073『強者の渇き』
渇いている。
いつからか漠然と、そんな思いだけがあった。
いくら呑もうと、渇きは消えない。
どれだけ喰おうと、飢えは止まらない。
足掻こうと、苦しもうと、喉元の熱は収まらない。
その渇きは、『戦い』でしか満たされない。
だから。
大陸最高と名高き腕を持つ剣聖。
魔法の神髄を極めたと自称する賢者。
数多の魔物を従え、個で群を率いる魔物使い。
死者の声を聴き、亡者を支配する死霊魔術師。
裏社会を牛耳り、数多の英雄を亡きものとした忘却の獣。
多くと相対した。
大陸最強という名を冠する怪物たちと戦った。
輝く才能の上に、半生を研鑽に費やした強者たちだった。
――けれど、そのどれもが渇きを癒すには適わなかった。
自分が強者という自覚はあれど。
……これほどとは、女自身も思っていなかったのだ。
一般人も、並みの強者も変わらない。
稀に現れる輝く星も、少しやる気になれば光を失う。
そもそも『戦い』にすらならないのだから、渇きが満ちるはずもない。
故に、これは無駄なのだと女は悟った。
足掻くだけ無駄。
苦しむだけ無駄。
この渇きは、きっと未来永劫潤わない。
そして寂しさを胸に、未練たらたらに諦めた。
いいや、諦めなんてついてないだろうに。
諦めた、ということにした。
そうして本心に蓋をして。
心が渇いていることから。
あくなき強者への飢えから、目を逸らす。
けれども、ふとした瞬間に考えてしまう。
群雄割拠の千年前。
多くの英雄が生まれ、多くの反英雄が血に沈み。
幾万の武人がしのぎを削り、戦争は絶えず人民を殺し。
数多の国が滅び、それ以上に多くの国が乱立し。
――それらおしなべて、魔王に恐怖した時代。
まさに、強者しか生きられなかった世界。
勇者。霜天の魔女。
隻眼の狩人。神の寵児。
それら、英雄の中でも頂点に位置する傑物たち。
彼らもまた、その時代だからこそ生まれた特異点。
「私もまた、そんな時代に生まれていたなら――」
英雄を目指していただろうか。
あるいは、反英雄として魔王軍に加担していただろうか。
少なくとも、現代とは違う。
そこには『戦い』があったはず。
今感じている退屈なんて感じる暇もなかったはず。
心を枯らすような渇きなんて、抱く余裕もなかったはずだ。
「……いや、これは無意味な問答だね」
けれど女は知っている。そんな未来は訪れない。
過去には戻れない。今は変わらない。
現実に立ち返り、思い出した渇きには耐えられない。
渇きのない世界が、理想郷があると知り。
その上で、その場所に自分が辿り着くことはないと知り。
女の渇きは、加速するだけ。満ちることはない。
喉を搔きむしるように、苦しみに喘いで。
女は、何度も至った結論を振り返る。
「……あぁ。私はきっと、生まれる時代を間違えたんだね」
傲慢だと、言うものはいない。
誰一人として、言えるはずもない。
この時代に、その女に勝てる英雄はいない。
この時代を生きるには――レプリカと名乗る女はあまりにも強すぎた。
ただ、それだけの事。
救いなどない。
彼女にとっての英雄なんて現れない。
いつまでも、どこまでも。
彼女の渇きは収まらない。
――はず、だった。
☆☆☆
無限の魔力により強化された、少女の拳。
海神の一撃を名乗るだけの、ただの会心の一撃。
特殊な効果など一つもない。
無限に強化された膂力による、少女の放てる最大火力。
腹部へ一閃、直撃だった。
嫌な手ごたえがルナの拳には残っている。
レプリカの腹部を、文字通りにぶち抜いた。
吹き飛び、落ちてゆく女の腹部には、風穴があいている。
その光景に、ルナは恐れるでも怯えるでもなく。
ただ、思った。
「な、なんで……ッ」
――効いていない、と。
大量の鮮血をまき散らし。
腹部に致命傷を負いながら。
レプリカの目は、一層に深く輝いていた。
「良かったよ、ここに来たのが私で」
腹に空いた、風穴へ。
手を当て、傷を隠していたのは、ほんの数秒。
退けた手の下には、傷はない。
致命傷は、手品のように消えてなくなり。
ぞわり、と。
ルナの全身に悪寒が走った。
「君となら……少しくらいは『戦い』になりそうだ」
「『波鎧神』っ!」
躊躇いなく、全開で魔力をぶん回す。
波鎧神を再構築。
先程よりも速やかに。
更に大きく、更に硬く。
堅牢な鎧を築き上げる。
魔法行使は、これで二度目。
さっきよりかは、ずっと慣れている。
もう、容易には崩させない。
得体の知れないもの。
レプリカという異物を前にして。
ルナが取ったのは――追撃ではなく防御の姿勢。
その判断は、極めて正しく。
「さぁ、今度は本気だよ?」
落ちゆく研究者より。
放たれるは、ナイフを用いたわずか一閃。
――斬。
より硬度に特化した波鎧神。
その重量、その水質を貫通し。
距離すらお構い無しに、いとも容易く。
斬撃は、ルナの左腕を斬り裂いた。
「ぐ、ぎぃ……っ!?」
鮮血が散る。
痛みが脳天を貫く。
ルナは、痛みに噛み締めるような悲鳴をあげる。
二の腕を半ばまで斬撃が切り裂いている。
――飛ぶ斬撃だ。
(な、なん……っ、なんですかそりゃあ!)
そう内心叫ぶと同時に、傷口を押さえる。
心臓を貫かれた時は即死だった。痛みもなかった。
けれど、今回は違う。
痛い、苦しい、痛い、怖い、痛い、痛い。
焼けるような痛みに顔が歪む。
「……驚いた。さすがに死ぬかなとは思ってたんだよ? まさか軽傷ひとつで乗り切るなんて。……やっぱり、君は特別だよ、ルナ君。君だけは……私と同じ側だと確信できた」
レプリカは、音もなく大地へと着地する。
彼我の距離は、百メートルをゆうに超えている。
その姿を見下ろして……はたと、今更ながらにルナはその違和感に気がつく。
「……な、んで、声が」
「この距離でも聞こえてるのかって?」
声が――すぐ後ろから聞こえてきた。
「……っ!?」
驚き、振り返る。
当然のように波鎧神の内部へと瞬間移動してきたレプリカに、ルナの脳細胞はかつて無いほど高速で働いた。
波鎧神は、水の鎧。
術者であるルナの近辺には酸素が残っているが、それ以外は硬質な水によって構成されている。
息なんて、出来るはずがない。
なのに、できている。
レプリカは当たり前のように生きている。
超硬度の水の中で。
平然とした顔で、立っている。
ありえない。
信じられない。
けど、現実として起きているなら疑えない。
なら、今すべきは――レプリカの排除。
まんまと鎧の中にやってきた、敵の除外だ。
そこまで思考が巡るまで、一秒足らず。
戦闘経験など皆無に等しいルナ。彼女の戦歴を思えば、驚きから立ち直るまでに掛かった秒数は驚異的の一言に尽きる。
……けれど、それは初心者にしては、という話。
強者との戦闘のさなか、見せるにしては致命的だ。
「がっ、は……!?」
「私が魔法を使ったのは、十年ぶりかな?」
――ルナの腹部を、衝撃が貫いた。
レプリカの掌底打だ。
本来であれば一撃必殺のソレ。
けれども、ルナの意識は暗転しない。
なぜなら、レプリカが大いに手加減したから。
「致命傷を負わされたのも久しぶり。傷を負ったのはオーディとやった時が最後だけれど、腹をぶち抜かれたのは君が初めてだよ。誇っていい。君は強い」
それは、まるで猫がネズミを転がすように。
優しく、軽やかに、そして残酷に。
死という執着が定まった中での、余裕の一打。
「ぐ、ぅ、う……!」
ルナは波鎧神の中、痛みに唾液をこぼす。
これ以上は耐えられない。
踏ん張れない、頑張れない。
弱音がひょっこりと顔を出す中。
それでも意志とは裏腹に、肉体は攻撃的だった。
「『深海』……っ!」
ぎゅっと、拳を握る。
――その瞬間、一気に波鎧神が縮小を始めた。
それは、深海の【圧】の疑似作成。
ありとあらゆる生物を無に帰し、多くの物質を爪先ほどに圧縮、潰壊させるほどの、絶対的な水圧。
当然、人間が生身で生きていけるような状態ではない。
つまるところ、決まれば勝ち確。
今、ルナの魔力はただの水魔法を【深海の再現】という前代未聞の極悪技へと昇華させる。
「ぐっ、ぎぎぎぎ、ぎ……っ!」
「……っ、これは、また……!」
逃がしはしない。
波鎧神の内部へと現れたレプリカ。彼女には、全方位から押し寄せる水圧から逃げるすべはない。
ルナは必死に拳を握る。
全魔力を込めて、圧殺にかかる。
その視線の先で、レプリカの右手が砕け潰れる。
眼球は充血し、血涙が水の中に滲んでゆく。
――効いている。
そう判断し、ルナは頬に笑みを浮かべた。
「……ご、ほっ」
その直後。
ルナは吐血した。
「……!? な、なんで……!」
唐突な吐血に、最も驚いたのはルナ自身。
深海も波鎧神も、ルナ自身には影響が出ない程度に制御している。ひよっこ魔法使いとしても、最低限それくらいの分別はつくつもりだ。
そうルナは自らを振り返り、理解不能に歯噛みする。
事実、彼女は深海の影響を受けていない。
故に、この吐血は自爆ではない。
れっきとした、レプリカによる攻撃だ。
「言わなかったかなぁ、私の本業。研究者だって」
女は懐から砕けたガラス瓶を取り出した。
水圧に割れ、四方へと滲み出すその液体。
――毒、である。
目を見開き、目を凝らし、ルナは周囲を見渡す。
瓶から滲んだ緑の液体が、波鎧神の全身を侵している。
これが、全て毒だと言うのなら。
その内部に居座ること自体が――自殺行為。
「……こ、のっ!」
迷う余地なし。
波鎧神を、解除する。
足場を失い――毒に侵された両者は落下する。
「じ、自爆ですか……! 頭いっちゃってますね!」
「それほどでもないよ。狂ってる自覚はあるがね」
百メートル地点より、自然落下。
通常であれば即死の高度。
けれど両者とも、そんなことなど気にかけず。
思考は同一。
――落ちてる最中ならば、避けられない。
徹頭徹尾、攻勢のレプリカと。
ここに来て防御をかなぐり捨てた、ルナ。
両者の攻撃、その始動は期せずして全くの同時だった。
ナイフを振るうレプリカ。
飛翔する斬撃。
視認もできぬその一撃を、見て見ぬふりして。
ルナの身を包んだのは、圧縮に圧縮された波鎧神の上半身のみ。
その全長は三メートル。
本来の形の、ほんの七十分の一以下。
ルナはその『わずか』に全ての魔力を総動員し。
一時的に、波鎧神の全性能を飛躍的に向上させた。
斬撃が、波鎧神の腕を切り裂く。
けれど、本体までは届かせない。
弾くようにレプリカの攻撃を殴り捨て。
もう片方の左拳で、放つ一閃は雷鳴の如く。
圧倒的な初速から放たれるは、海神の一撃。
「……っはは」
レプリカは、その一撃を前に笑っていた。
ルナには到底理解のできない、その行動。
けれど、強者には理解のできる、女の愉悦。
「『戦い』は、これでこそだ……!」
渇きが、満ちてゆく。
この時代において、並ぶ者なき強き者。
女の目の前に、今、一人の怪物が立っていた。
殺す気で攻撃しても、生きている。
本気を出しても、まだ届かない。
これを、戦いと呼ばずしてなんと呼ぶ。
放たれた拳。
――完全な回避は、不可能。
そう判断すると同時に、レプリカは体を捻る。
回避は不可能。けれど、直撃回避くらいは十分可能だ。
拳の甲を滑るように。
くるりと身体を回して、彼女は波鎧神の腕へと乗った。
「想い人まで一直線に続く道。……あぁ、これが噂に聞くバージンロードといったものかな?」
「ふひぃ!? な、なんでさっきから腕の上を歩いてくるんですかこの人ぉ!」
「君と私をつなぐ、運命だからじゃないかな?」
レプリカが走り出す。
その速度は、正しく電光石火。
ルナが気づいた時には、もう目の前で。
超高密度の波鎧神へと、思い切り両手を突っ込んだ。
「――っ!?」
抵抗は、無い。
それはありえない事だった。
先程よりも、さらに硬度の上昇した水の鎧。
内部は荒れ狂う激流に等しい。
その中に手を突っ込んで、無事で済むはずがない。
ならば、なぜ、どうして。
思考が逸れる。
けれど、答えは先に提示されていた。
「まさか、魔法――」
「ご名答。お姉さんが花丸をあげよう」
花丸と称して。
レプリカは、手品のように指先から花を出す。
されどその花は、姿形をしっかりと捉えるより先に水流によって切り裂かれ、押し潰されて消えてしまった。
まさか――と。
思い起こすは、先程の毒物。
再度警戒するルナ。
けれど、彼女が動き出すより、さらに早く。
水の鎧に溶けた劇毒は、少女の身を侵した。
「ご、ほ……っ!?」
再度の吐血。
片側の視界が血に染まる。
思考が空回る。
視界が、世界が、ぐるんと横転する。
波鎧神が、維持できない。
「ルナ君。君は……心臓を潰しても生き返ったよね。なんだったら、より強くなった戻ってきたんだ。……なら、二度目はどうかな? 心臓以外に死因があればどうなるのかな?」
研究者としてそう言いつつも。
レプリカの顔には、満面の期待が浮かんでいた。
さぁ。
さぁ、さぁ、さぁ!と。
魅せておくれと、渇望のままに女は笑う。
「君が私と同じ側なら、こんな程度で死なないだろう?」
――答えは出ない。
当然だ。
一度死んでも大丈夫だったのだから、もう一度死んで確かめてみよう、となるはずがない。
二度目の死が許される保証は無い。
さらなる力が得られる根拠はどこにもない。
これ以上ここで、死ぬわけにはいかない。
毒に侵され。
血色に染まる視界の中で。
落ちゆく少女は、歯を食いしばる。
死ねない。
まだ生きていたい。
それ以上に……ここで負けるのは絶対に嫌だ。
ここでレプリカを倒せなければ。
この女は満足できずに、他の仲間へと目をつける。
シュメルでも、クラリスでも、リオでも。手当たり次第に、自分の自己満足のために暴力を向けるだろう。
それは、ダメだ。
絶対に阻止しなきゃいけない。
仲間は、守る。
たとえ命に代えたとしても。
ここで彼らのために頑張らなかったら。
(きっと、次に顔を合わした時に、いつもみたいに威張れなくなっちゃいますからね……っ!)
そう笑い、ルナは自らの心臓へと手を添える。
――けれど。
一度進み出した毒は止まらない。
少女の肉体は、戦えるモノではない。
土壇場での覚醒は、二度も続かない。
意地では延命には届かない。
死ぬ時は、死ぬ時だ。
気持ち一つで覆るようなものではない。
ルナの二度目の死期は、目の前までやってきていた。
それは、ルナも、レプリカも理解していた。
間もなく、死ぬ。
確かな絶命がやってくる。
その、生と死の狭間で。
それでも――と。
足掻き、苦しみ、手を伸ばし。
落ちゆく中で、ルナは。
「面白そうだね。私も、混ざって構わないかな?」
聞いた事のない声を、聞いた気がした。
☆☆☆
落ちてゆくルナが、一人の女に受け止められる。
その女に、レプリカは見覚えがなかった。
足元まで伸びる、白い髪。
夜空のように深く青い瞳はどこまでも澱んでいる。
輝きはない。
煌めきは無い。
氷のように静かに。
雪のようにしんしんと。
気配もなく、その『魔女』はその場に立っていた。
その姿を一目見て。
レプリカは、直感する。
「……聞いてなかったなぁ。まだ前菜だなんて」
強さが読めない。
気配が分からない。
今まで屠ってきたような弱者ではない。
あの魔女こそ、願い求めた【主菜】である、と。
――気づけばもう、『渇き』など感じない。
感じる暇も、惜しいとばかりに。
レプリカは舌なめずりし、眼下の魔女を睨め回す。
「悪いねぇ、ルナ君。今から浮気させてもらうよ」
既に、抱きかかえられた少女の意識はなく。
現代最強の魔法使いは。
史上最強の魔女を前にさえ、欲望を隠さない。
「私はレプリカ。遊ぶ前に、名前を教えていただけるかな?」
「フォルス・トゥ。好きに呼ぶといいよ。そんな機会が残るとは限らないけれど」
浮気相手の名前を知って。
レプリカは、今日一番の笑顔を見せる。
「そっか、フォルスちゃん。君は……本気を出しても潰れないよね?」
大胆不敵。
されど、大言壮語とは言い難い物言いに。
古き魔女は、眉を僅かに吊り上げる。
「ずいぶんと活きがいい若造だね。かるーく揉んであげるよ。かかってきなさい」
――魔力が、奔る。
戦いは止まらない。
誰にも、止められるはずがない。
現代最強。
史上最強。
今、両者が激突する。
次回『狩人師弟』
同時刻。
少女の危機に、老兵が駆ける。
友人の危機に、英雄が駆ける。
獲物はひとつ。
羽の生えた吸血の獣。
逃す理由は、ひとつもない。




