第9話 信世の『奇跡』
マンションを出て背後を見る。追っては来ていないみたいだ。
「畜生。ようやく紡祇の家まで来たってのに」
呼吸を整えてベンチに座る。
一度逃げたが結局は紡祇を取り返さなきゃいけない。翔流も……一応友達だし助けれるなら助けよう。
だけど一体どうすれば良いんだ。相手にはでっかい狼と扉を一発で破壊するぬいぐるみが沢山あるんだぞ。逃げる最中は大して威力が無い突進するぬいぐるみばっかりだったから、何か条件がないとあの威力は出ないんだろうけども、相手の威力以前に圧倒的にこちらの手数が足らない。
時間はもう既に17時を過ぎている。裕太に連絡してみるが未だに既読も付かない。いつも肝心な時は使えない奴め。
「チッ、クソが」
相手は異能力使いだぞ。そもそも人を増やした程度でどうにかなる物なのか? 一人や二人増やした程度でどうにかなるもんじゃない。
こちら側にもああいう魔法みたいな能力が使える奴が居れば何か変わるかも知れないが……。
「魔法か……」
そんなもの、創作物でないこんな世界に住んでいる一般人の俺の生涯で一度も見たことがない。
近い物でマジックはあるが、あれは心理学や特殊な仕掛けを利用した物に過ぎない。タネも仕掛けも作れない状況でどうにかなるもんじゃない。
こういう時に、物語の主人公だったら何らかの力に目覚めてとかあるんだけどな。
俺には特殊な血筋だとか、特殊な出来事だとか。そういった伏線は用意されていない。せいぜい母親譲りで少し色々出来るくらいだ。翔流みたいなオリンピック狙えそうな身体能力がある訳でもあるまい。
何か……何かないものか。
直近で、何か特殊な出来事が無かったか。
右目に掛かる紅い髪を弄りながら何か無いかと思考を巡らせる。だが、まともに使えそうな案は一つも……。
「ん……なんだこれ」
手を止めて手の中にある紅い髪を見る。
この紅い髪は確か……綺羅星から逃げる時に生えてきた物だ。正確には、俺が「そこをどけ」と叫んだすぐ後に生えてきた物だったか。
あの時は先に進む事に意識が行っていてあまり気にしていなかったが、普通に考えたら急に紅い髪が生えてくるなんてあり得ない事だが……普通なんて、現実味なんて、さっきのぬいぐるみ達やデカい狼で無くなっている。
それに、紡祇を乗っ取っていた彼女が言っていた「僕が欲しいのはね、信世君が持っているその魔法。僕の世界では『奇跡』って呼んでるやつだよ」というあの言葉。
あれが本当なら、俺にはなんらかの『奇跡』と呼ばれている能力があるのだろう。だとしたら、何かヒントがあるはず。この紅い髪以外に何かが。
あの時起きた不思議な事を思い出せ。普通じゃないことを思い出せ。あの時、俺が叫んだあと何が起きたか思い出せ。
確か____
「確かあの時、言い合ってたクソ野郎がおかしくなってたな」
目の前に居た奴だけじゃない。周りを囲んでいた男達全員おかしくなっていた。
俺が叫んだあと、妙に物分かりが良くなって全員壁側に並んで道を開けていた。しかも、寸前まで綺羅星の言いなりになっていたのに、壁側に並んだ後は一切言う事を聞かずに棒立ちしていた。
綺羅星と言えばアイツの周りもおかしかった。アイツ自身もおかしいが、何よりもアイツに言いなりになっていた男達だ。
特に警察官は自身の業務を放棄して従っていた。これはもしかして、紡祇を乗っ取っている奴が言っていた『奇跡』とやらではないだろうか。
綺羅星の言いなりになっていていた様子のおかしい警察官。そして俺の言う事に応じてまるで操り人形のように動いた男達。最後に、紡祇を乗っ取った奴が有利になるように動くぬいぐるみ達。
今日見た事から推測すると、『奇跡』っていうのは対象を思い通りに動かす能力なんじゃないだろうか。
綺羅星の場合は、警察官と何処から来たか分からない男達を従者のように操っていた。
俺の場合は、大声で命令すると感情は無くなるが操り人形みたいに動かせられる。
紡祇を乗っ取った奴の場合は……恐らくぬいぐるみを傀儡にするとかだろうか。きりるんがデカい狼になっていたり人になっていたり、小鳥のぬいぐるみがアホみたいな破壊力を持っていたから、強化させる能力もあるのだろう。
それなら、それが本当なら、勝機はあるかもしれない。
誰かで能力を試してみよう。予行練習は大事だ。
あの時の再現だ。距離は1メートルくらいだったか。普通に会話するくらいの距離感だ。これなら怪しまれずに実験できる。
どこかに良い実験体はいないものか……。例えば、いくら好感度が下がっても問題なくて、なんなら下がってくれた方が嬉しい。しかも最悪失敗しておかしな事になっても問題ない奴がベストだ。
辺りを見渡しながらそんな人物が居ないか探すが…………一向に見つからない。早々そんな人物なんて居る訳がないか。
そんな人物なんて、紡祇に危害を加えてきそうな奴で、尚且つ何しても後腐れの無い人物に限られてしまう。強いて挙げるとするなら、あそこで大量の男を引き連れた綺羅星くらいで__。
「あ、居た」
俺が気付くのと同時に向こうも気付いたようだ。まさか追ってきたのだろうか。
「信世ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
俺の姿を見るなり鬼の形相で男達と一緒に全力疾走で走ってくる。
表情に殺意が満ち溢れている。何故か俺に相当恨みがあるみたいだ。心当たりが全く無い。
「丁度良い。テメェらで実験させてもらう」
恐らく、俺の『奇跡』は大声で感情を込めて命令しないと発動しないのだろう。あの時のように大きな声が出るように十分に息を吸って腹から出すように、相手にそうさせたいという意思を込めて、声だけで相手を殺すつもりで、吐き出す。
「『止まれ』ぇぇぇぇぇぇ!!!」
叫び声が辺り一面に響き渡り反響する。
それと同時に足音が止まる。大量の男達も、綺羅星の形相も完全に停止している。
実験の結果は見ての通り成功だ。大成功と言っても過言ではない。
道路を走る車も、噴水の水も、時計の針も、風も、全て止まっている。見える物全てが微動だにしない。
「そうきたか……」
この能力、人以外にも使えるのか。
「これは……かなり強力だな」
人間相手なら強力な能力だとは思っていたが、まさか人間以外にも通用するとは思わなかった。
昔から言霊とか言って言葉には力があると聞いているが、さすがに強力過ぎるのではないだろうか。無機物にも有効なのだとするなら、人間を使って色々する以外にも無機物を強制的に動かす事なんて事も出来るのではないだろうか。
例えば、紐を持ってきて『捕らえろ』と言うと相手を勝手に捕まえてくれたり、『壊れろ』と言って相手の持ち物を破壊する事も出来そうだ。『従え』なんて言ったら操り人形に出来るのだろう。もっと単純に強く使うなら『死ね』と言って自殺してもらう事も出来るかもしれない。
これが『奇跡』か。
どこまで出来るのか気にはなるが、声さえ出せるなら何でも出来る能力だ。
「こういう相手を停止させる系統の能力って、停止している間に傷付けたり殴ったりしたら終わった後に痛みが一気に来るとか見るけど、この場合はどうなるんだろうな」
引っ越し前の中学校で、インドア派の男子グループが時間停止のアダルトビデオかなんかの話をしていた時の話題を思い出す。
実験がてら、男の群れの先頭で走るポーズをして止まっている綺羅星にデコピンをしてみる。
当然、反応は無い。作品によってはダメージを与えたり触れた瞬間に停止が解除されたりするが、この能力にはそういう事はないらしい。
「そういえば、綺羅星も変な能力を使ってるかも知れないんだよな。コイツの能力は一体なんだ? 俺のと全く同じには見えないんだよな」
綺羅星の顔をジロジロ見て独り言を続ける。
裕太宅跡地の時は一度も俺達に向かって命令はしていなかった。もしも俺と同じ能力を持っているのであれば、直接『止まれ』と命令して足止めした後に好き放題すれば良かったはずだ。
それなのに一度もそういう事はしなかった。命令しているのは毎回周りに居る男達に向けてだけだった。
あの時は異常なまでに男達を侍らしていた。
そして今も、というか前回以上に大量の男達を侍らせている。
小さな小学生と思わしき男の子から還暦過ぎた年寄りまで、多種多様な“男”を連れている。
その集団の中に女は一人も居ない。
「もしや……男限定で操る能力か」
だが、もし仮にそうだとしたら、辻褄が合わない。それこそ、“男“である俺と翔流を直接操れば良いだけだ。紡祇も一応男だったが、あの時は綺羅星が紡祇を女と認識していたからそもそもしなかったのだろうけれども。
何か条件があるはずだ。
「本人から直接聞き出すとしよう」
幸い、俺にはこの能力がある。相手に先制を取られなければ聞き出すくらい出来るはずだ。
周りの男達の停止も解除しないように、さっきよりも小さな声で能力を使おう。
念の為に綺羅星の目の前に立って、顔が触れそうなくらい至近距離で能力を使おうとした。その時__
彼女の目が僅かにだが、動いていた。
「コイツ…………瞬きしてる」




