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大阪を歩く犬  作者: ぽちでわん
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竜田越奈良街道だとか

大阪から奈良に向かう道はたくさんあって、主には東大阪から最短距離で行く、けれど険しい暗越(くらがりごえ)奈良街道と、一番なだらかな道を八尾から行く竜田越奈良街道、あとは信貴山経由で行く道(おお道、信貴道、恩智街道など)だそうだ。

奈良なんてすごく遠いと思っていた。けれど案外近いのかもしれないな、と思った。

暗峠(くらがりとうげ)とか竜田山とかを越すともう奈良らしかったから。とりあえず竜田越奈良街道をスタート地点から歩いてみることにした。一日で歩くのは無理なので、何度かに分けて。


古代からあった渋川道を継承する竜田越奈良街道は難波から飛鳥への道だったそうで、スタート地点は今宮戎神社あたりらしい。

電車で今宮まで行って、今宮戎神社からとりあえず平野まで竜田越奈良街道を歩き、平野からバスで帰ることにした。

そして初めての今宮戎へ。今宮戎は1月に行われるえべっさんで有名で、そのお祭りの日には参道が人でごったがえすそうだ。1kmにわたって屋台が並び、神社では商売繁盛の願掛けの笹を授与されるのだって。大きい笹も小さい笹もあり、屋台をそぞろ歩きするだけでも楽しそう。

けれど祭りの日でなければ静かな神社のようだった。近くの国道25号線にも鳥居があって、狛犬はライオンみたいだった。それ以外は特に印象に残らない、シンプルな神社。

ただ、結核検査が出張してきていたのが印象的だった。検査のポスターが貼られていて、対象者は浪速区区民ということだった。中国語でも案内がされていた。

今は分からないけれど、当時、浪速区あたりでは結核が少々蔓延していたみたい。天王寺動物園のサルもうつされてしまったそうだからな・・・。


神社の南側の道を東に向かうと、浪速寺という小さなお寺があった。

比較的新しいお寺らしかったけれど、不動さんのあたりは風情があって素敵だった。無人だったけれど朱印が重ねて置かれていて、こじんまりとかわいかった。ここもえべっさんの時にはすごい人出なんだって。

戎神社前交差点で25号線に合流。竜田越奈良街道は今ではほぼ国道25号線になっているそうだ。よく見れば、「奈良 杭全(5キロ)」と案内されていた。この道をずっと行くと、5km先の杭全(くまた)経由で奈良に行けるんだな。

すぐ地下鉄の駅(恵美須町駅)への入り口がある交差点に出て、交差するのは堺筋。紀州街道だったあたりだそう。

紀州街道はスタート地点の高麗橋から堺筋を南下し、天下茶屋方面に向かうそう。けれどこのあたりは市街地過ぎて、紀州街道歩きする気にはなれないな。

右手にはすぐそばに大きく通天閣が見えた。

新世界に向かう商店街の入り口が2つ。通天閣のそばには高速が走り、そのそばにハルカスも大きく見えた。これはこれですごい光景だな。

浪速区から天王寺区に入り、右手に天王寺動物園が現れ、25号線は広いままに上り坂になっていった。これは天王寺の七坂の1つ、逢坂。紀州街道の通る海辺近くから上町台地へ上っていく感じかな。

合法(合邦)ヶ辻地蔵堂も現れた。ここで物部守屋と聖徳太子が仏教について議論したので、「合法(仏教について議論すること)」の名がついたんだとか。

実はこの日、他にも天王寺の七坂を歩いたのだけれど、その話はまた後ほど。

右手に一心寺。ここは大坂冬の陣で徳川家康が陣をおいたところだって。

左手に安居神社。ここは大坂夏の陣で真田幸村が亡くなったといわれるところ。

もう少し行くと四天王寺。今回は四天王寺は外から見るだけにした。中を歩いた前回は、塔や建造物を見上げて歩くことになり、全体像は分からなかった。今回は外から見て歩き、そこだけ飛鳥時代みたいなのが感じられた。

しかし少し歩いただけでいろいろ出てくるところだな。今宮戎、通天閣、ハルカス、徳川家康や真田幸村の戦ったところ、聖徳太子の建てた四天王寺。


途中、25号線を少し外れたところにある久保神社に寄った。

大道3丁目交差点を北に行くと寺田町公園や久保神社があった。

四天王寺を建立した聖徳太子は、その守りとして周囲に7つの宮をおいたそうだ。四天王寺七宮と呼ばれ、久保神社はその1つ。その7つの神社の氏地が後に天王寺村となったのだって。

25号線は南東の方角に向かい、JR環状線寺田駅近くで高架をくぐった。

このあたりに難波京の羅生門があったのではないかと思われるそうだ。

難波には、平安京や平城京よりも古い時代、宮がおかれていたのだって。

応神天皇や仁徳天皇の頃からとも思われるのだけれど、遺跡が見つかっているのは大化の改新の頃に首都だった宮(前期難波宮)。それから飛鳥時代の天武天皇の時、副都として難波宮がおかれていたときのもの(後期難波宮)。奈良時代の聖武天皇の時も副都で、一時は難波に遷都されて難波が首都だったこともあるそうだ。

京に人々が住み、その京の中、北のほうに内裏(天皇の住まい)があった。その周辺の政治を行う場所なども合わせて宮(大内裏)。

宮の南に宮を出入りする朱雀門があり、京の南に京を出入りする羅生門があり、それが京の正門にあたるそうだ。朱雀門からは京の中央を貫く大道が南に伸びていて、羅生門から出ていき、さらに続いていたらしい。朱雀門から羅生門までを朱雀大路という。

大化の改新の頃の難波宮の朱雀門の跡はこの北のほうで見つかっているそう。


羅生門(羅城門)は天武天皇の時に初めてその前身的なものが設けられたのかな? 「竜田山、大坂山に関所を設け、難波に羅城を築いた」と日本書記に記載されていて、難波宮の四方に塀をめぐらして「羅城」としていたそう。

物部守屋や聖徳太子や徳川家康にはなんとかなじんできたけれど、今度は難波宮なんて話がでてきて、全くついていけなかった。

今は少しだけ分かるようになって、こんなところまでひろがる大きな都だったんだな、ということに驚く。大阪城公園すぐ南西のところ(難波宮跡公園)に大極殿跡も見つかっている難波宮の京は、こんなところまで続いていたんだな。


JR環状線の高架を過ぎると南は天王寺区寺田町、北は生野区になっていた。

生野区側の商店街を散歩してみた。道は多岐に分かれていて、それぞれが商店街になっていたようだった。それだけ賑わっていたのだろうなあ。けれどその分、今では閉まったお店がたくさん並んで、寂れた感も強かった。

源ヶ橋温泉なる銭湯に行き着いて、ここが異彩を放っていた。昭和12年建築の2階建ての建物で、現役の温泉ながら国の有形文化財なのだって。開場当時は2階にビリヤード場やダンスホールがあったらしい。

門柱につかわれているのは源ヶ橋なる橋の残り物かな? このあたりには猫間川って川が流れていて、源ヶ橋はそこにかかっていた橋だったそうだ。猫間川が埋め立てられて姿を消したのは昭和32年だったけれど、昭和7年には道路で覆われて、暗渠(姿の見えない川)と化していたみたい。


25号線に戻って南東を目指した。

今度は道路の南側の地名が東住吉区桑津に。ずっと「奈良 杭全」と案内されていた25号線の案内標識が「奈良(39キロ) 八尾」に変わっていた。杭全には入ったも同然ってことかな。

しかし39キロ。奈良街道がずっとこんな国道なのなら、ちょっとこの先も歩いて行くのは辛いなあ、と思った。国道は風情もなにもないただ車に便利な道で、面白さなんて排除しているからなあ。

けれどこの先の平野川の百済橋や植松あたりは、奈良街道ってことだったけれど、なかなか面白そうなところだった、と歩き続けた。

駒川にかかる古そうな橋を渡ったあたりだけはちょっと風情があったかな。車の通りも少なくて、JRの高架が見えていて、少しは記憶に残るところだった。

それから杭全交差点へ。今里筋と交差する大きな交差点だった。大きな交差点の上に歩道橋が交差して、どの方面にも降りて行けるようになっていた。自転車はエレベーターで降りていけるように、エレベーターも複数台設置されていた。奈良街道の進化系だなあと思いながらわたしたちもそこを歩いた。


そのまま25号線を進むと右手に前に行った大念仏寺が見えて、平野郷の馬場口があった。

25号線をそのままもう少し行くと左手の平野小学校に「泥堂」と書かれただんじり庫があって、反対の右手、平野郷方面に入っていくと泥堂口地蔵がいた。

大阪から奈良街道を歩いてきた人は、一般的にはこの泥堂口や馬場口から平野郷に入って、市ノ口から出ていったらしい。

泥堂口地蔵からすぐ、「道明寺」「ふるいち」「志き山」の文字の見える道標があった。志き山は信貴山のことだろうな。ここから道明寺や古市に向かう古市街道もあるみたい。


今日のところはここまでにして、田畑口から平野郷を出てバスを待って帰った。

浪速区、天王寺区、生野区、東住吉区、平野区、5つの区を歩いたと思うと満足感があった。たかだか6キロほどの距離ではあるのだけれど。

途中、天王寺で寄り道をして、あちこち歩き回ったので、バスにゆられてぐっすり眠った。

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