初めて電車に乗った日
初めて電車に乗った日のことを、少しだけ覚えている。
おかあさんと暮らすようになって、しばらくしてからのことだった。
まだマニュアルを大事にしていたおかあさんは「小さいうちにいろんなことに慣らしておきましょう。そうしないと、大人になってからではできなくなる、もしくは大きなストレスを与えることになります」と書かれてあるのを読んで、小さいうちにやることを箇条書きにしていた。
そのうちの1つが公共交通機関を使うこと。
いつか電車で出かけないといけないようなことにもなるかもしれないからと、おかあさんは「電車に乗ること」を、やることリストの筆頭にしていた。
その日のために、わたしをキャリーするバッグを部屋において、わたしに慣れさせていた。
その頃わたしは小さくて、後には狭くなったバッグもまだ大きかった。
わたしは「部屋に新しくやってきたもの」にまだすごく敏感だったころで、新入りのバッグをくんくん嗅いだ。
ちょっと変なにおいだったけれど、すぐに慣れた。
おかあさんはバッグの脇のところにある口を開けて、そこにかりかりフードを入れた。へっぴり腰だったけれど、誘惑に勝てなくて、首を入れてゲット。
慣れてきたころ、バッグに入れられた。案外嫌じゃなかった。それどころかなんだか落ち着いて、ときどき、自分から入ってみたりもした。
「時期が来た」とおかあさん。
わたしをバッグに入れ、外にでた。
それからバッグの窓はみんな閉じられて、わたしはバッグごと地面に置かれた。人の匂いがいっぱいする固い床だった。
今思えば、いい季節だったんだろうな。バッグの中は、寒くも暑くもなくて快適だった。
それで、ちょっとどきどきしながらも嫌な感じはしなかった。
その後、床がぐらぐら揺れた。でも、嫌じゃなかった。少しうるさかったけれど、眠りそうだった。
後で分かったことだけれど、このとき、わたしがいたのは路面電車の中だった。電車はチリンチリンとときどき鳴った。
行き先は浜寺公園ってところ。
とっても広い公園だったのを覚えている。
バッグから出たわたしは知らないところにいて、土には知らない匂いしかしなかった。
くんくん嗅いで歩き出した。
知らない匂いしかしないって、なんだか新しかった。おかあさんの匂いは横にあったから安心していたし。
他に誰もいない松林で、おかあさんが走り出した。
リードを放していた。
どうした?と思ってわたしも走り出した。
あのときの松林が走っているみたいな風景を、おぼえている。ひろくて、世界におかあさんとわたししかいないみたいだった。
おかあさんは立ち止まると下にいるわたしをなでて、「ついてくるんだね。いつから知ってた? わたしたちが家族だって」。
それを知りたかっただけだったみたい。
リードでつながっていない状態で走り出したら、わたしがどうするかみてみたかったみたい。
反対に「知らなかったの?」と言いたかった。
リードでつながっている関係だとでも?って。




