第十一話 収録
・・・ここまでのあらすじ・・・
超時空ゲートの発明により、人類は過去の地球へと進出し、さまざまな時代に植民都市を築くようになり、それまでの「太陽系大航海時代」にかわって「時空大航海時代」が訪れた。
そんな中、古生物や生命史の解説動画を撮影するため、一行は3億1000万年前、石炭紀の湿地林を目指す。今回の収録のメインテーマは「リンボク」の予定。
しかし、その地は植民惑星においても僻地であり、たどり着くまでの旅は過酷を極めた。
最初に訪れた街は凍てつくゴンドワナの地にあった。そこでユーラメリカに向かう飛行機を2日待つことに。動画収録作業が始まった。
登場人物
ケイ・・・おもに現代の地球を旅してきた生物学マニア。石炭紀の惑星に来るのは初めて。見る人すべてから少年と思われる成人女性。地球出身で、アリアとは大学時代からの親友。コミュ障で偏屈。
アリア・・・恐竜研究者、かつ恐竜ドキュメンタリー映画を撮影している動画配信者。”恐竜のお姉さん”として有名で、一年の殆どを中生代でのフィールドワークに費やしている。火星出身。
リリィ・・・植民市出身の観光ガイド。アリアとは何度も旅をしている。ヘリや小型機の操縦もできる才女だが、3人で一番年下。観光を通じてこの惑星の日常を良い方向に変えられればと願っている。
時代設定・・・
3億1000万年前、後期石炭紀中期。
リンボク類の最盛期で、ユーラメリカの熱帯には巨大な湿地林が形成された。「石炭紀」の由来となり、産業革命を支えたヨーロッパの石炭の多くがこの頃に堆積したもの。同時に後期古生代氷河期が最初のピークを迎えた時代でもあり、ゴンドワナ大陸の大部分は氷河に覆われている。
1.
ドローンは高く舞い上がり、コンゲラード市街地の上空を旋回した。
ドローンはこの惑星においてもありふれた存在だが、撮影用の大型機は珍しい。まるでバルカン砲のように束ねられた望遠鏡状のカメラを四方八方に突き出し、ゆったりと町の周囲を旋回する。
子供たちが物珍しそうに見上げている。
アリアはVRゴーグルを被って操縦に集中している。
ドローンは高度を下げ、建物と建物の間を悠々と飛行する。
あちこちの家々を走り回っているのは、リリィだ。ブーツの音が舗装の石板を弾き、ドアの前で一瞬立ち止まると、元気な声が町に響く。
どうしても直前で撮影許可を再確認したいのだという。この町には撮影されるのを好まない人もいるはずだという。
ゴーグル越しに見る町並みに、不自然な空白のブロックが浮かび上がる。そこだけは映像が記録されない、非存在の領域だ。編集でモザイクをかけるのではなく、撮影中にリアルタイムで映り込んでしまった分のデータを削除しているのである。
「ごめんくださーい! 以前も相談させていただいた映画の撮影の同意書についてなのですが、改めて撮影の許可を確認させてもらってもいいですか?」
「もちろん」と快諾してくれる方が多い。
しかし、「ここはだめだ」という方もいる。するとリリィは大きく×と書かれたプラカードをもってそこに立つ。アリアのドローンはプラカードとリリィを認識すると、その範囲を確認する。
「リリィ、撮影禁止範囲はどこからどこまで?」
「この窓から向こうの窓まで、だそうです!上は建物の屋上まで、横は今私が立っているところから、だそうです!」
ドローンが映し出したVR画像を見ながら、アリアは拡張現実機能を用いて撮影禁止範囲を空中に描く。するとその囲まれた立体空間の動画データがどの方角からも削除され、記録もされない。空白になった場所はそのままにしておき、あまりにも動画の外観を損ねる場合には周囲の風景にだいたい合わせた自動復元で補填する。この自動復元が撮影禁止範囲の外観そのものをを復元しないようにプログラムしていることも、同意書にことわってある。
いったん休憩。ドローンを充電し、ゴーグルを外し、ほっと現実空間に戻って一息つく。
「姉ちゃんなにやってるのー」
子供たちは興味津々だ。
「ドローンを使って街を撮影しているわ」
「何に使うの?」
「ちょっとした映画よ。私は様々な時代を旅して、その時代それぞれの動植物のドキュメンタリー映画を作っているわ」
「もしかしてラプトル・ハンターのアリアさん?」
「よくご存じね。そうよ」
「すっげー!前言ってた新シリーズの撮影?」
「俺たちも映してもらおうぜ」
「これ、撮影の同意書ね。おうちの人にサインもらってきてくれる?」
「ほんとに!?それだけ!?」
「ちゃんと動画に映してあげるからね」
アリアはまたゴーグルを被る。
午前中のうちに、終わるだろうか。
2.
もう少しで正午だ。
収録にはうってつけの時間でもある。
ようやく下調べが終わったケイは、空を見上げて一息ついた。
「収録、はじめていい?」
「準備は上々だよ。とりあえず町の外観と、市街地でドローンが航行可能な範囲での360度の視界情報は撮影したわ」
「こっちも撮影許可は聞き終わったわ」
ケイは全く気付いていなかったようだ。植物の下調べをしている間ずっと、アリアとリリィは街中を走り回って仕事に明け暮れていた。
アリアは町の航空管制局に許可を取り、町の全体像をドローンで撮影し、下調べ中のケイも撮影していた。
撮影機材が巨大化する原因にもなった映画撮影用のドローンは、驚くほど高性能だ。
ガトリング砲のように配置された複数のカメラで深度合成しながら360度の写真を撮影し、景観を三次元的に再構成するフォトグラメトリ機能を備えている。
いわば、デジタルの模型を再構成してしまって、それをカメラで撮る感じである。
撮り忘れたものがあったとしても、その再構成された映像から任意の場所、画角からの像を再現できる。つまり、もはや撮影しなくても任意の場所のアップやカメラワークが可能な状態にしてあるというわけだ。
「おどろいた、ドローンの音にも気づかなかったよ」
「すごい集中力ね。でもドローンの音にも気づけないようじゃ、白亜紀だったらラプトルに狩られるわよ」
ケイが一瞬、ぎくりとした。
以前の旅でも茂みに潜んだラプトルに気づけず、アリアに助けられている。音すらなかった。
「・・・そうだね、気を付ける。とりあえず、この時代は人を襲うような動物はいないんじゃないかな」
リリィは得意げに言う。
「完全に安全ってわけじゃないわ。沼地には2mを超えるワニがいるわよ」
ケイの表情が一瞬、硬直し、小さく肩を震わせた。
「ワニ……?」
オーストラリアでの経験を思い出す。
飛び出してくるまで、本当に何も気づけなかった。
気付いたときにはすでに顎が首筋をかすめ、持っていた魚とり網を加えてひったくっていたのだ。
本当に死にかけた。それ以降、ワニのいる水辺には二度と近づきたくない。
アリアとの白亜紀の旅でも、一番怖かったのは恐竜でも何でもなく、ワニだった。
だが、アリアは違う反応を見せた。
「ワニ……? いないわ。巨大な迷歯類じゃないかしら。どちらかというと両生類ね」
爬虫類の専門家として、それは聞き捨てられなかったらしい。
水中に2mもある動物がいたら何だって危なそうだが。
リリィが首を傾げる。
「こちらでは「ワニ」といったら、ぬめっとしたアレのことだわ。本当のワニってどんなの?」
アリアの目が輝いた。
こういう話になると、彼女は止まらない。
「まず皮は鎧のような皮骨に覆われてる。槍を通さないくらい硬いわ」
「すごい! それでそれで?」
「水中から水辺の獲物を狙い、牛くらいなら食べてしまうわ」
リリィはいまいち釈然としていなかった。
「牛って……何?」
リリィの問いに、アリアは一瞬きょとんとした。
だがすぐに、なるほどと微笑む。この石炭紀の惑星で育ったリリィにとって、地球自体が伝説みたいなものだったのだ。
この星が彼女にとって、世界のすべて。
ここから発信された電波は、どの人類圏にも届かない。
なぜなら、ここはパラレルワールド——
月に一度だけ開く超時空ゲートを除けば、外との行き来など存在しないのだから。
「草食動物よ。巨大な四本脚の動物で、体重は500㎏くらい。人間よりずっと大きいわ。地球ではその肉を食べるために養殖されているわ。」
とアリアが言うと、
「すごい……! 0.5トン!?」
と、信じられない、といった顔で目を輝かせた。
彼女はこの惑星の環境が当たり前だと思って育ってきた。この惑星に、曲がりなりにも「トン」という単位で表すような生き物はいない。恐竜くらいだと思っていた。
さらに、現代というとなんとなく、人間こそが一番強い生き物で、人間より強かったり、大きかったりする生き物はいないと思っていたのだ。
「養殖・・・って何だっけ、生簀とは違う?」
「大切に育てて殖やすことよ」
それに加えて、養殖という概念も聞いたことさえあれ、実感はなかった。主食になるでんぷんは大気圏外の食物プラントから宇宙干物で送られてくる。肉といえば狩猟で「ワニ」などを採ってくるものだ。
ついでに言えば、飼うという概念すらあまりない。生簀ならともかく。
「そんなに大きな生き物を、飼う?」
だから、現代の生き物がそんなに巨大で力強いというはなし。
そしてそんな強力な生き物を人間が大規模に飼うという話は、本当に衝撃的だったのだ。
なお、ケイはといえば「牛は養殖じゃなくて牧畜でしょ」と言いたくてたまらなかったが、さらに混乱を深める気がして、必死に口をつぐんでいた。言えば話は地球の農耕史に及んで2時間コースだ。
困ったことに、2時間リリィは食いついてくる気がする。そのうちに日が暮れてしまう。
それに――火星にも牛はもういないし、地球でも牛肉は超高級品で滅多に目にしないものなのである。
「私が通っている中生代では、とんでもない大きさのワニがいるわ。見た中で一番大きいのは長さは15m。7トンある恐竜を目の前で食べてしまったわよ。」
アリアは懐から端末を取り出し、動画を再生する。
以前1か月かけて収録した動画だった。
——画面には、ナイルワニの顎がスイギュウを水中に引きずり込む映像が映る。
ナレーションの声が流れた。
<<現代の水辺で最強の捕食者のひとつとして名高いワニ。その牙は、ただの恐怖をもたらすだけではありません。
では、史上最大のワニがどれほどの存在だったか、想像できますか?
これは、今を代表するナイルワニの歯です。時には、アフリカゾウさえもその獲物となることがあります。これは、今を代表するナイルワニの歯です。時には、アフリカゾウさえもその獲物となることがあります。こちらは、友人が送ってくれた衝撃的な映像です。アフリカスイギュウがいますが・・・突然、水面下に引き込まれ、姿を消しました。そう、これがナイルワニの力。自分よりも遥かに大きな獲物さえも、あの強靭な顎と鋭い回転で引きずり込んでしまうのです。
ここでご用意したのは、白亜紀の北米で拾ってきた、史上最大級のワニの歯です。有名なティラノサウルスの歯がこちら。なんと、あのT. rexよりも巨大なのです。
今回私は、この史上最大級のワニに一か月密着して収録した結果、ついにその狩りの姿を収めることに成功しました。さあ、時空を超えて、白亜紀の野生に滑り込みましょう・・・」
「目の前に現れるのは、パラサウロロフス。身長の高い私と比べても、このくらいの大きさです。普段はとてもおとなしい動物なので、間違って踏まれないようにさえ気を付ければ、触っても大丈夫。すごいトサカですね。トロンボーンのようで、独特の音を出します。このトサカで本当に鳴いているのか他の要素が音に関連しているのか、今調べられているところです。いやあ、大きいですね。このパラサウロロフス、実は小型のヘリコプター並みの大きさを誇ります。私たちの最初の任務は、この群れの移動を追うことでした。パラサウロロフスたちはしばしば水辺に現れ、水を飲むために湖畔に集まるのです。その一瞬を狙って、私は何日も、何日も待ち続けました。すると・・・」
突然のことだった。水辺から2mほども離れたパラサウロロフスを巨大な顎がくわえ込み、地面になぎ倒し水に引き込む。群れはパニックに陥り、慌てて転んだパラサウロロフスが慌てる仲間に踏みつけられる。よろよろと立ち上がったその巨体を、もう一頭の巨大ワニが襲う。
リリィは目を見開き、息を飲んだ。あまりの恐ろしさに硬直している。
……一瞬で、ヘリコプター大、重さにして15トンの草食恐竜が飲み込まれた。
それは——牛にして30頭、人間なら200人分、コンゲラードの人口の1割に相当する。
「こ、これが……ワニ……!?」
彼女はヘリコプターを操縦するのが仕事だ。そのサイズ感はあまりにもリアルなものだった。
ケイはチラッと動画のタイトルを見て、すぐに目をそらした。耳をふさいでいる。
アリアにナイルワニの動画を送ったのは実をいうと、ケイだった。当時はワニも平気だったのだが、オーストラリアでのあの一見以来、ワニなんて、もう見たくも聞きたくもない。
「……本物でも偽物でも、ワニのいる水辺はごめんだよ」
ケイのその一言には、誰よりも重みがあった。
リリィは慌てて訂正した。
「ええ、あんなのを見せられたら私たちのいうワニなんて偽物よ。水の近くに立っているだけで飛び出してくるようなバケモノはこの惑星にはいないわ。そうね、私たちの言うワニは泳いでいるときに足をくわえて根の間に引きずり込むようなもので、陸上にいればほぼ安心よ」
声は震えていたが、どこかに必死な明るさもあった。
ケイはそれを聞いてはっと我に返った。
うーむ、そう言われればそうだ。
迷歯類の頭蓋骨はまるでハリボテのように板状の骨を組み合わせた構造で、もし本物のワニのようにですロールすれば頭蓋骨が持たないだろう。・・・そう考えると、割とセーフかもしれない。
3.
さて気を取り直して、本収録だ。
町のはずれで見つけた水辺へと向かう。
ちょっとした水溜まりのような場所だが、温泉が水溜まりにほんの少しずつ注ぎ込む水際は多様な環境を提供し、驚くことにこの街で見かけたほぼすべての植物がみられるのだという。
ケイは半日かけて、最も様々な植物が集中している最高のロケ地を探していたのだ。そして、ブリーフィングが始まる。
「どの植物を撮影する?」
「いまから拡張現実で共有するね」
「画角は?」
「こんな感じでどうかな」
ケイは即席で絵コンテを書いていた。
いつの間に書いたのだろう。撮影の指示内容は簡潔かつ、明快だ。こういう仕事が速いのは本当に有能である。変人でなければ。本業ではけっこう出世しているらしいのもうなづける。
ケイはVRゴーグルを被り、撮影したい植物を指さし、マーキングする。AR機能により、撮影に必要な画角が産出され、そこに三脚を配置していく。アップする植物に合わせてそれぞれの三脚の配置位置と角度が決まる。
今回植物を題材するとなり、悩んだのが撮影だった。植物は動かないので、画角や絵の美しさがかなめになる。臨場感で何とかなる動物とは違うのだ。地球でさまざまな実証実験を行ったが、それでもまだうまく作動するかどうか不安があった。
三脚の先にロッドが取り付けられ、先端に取り付けられたカメラが水中に潜る。アリアはカメラの動きをテストし、作動により細泥が舞いあがってしまわない位置にあるか、ズームがきちんと作動しているかをチェックした。
三脚はいくつも配置され、カメラレールが配置されてカメラの緩やかな動きができることを確認。
椅子を借りてきたアリアとリリィは、タブレット端末に表示される様々な角度の画像をみて、それらがちゃんと焦点をとらえ、焦点をアシストする補助装置のベクトル表示がきちんと作動しているのかチェックした。
ケイが語りだす。うむ、いい画角で撮れていそうだ。アリアとリリィは固唾をのんで見守る。
「この水溜まりだけで、石炭紀までの植物の進化をだいたい見渡すことができる。素晴らしい場所だよ」
底には藍藻が繁茂し、独特の臭いを放っている。カイエビ類が数匹、その上を泳ぎ回っていた。水中カメラはカイエビを追いかけ、そして水底のシアノバクテリアをアップ。
「これはシアノバクテリア。30億年以上前に誕生し、地球に最初の酸素を作った生き物だよ。泡がプクプクと出ている。これは酸素が二酸化炭素よりも水に溶けにくいからだ。このように水中で作られた酸素が、水中の様々ないきものの呼吸を支えるんだ。」
プクっと浮かび上がる気泡をリアルタイムで撮影。それに合わせるように、ケイは次の言葉を運ぶ。
「酸素はすごく反応性が高い、アクティブな物質だよ。最初に酸素がつくられた時、水中に溶け込んでいた鉄やマンガンが一気に酸素と反応し、どんどん沈んでいった。当時沈んだ酸化マンガンや酸化鉄は、隕石が主な鉱産業になるまでずっと、人類の生活を支えてきたんだ。それから、本当にわずかずつ酸素が大気に占める濃度が上がっていった。酸素の濃度がようやく現在に近くなって安定したのは、7億年前だよ。でもそれまでには、事件が起きた。」
アリアがすかさず相槌を入れる。「事件?」
「二酸化炭素を吸いつくしてしまい、地球じゅうが氷漬けになってしまったんだ。この危機はその後、火山活動によって放出された二酸化炭素で氷が解けることによって終焉した。全球凍結という。全球凍結はおそらく、3回おこった。最後の全球凍結は6億5000万年前に起こった、マリノアン氷河期だよ。それがどうも、生命の巨大化と放散の最初の一押しになったらしい。エディアカラ紀に生物は巨大化し、そしてカンブリア紀に、いまに続くような生物の爆発的な多様化が化石に残るようになった。」
昨日、冷たい風が吹き荒れる中で撮影した氷河の映像が、ここで活きるだろう。
白く滑る氷床、吹きすさぶ霧。あの光景が、この語りにぴたりとはまる。
ケイが再び話し始める。
「この温泉の中は、まるでカンブリア紀の水中みたいだ。シアノバクテリアからはじまった植物の光合成は、シアノバクテリアを取り込んで共生した様々な緑色植物に引き継がれた。この水中にある緑の糸は、緑藻類。陸上植物は、こうした緑藻類から発生したんだ」
モニターに映る追跡ベクトルは類縁のよくわからない鰓脚類を追いかけている。合わせて水中、水面カメラがそれを追いかけ、そしてそれが行き着いた地味なアオミドロのような緑藻を大写しにした。一見無甲類に似た鰓脚類はそれに絡まるかのように見えたが、顎を使って齧っている。
そして、カイエビ類がやってきた。先ほどの鰓脚類はぴょんと飛び跳ねて逃げていく。ケイもおそらく、よくわからない甲殻類が出てきたので急遽話の流れを調節していたのだろう。
「水中の支配者は節足動物だった。ここにいるのは鰓脚類のカイエビ類。二枚貝のような殻に包まれて、連動する足が透けてみえる。実にかわいい動きで、何時間見ていても飽きない。今の魚からしたら不器用でゆったりしているけれど、カンブリアン・スタイルの継承者ともいえる。現在も水溜まりなどに生息していて、石炭紀のこれとぱっと見はほとんど変わっていない。」
今回の旅にむけて特別に用意した秘密兵器、それは視線追跡装置だ。話しながら、ケイがどんなものに焦点を当てているのか。これで把握する。今まではアリア自身が主なカメラマンだったので苦労しなかったが、他人が話すさまをとるのは本当に大変だと試写で気付かされた。これでカメラワークがぐんと楽になり、やすっちい後編集に頼らないリアルタイムでの撮影が可能になるのだ。
編集で何でもできるようになった昨今、なるべく無編集でどこまで見せるかが技のみせどころとなっている。
温泉の中に、水草のようなものが見える。シャジクモ類だ。これは事前に撮影することが決まっていたものだ。カメラのピントが合わせられ、ズームが開始される。
「緑藻類は、その形や多様性を増していった。これはシャジクモ類。まるで水草のようだけど、陸上植物の直系の祖先じゃない。最初に上陸した植物は、少なくともぱっと見では、これよりももっと単純なものだった。」
水中を覗いていたカメラは水面から上がっていき、水面付近を映していたカメラが岸辺に茂る”青ひげ”をゆっくり、ゆっくりとなめるように映し出す。間には多足類やクモガタ類が時折歩いている。
「大気中の酸素濃度はだんだんと上昇していき、オゾン層がつくられてついに植物と節足動物が上陸した。上陸したのは、植物と節足動物だけではなかった。はじめて生命が陸に足をかけたとき――しのぎを削ったのは、大きく分けて三つのグループ。菌類、緑藻類、そして節足動物だ。最初に目立ったのは、菌類だった。巨大化したり、緑藻類を取り込んで地衣類が生まれた。そして、緑藻類が複雑化し、最初の陸上植物が生まれる。」
カメラは「青ひげ」をとらえる。コンテ通り、下から上へとゆっくりと見上げるようにカメラを進める。わずか5㎝しかない「青ひげ」が、まるで巨木のように映る様子にリリィが驚いている。
以前買ったものの、そんな小さなものをなかなかアップで撮らないので使い道に困っていたカメラだった。
「陸上に進出し、大型の体を支えるには、様々な適応が必要だった。体を支えるための維管束、空気中からガスを効率よく取り込むための気孔、乾燥に耐えられる頑丈な胞子、などだね。胞子の保護には藻類がたまたま産生できるようになった最強の生体化合物、スポロポレニンが使われた。でも厚さを増すほど割れにくくなるから、溝が入って開きやすくなったんだ」
カメラは次に、その足元にある本当に小さな、1㎝に満たないほどの植物に目を向けた。画角度を変えるため、アームがカメラの向きを微調整する。その準備が終わるのを静かに待ち、語りだす。
「この植物は最初期の陸上植物の姿をとどめている。陸上植物は、すごくまどろっこしい繁殖方式をとったよ。ここには2種類の植物が混生するように見えるけど、実は両方同じ種類なんだ。小さいラッパ状のものは配偶体で、胞子から発芽するとまずこれが生える。この配偶体には雄と雌があって、雄から放出された精子が雌のもつ卵に受精すると、胞子体がそこから芽生える。ほらあそこ」
たしかに、小さな胞子体が配偶体のうえから芽生えているものがある。
最初に見つけてからここを動画の撮影場所に決めたといっていたが、本当にこんな微細なものをよく見つけたものだ。カメラがぐっとアップし、その誕生の瞬間を収めた。
「胞子体と配偶体の力関係は、コケ植物と維管束植物で大きく異なっているんだ。」
カメラは水際に茂るコケ植物をアップする。
「これはコケ植物。その体を構成する大部分は配偶体で、そこから1つだけの胞子嚢をもった胞子体が寄生するかのように生えてくるよ」
胞子嚢を下から上へと、なめるように撮った。
そして、コケ植物と「青ひげ」が並んで立っている指定された場所を映し出す。
「それに対して維管束植物では、胞子体のほうが大きくて、沢山の胞子嚢がつく。この植物の場合、分岐の各先端が胞子嚢になっているよ。それに、コケ植物にくらべてシャキっと立っている。これは、茎の中心に芯のように維管束ができて、背骨のように植物を支えられるようになったからなんだ。」
ケイはVRゴーグルを被る。ARと連動し、背景をわずかにすかしながら解説する、というのがコンテ上の演出だった。
「これは昨晩撮影した、この植物の茎の断面。この真ん中の部分が、水を上に運ぶ仮道管。中心にあるのが最初に作られたもの、そしてその周囲に新たな維管束がつくられていく。その周囲をぐるりと栄養を下に運ぶ篩管が囲んでいる。こういうのを心原型原生中心柱ともいうね。ただこの構造はものすごく脆弱で、切片を作るのにはとても苦労した。これの近縁種と思われるホルネオフィトンがながらく維管束を持たないと考えられてきたのも納得だよ。最初の植物には根もなかった。栄養の吸収にはいまでは菌根菌と呼ばれているアーバスキュラー菌との共生が重要だったみたいだ。」
VRゴーグルを脱ぐ。カメラはパウロフィトンをアップする。アリアもこんな奇妙なものがあるとは気づいていなかったようで、カメラにアップされた姿に驚いた。Y字状の分岐を繰り返す姿は、最初期の植物として有名なクックソニアやリニアそっくりだ。では、なぜこれを最初に持ってこなかったのか、と興味を持ちながら撮影を進める。
「より進んだのが、ここに生えているような植物たちだね。大きさもこう、かなり大きくなっている。主軸があって、そこから細い枝が出るようになっている。この主軸が茎に、細い枝が葉や花芽になっていったというのが、テローム説。こうした進化をした系統からシダ植物や種子植物、まとめて大葉植物が進化していったんだ」
そして、ケイは立ち上がった。
見上げるのと合わせて、カメラの焦点が上へ上へと移っていく。
「大葉植物から、木が生まれた。幹の中心の髄を取り巻くように仮道管が配置され、その周囲に篩管ができる。その間に、形成層という両面方向に増える幹細胞が分布するんだ。仮導管と篩管はどんどんその数を増し、幹がどんどん太くなっていく。最初の森を作ったのは、胞子をもつ木である前裸子植物だったよ。」
アーケオプテリスは確か以前撮影しているので、画像素材として使えるかな。と思いながらアリアは聞いていた。
カメラはまた、足元へ。シダ種子植物、ノトラコプテリスが”花”——正確には、胞子嚢穂を咲かせているのをアップする。
「そして、種子が生まれた。最初は胞子をつけていたけどしだいに大きな胞子と小さな胞子をつけるようになり、大きな胞子と小さな胞子が親株の上で出会うようになった。これはシダ種子植物。葉の先端に雄胞子嚢穂がついた葉と、雌胞子嚢穂が付いた葉がある。これが受粉すると、こんなふうに種子ができるんだ」
ケイの手元にカメラの焦点を合わせる。いつも恐竜相手にやっているのと同じ、手慣れた作業だ。
果実をほぐすと、ぱらぱらと種子がこぼれてくる。
「種子から始める方が胞子より断然早いし、水がなくても受精できるから有利なんだよね。」
カメラはそして、水溜まりの周りに生える大きな木を見上げる。
「そして、針葉樹が生まれた。上にそびえているのは最初期の針葉樹、コルダイテス類だよ。石炭紀の森を代表する木だよ。これは、針葉樹の進化でまた見ることにしよう」
ケイはまたしゃがみ込む。水際を見ていたカメラが、コケに似て非なる植物をアップした。
「一方で、他の道もあった。これは今も生えているヤチスギランの近縁種。本当の「生きた化石」で、この石炭紀の株と現在生えているものの間でほとんど違いがないくらいだ。これらの葉はシダ植物や種子植物とは独自に形成されているし、根に関しても他人の空似かもしれない。両者は本質的に、ものすごく異なるグループなんだ。こういうグループを、小葉植物という。シルル紀には葉を獲得して、デボン紀から三畳紀にかけて栄えたグループだね。」
湿地帯からは、糸状の葉を多くはやした緑の塔のようなものが立っている。その姿は現在に類例がない。カメラは下から見上げるようにアップする。ドローンを使って撮り直すのもいいかもしれない。
「その中で最大になったのが、今回見に行く鱗木だね。これは小型の鱗木類。木性の小葉植物はデボン紀には出現していたけど、デボン紀から石炭紀前期まではこのくらいの大きさ。当時は大葉植物の方が強くて、湿地帯の森も大葉植物の前裸子植物が支配していたよ。それが石炭紀後期になると少しの間だけ逆転して、大量の石炭を残したんだ」
収録はいったん終了。
アリアはドローンを起動し、撮影現場の空撮を始めた。記念用だ。
この町での撮影は、予定的にはこれで以上だ。
まだ十分に明るいけれど少し日が傾き始め、これ以上は影が伸びて精密な撮影が難しくなる。
三人がかりで撮影器材を片付ける作業は、思ったよりも重労働だった。
ケイは手早く片付けを終えると、すぐに標本採集へと移行する。
リリィはといえば、どこか「やりきった」という満足そうな顔をしていた。
アリアはそんなリリィと並んで歩きながら、小さなカメラで道端の生き物を撮ったり、標本用にピンセットで摘まんだりしていた。
だが、心の中では、先ほど撮った壮大な生命進化史の解説と、町の映像、そして子供たちとの記念写真――
それらをどう繋げて編集するかに頭を悩ませていた。
リリィは、そんなアリアの様子を横目でちらりと見た。
そして、ほんの少しためらった後――
そっと、声をかけた。
「あの……ひと段落したことだし、紅茶っていうの、飲んでみたいんだけど……」
アリアは一瞬きょとんとしたが、すぐに納得する。
すっかり忘れていた。航空機の機内で、ケイがブラックウォーターのたとえとして「紅茶」を出したら、尋常でなく食いついてきていたのを。
この星には、紅茶もカフェも存在しない。
リリィにとって「紅茶」という存在は、本の中か、時おり地球系文化の話題で耳にするだけの、ほとんど想像の産物だったのだ。
「……いいね、それ」
アリアは小さく微笑んで、そう答えた。
リリィは隣で、目に見えてドキドキしていた。
紅茶、という未知の飲み物を、ずっと試してみたかったのだ。
子供のころから映像作品でしか知らなかったものに、今、自分の手で触れられる。
<後書き>
今回は、近未来におけるドキュメンタリー映画の撮影をテーマにしました。いいたいことは・・・「古生代テーマのしっかり作られた古生物作品みたいよ」
ないから書くのです。
古生代のカイエビは結構証拠が豊富です。どうもパレオニスクス類はカイエビ類を根絶するほどの捕食圧をかけなかったようです。カイエビ類が一時的な湖沼にしか見られなくなるのは少なくとも白亜紀後期以降、でもメッセルからすらでているので恐らく新生代です。
類縁の良くわからない鰓脚類 、は創作です。レピドカリスを大きくしたようなもののイメージで書いています。




