21 キリアン
「お前、一体何を考えている?」
レイはキリアンの胸ぐらを掴んで壁に押し付けたまま、相手をきつく睨みつけた。
キリアンはゲホゲホと咳をして言う。
「……痛いじゃないですか。離してくださいよ。メイナさん、助けてー」
「レイ……」
私が声をかけても、レイはキリアンを掴む力を緩めなかった。
「適当な嘘をつく目的は何だ?」
「何なんですか、嘘じゃないですよ」
「――そもそもお前、本当に竜人か?」
低い声でレイが詰問した時、
「何をしているんですか!」
パトリシア様の寝室から出てきた使用人のレベッカさんが、こちらを見て驚いたように言った。後ろにはモナさんとサリさんもいて、二人もびっくりしている。
「キリアン!」
サリさんが心配して駆け寄ってくると、レイは手を離して冷たい瞳でキリアンを一瞥し、ここから去って行った。
「どうしたの? 大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。よく分からないけどレイさんを怒らせたみたい」
キリアンはサリさんにそう説明している。
私はレイを追おうか迷ったが、パトリシア様を待たせるわけにはいかないので、まずは髪を結うために寝室に向かったのだった。
「パトリシア、君の髪結師は今日はどうしたんだ?」
その日の午前中、パトリシア様の部屋を訪ねてきたダリオ殿下が、ずっと険しい顔をしている私を見て言った。
今は三人で結婚式の時のパトリシア様の髪型を決めていて、テーブルの上に十枚以上並べられた髪型のデザイン画を見ながら話をしていたのだ。
私は我に返って、眉間のしわを消して言った。
「申し訳ありません、殿下」
「キリアンと何かあったようです」
説明したのはパトリシア様だ。パトリシア様にはまだ何も言っていないのに何故かバレている。
まぁ、今も私の後ろにいるキリアンとはぎくしゃくしているから――キリアンはいつも通りだが、私の方がちょっと避けてしまっている――その様子を見て何かあったのは一目瞭然だったのかもしれない。
ダリオ殿下は面白がって言う。
「へぇ。外で立っていたレイも、やたらとピリピリしていたな」
「すみません。私たちの事はお気になさらずに、髪型を決めてしまいましょう」
パトリシア様とダリオ殿下は二人して私たちの関係を明らかに面白がって「フフ」と笑いを零しつつも、テーブルの上のデザイン画に手を伸ばした。ダリオ殿下が言う。
「私はこれがいいと思う。パトリシアの優しく明るい雰囲気に合っているから」
「では、それにします!」
ダリオ殿下の言葉に、パトリシア様は即座に返した。
「いいのか? 自分の好みのものでなくて」
「いいんです。殿下の好みに合わせたいので」
そう言ってパトリシア様は頬を赤らめた。その反応にダリオ殿下も少し照れくさそうに笑う。お幸せそうで何よりです……。
そして髪型が決まると、この後も予定が詰まっているらしいダリオ殿下は早々に席を立った。
「メイナさんって絵も描けたんだ」
「あなたは描けないの?」
キリアンとパトリシア様がデザイン画を見てそんな事を話している間に、ダリオ殿下は私の方にすっと近づいてきて気軽に言う。
「レイと仲良くな」
私はそれに「はい」とも「嫌です」とも答えずに、神妙な顔をしてこう尋ねた。
「殿下……。竜人の男性の間では、女性に『番だ』と言ってからかうのが流行っているんですか?」
「レイの事か?」
「いえ、今回はレイでなく……」
私の視線はその時床をさまよっていたはずだが、殿下は「ああ、なるほど」とキリアンの方に一瞬目をやった。そしてこう続ける。
「流行っているという事は決してない。けれど時々、軽薄な者がそう言って相手を惑わせる事もあるだろう。番に憧れを抱いている女性が悪い男に引っかかる事もあるようだ」
「そうですか」
「見極めが大事だ。甘い言葉を囁いてくる相手ではなく、自分の事を大切に想ってくれる相手を選んだ方がいい」
ダリオ殿下はそう言って部屋を出て行った。まだ十八歳の男の子とは思えないくらいにしっかりしているなぁ……。
でも今はレイとキリアン、どちらかを選ぶという話ではないのだ。レイには番ではなかったと言われているし、別に今もアプローチされている訳じゃないから、問題はキリアンにどう対応するかという点だけ。
小さくため息をついてキリアンを見ると、にこっとほほ笑まれた。
「キリアン、ちょっと」
私はキリアンを連れて部屋を出る。この問題にはさっさと決着をつけてしまいたかった。幸い今はサリさんがいないので、どこか二人になれる場所で話をしよう。
と思っていたら、廊下に出た途端にレイと目が合ってしまった。そうだ、廊下にはレイがいたんだった。
「どこへ行くんだ?」
私に尋ねたのかキリアンに尋ねたのかは分からなかったが、レイは厳しい口調で言った。私は歩きながら振り返って、困ったように答える。
「レイに報告する必要ないでしょ」
ついて来ようとしたのか、一歩足を踏み出したレイにさらに続ける。
「ついて来ないで。あなたには関係ない事よ」
ぴしゃりと言うとレイは足を止めて、飼い主に留守番を言い渡された犬のような表情をした。ちょっと冷たい言い方だったかな。
だけどレイのよく分からない態度にも、私はもやもやしてしまっているのだ。
最近のレイは私の事を色々と心配してくれているように見えるし、あの髪飾りをくれたのもやっぱりレイなんだと思っている。
だけど彼が何を思って番でもない私にそういう行動を取っているのかが分からない。
キリアンもレイも、二人とも一体何を考えているのだろう。
そしてキリアンを連れて中庭に出ると、私は彼に向き直った。
「キリアン、あなたは本当に私の事を番だと思っているの?」
「はい、そうです。言葉にしたのは今日が初めてですけど、最初に会った時からそうなんじゃないかって思ってました」
キリアンは人の良さそうな笑みを浮かべて言う。
「でも、サリさんは? 最近キリアンはサリさんと仲良くしているでしょ?」
「彼女は友達ですよ。心配だと言うなら、もう話さないようにします」
「いいえ、そんな事はしなくていいのよ」
私は気まずい思いをしながら続ける。
仕事でこれからも毎日顔を合わさないといけないし、嫌な関係にはなりたくないけど、自分の気持ちはしっかり伝えておかないといけない。
「キリアン、私はあなたの気持ちに答えられない。あなたは私を番だと言うけど、私はあなたに特別な想いは抱いていないのよ」
「それはメイナさんは竜人じゃないからです。竜人同士だったらお互いが番だって分かるけど、そうじゃないから僕が番だって分からないんだ」
キリアンは少し寂しそうに言う。
その表情に思わず心が痛んだけど、でも私はキリアンの気持ちを疑ってもいる。
キリアンは人当たりが良くて、明るくて、裏表のない子だ。――と思う一方、レイを煽るような事を言ったり、私を番だと言いながらサリさんとも親密だったりして、本心が分からないという正反対の印象も持っているから。
それに髪飾りの事でも、私はキリアンを疑っている。キリアンがあの髪飾りをくれたのだとしたら、どうして普通に渡してくれなかったんだろう。キリアンの性格を考えると、素直に直接渡してくれそうなものなのに。
それに添えられていたカードには『メイナへ』と書かれていた。キリアンなら『メイナさんへ』と書くだろう。
私は懇願するように言う。
「キリアンとは仕事仲間でいたいのよ」
けれど彼は簡単には諦めない。後ろで一つに縛った長い黒髪を揺らして胸を張ると、強い口調で答える。
「僕はただの仕事仲間でいるのは嫌です。だって番の事をそう簡単には諦められませんよ。嫌がられても、僕の気持ちが本物だと分かってもらえるまで努力し続けます」
「キリアン……」
困った、と私は心底思った。
〝竜人の番〟問題に巻き込まれるのは、一度で十分だったのに。




