第十二話 鱗木を食べる
華やかな香りが、湯気とともに立ち上る。
アリアにとっては、あくまで“そこそこ良い”レベルの紅茶だった。
だが、以前ケイにふるまったときには、
「こんな高級品、はじめて飲むよ。さすがお貴族さま」
などとからかわれた。世間的には、かなりの贅沢品に分類されるのかもしれない。
植民市育ちのリリィにとって、紅茶は映像の中でしか知らないものだった。
しかも聞けば、それはアニメの中の光景だったらしい。
彼女がカップを前に目を輝かせ、今にも魔法が起きるのを待つように身を乗り出しているのも、無理はなかった。
アリアが湯を注ぐと、カップに琥珀色の液体が満ち、甘く芳醇な香りがふわりと立ち上った。
その瞬間、リリィの瞳がぱっと見開かれる。
「わあ……!」
宝石でも覗き込むように、リリィは慎重にカップを両手で包み込み、そっと鼻を近づけた。
「すごい……。こんなに複雑で、深い香りがするなんて……」
恐る恐る一口含んだその瞬間、リリィの表情がぱっと華やいだ。
「これ、すごく華やか!口いっぱいにふわって広がる感じ……!
こんな飲み物、今まで知らなかった!」
アリアはその様子を微笑ましく見守りながら、自分もカップを手に取り、ひと息ついた。
「旅先のお茶会も、悪くないでしょ?」
冷えた空気の中、ふたりの間に湯気がゆっくりと立ち上る。
リリィはカップを大切そうに抱え、もう一口、そっと味わう。
目を閉じ、香りと温もりを身体いっぱいに染み込ませるように。
「……ほんと、不思議。
こんなに豊かな香りがするなんて、夢みたい。
私が知ってる飲み物とは、まったく違う……」
アリアは頷きながら、ふと肩の力を抜いた。
リリィがこれだけ嬉しそうにしてくれるなら、今日くらいは、収録のことを忘れてもいいかもしれない。
ただ、こうして一緒に過ごす時間を味わいたい、そんな気持ちが自然に湧いてきた。
リリィはカップを手に、ふわりと笑った。
「ねえ、こういう時間って……すごく贅沢だよね。
私、ずっとこういう“お茶会”に憧れてたの。」
アリアは思わず笑みを返しながら、ほんの少し胸が熱くなるのを感じた。
――夢見ていたものを、ほんのすこしでも形にできた。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「楽しんでもらえたなら、私も嬉しいよ。
……ね、たまには、こういうひとときもいいでしょう?」
「うん。……アリアって、やっぱり優しいな」
その言葉に、アリアはちょっと目を逸らした。
優しさなんて、そんなたいそうなものじゃない。
ただ、一緒に笑える時間を持ちたかっただけ。
ただ、それだけのことだった。
立ちのぼる湯気の向こうで、リリィの笑顔が少し揺れて見えた。
アリアはそっと願う。
――この時間が、もう少しだけ、続きますように。
湯気の立ち上るカップを両手に包みながら、アリアはふと静かに考え込んでいた。
──ケイのことだ。
あの子は、やっぱりどこか、こちら側とは違う世界にいる。
人付き合いが得意じゃない、とびきりの変わり者。
けれど、それがまたたまらなく魅力的だった。
誰かとつながることよりも、新しい植物を見つけたり、未知の景色に出会ったりすることに、あの子は全身全霊を傾ける。
火の玉のような情熱で、ただひたすらに世界を探索していく。
その姿は、見ていて飽きない。むしろ、目を離せない。
……でも。
これを、どう映像にまとめる?
私はきっと、ケイを"珍しい生き物"のように見てしまっている。
その不思議さも、ずれているところも、全部ひっくるめて、愛おしいと思っている。
でも、それをそのまま伝えるのは違う気がした。
これは私のための配信じゃない。惚気でもない。
石炭紀という、まだ誰もよく知らない世界を、少しでも遠くへ届けるための──
狼煙なのだ。
だから、ケイをなるべくありのままに。
見る人それぞれが、自分なりに感じ取れるように。
そんなふうに、私は撮りたい。
──そんなことを、リリィと他愛もない話をしながら考えていた。
リリィは、夢にまで見た"本物の紅茶"にすっかり舞い上がっていた。
「こういうときって、お茶菓子とか食べるのかしら?」
「ビスケットとマカロンしかないけど、あるわよ。」
私が小箱を開けると、リリィは目を丸くした。
きちんと焼き色のついたビスケット、ふんわりと色づいたマカロンたち──
それらは、リリィにとって絵や写真でしか知らない、憧れの世界だった。
「これが……本物のお茶菓子なのね!」
リリィは、そっとビスケットを手に取る。
指先で押すと、かすかにサクッと割れた。
一片を口に運んだ瞬間、リリィの目が見開かれる。
「甘っ!!」
驚きに満ちた声が、紅茶の香りの中に弾けた。
「これ……すごく香ばしいわね……!」
続いてマカロン。
小ぶりでカラフルなそれを見つめ、リリィは恐る恐るかじった。
たちまち、バニラとアーモンドの香りが口いっぱいに広がる。
「マカロン……こんなに甘いのね……」
リリィは呆然とつぶやき、そしてぽつりと言った。
「これが、本物のお茶菓子なんだ……!」
この惑星には、甘い菓子なんてほとんど存在しない。
携行食として、フリーズドライの干物をパリパリ食べる文化はあるが、味はしょっぱいか、少し酸っぱいくらい。
贅沢な甘みなど、想像すらできない世界だ。
「そっか……お茶会で出てくるお菓子って、こんなに甘かったんだ……」
私は興味津々で尋ねた。
「どういう味を想像してた?」
リリィは少し考えて、ちょっと照れくさそうに言った。
「……団子の、小さくておしゃれなやつ、みたいな……?」
思わず笑ってしまった。
「こっちの団子って、味ないもんね……」
リリィも笑い、でもすぐに真顔になった。
「……砂糖なんてまずないし、主食は精錬デンプン。甘みを引き出すのも、噛んで唾液で分解するしかないのよ。発酵学も発展してないし……甘みは、本当に、贅沢品なの。」
リリィが暮らしている世界では、それが当たり前だった。
団子は片栗粉を練っただけ。モチモチしているが味はない。
肉と、苦いシダ植物の葉を添えるだけの、素朴な食卓。
塩があれば上等。
そんな日々だ。
「味がないから、毎日食べられるのよね。でも、こんな美味しいものを知ってしまったら……」
リリィはそっと紅茶をすすり、目を閉じた。
「百聞は一見に如かず……じゃなくて、百聞は一口に如かず、ね。」
その顔は、どこか満ち足りたようだった。
まるで、別世界をほんの少しだけ、味わえたかのように。
少しの間が流れた。
紅茶の香りが、ゆるやかに空気を満たす。
リリィがふっと微笑み、言った。
「今日の撮影、ほんと楽しかったね。」
アリアも、カップをくるりと回しながら頷く。
「うん……でも、撮り終えたってだけで、問題が片付いたわけじゃないのよね。」
そのとき、ふいにリリィの目がきらりと輝いた。
「──ところでさ。ケイって、何歳なの?」
「えっ?」
「いや、その……見た目、どう見ても小学生男子じゃん?なのにあの知識量ってどういうこと?」
アリアは吹き出しそうになるのをこらえて、カップを置いた。
「大学で知り合ったのよ。」
「……えっ、大学!? 飛び級どころの話じゃないでしょ!?」
「3年だけよ。今は社会人3年目。」
リリィは固まった。目を瞬かせ、何度か頭を振る。
「えっ……社会人?ってことは……私より年上……!?」
「一応、ね。永遠の小学生みたいな存在だけど。」
「ちょ……すご。なにそれ、逆にめちゃくちゃキャラ立ってるじゃん!」
リリィは声を上げて笑い、指を立てて言った。
「むしろ、そのギャップ、全面に出してったほうが面白くない?」
アリアは少し考えて──笑った。
「……うん、考えてはいたの。でもね……」
動画の編集で悩んでいたのは、まさにそのあたりだった。
もともとアリアが思い描いていたのは、こうだ。
この道中の小さな町でも、語れることはちゃんとある。
町の全景を収め、ケイに動植物の解説をしてもらいながら散歩し、その過程で生命の進化についてまとめる──そんな素朴な動画を作るつもりだった。
それなら、ケイの「見た目と知識量のギャップ」という面白さも自然に伝わるし、何より、町の活性化にもつながるかもしれない。
そんな期待もあった。
けれど──私は、読み違えた。
アリアの脳裏に、今日の午前中の出来事がよみがえる。
私とリリィが町のロケ地を下見していた間に──
ケイは、町を一周しただけで構成を作り変え、テーマを定め、要点を抽出し、
さらに撮影ポイントまで精緻に割り出していた。
まるで、何かの生き物の痕跡を拾いながら、生態全体を復元してしまうように。
──私は、町を紹介したかった。ケイは、進化の物語を語りたかった。
両立できると思っていた。でも、ケイが描き出した構成にとって──町は不要だった。
「……蛇足になる気がするの。町のシーン、挟むと」
アリアの声はかすかに沈む。
どう編集すればいいのか。
どうしたら、無理なく町も生かせるのか。
頭の中でいくつも案を組み立てては、すぐに打ち消す。
不安が、胸の奥に、じわりと広がっていった。
「じゃあ、さ。子供たちと絡ませるってのは?」
リリィが言うと、アリアは腕を組んで黙り込む。
「ケイ、初対面の人とうまく話せるかな……」
「でもさ、1人でも生き物好きな子がいたら、きっと話せると思う。」
アリアは、ゆっくりと目を伏せた。
ケイが社会に適応できていること自体が、奇跡みたいなものだ。
職場では、対話を補助するアシストAIを常に使って、次に何を言うべきかを指示させているらしい。
けれど、この旅には持ってきていなかった。
「プライベートな時間くらい、自分のままでいたい」──ケイはそう言った。
その結果、旅先ではろくに人と話せなくなる。
前よりは、だいぶマシになったけれど。
……だって、白亜紀に行ったときなんて、私の名前すら覚えてなかったじゃない!
なんだよ、「ラプトルの人」って!「ラプトルの人的にはどんな感じ?」とか、完全に名前を憶えられている感じがしなかった。
旅を通じて名前を覚えてもらった、そこまでがあの旅の進捗だったように思う。
……くやしいけど、リリィが「飛行機の人」と呼ばれていないのは、ちょっとずるい。
一発で名前覚えられるなんて。やっぱ植物の名前だから?
アリアは内心で苦笑していた。
そんなだから「守ってやりたい」と思ってしまう。
多分ケイからすれば「なぜそこまでするの?」と残酷なほどに純朴に思われてしまうのだろうけれど。
これってどこまで行っても、平行線だよね…
するとリリィは、まるで思考を呼んだかのように、
「私たちがちょっとフォローに入れば、ぜんぜんなんとかなるって!」
という。不安を吹き飛ばすような、その笑顔に──アリアの胸も、少しだけ軽くなる。
リリィの自信に満ちた眼差しを受け止めて、アリアはふっと息を吐いた。
そして、少しだけ迷いながら、言葉を選んだ。
「私たちがちょっとサポートすれば、絶対うまくいくって!」
リリィの声に、アリアはようやく微笑んだ。
「……そうね。私が横にいれば、ケイも安心できるかも。」
「でしょ? なら、明日も楽しみね!」
アリアも、肩の力を抜いてうなずいた。
──リリィの無邪気さに救われる時が、ある。
でも。
「……楽観は、しない方がいいかもしれないわ。」
「え?」
「ケイは……予測できないの。良くも悪くも、私たちの想定を突き抜ける。」
そう。それが彼女の魅力であり、恐ろしさでもある。
「明日の飛行機、昼過ぎだったわよね?」
「ええ。しかも、乗客は10人もいないし──」
リリィは片目をつむってウインクした。
「だったら、ちょっとくらい遅れても、大丈夫。ね?」
そのときだった。
外から、子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
しかも、その声はどんどん近づいてくる。
やがて──
宿の扉が勢いよく開いた。
「ケイお兄ちゃん、すっげー!」「なんでも知ってるんだよ!」
まるで洪水のように、子供たちが押し寄せてきた。
部屋いっぱいに熱気と歓声が満ちる。
アリアとリリィは思わず顔を見合わせた。
その目の奥には、ほんの少しの戸惑いと、
それ以上に大きな驚きがにじんでいた。
子供たちの目は、星のように輝いていた。
その中心に──いた。
ケイ。
子供たちに囲まれるようにして、ひとり立っていた。
少しだけ困ったような笑顔で、でもどこか誇らしげに。
アリアは目を細めた。
その表情を、知っている。
本当に嬉しいとき、彼女はああいう顔をする。
「……ちょっと、草花の名前を聞かれただけなんだけどね。」
ケイは肩をすくめて言った。
「答えてたら、いつの間にか、たかられてた。」
その言葉に、アリアはふっと笑った。
リリィは子供たちの輪を見つめながら、小さくうなずいた。
そして──
「ねぇ、それ……」
リリィが、ケイの手元を指差した。
ケイの手には、何かの茎が握られていた。
深い緑の葉の間に、細くねじれた茎のような何か。
ケイはひょいと持ち上げて見せた。
「“シュガーケイン”って呼ばれてるみたい。栽培場を案内してもらって、一本だけ、もらっちゃった。」
「えっ……?」
アリアが小さく声を上げた。
「“シュガーケイン”? でも、リリィ……甘いものって、ないんじゃなかったの?」
隣を見ると、リリィは目をぱちくりさせていた。
「そ、そんな高級品、ほんとに貰ったの⁉」
彼女の声が裏返る。
──それは、この世界における、ほんのわずかな甘味の源。三年かけて育つその植物は、一株にたった一本しか茎をつけない。栽培は困難で、株分けも挿し木もできない――
「飛行機代と宿代、二泊分を足したくらいね……」
リリィは息を呑んで言った。
ケイはそれを聞いて、やや気まずそうに笑った。
「……なんか、高級品らしいから、気が引けたけど……」
「でも、持ってけってさ。『ここまで来たんだから』って。」
アリアはゆっくりと息をついた。
そして──ケイの手にあるシュガーケインを見つめる。
ほんの一時間前まで、「町は蛇足かもしれない」と思っていた。
けれど、今ここで手渡されたその植物には、
確かに、この町の時間と、子供たちの好奇心が宿っている。
「これ──明日の午前中に取材、できないかな?」
ケイが言った。
アリアは反射的にスケジュールを確認し、
そして、小さく笑った。
「……いける。
町と生命史が、つながる。」
彼女の目に、静かな光が宿った。
シュガーケイン──それは、先ほどの収録でも見た小型のリンボク類、Bumbudendronだったのだ。
「どうやって調理するの、これ?」
リリィはあまりの高級品にたじろいでいた。煮たりして保存するとは聞いていたけど…
「今は旬だから、新鮮なまま切って生でがぶっと!」
「折れちゃって収穫できないやつなら、食べたことある!」
「私も!ちっちゃいやつも美味しいわ!」
子供たちはみんな、それを知っていて、さらに自信満々に話している。その反応に、リリィは完全に驚き、目を見開いた。
シュガーケインは、遠くの山間の水辺で採ってくる、非常に珍しいものだ。
それを、町の子供たちが普通に食べているというのが信じられなかった。
「待って、ちょっと待って…あなたたち、これを食べたことがあるの?」
リリィは信じられないという表情を浮かべて言った。
子供たちは一斉に頷きながら答えた。
「うん!」
「じっちゃんが作ったシュガーケイン!」
「みんなで畑仕事のついでに食べた!」
リリィはその言葉を聞いて、ますます驚愕した。これまで、シュガーケインは生産が非常に難しく、1本育つのに3年以上はかかる。町の大人たちが栽培に手を出すことはほとんどなかった。
「ロドリゲス爺さんが栽培法を開発したんだよ!」
子供の一人が誇らしげに言うと、他の子供たちも続けて言った。
「みんなで一緒に栽培してるんだ!」
リリィはその言葉を聞いて、目を見開いて驚いた。
ロドリゲス爺さん…聞いたことがある。少し変わった発明家よね。
いつの間に農業を始めたのかしら?
少なくともケイとはとても気が合いそうだ。となれば、シュガーケインをただでくれたというのも納得だった。
シュガーケインを真っ二つに割る。
下の方が皮が分厚く、硬い。包丁の刃が全く入らない。
その硬さにリリィは驚いたが、子供たちはすでにその特徴を知っていたようだ。
「根本は煮て食べられるけど、酸っぱいよ!先っぽの方が甘くておいしい!」と一人の子供が言うと、他の子供たちも「このあたり!」と指をさして続けた。
ケイが口を開く。「葉っぱの形が変わるところの10㎝下で切って、その上が美味しいってロドリゲスさんが言ってたよ」
子供たちはそれを興味深げに聞いていた。
「胞子嚢っていうんだっけ?」一人の子供が疑問を口にした。
「葉っぱが短くなってるよね?付け根をめくると、そこに丸いものがある。これが胞子嚢だよ。中に詰まってるのが、胞子。」ケイは説明を続けた。
「胞子って?」と他の子供が質問する。
ケイは少し考えてから答える。「そうだね、タネみたいなものだね。でも、雄と雌がある。大きい胞子が雌で、小さい胞子が雄。タネと違って、雄と雌を一緒に蒔かないと、芽が出ないんだ」
「じっちゃんが衝撃を受けてたよね、だから今まで種苗が作れなかったんだ・・・って」
「小さい雄の胞子は未熟な雌の胞子と紛らわしいからね、無理もないよ」ケイは頷きながら続けた。
「なんで葉っぱの形が違うの?」と別の子供が聞く。
ケイは即座に答えた。「下の方の長い葉っぱは、光を受けて光合成をするためのものだよ。短いより、細長い方がたくさん光を受けられるよね?」
「幅広にしたら?」と子供が疑問を呈した。
「それがこの仲間は葉っぱの軸が1本しか作れないんだよ。それなのに葉っぱを広げたら、どうなる?」ケイが反応する。
「折れる!」と子供たちが口々に答える。
「その通り!」ケイは笑いながら言った。
「上の短い葉は胞子嚢をガードするために短く、幅広なんだよね」ケイは説明を続ける。
「鱗みたいね」と子供の一人が感心して言った。
「胞子嚢を抱きかかえるように葉っぱが立ち上がり、90度上に向かって屈曲して、胞子嚢を守るようにガードしてるんだ」ケイはさらに詳しく話す。
「へえー、虫に食べられちゃわないように、かな?」
「寒さから守るんじゃない?」
「そうかもしれないね。あとはこの構造、もともとは熟した葉っぱごと外れて、胞子嚢ごと水を漂うんじゃないかな。」レピドデンドロンの場合は、胞子嚢を覆う葉が笹船のように外れる性質がある。このブンブデンドロンももしかしたら、そうかもしれない。
「あっ!雨が多く振ってビチャビチャになると発芽が始まるって、じっちゃんも言ってた!」子供たちの一人が嬉しそうに言った。
リリィはそのやり取りを聞きながら、子供たちの知識と活発な学びの姿勢に驚きと感心を隠せなかった。それにしても、町の子供たちもまた、この退屈な町を変えようとしつつあるのかもしれない、と思った。
アリアはといえば、その様子をひたすら、静かに収録していた。そう、こういうのが見たかったのだ。
柵状に切られたリンボク類が皿の上に並ぶさまは、なんともシュールだった。
まさか鱗木を食うことになるなんて、と皿の上を見ながら、ケイはあらためて思う。
緑のうろこ状の葉枕で覆われた分厚い周皮は、まるでパイナップルのようだ。
二次皮層で構成されるこの層はしなやかだが極めて堅牢な構造で、リンボク以外の植物には見られない特殊な高分子で構成されている。
疎水性で強烈な腐敗に対する耐性があり、なかなか腐らない――じつのところ、石炭を作った物質の大部分は鱗木の皮だ。葉や他の植物の木部はちゃんと分解されて大気に帰った。
そんな皮を、人間が食べても消化できるわけがない。
残すのがマナーだ。
中心には、”芯”がある。この「芯」の部分だけが、鱗木の木質だ。
維管束はここに集中しており、髄を中心にして主に仮道管からなる木部が柱状の芯を為している。
その直径は驚くほど太く、肉眼でも穴が開いているのが容易に見て取れるほどだ。
周皮と”芯”の間が、リンボクの幹の中で最大の面積を占める。
一次皮層だ。やわらかいので、ここが食用になる。
よく含気していて、芯から葉に向けて放射状に維管束が出ているのを除けば、果物のようだ。
そして一口含むと、濃厚な甘さと酸味がある。
その味には既視感があった。グラパラリーフGraptopetalum paraguayenseという、マイナーな野菜がある。その味はまるで甘みを削除したリンゴ。少し砂糖や蜜をかけると、よく合う。この鱗木はそう、蜜を掛けたときのグラパラリーフにそっくりなのだ。
甘いのは寒さに耐えるために浸透圧をあげるからだ。そして酸味は、リンボク類が備える特殊な代謝系による。リンボクはここに二酸化炭素をリンゴ酸などに変えて蓄えておき、二酸化炭素が不足し酸素が過剰な石炭紀の大気の中でも急激な成長を行えるのである。
この特殊な光合成システムは、石炭紀の奇妙な大気によく適応していた。
同じような光合成は、現代では砂漠と水中でみられる。
砂漠では気孔を開くと水がなくなってしまうため、水中では水中の二酸化炭素拡散速度が極めて遅く、光が当たってから周囲の二酸化炭素を使うのでは、草体周囲の二酸化炭素をすぐ使い切ってしまうためだ。この光合成システムを、ベンケイソウ型有機酸代謝の頭文字をとって、CAM型光合成という。
そして、この蓄積された産物が酸味のもとだ。
グラパラリーフは、乾燥して熱くなる昼間に気孔を開くと脱水してしまうため、夜のうちに二酸化炭素を吸ってリンゴ酸にして蓄え、さわやかな酸味が生まれる。
リンボク類は酸素濃度が高すぎ、二酸化炭素が少なすぎる環境で光合成するためにこのシステムを使った。
ビチャビチャした沼地に根を張り、土壌で発生した二酸化炭素を皮質に蓄え、それを転流させながら光合成効率を保つ。
そのため、根に近い茎の下部では酸味が強くなるわけだ。
食べ方はサトウキビに似ていた。
ガムのように噛んで、味がなくなった食べかすは飲み込まずに出すのだ。
なぜ筋張っているのか。それは、中心の木部から葉に向けて放射状に維管束が伸びているからだ。
この構造が末端で周皮に埋め込まれてから葉枕、ついで葉に至ることで、機械的強度が上がる。
そんなことを観察しながら、しみじみと食べている。
リリィはありがたがってほんの少しずつ口にし、アリアは撮影しながらも慣れない構造に苦戦していた。
子供たちはといえば、かなりの勢いでぱくついている。目を離すとなくなりそうだった。
子供たちは食べ方をよく知っている。
「まずね、皮をナイフで剥くでしょ。それで、芯を手で持って、パクって食べるの!」
「そしたら、筋は芯のほうにくっついて残るから――美味しいとこだけ食べられるんだよ!食べかす出さなくていいの!」
なるほど。よく観察している。
あと19日。明日の昼には、この町を発たねばならない。
編集後記。
できるだけ既存のネタをストーリーには組み込みたいなとは思っているんです。ただそこまでの誘導がなかなかに大変・・・。書きながらここについて調べたい!と思って調べようとすると、出てこないことが多いので困ります。それでいて、書き進めたところでエビデンスが出てきてプロットごと書き換えざるを得なくなったり。
鱗木の構造って、変です。しかしその構造を内容に組み込むにしても、どうするか悩みものです。チェーンソーで切り倒したり、折れた木を見に行くのも悪くはないんですが…もっと穏便かつストーリーに関連させるとなると・・・
鱗木食うか。
食べておいしそうな鱗木ないかな?→極地ならいいんじゃね?
ゴンドワナ氷床の目前に生育した小型リンボク類・・・分岐も腋芽も出せないそれが、凍らないようにするにはどうすればいい? そうだ、糖を蓄えるんだ。甘い・・・サトウキビ。
CAM植物ってことはあれか、味はグラパラリーフが参考になるか。
そんなことを考えながら書いてます。




