第三十六話
海へと放り出されたミコトとムライ。二人は漁船の残骸に掴まりつつ、起動兵器へと向かった黒蛇を待っていた。しかし一向に黒蛇は上がってこない。
「クロ……大丈夫にゃんか? まさか海中に引き釣り込まれて……」
「分かりませんが……我々もこのままでは危ないですね。まだこの辺りに危険生物は居なさそうですが……」
ムライは辺りを見回し、漁船の船員の行方を探る。漁船は見事に粉砕されていた。この漁船はムライがニア東国に密入国した際、乗っていた物。つまりエレメンツを搭載した、あの漁船だ。
エレメンツはどれだけ粉砕しようとも死ぬことは無い。だが回収する事もままならないだろう。海中に沈んでしまっては絶望的だ。ムライは折角の貴重なエレメンツが……と歯ぎしりしたい気分だった。
「……機械音も聞こえないにゃ。まさか本当に海の底に……」
「黒蛇さんを信じましょう。我々に出来る事は生き残る事です。とりあえず、助けを呼ばねば」
ムライは上着のポケットから通信機を取り出そうとした。しかし今ムライは上着を着ていない。
「……あぁ! しまった! 私の上着は……?!」
「さあ」
「さあって……! あれに通信機が入ってたのに……! ど、どうしましょう……もう助けを呼ぶことも……」
二人は残骸に掴まりながら、海の波でどんどん陸地から離れていっている。まだ目視でニア東国の大陸は見えるが、先程と比べてかなり流されていた。
ムライはこれは不味いと顔を引きつらせる。それに対し、ミコトは黒蛇の事だけを心配していた。人生で唯一惚れた男。その男が死んでしまったかもしれない。
「ちょっと、私探してくるにゃ!」
「あぁ! ちょっと待ってください! 置いてかないで……!」
「にゃ、にゃあぁ! どこ触ってるにゃ! 離すにゃ!」
「お、お願いです! 置いてかないで……」
ミコトにしがみ付くムライ。そのムライを剥がそうとするミコト。しかしその時、ミコトの鋭い聴覚が、新たな来訪者の存在を捉えた。
「なんか……来るにゃ!」
「え? え?」
ミコトは水面を見つめる。するとそこに、先程までは無かった黒い巨大な影。
「にゃああああ! さっきの起動兵器が戻ってきたにゃ?!」
「ひぇぇぇぇ! 黒蛇さぁぁん!」
騒ぐ二人。そんな二人は迫ってくる巨大な影を凝視。影はだんだんと濃くなり、ついには二人の足元まで。
「にゃぁぁぁぁ!」
二人を海面から持ち上げるように現れた巨大な影、その正体は……
「わ、ワニ?! ワニが海にいるにゃあぁ!」
「ぎゃぁっぁぁ!」
信じられない程に巨大なワニ。先程の巨大な起動兵器を優に噛み砕ける程に巨大な牙。そして爬虫類特融の鱗。その上に二人は抱き合いながら乗っていた。怯える二人は身動きする事すら出来ない。
「…………ん?」
しかしムライは違和感を覚えた。ワニは二人を自身の頭の上に乗せただけで、襲ってくる気配もない。そしてこれだけ巨大なワニが居る筈も無い。しかしムライはその時思い出した。瀆聖部隊に、巨大なワニに神化した女性が居る事を。
「ま、まさか……メリアンナ曹長?」
かすかに、ワニが頷いた気がした。ムライはワニの片目を見つめながら、語り掛ける。
「な、何故ここに……」
「あ、あんた……ワニと喋れるにゃ?」
ワニへと語り掛けるムライの頭を心配するミコト。だがその時、ミコトの耳にワニの唸り声のような物が聞こえてきた。まるで歌っているようだ。
「歌ってるにゃ……ん? この歌……知ってるにゃ、確か……再会って曲にゃ!」
「知っていて当然ですよ。彼女は……メリアンナ・グローレンス。歌唱部隊として戦地で歌い、兵士を鼓舞していたんです。その歌があまりにも美しいから、世界中で愛され……」
ミコトはその歌を知っていた。いや、むしろ大好きだった。しかし唐突にその歌手は行方不明になったと風の噂で聞いた事がある。まさかこんな姿に神化していたとは、とミコトは驚きを隠せない。
「わ、私、貴方のファンにゃ! お会いできて光栄にゃ! しかも助けて貰えて……もう感極まって泣いてしまうにゃ!」
興奮気味のミコト。すると巨大なワニ、メリアンナは次の歌を。
「この歌は……ぁ、ありがとうって曲にゃ! 凄いにゃ! 歌でコミュニケーション取れるにゃね!」
「す、すごいですね、ミコトさん。本当にファンなんですね……」
「当たり前にゃ! むむ、次の曲にゃ。これは何の……」
その曲が何の曲かを聞き取るように耳を澄ませるミコト。
しかしだんだんと、その顔は青ざめていき……
「ム、ムライ! しがみ付くにゃ!」
「え、え?」
バっとワニの鱗へ抱き着くミコト。
「決して離さにゃいで! って曲にゃ!」
曲名を聞いて、ムライも顔を真っ青に。
そしてムライもミコトと同じように鱗へと抱き着いた瞬間、ワニは勢いよく海へと潜り、巨大なワニとは思えない速度で海の中を突き進む。
ワニが向かう先、そこは次の瀆聖部隊の目標となる国。
※
レジスタンスの船で殴り合いを続けるゼマとライオン男。その様子を船員達は手出しする事も出来ず、ただ見ていた。黒蛇も一体いつまで殴り合っているのだと、呆れた顔を。
黒蛇は船員から借りた上着を羽織り、体を縮こませていた。今自分は女。男は決してこんな風に小さくなっている女に手出しなど出来ない。無論、黒蛇基準だが。
「一体いつまで……」
船員の一人がそう呟いた。それは誰もが思っている事だろう。それよりも黒蛇はミコト達の安否が気になっていた。そっと船の上から海を眺めてみるが、見つかる筈が無い。
「あのっ! 友達が海に落ちたんです! 助けて下さい!」
黒蛇はそう船員達へと訴える。だが船員達は不味い顔をするのみ。この広大な海に落ちた人間など、どう探せばいいのだ、と。
「対人レーダーとか無いんですか?!」
「あ、あるにはあるけど……」
船員は殴り合っているゼマとライオン男から目が離せない。黒蛇は歯ぎしりする。あの二人がここで殴り合っている以上、船員達は動かない、いや、動けないのだ。あれをどうにかするのが先決だ。
「貸せ!」
その時、黒蛇は船員から銃を取りあげる。旧式のアサルトライフル。随分使い古されたそれを、黒蛇は上空に向けて数発発砲。それと同時にゼマが反応し、ライオン男から退いた。そして黒蛇を凝視してくる。
「いい加減無駄な殴り合いは止めろ! ゼマ!」
そのまま銃口をゼマへと向ける黒蛇。瞬間、次は黒蛇へとゼマが突進してきた。慌てて逃げる船員達。だがライオン男は、突然自身に背を向ける男に憤りを感じたのか、銃声よりも強烈な咆哮をあげた。
「おい! そこの女! 邪魔するな! というか誰だお前!」
その咆哮に一瞬体を硬直させる黒蛇とゼマ。二人共にライオン男へと視線を注ぐ。
「折角良いところを邪魔しやがって……。おい、トカゲ男、続きだ」
「だからっ! 無駄な殴り合いは止めろ!」
「黙ってろ、小便臭いガキが。お前から喰ってやろうか」
黒蛇へと殺気を露わにするライオン男。
元軍人である黒蛇は、そんな殺気には慣れっこだった。だが思わず足が竦んでしまう。檻越しでも無く、巨大な猛獣と向かいあっている感覚。しかしそれは正解だ。神化した人間とはいえ、その能力はまさに獣。獣に人間の知能を併せ持つ怪物。
だがそんな黒蛇の前に、ゼマが立ちはだかった。
意外な対応に黒蛇は困惑しつつゼマの背中を見つめる。
「なんだ? トカゲ男。その女に惚れたのか?」
いや、無い。それは無い、と黒蛇はブンブン首を振る。
ゼマは自分を黒蛇と認識した筈だ。そうでなければ、こんなか弱き美少女の腹に回し蹴りなど放たないだろうと黒蛇は思う。
「……」
ゼマは無言で再び構えを取る。それを見たライオン男は笑みを浮かべ
「いいぞ、そうだ、まだ戦いは……」
再び対峙しようとするゼマとライオン男。
黒蛇はこんな調子ではミコトを助けになど行けない、そう思った時だった。
ライオン男の背後に第三者が近づいてくる事に気が付いた。
「……何をしているんだい、昼寝から目覚めてしまったじゃないか」
その第三者の顔を確認した黒蛇は凍り付く。
馬鹿な、何故、何故ここに、こいつが居る……と。
そしてそれはゼマを同じようで、構えを取ったまま動けない事は明白。
「馬鹿……な」
黒蛇のその嘆きを聞いたその第三者。
赤毛の三つ編みの女性。白いローブを身にまとい、年齢は十代後半程。
「……あんたは引っ込んでてくれ。これは俺の戦いだ」
ライオン男は背後のその女性へと語り掛ける。
だが女性は鼻で笑いつつ
「君の戦いで昼寝の邪魔をされたんだ。私の寝起きは最悪だと知ってるだろ」
瞬間、ライオン男の顔が真っ青に。
女性はライオン男の尻尾を鷲掴みにしたのだ。
「昼寝の邪魔をした罰だ。このままニギニギしちゃうぞ」
「や、やめ……わかった! わかったから止めてくれ!」
途端に大人しくなるライオン男。その展開に黒蛇とゼマは毒気を抜かれたように立ち尽くすしかない。
しかし目の前の女性の存在に驚きを隠せず、黒蛇は嘆くように言い放った。
「何故……貴方がここに居る……? シロクマ王国の“魔女”……キズナ」
女性は黒蛇にそう問われ、笑みを浮かべた。
「初めまして。サクラから聞いてるよ、黒蛇。いや、こう呼ぶべきかな……ヒビキ」
ヒビキ、それは黒蛇の本名。
その名を知るのは黒蛇の育ての親である魔女、サクラ。そして劇団船の団長、ヴァレスのみ。
「心血武装を無くしたんだね。可哀想に。とりあえずおいで。一緒に御風呂に入ろう」
その瞬間、黒蛇は意思を刈り取られるように、魔女に逆らう事も出来ず、アサルトライフルを捨て魔女の元へ。ゼマも眺めている事しかできない。
「さて……君はミシマの所の軍人だね。悪いけど……この船は私の物なんだ。君は……去りたまえ」
ゼマは逆らう事が出来ない。
いくら任務に忠実とはいえ、本物の怪物を目の前にしては逆らう事など許されない。
ゼマは困惑していた。
何故レジスタンスの船に魔女が乗っているのか。
何故その魔女がレジスタンスの指揮を執っているのか。
オズマにとりあえず報告せねばならない、ゼマはとりあえずそれを“言い訳”にして、この場から離脱する事を選んだ。
船から海へと飛び込むゼマ。
魔女の支配を良しとせず、銃を取り世界の敵となったレジスタンス。
だがそのレジスタンスの指揮を魔女が執っていた。
ゼマは深い、海の底へと潜っていく。
暗い暗い、海の底へと。




