第7話 水神
今では見ることができなくなった吊り橋が、他藩へ続く山道と岩見村の人里を結んで手井川に架けられていた。だが、吊り橋は弱い。毎年の秋の大雨で流され、村の人たちはその度に吊り橋を架け直していた。その時には、水神神社の宮司を呼び、桜の木がある川岸で川が荒ぶれないように祈らせ、寄進をしていたのだった。
ある日、岩見村の寄り合いで毎年吊り橋を架けることの大変さについての話がでた。橋を架けるたびに傷を負う者や死人が出ていたからだ。木の橋を架けることの話もでたが、手井川は水があふれ出した時の流れはきつい。やはり石の橋を架ける話になっていた。それは近くある由立村で石橋を架けた話を皆が聞いていたからでもあったのだろう。ともかく、どうするかは庄屋に決めてもらうしかない。村人たち誰もが庄屋の方を見ていた。庄屋は腕組みをして、しばらくの間、眼をつぶっていた。石橋を架けるには金がいる。そのためにはどうすればいいのか? 庄屋は考え続けていたのだ。この村でも山の窪地を切り開いて新田を造り、そこでできた米を冷害などの非常時のために備えて倉に蓄えていた。たしかに、ここ数年は気候もよく冷害に襲われることがなかった。ならば、それを使うしかない。そう思った庄屋は眼を開けた。
「石の橋を作るしかなかろう。人手がいる。みなに手伝ってもらおうかのう」
村人たちは頷ずきあっていた。
さっそく、庄屋は肥後の石工たちを呼び寄せた。だが、工事をする前にすべきことがあった。
工事の安全とできあがる橋の強化を祈願するために人柱をたてる必要があったからだ。人柱、それは生きている人を土中に埋めて生贄にすることだった。その時、村で捕らえられた盗賊が一人いたので、その男を人柱にした。その折にも水神神社の宮司が呼ばれ、多額の寄進を宮司は受けていた。
そのおかげだろうか? その年の秋までには、りっぱな石の大橋を作ることができていた。
翌年から、多くの雨がふって橋げたの下まで水嵩が増した年もあったが、石の大橋は落ちることも壊れることもなかった。
だが、雨で上流の川の水が増え出すと、宮司は、わざわざ山からおりて桜の木が生えている川辺に立ち、流れる川の水を見にきたのだ。そこから頑丈な石橋をにらみつけ宮司は舌打ちをした。それは橋を川にかけ直すことがなくなってからは、毎年あった寄進が少なくなっていたからだ。
山の神社に戻った宮司はすぐに神社の祠にこもり、祈祷を始めた。だが、いつもと違う呪の祈祷だった。それは、水神に水の力で大橋を壊してもらおうと思ったからだった。
二日目の夜がきた時だ。祠の暗がりから、野太い声がした。
「どうして、橋が壊れることを望む。今までは、橋を壊さぬように願いを続けてきたではないか?」
「水神さま。このままでは、誰も水神さまを讃えるための寄進をする者がおりません」
「わしは川に流してくれる胡瓜や茄子しか手にしておらんぞ。本当はわしのためではなく、お主のためではないのか?」
「いえ、そんなことはございません。この社がよくなることは、水神さまがよくなること」
「そうかのう? それならば、今の橋を壊してやってもよいぞ」
「本当ですか?」
「だが、条件がある」
「何でしょうか?」
「ならば、生贄を出してもらおう」
「生贄!」
「あってはならぬことをするには力がいる。そう、邪にならなければならない。そのために人を食わねばならん」
神の言葉に、さすがに宮司も考え込んだ。
生贄!
それには、もう一度、人柱を建ててもらわなければならない。そのためには、石橋をかけてもらう必要がある。だが、石橋が壊れた時、村人たちがまた石橋を作ろうとするだろうか? そもそも、村に石橋を作るだけの蓄えがまだあるかだが?
宮司にも分からないことであった。ともかく、吊り橋では人柱をたてはしない。それに、神に対してここまで言って、いまさら引き下がることはできない。
「わかりました。橋を壊していただけたら、人柱をたてさせまする。その時に人柱を生贄としてお受け取りください」
「だが、人柱にする者は、悪をなした者を使うと決めているのではなかったのか?」
「もちろん、人に害をなした者を人柱にいたします」
「そうか、分かった。約束じゃぞ」
やがて、その声が終わると先程まで感じられていた水神の気配もなくなっていた。
秋が来て、風が吹き、大雨がふった。そして宮司の望み通りに大橋が壊れた。
さっそく庄屋は村人たちを集めて寄り合いを開いた。その時に、呼ばれもしないのに、宮司はわざわざ寄り合いに出てきたのだ。前に大橋を作った時に蓄米を使い果たしている。とうぜん村人たちは、壊れてもいい吊り橋を掛ける話になった。だが、宮司は、大声を出し自分が村人の一人でもあるかのようにそれに反対をした。吊り橋ではなく壊れにくい石橋をもう一度作るべきだと言い放ったのだ。そして、そうすべきだと、水神のお告げがあったと申し添えた。
村人たちは、ただ黙りこむしかない。
しばらくすると、庄屋が声をあげた。
「たしかに、もう一度、いや前よりも頑丈な橋を作った方がいい。それに必要な金子はわしが持っている山を売って作ろう。どうだろう。皆の衆はもう一度手伝いをしてくれんか?」
村人たちはすぐに賛同の声をあげ、手伝いを申し出ていた。だが、庄屋は暗い顔をして、次のように言い放った。
「だが、これが最後じゃ。もし今度作った石橋が壊れた時には、わしも何もできん」
そんな弱気な庄屋の姿を見た宮司は、内心微笑んでいた。村人を脅すには、よい機会が来たと思ったからだ。すぐに声をあげた。
「ともかく、石橋が壊れたのは、水神さまをないがしろにしてきたからではないか。やはり、年に一度は川に静まってもらうための祈願祭を盛大に行うべきだと思うが」
宮司の話を聞いて、村人たちは大きく頷いていた。すると、宮司はさらに声を大きくして話を続けた。
「もう一度石橋を作らなければならん。その時は前もって人柱をたてる必要がありますぞ。何事もすべきことをちゃんとしないと、また石橋を作っても壊されてしまう」
「やはり、人柱が必要なのか?」と言って、庄屋は村人たちを見廻した。だが誰も人柱になると手をあげる者などいるわけがない。
「一体、誰を人柱にするんじゃ?」と、村の若い衆が言った。
「前の時は、村に入った盗人がいて、その者を人柱にできた。だから、火付けや盗みをした者ならば、一番ええがのう」と、年老いた源が声をあげた。
「そりゃいい、そうしてくれ」
「それでいってくれ」
寄り合いに集まった村人たちは、笑い顔で口々に声をあげていた。誰もが、自分が悪人とは思ってもいない。だから、自分が人柱に選ばれることはないと考えているのだ。
「そりゃ、確かにいい考えじゃが」
そう言った庄屋は、すぐに口をつぐんでいた。村の中で明らかに悪いことをしたと言える者を庄屋は思いつくことができなかったからだ。
その日は朝から川の水は増え続け、庄屋は川岸に行ってそんな川を見ていた。そこに宮司がやってきた。
「こんなに水神が怒っているのに、誰も人柱になる者がおらんのかな?」
「おらんな。村に悪人がおらん」
「そうかな? 何も悪いことをしたことがない者などおらんと思うが」
すぐに庄屋は宮司の方に振り向いた。宮司は笑っている。
「そうかもしれんが人柱にささげるほどの悪人がいない」
「こんなに水神さまが怒っていなさるのに、誰もさしださないのか?」
「だが」庄屋は口をすぐにつぐんだ。
「水神さまは、人ならば、誰を出しても文句を言わんと思うがの」
「誰でもいいのか!」
庄屋は、息をのんで宮司をみつめた。だが平然とした顔で宮司は祈祷を続けていた。
祈祷のお蔭なのか?
午後になると川は治まり、いつもの川に戻っていった。
庄屋が屋敷内で使っていた下女がいた。その下女には五歳の娘、沙世がいた。沙世のために、下女は倉の中にこぼれていた米を集めて粥を作り、娘に食べさせていたのだ。庄屋は、それを知ると、下女を呼びつけ、米を盗んでいたのではないかと尋ねた。下女は、すぐに盗んでいたと認めたのだ。悪い人をさがしていた庄屋は、奇妙な安堵感に襲われていた。
「お前も、子を持つことが大変だろう。子がいるから悪いことをしてしまう。その子を人柱にさしだせば何もなかったことにして許してやろう」と庄屋は言った。
「庄屋さま、そんなことはできませぬ。米を取ったおらが悪い。おらが人柱になります」と下女は言って泣いていた。その代わり、娘の沙世を庄屋の子として育てて欲しいと頼み込んだのだ。泣いて頼む下女の言葉に、庄屋も無体なことを言った手前、下女の願いを叶えてやることにしたのだった。
次の日、藁ぶきの小屋に住んでいた沙世は下女の母に連れられて庄屋の屋敷にやってきた。
「ここで、これから暮らすんじゃ。まずは庄屋さまの言う事はよく聞くんじゃぞ」
そう言った母の声など沙世には聞こえてはいなかった。大きすぎる屋敷の部屋を走り廻り、新しい着物、うまい食べ物。すべてが、たのしい日々が続いた。そんな沙世に興味を持った者がいた。庄屋の一人息子、佑助だ。今までも、外に出ても付き添いの者がいつもいて、子供同士の遊びに入ることができずにいた。だが、屋敷の中は違う。すぐに、佐助は沙世の側にやってきた。食べる時も一緒に食べ出し、沙世の遊びにも参加していた。
やがて、母親のいないことに沙世は気がついた。
「あれ、おっかあがいないな?おっかあは何をしているべ。おっかあに会いて!」と言って、佑助に聞いた。すると、「聞いてないのけ?」と言って、祐助は母親が人柱になり、岸辺に埋められることになっていることを教えてくれたのだった。
だが、それは今日の昼。
沙世は屋敷から裸足で外にでると、桜の木が生えている川側に向かって走った。そこには、縄でしばられた母親を前にして、宮司がお祓いを始めていた。
沙世はすぐに川に向かって叫び声をあげた。
「おっかあは、悪くない。救ってくだされ。おっかあを悪くしたのは、腹を空かしたわしのせいじゃ。だから、わしが一ばん悪い。わしが身代わりになるけ」
そう言って、沙世は川に飛び込み、水の中で手足をばたつかせた。すると、川の水がうねりだし、飛び込んだ沙世は川岸の草の上にはねかえされていた。次に大きな波がおこり、祓いをはじめていた宮司の上におそいかかったのだ。大きな波は、宮司をだくと、そのまま褐色に濁る水の中に引き連れて行った。
「人柱には、悪い奴をささげたというのじゃろう。ならば、間違いなく、一番悪い奴を貰うたわ」
庄屋の耳に、水神の笑い声が聞こえてきた。沙世は泣きながら母をしばっていた縄をほどき、自由になったのを知ると、その胸に飛び込んでいった。
やがて、波うっていた川の水は静まり、いつもの川に戻っていた。
その後、石橋の工事は何事もなく進み、完成することができた。そして、できあがった石橋は壊れることはなかったと言う。いや、川が溢れることも無くなったと言われている。




