第十話 凍てつく大地の植物たち
寝坊するつもりだったのに、ツンとした冷え込みで夜明けとともに目覚めてしまった。
昨夜は遅くまで、「青ひげ」ことホルネオフィトンに似た植物を切ったり染めたりしていたっけ。
一つ出た結論がある。
何も違いが見当たらない。
氷河でみかけた”2種目”の植物も、結局ホルネオフィトンの配偶体や、成長段階の異なる植物だった。
形態的にも、DNAの塩基配列的にも。
それはむしろ、不信感につながった。
宇宙空港から航空機一本でつながってしまうここにおいて、人為的環境にみられるということ。
そして、一種類の純群落を作っているらしいこと。
それは、シルル紀やデボン紀から植民者が非意図的に持ってきてしまった外来種の可能性を示唆する。
というのも、昨日の聞き取り調査によればサイド4宇宙ステーションの検疫は古生代-古生代の移動ではそこまで厳しくなかった時期があるらしいのだ。
となれば、この“青ひげ”がどこから来たか、少し違う角度で見直す必要がある。
朝食。
運ばれてきた――というか、地下にあるという共用供食スペースから、リリィが持ってきたものだった。
どれも、温泉で加熱されたものだという。とはいえ直接湯に浸すのではなく、どうやら耐熱袋に封じて源泉に沈めておくのがこの地の作法らしい。
なにか古生物が食卓に上るのかと期待したが――失望した。
それはいかにも人口然とした、パンから香りとふかふかさを取っ払い、粘り気をなくした餅のような微妙な食べ物と、ビタミン剤みたいな臭いがツンとするペーストのような何か。
アリアが匙を止めて、つぶやく。
「宇宙船の船内食そのままね……」
なるほど、と思う。
食糧自給は、まだ先の話――そもそもこの惑星の大気と土では、作物はロクに育たないのだろう。
だから――実績のある人口食糧――宇宙ステーションで半自動生産する技術がすでに整っている――を流用しているのだろう。地上で作っているのか、宇宙で作っているのかはわからないが。
……さすがに、微妙すぎる。
「やっぱ、微妙よね」
リリィの方をふと見ると、まるで手を付けていなかった。
アリアが席をすっと立った。
「地球のレトルトカレー、温めてくる」
しばらくして、アリアが戻ってきた。
片手に小さなパックを下げている。湯気は立っていないが、しっとりと表面が曇っている。温泉で温めたのだろう。
その気配に、リリィの目がわずかに動いた。
彼女はすでにスプーンを手にしていた。まるで、最初からそれを待っていたかのように。
袋の切り口を開けた瞬間、空気が変わる。
スパイスの香り。
焦がした玉ねぎと、油脂と、よく煮詰めた何かの匂い。
リリィがぱっと目を輝かせる。
「……それ、ほんとに本物?」
アリアがうなずくと、もう返事も待たずにスプーンを伸ばしていた。
ひとくち。
咀嚼。
一瞬の沈黙ののち、笑った。
「やっぱ、全然ちがう」
そう言って、今度は少し丁寧にすくって、もうひとくち。
ケイもひとくちもらう。
濃厚で、舌にまとわりつくようなとろみ。塩気と甘みと、最後にピリッとした辛味。
――ただのレトルトカレーなのに、こんなにうまいなんて。
行きの荷物が、あんなに食料だらけだった理由がよくわかった。
そうしないと、やっていけないのだ。
あの微妙な消しゴム状でんぷん――としか言いようのない主食ですら、レトルトカレーをつけるとチャパティみたいでちょっとうまかった。
「残り、いくつあるんだっけ」
「あと、三人前」
「――え、八袋持ってきてなかった?」
「ああ、それね。昨日の、エルザさんとナタリーさんにあげちゃった。ほら、ちょっと迷惑かけちゃったし」
そう――食料を大量に持ち込んだのは、他にも意味があった。
この星では、“おいしい食料”は、通貨以上の価値を持つ。
昨日の風呂では、正直やりすぎたと思っていた。
今日は、記念すべき第一回撮影日だ。
そして撮影に入る前に、まず何が生えているのか――その把握から始めねばなるまい。
町は、殺風景でさびれていた。
建造物はすべて規格品。明るい灰色の塗装はあちこちで剥がれ、ひび割れ、積層構造の表面がむき出しになっている。開拓初期に、3Dプリントで同一構造の建物をコピー&ペーストしたのだろう。風雨にさらされた外壁には、錆や黒い煤が流れ落ちた跡が縦に走っていた。
看板もまた褪色し、塗料は錆とともに溶け出し、下向きにぼやけたグラデーションを描いている。文字は読めないものの方が多い。だが、おそらくこの狭い町では、みな身内で商売をしているのだ。看板の意味など、最初から必要なかったのかもしれない。
舗装道路はあちこちでひび割れ、ところどころに錆びた車両が放置されている。
これらすべてが示しているのは、この町が開拓のごく初期に、極めて短期間で建設されたということ。
本来は、ただ人類の足場を速やかに確保するための急造品だった。それを建て替える機会も理由もないまま、想定外に長く使い続けてしまっている――そんな風に見えた。
だがその一方で、舗装の割れ目や壁の隙間から、植物たちが顔を出している。
人の手の届かぬ場所では、腰の高さまで育ったものもあり、ときに木が生えていることすらあった。
人間の事情はともかく――少なくとも、ここには緑があふれている。
最も目につくのは、高さ50センチほどの小灌木だった。
一見すると、それはシダに似ているようでもあった。
しかし、その生育様式は、私の知るどのシダ植物とも大きく異なっている。
むしろ近いのは、コミカンソウなどの被子植物だ。
軽く木質化した茎から、1回羽状複葉をつけ、一定期間が過ぎると落葉し、葉痕としてひし形の跡を残す。
羽状複葉は、全体で20センチほど。そこそこ大ぶりな葉をつける。
その葉は、葉軸から小さな扇形の小葉を広げる形で展開し、1回羽状の配置をしている。
小葉の形状は、イチョウの葉を少し狭く、小さく、丸みを帯びさせたような扇形。先端に向かうにつれて葉は細くなり、最先端の小羽片は楔形をしている。
また、羽片の先端にはわずかな切れ込みがあり、ときおり深く裂けている個体もある。
この形状は、デボン紀後期の水湿地を支配した、あの有名な原裸子植物――アルカエオプテリス Archaeopteris をほうふつとさせた。
しかし、原裸子植物は石炭紀にはほとんど滅んでしまい、この時代からはほとんど見つかっていない。これもまた、時空外来種なのだろうか・・・?と訝しむ。
しかし、観察を続けるうちにこの植物の特徴が明らかになった。
葉軸の先端には、シダ植物としても原裸子植物としても明らかに異質な構造がついている。掌状の苞状の葉(葉なのか?)がカップ状の先端を蕾のように取り囲む。
その姿は、ほんの少し、一部の裸子植物に似ていなくもないように思った。たとえば、ウォレミマツWollemia nobilisは羽状複葉のように見えなくもない(断面をとってみるとX字状についているが)小枝の先端に球果をつける。……化石植物においては、1回羽状複葉と、葉のついた小枝の区別はしばしば困難だ。保存状態が悪い場合、しばしば葉軸か茎かの判断すら揺らぐ。
蕾のような構造の先端には穴が開いており、これを切り開くと、中には100粒ほどの種子が入っており驚かされる。そう、これは確かに種子植物なのだ。
さらに観察を進めると、羽片に相当する部分が枝状の花柄へと変化している個体もあり、
その先端には、紡錘形の“雄花”がぷらぷらと揺れながら、垂れ下がっていた。
「コリストスペルマ類?ゴンドワナの三畳紀やジュラ紀でよく見たわ」
一人で観察に集中していたらアリアが突然話しかけてくるのに驚く。しかも、恐竜はともかく植物にはさっぱりだと思っていたので、さらに驚きだ。
確かに、これはシダ種子植物である。
しかし、これはコリストスペルマ類ではなさそうだ。
比較的単純な葉をもつシダ種子植物である点はたしかにコリストスペルマ類と似ている。それにアリアがよく出入りしている中生代のシダ種子植物で、1回羽状複葉を見たら確かにコリストスペルマ類だろうという推論は確かに正しいかもしれない。
しかしながら、中生代のシダ種子植物はペルム紀末と三畳紀末に壊滅的な打撃を受けた残滓にすぎない。古生代のシダ種子植物の多様性には目を見張るものがある。
”雌花”の構造が全く違うし、”雄花”の付き方も違う。たとえば三畳紀に代表的なコリストスペルマ類であるウンコマシアUmkomasiaの雌花はヘルメット状のキュピュールを持っており、一見するとまるで被子植物の子房を思い起こさせるし、雌花は羽片を伴わず、専門化した花柄と化した羽軸についている。雄花は逆に、葉のような構造に垂れている。ただ花柄の先に”雄花”を垂れさせるコリストスペルマ類もいなくもなかったと思うのではっきりとは言えないが・・・それに対してこの植物の雌花を包むのはいかにも原始的な苞葉状のキュピュールだ。
ソテツ類の雌花にみられる苞葉の原始的さには驚かされるが、それに少し近いかもしれない。
さて、なんだったけな、これ、と思っていた。
ものすごく既視感があるし勉強した覚えがあるのに、名前が出てこない。
葉の見た目は時代は違うがデボン紀の前裸子植物であるアーケオプテリスや、高緯度北極域に栄えたアンガラ植物群を代表するシダ種子植物、アンガリディウムAngaridiumによく似ている。異常に太い軸にイチョウのような羽片をもつ一回羽状複葉がとくに似ている。
しかし、アンガリディウムの雌花(Angaranthusという)は翼状の張り出しを持つもので、小葉の途中から分岐した小枝をもち、その先に複数の雌花がつく。それに、ここはゴンドワナ大陸である。
ゴンドワナ・・・南・・・
あ、思い出した。
ノトなんとかプテリスだ。
端末の保存データからあいまい検索すると、ノトラコプテリスNothorhacopterisだった。花器官はAustrocalyxという。これは石炭紀中期のゴンドワナを代表する植物である。なぜノト、で覚えていたかというとこの植物、ノト、の意味を間違えてつけてしまったという印象深いエピソードがある。命名者はNotorhacopteris(南のラコプテリス)のつもりで学名をつけたらしいが、論文に間違ってNothorhacopteris(偽のラコプテリス)と記載してしまい、そのまま定着してしまったという経緯がある。同じような記載ミスが現生のナンキョクブナNothofagusにも起きている。ナンキョクブナもまたとても印象深い植物だが、その話はまた別の機会にしよう。
さて、ノトラコプテリスはもっと南の、もっと前の時代から知られている種類である。しかし、氷河の拡大に伴い北方に追いやられ、後期古生代氷河期が2回目の極期に達しつつあるいまではこんな低緯度まで追いやられている、ということなのだろう。
ノトラコプテリス以外にも、幾つかのシダ種子植物がみられる。
たとえばフェデクルツィアFedekurtziaとみられる植物は一回り小さな羽片と2~3回羽状複葉をもち、複葉の先端に分岐した”花序”をもち、裂片の先が細長く伸長した独特の苞・・・いやキュピュールをもつ。
けば立ったようなこの苞は白く目立っており、じつに鮮やかだ。この種類においては雌花と雄花はあまりぱっと見た目が変わらない。雌花と雄花が大きく異なることが多いシダ種子植物では少し珍しいかもしれない。
昆虫が訪れるのだろうが、どんな昆虫が訪れるのだろうか?
残念ながら見ることはできなかった。
これら、南半球の氷河沿いに生育するシダ種子植物は、熱帯域に生育するシダそっくりなメデュロサ類や、のちの時代のペルム紀のゴンドワナ氷河沿いから知られる広葉樹そっくりなグロッソプテリス類といった「教科書的な」シダ種子植物とは全体の印象がだいぶ違って見える。むしろ先述したように、前の時代のアルカエオプテリスなどの原裸子植物や、北半球の極地に生育するアンガロフィルムに似ていて、古い起源を持つグループの生き残りなのではないかと思われた。事実、町を歩いてみられた「シダ」状の植物はほとんどすべてがシダ種子植物であって、そのほとんどは雌花が原始的な苞に囲われるオーストロカリックス科に属していた。北の果てに分布するアンガリディウムとの形態的な類似性は、もしかするとこの古いグループがかつては世界じゅうに分布し、より新しいタイプの植物が勢力を伸ばすと高緯度帯に追いやられた結果なのかもしれない。そう考えると、かつて栄えたアルカエオプテリスなどの原裸子植物との繋がりも考えやすい。原裸子植物の胞子嚢は最終シュートに生じた裂片が細長く変形した栄養葉(*前裸子植物の「葉」は現在みられるエダハマキのように特殊化した枝であるという説もあるが)の基部に並ぶように生じており、これが特殊化することによってオーストロカリックス科の胞子嚢とキュピュールに類似した構造になるのではないか・・・と思った。
しかし知る限りではこういう証拠があるわけではなく、見た目上での感想に過ぎない。
様々なシダ種子植物が繁茂する下”草”に対して、より下層を構成するのはコケ植物だ。
コケ植物の化石記録は信じられないほど少なく、これは古植物学における大いなる謎だ。
その理由として、「高緯度地帯や寒冷な地帯を好んでいた」という仮説はもっともらしい。
石炭紀後期のゴンドワナからもわずかな数ながらコケ植物の化石が知られているが、そうとう寒冷な気候で堆積したものだ。その後長らく続いた温暖な時代には繁栄できず、新生代になって地球が寒冷化するとコケ植物が栄えるようになった…というシナリオは、考えられる。長い期間存在したにもかかわらず、地衣類の化石が殆どないことも同様のシナリオでとらえられるだろう。
ただ、この寒冷な「街」にいるコケの存在自体を、大手を振って受け入れられるわけではない。
コケ植物の胞子の耐久性は恐ろしいものがあるので、この現生種そっくりのコケが本当に石炭紀のものなのかは疑わしい。
なにせ、南極基地にもギンゴケが生えているくらいなのだ。
ギンゴケは火星に限らず、テラフォーミングされたところには大抵ある有様らしい。
ある意味、人間よりフロンティア精神旺盛かもしれない。
そんなコケ植物に混じって、本当に地味なヒカゲノカズラ類が生えている。その姿はシベリアの湿原で見た、コケスギランにそっくりだ。現生のコケスギランは引っこ抜くには畏れ多いほど希少だが、石炭紀のここでは普通のもののようだ。抜いてみると、本当にコケスギランであるように見えて驚く。
石炭紀からはパウロデンドロンPaurodendronというコケスギランによく似た植物が知られているが、その根基部は形成層をもち、球根状に肥大する。パウロデンドロンはコケスギランとの類似性が注目されてきたが、その肥大構造はのちに、ミズニラの”球根”やリンボク類のスティグマリア・・・これらはリゾモルフという・・・との関係が指摘され、寧ろミズニラの系譜だろうという説が有力となった。
石炭紀後期のドイツ(当時は熱帯域)からは、Selaginella zollwegii というコケスギランらしき植物の化石が知られている。これを皮切りに、他にも様々なSelaginella的な植物が石炭紀から知られている。
では目の前の石炭紀コケスギランはどちらなのだろうか?
その葉や茎の構造、枝分かれの仕方まで現生種と酷似しており、どうしても気になってDNAを解析してみると――
なんと、**現生の Selaginella に属する**という驚異的な結果が出た。
以前から、分子系統によればコケスギランとほかのSelaginellaの分岐はデボン紀から石炭紀とされてきた。この属は、地球に現在生育する、あらゆる植物の中で段違いに最も古い属である。
上に目を向けてみよう。森は主にコルダイテス類と、大きく育ったシダ種子植物により構成されている。シダ種子植物はどうもかなりフレキシブルなのか、小さな灌木ないし草本状にも、大きな樹木としても生育できるらしい。
森の主役はコルダイテス類だ。このコルダイテス類、最初に森を作った針葉樹という点で極めて偉大である。最初に登場する種子植物木本であり、リンボク類が湿地でハチャメチャな物質生産を行い世界を氷河期に追い込む前から陸地や水辺で栄えていたし、この少しあとにリンボク類の大部分がユーラメリカからほとんど全滅したのちもしぶとく生き残っていた。三畳紀やジュラ紀までコルダイテス類に似たものが産出するので、もしかするとその後の大量絶滅も生き抜いたのかもしれない。
針葉樹というが、その葉はまったく針葉ではない。ここでみられるものは幅5センチ、長さ20㎝ほどの細長い葉をもつ。
樹形も針葉樹らしくない。
いわゆる針葉樹らしい樹形というのは、中心から上向きに出る枝が主軸となり、側方に枝を伸ばしながら円錐状に育つ姿である。しかしながらコルダイテス類の主軸と側枝の区別ははっきりしておらず、しばらくまっすぐ伸びた後には、斜めに伸びる枝が箒状に広がる。
その姿はむしろ、広葉樹にみられる枝ぶりに似ている。
現在の針葉樹にも、針葉樹らしくない幅広の葉をもつマキ属やナギモドキ属はこのような針葉樹らしくない枝ぶりをもつものがいる。これらは円錐状の樹形からおそらく二次的に獲得したものだ。
それを語るとすれば、この旅でまた別の植物を見てからにしよう。
コルダイテス類の花は是非見たかったが、なんとも見つけることができなかった。
ああ、樹木はこれだから。
コルダイテス類は数が多いことから、その倒木も見つけることができた。
倒木をひっくり返すと、ザトウムシやヤスデ類といった、さまざまな節足動物が現れる。
一目で判別できない種類も多く、ひとまず撮影と標本採取だけをして、後ほど詳細に検討するつもりだ。
のそり、のそりとワレイタムシが出てきたのを見たときは、さすがに嬉しかった。
とくに入念に撮影したが、この地ではどうも、彼らが最も数の多い肉食節足動物のようだ。
――ところで。こののんびりした動きで、どうやって獲物を捕らえるというのだろうか?
倒木は、ひどく腐っている。
ここでひとつ、石炭紀についてのよくある誤解を挙げたい。
「リグニンが分解できなかったために、木が腐らず、それが石炭になった」――そんな説明を見かけることがある。
だが、もしそれが本当なら、話はどれだけ簡単だっただろうか。
仮にリグニンがまったく分解できなかったとすれば、コルダイテス類が陸地に繁茂するだけでも、数万年で地球の二酸化炭素は吸い尽くされ、石炭紀前期のうちに全球凍結に至っていたはずである。
いや、もっと前のデボン紀後期のアーケオプテリスですらそのくらいの破壊力があったはずである。
しかしそうはならなかった。
すでにデボン紀の カリキシロン(=アーケオプテリスの幹)にすら腐朽の痕跡がある。
分子系統による分岐時代や、祖先がどのような酵素を持っていたかといった議論も重要だが、そうした推定は必ずしも化石記録と一致していない。
そもそも、本当に木が腐らなかったのなら、いま私がここで「真のコルダイテス類の姿」や「真のシダ植物の姿」に感動することなどなかったはずだ。
石炭紀後期において、大気中の炭素を劇的に削減し、氷河期を深刻化させたのは――
そう、巨大湿地の発達と、そこで起きたリンボク類の繁茂である。
そして、石炭の組成を調べると、そこに含まれる主要な高分子はリグニンではなく、“スベリンに似た物質”であることがわかっている。
この物質は、リンボク類の周皮にしか存在しない、謎の高分子であるらしい。
つまり――
少なくとも、“リグニンが分解できなかったから”という説明だけでは、石炭紀は語れない、ということだ。
さらに歩みを進めると、水が湧いている場所があった。
小規模ながらも水が溜まっており、コルダイテス類が気根を出している。コルダイテス類は水にも強いが、根にかなりの酸素を要するので気根をださねばならないようだ。
その中に、ジメジメとした湿地から生える緑のタワーがある。
何者かとみてみれば、小さ目ながらリンボク類である。とはいえ現在のミズニラ類やイワヒバ類と比べれば、かなりの大きさがある。高さは2m、太さ7㎝といったところ。
葉は先端付近にかなり長いものがついており、生育の最終段階で見られるような分岐や結実は確認できなかった。分岐していないことやその小ささから、ミズニラ類との視覚的な類似性がわかりやすい。ミズニラを槍の先につけたようなものを想像してもらえれば、だいたいこの植物の形になる。その茎には細長い葉の脱落跡があり、ブンブデンドロンBumbudendronだろう。興味深いことに高緯度北極域に栄えたアンガラ植物群を代表するリンボク類であるトミオデンドロンTomiodendronによく似ており、南北の極地で植物の形態が似通っていたことがわかる。成長中の株しか見つけることができず、詳しい観察ができなかったのは残念だ。
それにしても――興味深い。通常、このような細長い茎の先端に葉をつける木本的な植物は霜に弱く、生長点がやられると脇芽を出せずに枯れてしまう。現在のミズニラはかなりの高緯度にもいるが、水中で越すか、根茎から再生する。しかしこの高緯度型のリンボク類では、どうやって寒さをしのぐのだろうか…?はっと思いついて葉を一枚ちぎって口に含んでみると、甘い。糖度をあげて凝固点降下により凍結を避けるのだろう。甘いものは何でも昆虫や動物のためだと思っている人がいるが、実際には高緯度地域で見られる草体の甘みは大抵、寒冷地適応である。ほうれん草が栽培過程で寒さに晒すと甘くなる(縮みホウレンソウ)のがもっとも有名だろうし、メープルシロップが甘いのもまさにその理由である。だからカナダが名産地なのだ。
メープルシロップはさらにこのリンボク類をよく説明してくれるだろう。被子植物の特徴として巨大な道管があげられ、裸子植物やシダ植物、そして現生小葉植物の細い仮道管とは異なる。被子植物至上主義になりがちな現代の植物学者は、この道管による高速・大流量の水分輸送こそが被子植物を発展させたという。そして、その代償として凍結によるキャビテーションに弱くなったと説く。しかし。植物史上において最大級の道管または仮道管をもつのは被子植物ではなく、小葉植物の怪物であるリンボク類だ。そして、その道管もまたキャビテーション態勢が弱かったはずだ。このことを理由に石炭紀の湿地林は低温に弱かったという説もあったが、産出状況と全く一致しない。このブンブデンドロンやブラジロデンドロン、トミオデンドロンといったリンボク類はむしろ氷河に沿って分布する氷河堆積物に生育していた。つまり強烈な耐寒性を持っていたと考えなければ、説明できない。
それを可能とするのが、この強烈な甘みだ。
現在の維管束植物のように、植物全体を不凍液にするのだろう。
初めて外で見るリンボク類にはしゃいでいると、ふと奇妙な植物が目に留まる。
Y字状の分岐を繰り返すその姿は、まるでシルル紀のクックソニアCooksoniaのようだ。しかし、草体はさらに大型であり、匍匐する太さ5㎜以上ある太い主茎からクックソニア様の枝が立ち上がり、茂みを作っている。これはすごい…シルル紀型の植物は、他にもいたのだ。何とかして採集したいが、いかんせん泥沼にはまりそうで手が届かない。
しかたない。あとで収録の時に採集しよう。
ひとまず、このあたりの植生に関して下調べはできた。ちょうど日がてっぺんまで登ったので、予習したことをベースに収録を進めていくことにしよう。
収録が始まる前に、ゴンドワナ大陸の謎のクックソニア様植物の記録がないか改めて調べると、どうやらパウロフィトンPaulophytonというものらしい。本当にクックソニア様のものなのかはわからないが、少なくとも植物の初期進化を語るうえで不足はないだろう。
収録のテーマは決まった。
ホルネオフィトンからパウロフィトン、セラギネラ、そしてブンブデンドロン、様々なシダ種子植物、コルダイテス・・・まさに維管束植物の歴史をたどっているようだ。
この”寂びれた”寒い町は、ある意味石炭紀の森よりも学ぶ点が多いかもしれない、とまで思うほどだった。
さて、収録が始まる前に動画の構成を練っておこう。
スケッチブックにコンセプトを描き始める。
今回はゴンドワナ植物群の最初期のものに関して。
今回の内容は街なみとリンボクの甘み、あとはアウストロカリクス科と前裸子植物に関する感想以外にはエビデンスのない話を吐いていないですが、登場した植物は堆積と保存の都合で石炭紀中期ごろのものが多いです。
石炭紀に始まった古生代後期氷河期により、南北の高緯度帯には独自の植生が発達するようになりましたが、おもに石炭紀中期に残される初期のゴンドワナ植物群と、石炭紀後期前半から記録される初期のアンガラ植物群は表面的にせよ本質的にせよ、かなり類似しています。それは、両者の分離がそう遠くない石炭紀前期頃に起きたことを想像させます。しかしペルム紀には両者の違いは決定的となりました。
パウロフィトンはゴンドワナの広域から知られる特異な植物です。見た目はあたかもリニア植物のようですが、本当のことはよくわかりません。トリメロフィトン類などにも類似しています。
もしパウロフィトンが最後のリニア植物でありうるのならば、ゾステロフィルムなどもどこかに生き残っていないかなと期待してしまったりします。
これはメタ的な要素ですが、こんなパウロフィトンがあるので、無理やりホルネオフィトンを出したくなったのですよね…。
リンボク類が甘いと描写したのは本作が初めてだと思います。これはリンボク類だから甘いということではなく、寒さに晒される環境で耐えるための適応です。リンボク類は被子植物の道管に相当するレベルの巨大な仮道管を持ち、慣例による空気塞栓に弱い構造です。それを防ぐためには不凍液化する必要があります。不凍液化で最も手っ取り早いのは糖分。
となると、寒冷地に生育したリンボク類が甘いのはもはや必然の部類です。




