第21話:姫殿下という檻
お昼を終えたあと、ようやく一人になれた。
休んでいていい、と言われたけれど、そんな気にはなれない。愛斗たちがどうなっているのか分からないのに、自分だけ柔らかい椅子へ座っていられるほど、私は器用じゃなかった。
私は部屋を出た。
当然みたいに、衛兵がついてくる。
何かを咎めるわけじゃない。ただ一定の距離を保って後ろを歩いてくる。それが余計に嫌だった。
でも、逆に言えば、近づいてきてくれるなら聞けることもある。
私は歩きながら、後ろの衛兵へ声をかけた。
瑠香「……ねえ」
衛兵が一歩前へ出る。
衛兵「何なりと」
瑠香「昨夜、私を連れ出した者たちは……どうなるの?」
衛兵はすぐには答えなかった。
たぶん、答えていいことか迷っているのだろう。その沈黙だけで、余計に嫌な予感が膨らんでいく。
やがて、彼は低く口を開いた。
衛兵「現時点では、監禁中でございます」
胸の奥がすっと冷えた。
やっぱり、牢へ入れたままなんだ。
もっと聞こうとした、その時だった。
低い声が廊下へ落ちる。
レオヴァルト「姫殿下」
振り向く。
そこに立っていた男を見た瞬間、空気の温度が少し下がった気がした。
深い赤の鎧。重たそうなのに、立ち姿には一切の鈍さがない。肩まで伸びた黒髪。鋭く細い目。腰には大剣を下げているのに、それすら飾りみたいに見えるほど、本人の方がよほど隙がなかった。
衛兵たちが一斉に頭を下げる。
衛兵「騎士団長」
私は思わず一歩だけ後ろへ下がっていた。
男はそのまま私の前まで来ると、きっちりと礼をした。
レオヴァルト「昨夜のご無事、何よりでございます」
敬意の形は完璧だった。
なのに、そこに温度がなかった。
瑠香「……あなたは?」
レオヴァルト「レオヴァルト・ゼルノクタ。王都騎士団を預かっております」
声は静かだ。だが、その静けさが逆に怖い。
この人はたぶん、私を姫として扱っている。
でも同時に、私個人には何の興味もない。
レオヴァルト「姫殿下がお気に掛けておられるなら、昨夜の件も、私が引き受けましょう」
瑠香「……昨夜の件?」
レオヴァルト「姫殿下を城外へ連れ出した者たちの尋問でございます」
胸の奥がざわついた。
その言い方では、まるで私が当然それを気にするはずだと知っているみたいだ。
レオヴァルトは、私の反応を見ていた。
見透かすようにじゃない。もっと厄介だ。決められた履歴と照らし合わせて、私が今どう振る舞うべきかを確かめるような目だった。
レオヴァルト「ご不安はもっともです。ですが、姫殿下が案じる必要はございません」
瑠香「……案じる必要がないって、どういう意味」
レオヴァルト「姫殿下の秩序は、こちらが守ります」
秩序。
その言葉に、背筋が冷たくなる。
この人は私を守ると言っている。
でも守ろうとしているのは、私の気持ちじゃない。私という存在に貼りついた“姫”の方だ。
レオヴァルト「どうか、姫殿下は姫殿下のままで」
その一言で、私は急に息苦しくなった。
この人は分かっている。
私が“昨夜までの私”とは少し違うことを、たぶんもう感じ取っている。
それでも排除しない。問いただしもしない。ただ、姫としての役へ押し戻そうとしてくる。
その方が、よほど怖かった。
私は首を振った。
瑠香「……いい。もういい」
それだけ言って、歩き出す。
レオヴァルトは追ってこなかった。
追わなくても、私がどこにも逃げられないと知っているみたいに。
そのあとも、何人かの貴族へ会わされた。
みんな私へ敬意を払う。けれど、その敬意はどこか遠い。壊れやすいものへ触れるみたいに丁寧で、だからこそ壁があった。
その中には、担任の先生によく似た男もいたし、近所のおばさんによく似た女性もいた。
でも、誰一人として“私のこと”は知らない。
私の名前は知っている。私の立場も知っている。けれど、星乃 瑠香としての私には、誰も触れない。
そこで、ようやく分かってきた。
この世界には、この世界の瑠香の履歴がある。
私には、私の履歴がある。
どちらかが偽物なんじゃない。
二つの“正しい”が、一人の人間へ無理やり重ねられているんだ。
だから苦しい。
だから、何もかもが少しずつずれて見える。
夜になって、私はまた部屋へ戻された。
母さんと父さんは、昨日と同じように優しい顔をしていた。優しいのに、その優しさがどこか遠い。
私は「もう休む」とだけ言って、二人より先に部屋の奥へ引っ込んだ。
扉が閉まる音を待ってから、飾り棚へ近づく。
昨日見つけた隠し板をそっと開く。
その奥には、細い穴みたいな空間があった。旧自室の押し入れの名残みたいな狭さ。家の構造だけがかろうじて残った細道。薄い埃の匂い。城の部屋より、こっちの方がよほど知っている場所の空気だった。
私はその中へ身を滑り込ませた。
膝を抱えて座ると、ようやく少しだけ息ができた。
ここなら、まだ“私”でいられる気がする。
目の前には、古びた箱が置いてあった。
昔の私がここへ隠したものなんだろうか。それとも、この世界の“瑠香”が使っていたものなんだろうか。どっちなのかは分からない。
けれど、どちらにしても、今の私に必要なものがある気がした。
私は小さく息を吐く。
このままじゃだめだ。
今日一日で分かった。待っているだけじゃ、愛斗たちは助からない。誰かが“姫”として私を守ってくれるのを待っていたら、そのあいだに全部決められてしまう。
私は箱へ手を置いたまま、呟いた。
瑠香「……絶対、助けるから」
誰に聞かせるでもない声だった。
でも、それだけははっきりしていた。
私はもう一度、隠し板を閉じて部屋へ戻った。
その夜は、ろくに眠れなかった。
朝になると、私は女官たちが来るより先に目を覚ました。
昨日より頭が冴えている。
怖さが消えたわけじゃない。でも、怖いまま動くしかないと、ようやく腹が決まっていた。
私は隠し板を開け、昨夜の箱を改めて確かめた。
中には古い紙切れや、昔使っていた小物がいくつか入っている。その中で、一つだけ妙に異質な鍵があった。少し錆びているのに、形だけは妙に精巧だ。いかにも城の鍵、という感じではない。もっと細い場所、もっと古い仕組みを開けるためのものに見えた。
私はそれをそっとポケットへ隠した。
それから、昨日と同じように“姫”の一日が始まる。
身支度を整えられ、廊下を歩かされ、視線を集める。
でも今日は違う。ただ連れ回されているだけじゃない。私はちゃんと見ていた。
衛兵の交代時間。
人通りの少なくなる時間帯。
どの廊下がどの区画へ繋がっているのか。
どの角で、監視の目が薄くなるのか。
城の構造そのものは、知っているはずの自宅とどこか似ていた。だからこそ、表向きの通路じゃなく、元の家の骨組みが残っている場所があるはずだった。
地下は、たぶんその先にある。
昼過ぎ、ようやく一人になれた隙を見て、私は部屋へ戻った。
隠し板を開け、狭い通路へ身を滑らせる。
這うように進むたび、服の裾が引っかかった。こんなドレスで動けるわけがない。私は舌打ちしたい気分をこらえながら、裾をたくし上げる。
暗い。
狭い。
でも、その不便さが逆に安心だった。
城の中より、こっちの方がまだ信用できる。
しばらく進んだところで、私は足を止めた。
向こう側から、人の気配がした。
私の呼吸じゃない。衣擦れでもない。低い声。硬い靴音。金属がかすかに触れ合う音。
壁へ耳を当てる。
すると、くぐもった声が微かに届いた。
衛兵「牢番、交代だ」
別の衛兵「異常なし」
喉が鳴る。
ここだ。
地下牢の近くだ。




