたいだった。
砂を踏むたびに小さく眉をひそめ、時々鼻を鳴らす。金属と油と乾いた土が混ざった匂いが、彼女の細い神経に引っかかっているのかもしれない。
アズ「……へんな、砂」
愛斗「分かるのか?」
アズ「……うん。砂じゃないのも、混ざってる」
アズはそう言って、足元を見た。
月明かりを受けて、砂の中の破片が鈍く光っている。
まるで星が地面に落ちて、踏み砕かれたみたいだった。
俺たちはマントで口元を覆い、砂と金属片をなるべく吸い込まないようにしながら進んだ。
遠くの廃墟を目指して。
アズが少し前を歩く。
瑠香は俺の横にいる。
ネリュアは俺の背中で、時折浅く息をしていた。
そのたびに、彼女の腕に少しだけ力がこもる。
ちゃんと生きている。
それを確かめるだけで、俺は何度も背中へ意識を向けた。
しばらく歩いたところで、アズが振り向いた。
アズ「……愛斗、大丈夫?」
愛斗「ああ。大丈夫だ」
アズ「……重く、ない?」
愛斗「ネリュアが聞いたら怒るぞ」
ネリュア「妾は怒らぬ。少しだけ根に持つだけじゃ」
愛斗「それ怒るより怖いんだけど」
瑠香「ていうか、ネリュアさん、そこは否定しようよ」
ネリュア「否定する力も惜しいのじゃ」
軽口を交わせる。
それだけで、少しだけ安心する。
アズは俺とネリュアを見て、何か言いたそうに目を伏せた。
そして、小さく口を開く。
アズ「わたしも、疲れたら……」
そこまで言って、やめた。
彼女は自分を抱えるみたいに、小剣を握り直す。
その刃に、赤い空と青い月が細く映った。
俺は言った。
愛斗「心配すんな」
アズ「……うん」
愛斗「疲れたら言え。黙って倒れられる方が困る」
アズは少しだけ迷ってから、こくりと頷いた。
アズ「……わかった」
彼女はこの砂漠を嫌がっている。
怖がっている。
けれど、ちゃんと自分で考え、自分で歩こうとしている。
それは強さだ。
誰かの後ろに隠れることしかできなかった少女が、自分の足で知らない世界を歩いている。
そう思うと、こんな場所でも、少しだけ嬉しかった。




