第三十五話
“感情は風化する。それがたとえどんな怒りでも、悲しみでも、感情は風化する。だから今一度確認せねばならない。あの時の感情を思い出せるように、思い出の品を何か一つ持っていこう”
劇場船、その甲板に回復したマギスが風に身を晒していた。マギスは劇場船に乗る事を団長に求めたが、結局答えは「断る」の一点張り。団長としては危険人物の中の危険人物を船に乗せたくない、というのは当たりまえの事。マギスもそれはよく分かっていた。だがマギスの父、ウェストンの言う通り、国に戻っても世界の真実とやらは顔を出さないだろう。違う視点で世界を見ねばならない。
「そんなところに居たら、風邪を引きますよ」
そんなマギスに話しかける一人の女性。劇団船の面々に姉と慕われるラスアだ。マギスは後ろから話しかけられ、向かい合うように体を向ける。彼は一目で分かった。ラスアが元軍人である事に。
「貴方は……」
「初めまして、ミシマ連邦の大佐さん。随分大胆ね、いきなりヴァイオレットに求婚するなんて」
マギスはヴァイオレットに一目惚れをしてしまった。劇団船に乗る理由としても、世界の真実云々より、ヴァイオレットを守りたいと思ってしまった。すでに優先事項は入れ替わっているのかもしれない。
「でも気を付けた方がいいわ。ヴァイオレットは驚くほど口が軽い子だから。もうすでにこの船の中で噂はもちきりよ」
「構いません、真実ですから」
今現在も船は空中に停泊したままだ。そこから見えるのは夜の海。水面に浮かぶ月の姿が、幻想的な光景を生み出している。
マギスは甲板の柵にもたれかかるように。ラスアも同じように、海を眺めながら柵へと手を掛ける。
「野暮な事を詮索するつもりは無いのだけれど、それでも私はこの船の“護衛役”としての責務があるわ。貴方の事をこれから監視するような真似をするかもしれないけれど、あまり気を悪くしないでちょうだい」
ラスアは自身の事を護衛役と言う。しかし彼女は紛れもなく役者だ。護衛役は他にも居るのだから、わざわざ彼女がでしゃばる必要も無い。だが彼女自身、二十年前の戦争でマギスを目撃していた。覚醒体をたった一人で仕留めるその姿を。そのマギスの危険性は誰よりも知っている。
「貴方が私の監視役ですか。出来ればヴァイオレットの方が良かったのですが」
「勿論その案も出たけど……ヴァイオレットが拒否したんだから仕方ないじゃない。貴方、そうとう嫌われてるわよ」
マギスの頬は緩む。嫌われている。まるでそれが嬉しくて仕方ない事のように。
劇場船は夜の空に浮き続ける。次の目的地が決まるまで。
だがそれは意外と早かった。次の目的地、公演先は尤も美しいと称される国だった。
※
黒蛇、ミコト、そしてムライの三人は小さな漁船へと乗り込み、ニア東国からの脱出を図っていた。だがその漁船は見るからにボロボロで、とてもニア東国からアルストロメリアまでの航海を熟せるスペックがあるとは思えない。黒蛇はそれを態度で示しつつ、ムライへと抗議する。
「おい、本当にこの船で行くのか?」
「ええ、少々手狭ですが……大丈夫、船員の腕は保証しますよ」
ムライはそういいつつ、二人の漁船の船員へと今後の航海について相談し始めた。黒蛇とミコトは仕方なしと漁船に積んであった木箱へと腰を下ろす。
「にゃぁ、クロ……これから私、どうなるにゃ?」
ミコトは不安そうな顔を。それはそうだ。生まれ育った国をこれから出る。不安でない筈が無い。だがニア東国でもう過す事は出来ない。ミコトも立派な手配犯となってしまったのだから。
「アルストロメリアに戻ったら……とりあえず劇団に入れ。隠れ蓑にはちょうどいい。役者か護衛か……それはミコトが決めればいい」
「や、役者……」
とたんに明るい表情になるミコト。役者に憧れを持っているようだ。
「私も、あのリエナみたいになれるにゃ?」
「それはお前次第だ。役者になるなら覚悟しろよ。容赦なく泣かしに来る人間が約二名居るから……」
その時、漁船のエンジンがかかる。船長らしき男は舵を取り、海を駆り始めた。明け方の海は何処か不気味さがあると黒蛇は思いつつ、水面を見つめる。
そしてふと思った。ゼマはあれで諦めたのだろうか、と。
ゼマはオズマの部下の中ではかなり任務に忠実だ。どんな無理難題でも熟そうとするイメージを黒蛇は持っていた。その軍人としての精神性はオズマから学んだ物ではないだろう。あのインチキ親父からそんな事を学べる筈がない。ならば他に指針となるべき人物が居たはずだ。
それが誰かは分からないが、ともかくゼマが追ってくる危険がある、黒蛇はそう思っていた。たとえ海に逃げようとも、ゼマならば……。
「……バカバカしい……」
そうだ、馬鹿馬鹿しい。いくらあのゼマでも、外海にさえ出てしまえば追ってこれる筈が無い。そもそも目的が分からない。何故ゼマが自分達を追ってくるのか。オズマの指示なのだろうが、三年前の幹部暗殺の件はオズマも感謝していたくらいなのだ。奴等に追われる筋合いはないと黒蛇は思う。
「……にゃんか、聞こえにゃい? 下から機械音というか、にゃんというか……」
「機械音?」
ミコトの言葉に船員を含めた全員が水面を見る。しかし何も見えないし、聞こえない。
「気のせいだろ。この下に潜水艇でも潜んでるっていうのか?」
黒蛇のその言葉に、ムライは渋い顔を。
「まあ、あり得なくはないですね。国境警備隊から離れているとはいえ……いえ、離れているからこそ、警戒区域かもしれません。我々は明らかにニア東国にとっては犯罪者ですし……」
「しかし浅すぎるだろ。こんな所に潜水艇なんて忍ばせる意味が無い。陸から監視してればそれで済む話だ。維持費だけでも相当金が吹き飛ぶぞ」
「それもそうですね。まあミコトさんもお疲れで……」
「上がって来るにゃ!」
ミコトがそう叫んだ瞬間だった。突如として漁船の行く手を阻むように現れる巨大な影。漁船など優に押しつぶせる程の巨大な起動兵器が姿を現した。その姿は黒い塗装で覆われた昆虫。
大きな波に揺れる漁船。その中でムライと黒蛇だけは冷静にその起動兵器を観察していた。
「これは……シロクマ大国が開発した奇襲起動兵器です! 通称百足!」
「いい趣味してるな……」
叫ぶミコトと漁船の船員達。
黒蛇はミコトを落ち着かせるように抱きかかえる。そしてムライは起動兵器を観察。
「砲門らしきものは見えませんね。どうやら監視任務専用型のようです」
「シロクマ王国がニア東国を監視してたって事か? なんでまた」
「さあ……心当たりが多すぎて……」
鈍い金属がこすれる音を響かせながら、起動兵器は漁船を睨みつけるように動きを止めた。それはまるで乗船している人間を確認しているように。
「しかしこんな所で姿を晒す意図が分かりませんね。ニア東国に補足されてしまっては、監視の意味も……」
「そりゃ、答えは一つだろ。俺達を殺すためだ」
瞬間、百足はそのまま漁船に突っ込んでくる。咄嗟に黒蛇はミコトとムライの襟首を掴み、海へと飛び込む。漁船は百足によって粉々に粉砕され、二名の船員はどうなったかは分からない。
「ぶっは! おぼ、おぼぼぼぼ!」
「ムライさん! 上着脱げ!」
黒蛇はミコトと一緒になってムライの白スーツの上着を脱がせる。だが泳いだ所で逃げ切れるわけが無い。それに黒蛇の勘が正しければ……
「操縦桿を握ってるのは……ゼマか?」
あり得ない話じゃない。ミシマ連邦軍は数多くの兵器を取り扱っている。ゼマがそのレクチャーを受けていても不思議では無いし、扱ったことのない兵器でも、経験者が基本さえ押さえてしまえば操縦できなくもない。
「ミコト、ムライさんを頼む。俺はあれから操縦者を引き釣り出してくる」
「え、え? そんな事出来るにゃ?」
「出来るだろ? なあ、ムライさん」
「た、確かに……緊急脱出用のピットの設置は義務付けられてますから……あくまでミシマ連邦内の法律でですけど……」
それはアルストロメリアでも同じだった。黒蛇も兵器類の操縦桿を握った事は数える程だが、確かに外部からコクピットへと繋がる扉は存在する。だがその扉は人の力で開くような物では無い。専用の器具でもあれば話は別だが、ここにはそんな物は無い。
だが黒蛇は海へと飛び込んだ瞬間、確信した。この体は海の中でも動ける。女の姿になって男の頃には出来なかった事が出来る。黒蛇は着ていた衣服を全て脱ぎ捨て、百足へと最接近する。百足は黒蛇を補足したのか、大きくうねるように海の中を掻きまわした。
黒蛇に抗う術などない。だが流れに身を任せつつも、巨大な百足の足の一本へと捕まる事が出来た。そこから黒蛇は頭部に向かって伝いはじめる。
もし本当に操縦しているのがゼマだったなら、今一度問わねばならない。オズマの目的を。だが生け捕りに出来るような甘い相手でも無い。黒蛇はかつて、ゼマとの交戦経験がある。俊敏な動きに意外と回る頭。冷静かつ淡々と任務を熟す精神性。軍人になる為に生まれてきたかのような男。
暴れ続ける百足にしがみ付きながら、黒蛇は海中でゼマとの戦闘を想定しながら頭部へと着実に近づいていく。そして目的の緊急脱出用の扉らしき物を見つけた。薄い切れ目がそこに見える。意識していなければ見えない程の。黒蛇はその切り目に手をかけ、こじ開けようとする。だがやはりちょっとやそっとでは開いてくれない。というか、本来外部から開けられてはいけない扉なのだ。少し力を入れたからと言って開くわけが無い。
すると黒蛇がそこを開けようとしている事がゼマに伝わったのか、より一層百足の動きが激しくなった。黒蛇は必至にしがみ付きつつも、もう息が持たなくなってきている。もはや一度手を話、海面に出て一度呼吸を……と、その時突然緊急脱出用の扉が勢いよく開け放たれた。そしてそこから出てきた黒い影に首元を捕まれる黒蛇。
「ぜ、バ!」
やはりゼマだった。何故わざわざ自分から出てきた、と黒蛇は一瞬困惑するが、それは確実に自分を殺すためだと察する事が出来た。ここは海の中で、兵器ですりつぶしたとしても死体の確認が出来ない。任務に忠実なゼマは確実に自分を殺し、尚且つその証明を出来る方法を取った。
だがゼマは黒蛇の首を掴んだ瞬間、勢いよく海面に向かって泳ぎだした。その速度はサメと同等かそれ以上。ここがまだ浅い海で良かったと黒蛇は心底思う。水圧の差が身体に甚大な影響を及ぼす事も無い。
そして海面へと到着し、ゼマは勢いよく黒蛇を空中に放り投げた。そのまま再び海面に叩きつけられる、そう思った黒蛇だったが、叩きつけられた先は固い感触。
「ぶっは! くそ、あの野郎……」
黒蛇は違和感を覚える。叩きつけられたのは海面では無く、まぎれもなく地面があった。正確には船の甲板だが。
「あ? なんだ……ここ……」
「うわっ! 裸の女が海から出てきた! 船長! 船長! 人魚ですよ! 下半身人間だけど!」
そんな叫び声が黒蛇の耳に届く。黒蛇は周りを観察して、遅れてようやくここが船の上だと理解した。遠目にニア東国の大陸が見える。
「船……? かなりデカいな……」
黒蛇が投げ込まれたのは大型船舶。まさか海賊ではあるまいな、と思いつつ、体を起こした瞬間。ゼマも船の上へと乗り込んで来た。
「うわっ! 次はなんかトカゲみたいなのも来た! 船長! 未確認生物です! 深海のロマンです!」
船員らしきそんな声を無視しつつ、ゼマは黒蛇の前へと立ちはだかった。だがすぐに襲ってくる様子は無い。それに違和感を覚えた黒蛇は、ゼマへと言葉を投げかける。
「おい、どういうつもりだ。一体、お前何がしたいんだ」
その質問にゼマは黒蛇へと視線を傾けつつ、その口を開いた。
「……自分の任務は、黒蛇の捜索、及び拉致であります。貴方に彼の所在を問いたい」
淡々とした声。その時、黒蛇は自身の姿が変わっている事を思い出した。勿論忘れていたわけでは無い。だがゼマに対峙している中で気にする余裕も無かっただけだ。
「拉致……? お前ら、一体何のつもりだ。瀆聖部隊が俺に一体何の用だ」
簡単に黒蛇は自分だと白状する。だが構わない。この場でゼマをどうにかするのが先決だ。下手な嘘でこの場を乗り切れるとは思っていない。
「…………」
ゼマも目の前の女が黒蛇だと察したのか、牙をむき出しにする。それはそうだ、目の前の女は少女にしか見えない。そんな少女が百足にしがみ付き、尚且つ緊急脱出用のピットをこじ開けようとするなどと到底思えない。その見た目とのギャップが、目の前の少女が黒蛇なのだとゼマに思わせた。
戦闘開始の合図など無い。ゼマは音もなく黒蛇へと飛び込み、そのまま鳩尾へと鉄拳を向けてくる。目的が殺害では無く拉致だからなのか、急所を牙でえぐろうとはしない。
黒蛇はそれを察し、同時に憤りを覚えた。久々に再会した自分に深手を負わせた男。次に見合う事があれば、絶対に仕返しをしてやると。だがその相手は今、明らかに手加減している。それは舐められているという事だと黒蛇は解釈した。黒蛇は鉄拳を躱しつつ、そのまま体を半回転させながらゼマの首元に回し蹴りを。だがその固い外皮には大してダメージを与えられない。
「くそっ! 痛え……! 俺は今女だぞ! 女は丁寧に扱え馬鹿野郎!」
その訴えがゼマに届く事は無く、今度はゼマの容赦ない回し蹴りが黒蛇の脇腹へと炸裂する。黒蛇は甲板の隅まで吹き飛び、ゼマは追い打ちをかけようとする。だがその時銃声が響いた。
銃声はその船員による物。ゼマは海面に船がある、と優れた感覚で察知していただけで、ここが誰の船かなど知りもしなかった。ゼマにとってはいい足場がある、その程度の認識だったかもしれない。任務に忠実で、慎重派であるゼマでも、その船がまさかその組織の物であると想定などしていなかった。何故ならここはニア東国と目と鼻の先の海なのだから。
銃声と共に現れたのは、複数の船員と一際大柄な男。その男には尾が生えていた。そしてその顔は人間離れしており、ライオンのような頭部。
「人の船にダイナミック乗船しておいて……始める事は殺し合いか。良い度胸してんじゃねえか」
ゼマは振り返りつつ、その船に掲げられた旗を凝視。そこにはレジスタンスである事を主張するマークが。対魔女を主張するかのように、魔女が支配する大陸図に剣が掲げられている。
「おい、トカゲ男。お前……軍人か? 神化した人間を軍人として雇ってる所なんざ、ミシマ連邦とシロクマ王国だけだ。お前がどちらかは知らねえが……」
船長らしきライオンは、片手を上げる。同時に船員がゼマへと銃口を向けた。
「海の藻屑になれや」
その発言と同時に発砲される銃弾。誰がどう見てもゼマが不利だとその時思った。だがゼマは事もあろうに、身を固めて銃弾を全て受け切った。流石に出血はしている。だが大してダメージを与えられていないのは、誰の目から見ても明らか。
「ッチ……船の主砲ぶちかませ!」
「いやいやいや! 船に穴開くだけ……っていうか甲板に主砲なんて物理的に無理ですぅ!」
そんなやり取りを他所に、ゼマは船員達へと突進する。ライオン男は船員達を突き飛ばしながら、ゼマの突進を迎え撃った。腰へとタックルするゼマ。ライオン男はそんなゼマの体を抱え上げ、甲板へと叩き付ける。穴が開くほどの衝撃。だがゼマは何事も無かったかのように立ち上がり、再びライオン男へと立ち向かう。
「魔女の犬にしては中々骨があるじゃねえか! トカゲ野郎! そうだ、男と男の勝負は結局拳で決まるもんだ!」
そのまま殴り合いへ。お互い引かず、防御する事さえ忘れ殴り合う。船員達も船長であるライオン男を援護しようと銃口を向けるが、撃てる筈がない。銃弾はより体格のいい船長に当たるだろう。
そしてそんな戦いを後目に、黒蛇はゼマに回し蹴りを食らった脇腹を抑えつつ立ち上がる。目の前で繰り広げられている戦いなどどうでもいい。黒蛇は生き残る術を模索する。
「あ! 裸の女……人魚も立ち上がったぞ! あいつも結構狂暴そうだし拘束しろ!」
船員数人が黒蛇を取り囲み、銃口を向ける。
黒蛇はゼマから食らわされた回し蹴りのせいで、頭が回らなかった。唯一、残っているのはミコトの救出。最悪ムライは死んでいてもいい。ミコトだけは助け出さねば。
そこで黒蛇は苦渋の決断をした。
「た、助けて下さい……海の上であいつに襲われそうになって……まだ海に友達の女の子が居るんです……」
船員達は目の前で体を隠しながら助けを乞う少女に、抗う術など持ち合わせては居なかった。




