27 結婚式前日(1)
パトリシア様とダリオ殿下の結婚式前日。
ウエディングドレスも出来上がり、パトリシア様は最終の試着をして嬉しそうにしている。不安はあるだろうが、高揚感もあるようだ。
それにこの一ヶ月でダリオ殿下との仲も深まった。彼とならやっていけるかもと思い初めているだろうし、きっと恋も始まっていると思う。番が出会った時のような急激な恋ではなく、もっと淡く穏やかな恋が。
「少し緊張してきたわ」
「きっと上手くいきますよ」
胸に手を当てて言うパトリシア様を私は励ます。私にできる事と言ったら、あとは当日に髪を完璧に結い上げるだけだ。
改めて、いずれこの国の王妃になるパトリシア様の肩にかかる重圧はどれほどだろうと思う。
パトリシア様がこの国に慣れたら私はミュランに帰るつもりだったけれど、不安だろうにほほ笑みを忘れないパトリシア様を見ていると、この王女様をずっと支えていきたいような、そんな気持ちになる。
(けれどとにかく、明日の結婚式が無事に済みますように)
パトリシア様の悪い噂を信じて、二人の結婚に反対する人たちが何か騒ぎを起こさなければいいけど。
――と、私は式の当日の事ばかりを心配していたが、事件はそれまでに起こってしまった。
「明日に備えて、よく眠ってくださいね」
「そうね。でもなかなか寝付けそうにないわ」
夜になって、私はそんな会話をしながらパトリシア様の髪を就寝用に緩い三つ編みにしていた。
側にいたレベッカさんがこう提案する。
「何か温かい飲み物をお持ちしましょうか? ホットミルクか、安眠効果のあるハーブティーなどいかがでしょう」
「そうね。それじゃあハーブティーをもらえる?」
「すぐにご用意します」
レベッカさんがそう言ったのと、私がパトリシア様の髪を三つ編みにし終えたのはほぼ同時だった。
私は櫛などを道具箱に仕舞い、レベッカさんは部屋を出ていこうとする。一方、同じ部屋にいたモナさんはパトリシア様が眠る時に焚くお香を選んでいて、そしてサリさんは――
「サリ? どうしたの?」
少し離れたところにいたサリさんに、レベッカさんは部屋を出る前に声をかけた。
私もそちらを見ると、サリさんは険しい表情でうつむき、自分の手元を見つめていた。何かを持っているようだが、両手を重ねていてよく見えない。
「サリ」
そしてもう一度レベッカさんが声をかけたところで、サリさんはレベッカさんの方はちらりとも見ずにツカツカとこちらに歩いてきた。
――と同時に重ねていた手を離し、右手を持ち上げる。
その右手には銀色のハサミが握られていた。
あれは髪を切る時に使うハサミだ。
一瞬、キリアンの事で逆恨みして私を刺す気なのかと思ったが、サリさんの視線はパトリシア様に向いていた。
「サリさん!」
私はとっさに止めに入ったけれど、サリさんはその手を上手く避けてパトリシア様の髪を狙った。
胸の前に垂れるように三つ編みにしていた髪を、首の辺りで切ったのだ。
「きゃあ! 何っ!?」
パトリシア様は訳が分からないまま目をつぶって体を引く。太い三つ編みは一度では切れずに半分ほどは長いまま残っていたが、サリさんはそれを再び狙う。もう一度ハサミを開いたのだ。
「やめて!」
私は必死になって叫んだ。長い髪を失うのは女性にとってどれほど悲しい事か。まして結婚式の前日になんて。
サリさんに対しての怒りが一瞬で燃え上がり、私は奥歯を噛んだ。そして残りの髪は絶対に切らせないと、ハサミの前に自分の手を出す。
結果、パトリシア様の髪はこれ以上切られなかったが、私の左手が切れた。小指側の手のひらの側面がざっくり切れ、血がポタポタと滴り落ちる。
「サリ! なんて事をっ……!」
血のついたハサミを持って目を血走らせているサリさんを、レベッカさんが後ろから拘束しようとする。サリさんは暴れて抵抗したが、すぐにこちら側の救援が現れた。
部屋の外で警備をしていたレイともう一人の近衛騎士が、騒ぎを聞きつけて部屋に入ってきたのだ。二人はサリさんのハサミを見て目を見開くと、素早く彼女を捕まえ、ハサミを取り上げる。
「メイナ!」
そしてレイは私の手を見て、焦ったように言った。
ベルトにつけていたらしい手錠のような拘束具を取り出すと、サリさんにそれを取り付け、もう一人の騎士に彼女を任せ、自分は私の方にやって来る。
「メイナ! 怪我をしたのか!? 手を下げないほうがいい。こうやって上げていて」
「私よりもパトリシア様が……。髪を切られたのよ」
私の左手を支えて持ち上げながら、レイはパトリシア様に視線をやった。
「パトリシア様、お怪我は……」
しかしパトリシア様は目の前の鏡を見て固まっている。レイは私の傷に手早く布を巻いて止血をしつつ、パトリシア様の様子を心配してモナさんに指示を出した。
「誰か騎士を呼んできてくれ。手が足りない。それにダリオ殿下にも連絡を。あと医務室に行って先生を連れてきてくれ」
「は、はい!」
動揺しながら、モナさんは慌ただしく部屋を出ていく。
「どうしてこんな事を」
騎士に拘束されたままのサリさんを見て、私は顔を歪めて尋ねる。手の痛みより、パトリシア様の髪を切られた悔しさの方が大きい。
私を襲うならまだ分かるけど、何故パトリシア様を狙ったのだろう。
だんだんパトリシア様と打ち解けていくレベッカさんやモナさんと違って、確かにサリさんは最初から今までずっと他人行儀だった。
だけど強く憎んでいるとか嫌っているとか、そういう感情をパトリシア様に対して見せた事はなかったのに。それとも私が気づかなかっただけ?
「だってパトリシア様はダリオ殿下にふさわしくないもの」
サリさんは片方の唇を意地悪く持ち上げて言う。
「彼女が将来この国の王妃になれば、国は破滅するわ。とんでもない浪費家だし」
「それはただの噂よ」
私はすぐさま言った。
「この一ヶ月パトリシア様の側にいて、国を傾けるような贅沢を望む方じゃないって分からなかった? どうして噂の方を信じるの?」
「噂じゃない。キリアンがそう言っていたんだから」
「キリアン?」
私は眉根を寄せた。すぐ隣で私の左手を壊れ物のように支えているレイも同じ顔をしているはず。
サリさんは続ける。
「キリアンは、パトリシア様の噂は真実だと言っていたわ」
「それを信じたの?」
「もちろん。彼は私の番だもの。番の言う事を疑ったりしないわ」
「それでパトリシア様の髪を切ったって言うの?」
「キリアンは、二人の結婚式を中止させないとと言っていたわ。それがバクスワルドのためだと。だから私に力になってほしいって」
パトリシア様の髪を切れと指示したのは、キリアンだという事なのだろう。思わず拳を握ると、「手に力を入れては駄目だ」とレイに言われた。
と、その時。
「どうしよう……」
パトリシア様が消え入りそうな声でぽつりと呟いた。
呆然として鏡を見たまま、震える手で、半分切られた自分の三つ編みに触れる。
「結婚式は明日なのに……。こんな……みっともない髪……。私の髪……私の髪が……」
ショックを受けている姿が痛々しい。
けれど私まで焦っては駄目だと、サリさんやキリアンに対する怒りを一旦心の奥に押し込めて、なるべく冷静な口調で言った。
「大丈夫です、パトリシア様。私なら短くなっている事を誰にも気づかれないように髪を結う事ができます。幸いにも半分は長いまま残っていますし、結ってしまえば分かりません。私なら上手く誤魔化せます。大丈夫です。結婚式には何も影響ありません。絶対に大丈夫」
とにかく大丈夫と繰り返した。ただの慰めではなく、実際に美しく結う自信はあった。
けれどパトリシア様はぽろぽろと涙を流し始めた。たとえ髪が短くなっている事を上手く隠せても、髪を切られた事実は変わらないのだから当たり前だ。
大切に手入れしてきた長い髪は女性の誇り。
だから自分の意志に反して髪を短く切られるという事は、その誇りを踏みにじられるに等しい行為だ。
「サリ……あなた、本当になんて事を。たとえパトリシア様のお体を傷つけなくても、王族の髪を切ったとなればそれと同等の罪になるわ。それともこんな事をして逃げられると思っていたの?」
レベッカさんは悲しげに言った。
サリさんは笑って返す。
「逃げるわよ。キリアンが助けに来てくれる。そう言っていたもの」
そしてその言葉通り、キリアンはこの部屋に現れた。開いたままの扉から堂々と中に入ってきたのだ。
「キリアン……」
私は呟く。キリアンは目を細め、愉快そうにほほ笑んでいた。
「キリアン! 私、やったわ!」
サリさんは一生懸命にキリアンを見て言う。だけどキリアンはサリさんの方には顔を向けていない。腰に携えていた剣にさっと手をやったレイを見ている。
「キリアン、貴様……」
レイは一歩私の前に出た。レイは静かに怒っていて、まるで体から冷気が発散されているように感じる。
けれどキリアンはレイに対して何も言わずに、手のひらをパトリシア様に向けた。そして小さく唇を動かして何かを囁くと――短い呪文を唱えたのかも――次の瞬間にはキリアンの手のひらから炎の渦が飛び出して、パトリシア様に向かっていった。
「パトリシア様……っ!」
「きゃあー!」
しかし私がそう叫んで彼女を庇うより先に、レイが素早くパトリシア様を助けた。椅子に座っていたパトリシア様を抱きかかえるようにして、間一髪のところで炎を避ける。
と同時に、廊下から騎士たちがなだれ込んできた。みんな緊急事態である事は察知していて、剣を抜きつつキリアンに向かっていく。
しかしキリアンはまだ余裕の笑みを浮かべながら、トンと床を蹴って私の方に向かってくる。
「メイナ!」
「キリアン!? どうして……っ」
焦るレイとサリさんが順番に叫ぶ。
キリアンは私を抱きしめるとまた何か呪文を唱える。
そして次の瞬間には、私とキリアンはその場から消えていた。




