第三十七話
世界一美しいと言われる国がある。
その国はシロクマ王国と呼ばれ、世界で唯一中立を謳っている国。
一体何と何の中立なのか。それはレジスタンスと呼ばれる世界中に存在する巨大組織と、魔女が支配する国の事だ。二つの勢力は魔女達の方が勝ってはいるものの、レジスタンスにはとある強みがあった。
それは人の心、その物。
レジスタンス達は、仲間を増やす時、こう説く。
人の時代は人の手で作りだす者。そして人はいつか死ぬ。死ぬ前に、自分の理想や思想、技術から何から何までを子や弟子に引き継がせる。だが魔女達はそれをしない。永遠に存在し続け、君臨し続ける。
いい加減目を覚ませ、死の無い者など、生者とは呼べぬ。
奴等は屍だ。この世界は、死者に支配されているのだ。
生者の世界は、生者の手によって紡がれなければならぬ。
※
「ねえ、ラスティナ、聞いた? もうすぐ劇団がやってくるのよ、あの噂の劇団」
「聞いてるわ、マリス。とっても楽しみね。私、劇って見た事ないもの」
「それは嘘よ、小さな頃に見た事があるはずよ」
「あんなの劇じゃないわ。紙芝居に毛が生えた程度の物よ」
「酷い事言うわ。あのおじさんだって頑張っていたのに」
「あら、そのおじさんを食べたのは、どこの誰だったかしら」
「仕方ないわ、とっても美味しそうだったんだもの」
「これからくる劇団も、美味しそうかしら」
「きっと美味しいに決まってるわ。世界中を旅してるんだもの」
「でも魔女様に叱られるかもしれないわ」
「大丈夫よ、こっそり……つまみ食いするだけならバレないわ」
「そうね、じゃあそうしましょう」
「ええ、そうしましょう」
「たのしみね、マリス」
「ええ、ラスティナ」
※
唐突に、劇団船のシロクマ王国公演が決まった。依頼主はシロクマ王国在住の、国王陛下その人。シロクマ王国は魔女が支配している国ではある物、ニア東国と同じように政に魔女が関与していない。王家が存在し、国を導いている。ニア東国の魔女、スミレはただ単に面倒くさいという理由を内外に漏らしているが、シロクマ王国の魔女は、レジスタンスへの配慮だった。
レジスタンス達は魔女達による支配を良しとはしていない。シロクマ王国が中立の立場に立てているのも、魔女が国を支配しているわけではないからだ。だが、魔女の存在は大きい。スミレはあのような性格ゆえ、政庁の人間から煙たがられているが、シロクマ王国の魔女は違う。ひとたび政に口を出せば、即実行されるだろう。
劇団船の団長、ヴァレスは今回の話がどちらから出た物なのか、それが気になっていた。王家からの要請ならば問題はない。だが魔女が呼べと命じたのであれば、なにかしらの思惑が絡んでいる可能性がある。勿論断るという選択肢もある。ただでさえ今は立て込んだ状況なのだ。
だが同時にこれはチャンスだともヴァレスは考えていた。シロクマ王国ならば、他の国は手出し出来ない。たとえミシマ連邦といえども、シロクマ王国に手を出せば世界中のレジスタンスを敵に回す事になる。今ミシマ連邦は揺れている。何せオズマがクーデターを起こし、尚且つ……軍の大佐がこの場に居るのだから。
「団長殿。次の公演先が決まったと聞いたが」
「何を当たり前のように団員ぶってんだ。俺はまだ認めてないからな」
団長の私室へと踏み入るマギス。彼は軍服を脱ぎ、今は団員から借りた私服に着替えていた。
「そう言わないでほしい。私とてミシマ連邦の軍人のはしくれだ。相談役くらいにはなれると思うが」
団長は眉間を抑えつつ、穴が開きそうな胃を慮る。
そして観念するかのように、マギスへと次の公演先はシロクマ王国だと告げた。
「成程。貴方が悩む理由はよく分かる。まあ、今の状況ではどこの国も同じかもしれないが。そういう意味ではシロクマ王国はマシな方だと思う」
「マシ……か。あんたはいいのか。あそこにはレジスタンスがうじゃうじゃと……」
「確かに、私にとってはレジスタンスは脅威でしかない。だがシロクマ王国は中立の国だ。それは彼らだって心得ている。下手に事を荒立てれば、魔女が黙ってないさ。あの国の魔女は平和を愛する……いや、本心は分からないが」
「……危険はあると思うか?」
マギスへと、そう尋ねる団長。
団長にとって、団員を守る事は至極当然の事。現在、劇団船はニア東国によって指名手配されている。そして母国であるアルストロメリアにも入国を拒否されている状態。もしこの情報が漏れていれば、不埒な輩に絡まれる可能性もある。だがマギスは、あえて団長に尋ねた。
「危険……とは、具体的には?」
「……オズマ達だ」
団長は不安要素の一つであるマギスの存在を考慮に入れていた。
もしかしたら、マギスを追ってオズマ達が現れるのではないか、と。
「私がこの船に乗っている事は彼らも知らない筈だ。それに彼らもシロクマ王国には近づかないだろう。なにせ理由がない。彼らの目的は独立だ。中立の国で事を荒立てるなど、いくらあのオズマでも考え付かないだろう」
「ならいいが……」
「それに、もしもの場合は私が居る。この船の護衛も頼もしいが、私が居れば鬼に金棒だろう?」
「毒が塗られた諸刃の剣の間違いじゃないのか。まあ、護衛としては申し分無いが……」
「そうこなくては。毒がぬられた云々は誉め言葉として受け取っておこう」
どう考えても嫌味にしか聞こえない筈だ、と団長は溜息を。
だがマギスが居る今、護衛は確かに申し分ない。マギスがヴァイオレットに惚れているというのも本当のようだと団長は思っていた。下手な理由より余程説得力がある。
「分かった。次の目的地はシロクマ王国だ。黒蛇の安否が気になるが……まあ、特殊部隊が助け出すとか言ってたし大丈夫だろう……たぶん」
「アルストロメリアの特殊部隊か。貴方は詳細を知っているのか?」
「知ってても話すと思うか? ミシマ連邦の軍人に」
「まあ、信頼を勝ち取ってからにしよう。ところでこのまま向かうのか? どこかしらで補給などは?」
「ニア東国で補給は済ませたからな。十分に行ける筈だ。それと……一言忠告はさせてもらうが……ヴァイオレットを追い掛け回すのはいいが、あの子の出生はお前が思うより数倍過酷だ。余計な傷口を広げるなよ」
「……分かった」
劇団船はシロクマ王国へと舵を向ける。
今現在、劇団船が居るのはニア東国とアルストロメリアの中間、その海の上だ。
シロクマ王国へは、その海を南へ三日程かかる。
マギスはその間に、団員としての許可を得ようとしていた。
「数倍過酷……か」
団長の私室を出るマギスはそう呟きながら、劇団船の甲板へと向かう。
護衛としての信頼を得る為には、兎にも角にも彼女に認めてもらわねばならない。
そう、ヴァイオレットに。
※
甲板へと赴いたマギス。そこには数人の護衛団員とヴァイオレットが訓練替わりの取っ組み合いをしていた。数人の屈強な男達。その中心に居るのがヴァイオレット。
「精が出るな、私も混ぜて貰えないか」
突然現れたマギスを思い切り睨みつけるヴァイオレット。他の護衛団員達の反応は様々だった。元軍人である団員は警戒し、そうでない者は大して興味も無さげに。しかし一人だけマギスに興味を示す少年が居た。
その少年はマルコ。目でマギスを追い、どれ程強いのかと興味をそそられていた。黒蛇とどちらが強いのか。ミシマ連邦の軍の大佐、という肩書は結構だが、もしかしたらデスクワークで訛っているのではないかと。
「何しに来たんですか。団員でも無い方は客室でごゆるりと御寛ぎ下さい」
あからさまに嫌悪感をむき出しにするヴァイオレット。マギスはそれを鼻で笑いながら、団員から借りた上着を脱ぐ。
「護衛、としてたった今、団長から頼もしいの一言を頂いた所だ。だがそれだけで認めろというつもりは無い。貴方達の流儀で決めてくれればそれでいい」
取っ組み合いに参加しようと、マギスは準備体操を。正直、準備体操など数年ぶりだ。今まで実戦漬けの毎日だった。実戦に準備体操などする暇もないし、必要も無い。
そんなマギスの様子を見て、思い切り舌打ちするヴァイオレット。その時、マギスの目の前にマルコが立ちはだかった。
「順番ですよ、マギスさん。この中で最弱は僕です。僕を倒せたら……次のステップに挑戦する権利を得る事が出来ます」
そうなのか、初めて聞いた、と他の団員達は頷く。
マルコが最弱などと謙遜も甚だしいと思いつつ。
「随分若いな。それに見た目もいいじゃないか。私はてっきり君は役者だと思っていたが」
「見た目で判断すると命取りになりますよ」
御尤もだ、とマギスが頷いた瞬間だった。一瞬のスキをついて、マルコはマギスへと飛び掛かる。胴タックル、と見せかけて顎へ強烈な拳を繰り出した。
マルコはアルストロメリアの奴隷闘技場のチャンピオン。その動きは軍人顔負けだ。だがマギスは不意を突かれたと言うのに、いとも簡単にその拳を片手で受けて見せた。
「どうした、コンビネーションは無いのか?」
勿論ある。拳を受け止められたマルコは、マギスの手首を掴み、その場で回し蹴り。だがそれもいとも簡単に防がれた。そして次の瞬間、マギスの拳がマルコの顔面へと叩きこまれ……そうになった時、横から思わぬ加勢が。
「うお!」
「ッチ!」
ヴァイオレットがマギスの顔面へと横からハイキックを繰り出していた。マギスは寸での所で避ける。そのまま距離を取ろうとしたとき、マルコの胴タックルに掴まった。
「マルコ! そのまま!」
身動きできないマギスへと、ヴァイオレットは本気の飛び後ろ回し蹴りを。
それはマギスの顔面を狙っていた。だがマギスは一瞬、このままわざと受けようかとも思った。だがヴァイオレットは生身の人間。それに対しマギスは強化人間だ。例えるなら、鉄柱を蹴っているような物。
「へ?」
マギスは苦肉の策を取った。タックルしてきたマルコを持ち上げ、そのままヴァイオレットの蹴りの軌道上へと捧げたのだ。
「ドグファ!」
「なっ! ま、マルコ?!」
ヴァイオレットの飛び後ろ回し蹴りをまともに顔面へと食らったマルコ。そのまま甲板へと転がり、マギスは何事もなかったかのように態勢を整える。
「ひ、ひきょうものー!」
「君は可愛いな。まあ、こんな対応策もあると言う事だ」
ヴァイオレットは転がったマルコを後目に、再びマギスと向き合う。今度は一対一。ヴァイオレットは負けるわけにはいかないと、本気でマギスへと向かい合う。
「はいはい、ストップストップ」
その時、二人の間へと入ってくる人物が。リエナだ。この劇団の看板女優が、護衛である二人の間へと割って入る。
「なっ! 邪魔しないでください! リエナさん!」
リエナはヴァイオレットへと、不気味な笑みを浮かべた。
その瞬間、ヴァイオレットは委縮してしまう。
「私のマルコをあんな風にしちゃって……ヴァイオレット? 貴方……いい調子みたいね?」
「ひ、ひぃ! 怖い! リエナさん怖い!」
「おだまり。あんた後でマルコの代わりに雑用手伝いなさいよ。それと……マギス……だっけ? 貴方」
次はマギスへと顔を向けるリエナ。
マギスもリエナの顔は見覚えがあった。劇団船はミシマ連邦でも公演した事がある。その時に目にしているのだろう。
「看板女優のリエナ……だったか。そうだ、私はマギスという。以後よろしく頼む」
「よろしく。最初に言っとくわ。私、貴方の事が大嫌いよ。二度と顔も見たくないくらい。でも同じ船に乗ってるんだからそうも言ってられないわ。だから私、貴方に嫌がらせをしようと思うの」
突然初対面の人間に何を言うのだ、とその場にいる全員が思った。だが誰もリエナには逆らえない為、黙って見守る事に。
「嫌がらせ……とは?」
「今団長と話してきたの。貴方、役者として船に乗る気はある? まあ、無いなら今すぐ飛び降りて頂戴。私の言ってる事、理解出来る?」
「役者……?」
マギスは流石に戸惑いを隠せない。何故自分が役者なのだ。護衛の方がいいに決まっている。
「団長殿は……俺を護衛として頼りにしていると……」
「あぁ、その話は忘れて。もう私が決めたから。いいこと? この船の裏の支配者は私よ。私の我儘なら大抵の事は通るの。おわかり?」
そうなのか、初めて知った、と周囲の護衛達は思いつつも、とりあえず頷いておく。
「つまりは……それが嫌がらせか」
「そうよ。そして役者は誰か一人、護衛を付けるのが決まりになってるの。ヴァイオレット、貴方、この人の護衛になってあげなさい」
「……はぁ?!」
思い切り拒否反応を示すヴァイオレットだったが、リエナの不気味な笑みの前では大人しく従うしかない。今は逆らわない方がいい。
「ありがたい申し出だが……私は役者など経験は……」
「あら。誰でも経験はあるはずよ。人は誰でも誰かを演じながら生きてるんだから。それを意図的にコントロールするのが役者よ。嫌ならいつでも飛び降りてもらって結構よ。どうするの?」
マギスは予想外な展開に戸惑いつつ、リエナの背後に立つヴァイオレットへ目線を。ヴァイオレットはひたすら親指を下に向け、威嚇してくる。
「分かった。裏の支配者殿。どうやら俺は逆らえないらしい。なら致し方ない」
「物分かりが良くて助かるわ。じゃあ早速今から特訓よ。時間がないもの。シロクマ王国の公演まで物にしないと」
既に公演まで決まっているのか、とマギスは小さく溜息を吐いた。
その時、リエナはマギスへと
「今の溜息、それは誰の溜息?」
「……難しい質問だ。単純に私の……では駄目なんだろう?」
「そうね。今貴方は誰を演じてる? 自覚が無いなら、まずはそこからね」
自覚など在るはずが無い。
マギスはひたすら自分自身だとしか言いようがない。
だがリエナの言っている事も、少しは分かる。人は誰しも誰かを演じている。
オズマと戦った時の自分は、恐らくオズマ自身を演じていたんだろう。
あの情け容赦の無い、戦闘において徹底的にまでの鬼のような男を。




