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ただの高校生だった俺は、異世界召喚で空間を斬る最強になったのに、帰ってみたら幼馴染が王家の姫になっていた  作者: NOVENG MUSiQ


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第12話:檻の中の翡翠

 青髪の少女の呟きは、床に落ちた水滴みたいに暗闇へ広がった。


 青髪の少女「……来た」


 その一言と同時に、広間の隅に溜まっていた影が、ゆっくりと濃くなった。


 ただの影じゃない。闇そのものが固まり、人の形を真似るみたいに立ち上がっていく。不自然に節くれだった腕。首のあるべき場所に、首らしきものが曖昧に浮かんでいるだけの輪郭。生き物の形をしているのに、生きている感じが一切しない。


 ネリュアが、鋭く息を呑んだ。


 ネリュア「……朱鱗戍(しゅりんじゅ)じゃ!」


 その警告が終わるより早く、闇の片腕が伸びた。


 狙いは、青髪の少女だった。


 少女は怯えた顔のまま、反射みたいに身をひねる。伸びてきた腕を紙一重でかわし、その勢いのまま小剣を振り下ろした。


 硬い音が地下へ響く。


 刃は、確かに影の腕を断っていた。


 けれど、血は飛ばない。悲鳴もない。斬れた断面は黒い煙になって揺らぎ、そのまま新しい腕として伸び直していく。まるで切断そのものが、再生のきっかけでしかないみたいだった。


 愛斗「……っ」


 理屈で考えるより先に、身体が動いていた。


 愛斗「ネリュア、姫を!」


 言いながら、俺は前へ踏み出す。


 地面を蹴った感触が、途中でふっと消えた。身体が一瞬だけ軽くなり、視界の位置が滑る。跳ぶというより、空間そのものが一歩ぶんだけずれたみたいだった。


 俺は朱鱗戍の背後へ回り込んでいた。


 ネリュアの詠唱が、背中で低く始まる。彼女はすでに囚われた姫の足元の光の輪へ向かって、祈りの言葉を紡いでいた。


 俺は振り返る勢いのまま、右手を前へ突き出した。


 腕の奥で、あの感覚が裂ける。


 愛斗「【光断(レイディアント・)一閃(セヴァー)】!」


 白い光が、剣よりも先に空間を走った。


 光の刃は朱鱗戍の胴を斜めに貫き、その輪郭を大きく抉る。影はひしゃげたみたいに揺れ、不気味な震え声を漏らした。だが、倒れない。砕けた闇の肉片は床へ散り、その一つ一つがまた細い影となって蠢き始める。


 増えている。


 斬ったはずなのに、数が増えていく。


 そのとき、青髪の少女がまた動いた。


 全身はまだ震えていた。膝も、肩も、手首も、小さく細かく震えている。なのに、その剣筋だけが異様なほど正確だった。


 彼女は床へ這い出した黒い影の核を見抜いていた。


 踏み込みは浅い。けれど無駄がない。最短の軌道で刃が走り、再生を始めた闇の中心だけを切り裂いていく。まるで、どこを斬れば止まるのかを最初から知っているみたいだった。


 俺は思わず声を漏らした。


 愛斗「お前、その剣……」


 少女は答えない。ただ震えながら、目の前の闇だけを見ている。


 青髪の少女「……まだ、いる」


 その声が広間に落ちた瞬間、空気が変わった。


 床に散っていた影が、一斉に動きを止める。再生しかけていた闇が、まるで自分より上位の何かの気配を感じた獣みたいに小さく震えた。


 広間の最奥。


 暗闇が最も深く溜まった場所から、低い軋みが響く。


 石が擦れる音でもない。金属が歪む音でもない。もっと生理的に嫌な音だった。世界の綻びそのものが、何かを押し広げているような軋み。


 その音とともに、一つの人影が押し出されるみたいに現れた。


 愛斗「……くそっ!」


 俺は再び光を放つ。


 さっきと同じように腕の奥の熱を引き出し、闇の中心へ叩き込む。けれど、手応えが違った。光は確かに当たったのに、影は深く削れない。ただ表面を揺らがせただけで、すぐに形を取り戻していく。


 先ほどの朱鱗戍とは、濃さが違う。


 目の前の影は、闇というより“闇を生み出すもの”そのものみたいだった。


 背後で、青髪の少女が剣を構え直す。


 震えは止まっていない。それでも、逃げる気配はまったくなかった。怯えながら、その場に踏みとどまっている。むしろ俺の横へ出るように、ほんの半歩だけ前へ進んだ。


 同時に、ネリュアの焦った声が響く。


 ネリュア「まずい! 姫の足元の光が、やつに喰われておる!」


 俺は囚われた姫の方を見た。


 確かに、あの光の輪はただ拘束しているだけじゃない。姫から滲み出る力を吸い上げ、そのまま最奥の影へ流し込んでいるみたいだった。姫が生み出す光が、そのまま闇の餌になっている。


 その影が、ゆっくり腕を持ち上げる。


 それだけで広間全体の空気が重くなった。光が薄れ、影が濃くなる。見えない幕を一枚引いたみたいに、世界そのものの明るさが削がれていく。


 そして、声がした。


 モルケシア「無駄じゃ。貴様らの力は、この場では役に立たぬ」


 その声は、古い墓石を爪でなぞったみたいに乾いていた。なのに、妙に甘ったるい湿り気がある。耳から聞くというより、腐臭と一緒に頭の内側へ入り込んでくるような声だった。


 影の中に、顔らしきものが浮かぶ。


 女だった。


 崩れた輪郭のまま、歪んだ笑みだけがはっきりしている。


 モルケシア「我が名はモルケシア・ノルヴァデーヌ。先ほど貴様らが切り裂いた娘らは、妾の影法師よ」


 その視線が、囚われた姫へ向く。


 モルケシア「よくぞ耐えた、我が鏡よ。もう十分じゃ。お主の光は、妾のものとなる」


 次の瞬間、影の背後から無数の黒い触手が伸びた。


 一直線だった。


 空間を捻じ曲げながら、俺たちへ突き刺さってくる。速い。目で追うには速すぎる。避ける隙間すらないように見えた。


 そのとき、背中を光が撫でた。


 ネリュアの声が、凛と響く。


 ネリュア「妾と共に在れ、世界の理。彼方の葉音、此方の風声、すべては繋がりし(たまき)。【万物(マナ・)流転(フロー)】!」


 その詠唱と同時に、俺の意識が一瞬だけ拡張した。


 地下広間全体を、頭上から見下ろしているみたいだった。伸びてくる触手の軌道が、光の筋になって視界へ焼き付く。ただ見えるんじゃない。どこを通れば死ぬか、どこなら生きられるかが、身体ごと理解できる。


 愛斗「【暁光(ドーン・)翔歩(ステップ)】!」


 俺はその光の筋の隙間へ踏み込んだ。


 右の触手をかすめ、左の触手の下を潜り、床を這う一本を飛び越える。普通に動いたんじゃ到底間に合わない。けれど、その瞬間だけは身体の方が最短の答えを知っていた。


 触手が俺のいた場所を薙ぎ、石床へ深い溝を刻む。


 その衝撃で、ネリュアの身体が小さく揺れた。だが、俺が見ていたのは彼女じゃなかった。


 青髪の少女だ。


 愛斗「危ない! 逃げろ!」


 叫んだ。だが、少女は動かない。


 いや、動けないのかもしれなかった。剣を握った手は震え、顔色は土みたいに白い。それでも一歩も退かない。いや、退き方を忘れてしまったみたいに見えた。


 新しい触手が、まっすぐ彼女の肩を狙う。


 少女は目を閉じた。


 避けようともせず、ただ受け入れるみたいに。


 その無防備さの奥に、人に裏切られ続けた者だけが持つ諦めが透けて見えた気がした。


 考えるより先に、身体が滑った。


 俺は彼女の前へ飛び込む。


 床へ右手をつき、その反動で体を捻る。半ば倒れ込むような、【暁光翔歩】の変則的な使い方だった。光の軌跡が一瞬だけ走り、次の瞬間、俺の体は少女の真正面にあった。


 両腕を広げる。


 盾になろうと思ったわけじゃない。ただ、こいつだけは今ここで傷つけさせたくなかった。それだけだった。


 触手が、背中に突き刺さる。


 痛みは、なかった。


 その代わり、異様な冷たさが背骨に沿って胸の奥へ流れ込んでくる。骨のない指で内側を撫で回されるような、不快な感覚だった。


 そして、声が脳へ直接流れ込んできた。


『……無駄じゃ。お前のような人間が何をしても、誰も救えぬ』


『誰も信じるな。誰も、お前を信じぬ』


 俺の言葉じゃない。


 これは、誰かがかつて少女へ向けて吐いた言葉だ。


 裏切りと絶望が、そのまま呪いみたいに触手を伝って流れ込んでくる。


 俺は歯を食いしばり、背中の異物を力任せに弾いた。


 その瞬間、奇妙なことが起きた。


 触手が刺さった背中の布地と肌の境目から、ほのかな光が滲み出たのだ。ネリュアの光に似ている。だがもっと荒く、未完成で、それでも確かな拒絶の光だった。


 光に触れた部分から、触手が黒煙になって崩れていく。


 愛斗「……っ!」


 俺はよろめきながらも立ち上がった。


 青髪の少女は、まだ目を閉じたままだった。全身が細かく震えている。唇も白い。


 愛斗「……大丈夫か」


 返事はない。


 当然だった。いきなり現れた見知らぬ男を、そう簡単に信じられるはずがない。まして、この場所で生き延びてきた相手ならなおさらだ。


 俺は無理に近づかなかった。


 一歩だけ距離を取り、視線だけを広間の奥へ戻す。まずは姫を繋いでいる光の輪をどうにかしないと、この戦いは終わらない。


 ネリュア「妾の祈りが、輪に弾かれるのじゃ……!」


 その声へ重なるように、青髪の少女が動いた。


 震えは止まらない。けれど、その震えごと剣へ乗せるみたいに、彼女は床を蹴った。落ちていた小剣を拾い上げ、ほとんど無音で光の輪へ迫る。


 そして、一閃。


 それは乱暴な力任せの斬撃ではなかった。


 光の輪の中心、その構造そのものを知っている者だけが選べる一点を、寸分違わず切り抜いたみたいな一撃だった。刃先が輪へ触れた瞬間、水面に石を投げたみたいに波紋が広がる。


 見えない鎖が、軋んだ。


 愛斗「……おい、今の……!」


 俺は思わず声を漏らす。


 あの震えた体で、どうしてあんな斬撃が打てる。技だけを見れば、俺なんかよりよほど洗練されていた。無駄がなく、正確で、迷いがない。なのに、本人の体は今にも折れそうなくらい震えている。


 光の輪に、細い亀裂が走った。


 そこから漏れ出した光が、囚われた姫の顔を照らす。姫はかすかに顔を上げ、乾いた唇を動かした。


 姫「……ありがとう、ございます……」


 かすかな声だった。けれど、確かに届いた。


 ネリュア「……あの剣筋、不自然じゃ。あれほどの斬撃、並の修練では身につかぬ。なのに、あの震えは……」


 ネリュアが言い切るより早く、モルケシアが怒りに震えた。


 影の体表がざわつき、無数の黒い棘が生える。


 モルケシア「無駄な抵抗を……!」


 棘が一斉に射出された。


 速い。だが、今度は見えた。


 光の輪の亀裂から漏れる光が、棘の軌道を一瞬だけ浮かび上がらせる。時間が遅くなったみたいに、その線だけがはっきり見えた。


 ネリュアの祈りが、また背中を撫でる。


 俺はその光に従って動いた。


 愛斗「【暁光翔歩】!」


 棘のあいだをすり抜ける。横を抜け、沈み、跳ねる。青髪の少女の背後へ回り込み、彼女へ向かう一本へ【光断一閃】を放つ。光の刃が棘を真ん中から裂いた。


 同時に、少女もまた動いていた。


 彼女は残る棘を紙一重でかわし、そのまま最奥の影へ突っ込んでいく。震えているのに、剣だけが一筋の光みたいにぶれない。


 モルケシア「……くっ!」


 影が歪んだ。


 俺はそこへさらに踏み込み、渾身の一撃を叩き込む。


 愛斗「行くぞ……!」


 【光断一閃】の光が、影の中心を貫く。


 ほぼ同時に、青髪の少女の剣がその胸を裂いた。そこへネリュアの光が降り注ぎ、影全体を包み込む。


 モルケシア「ああ……ああ……」


 その声は、さっきまでの歪んだ声とは違っていた。


 苦鳴というより、どこか解放されたような響きだった。


 影が崩れる。


 闇は黒煙になって広間へ散り、やがて消えた。


 沈黙が戻る。


 濃密だった圧が消え、地下広間には石の冷たさと湿った泥の匂いだけが残った。光の輪の亀裂から零れる淡い光が、剥がれた壁や折れた長椅子をやわらかく照らしている。


 俺はまず、青髪の少女の方を見た。


 彼女は小剣を床へ突き立て、それを支えにして膝をついていた。戦いが終わったせいか、震えはむしろ強くなっている。息も荒い。翡翠色の瞳は床に落ちたままで、俺にもネリュアにも、姫にも向いていなかった。


 まるで自分の殻へ戻ろうとしているみたいだった。


 俺は無理に話しかけず、そっと上着を拾った。破れた布を払ってから、彼女の肩へ静かに掛ける。


 少女の体がぴくりと跳ねる。


 それでも、俺は何も言わなかった。敵じゃないこと、無理に触れないこと、それだけを態度で示したかった。


 愛斗「ネリュア。姫の方は」


 ネリュア「一命はとりとめておる。光の輪が弱まり、意識が戻り始めておるようじゃ」


 ネリュアが囚われていた姫の肩へ手を添える。姫はゆっくり顔を上げた。その瞳には、驚きと安堵が入り混じっていた。


 姫「……あなた方が、助けてくださったのですね」


 その声は細いが、さっきより確かな響きを持っていた。姫はネリュアに支えられながら立ち上がり、こちらへ深く頭を下げる。


 姫「わたくしは、アメリア・ドリュアス。この地方を治める王の第一姫です。モルケシアという妖術師に囚われ、わたくしの姿を写した影を作られておりました……」


 そこまで言って、彼女は息を整える。


 アメリア「……お礼を申し上げます。あなた方は、いったい……」


 俺が答えようとした、そのときだった。


 背後の空間が、かすかに揺れた。


 教会地下に満ちていた不気味な“ずれ”とは違う。もっと穏やかで、それでいて強い波動だった。風が通ったような感覚。どこか、懐かしさすらある。


 愛斗「……なんだ、この感じ」


 ネリュアが顔を上げる。警戒がその目に戻る。


 青髪の少女も、はっとしたように剣を握り直した。震えはまだ止まっていないのに、その視線だけは鋭く入り口へ向く。アメリア姫は俺の後ろへ隠れるように一歩下がった。


 俺もまた、広間の入り口へ意識を向ける。


 風が吹いた。


 ただの風だった。なのに、地下の腐臭を押しのけるように、青草と木漏れ日の匂いを運んできた。


 そして、その風に乗って――


 懐かしい声が、聞こえた。

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