011『初戦闘』
森を走る訓練。
初日は、それはもう酷い有様だった。
二日目は、やっと森の歩き方を覚えた。
三日目で、気をつけながら森を走ることが出来た。
四日目には、走れるようになった弊害か、転ぶより先に体力が尽きた。
五日目からは、森を走ることにも慣れ始め、体力を鍛える余裕が生まれた。
十日目あたりで、オルドを見失わないように走ることに注力し始めた。
二十日を過ぎたあたりで、一日中オルドを見失わずに森を駆け抜けることが出来た。
そして、一ヶ月が経過した頃。
オルドと併走して走っていると、はたと彼は足を止める。
気になって、僕も走るのをやめて振り返る。
彼は、心底呆れた様子でため息を漏らした。
「どうして今まで体を鍛えてこんかったのじゃ……。育てれば育てるほど、規格外じゃぞ、お主」
「……うん。自分でもそう思うよ」
前世を振り返り。
そして今の若い肉体を動かして。
つくづく、才能って恐ろしいな、って思った。
ただそれでも、納得の気持ちもある。
なんせ、最初から何一つ鍛えることなく、それでも同世代最高峰の性能の誇っていた天性の肉体だ。……そりゃ、鍛えたらこうなるよね。
たった一ヶ月で、僕の肉体は既に戦える者のソレへと生まれ変わりつつあった。
「魔法の訓練なんぞ捨てて、最初から肉体を鍛えておれば……今頃、ワシの足元程度にまでは育っておったろうに。残念で仕方ない」
フォルスにもそんなことを言われたな……。
昔を懐かしみつつも、気になったことを聞いてみる。
「……ちなみに、オルドの足元程度というと?」
「昔、ここの主『アトラス』が生きていた頃の庭を好き勝手に歩き回れる程度の実力じゃな」
アトラス……っていうと、あれか。
特級指定竜種、地竜王アトラス。
山のように巨大な竜だったと、話には聞いてる。
そして、たった一人の剣士に両断され、絶命したとも。
そんな化け物みたいな竜や剣士が生きてた時代の『竜の庭』を駆け回れる……って。なにそれどんな子供だよ。
「まぁ、僕は後悔はないけどね。おかげで【反転】の使い方も学べたし」
「魔法を使われるより早く殺せば済む話じゃて」
「……そんなのできるのオルドくらいだろ」
オルドの呆れに、僕も呆れで返す。
……まぁ、とにもかくにも。
肉体強化、早くも完了!
☆☆☆
次のステップ。
僕は、武器の扱いを教わることになった。
「お主に教える武器は二つ。弓と短剣じゃ」
「弓と短剣?」
肉体はほぼ完成した。
なら、次は戦う術を身につける。
その流れは妥当だな、とは思ったけれど、最初から扱う武器を決められていたことに少し驚く。
「言ったじゃろ。ワシは狩人じゃ。ワシは知っていることしか教えられん」
「なるほど」
弓と短剣しか使い方を知らない、って訳か。
……逆に、弓と短剣だけで、あの『霜天の魔女』と並び戦って、死神やら魔王やらボコったりしてたのかこの人。
バケモンだな、ほんと。
知れば知るほどそう思う。
ほんとに同じ人間か……?
「そもそも、それ以外の武器など不要じゃろ。基本は弓で、相手の認識範囲外から一撃で仕留める。それが出来なければ、森の中で扱い易い短剣で喉元を刈る。それで終わりじゃ」
「……なるほどぉ」
できるかな、僕に。
無性に不安になってきたけれど、そこは……ほら、この天性の肉体を信じよう!
扱い手は元一般人でも、この身に備わった才能と、重ねた努力は裏切らないはずだ。きっと、たぶんね。
ということで、僕は早速弓と短剣の使い方をオルドに教わることになる。
弓の方は、矢の扱い方と、狙いの定め方。
どれくらいの距離でどれだけ下方に落ちるのか。
そこら辺は経験だ、と言われて終わる。
……まぁ、要訓練、ってところだな。
短剣の方は、基本は逆手持ちだオルドは言う。
ただ、これは彼個人の好みだそうなので、合わなければ自分好みに握り方を変えるべきだとも。
試しに逆手持ちにして素振りをしてみる。
……色々と試して見たが、逆手持ちはリーチが短くなり、必然的に標的との距離も短くなる。
素人がみても分かる、超近距離戦特化の握り方だ。
相手の懐で常に動き回れる胆力、身のこなし、そして実力がなければ難しい戦い方だろう。
……最初は、逆手持ちやめとこっかな。
いきなり超近接戦は怖いです。
ということで、普通に短剣を握って素振りを始める。
いずれ逆手持ちに移行すると考えると、もしかしたら弓よりも頑張らなきゃいけないかもしれない。
「うむ。とりあえず教えることは以上じゃな」
「うん、あとはひたすら練習してみるよ」
基本的なことは教わった。
あとは練習を重ねるだけ。
もし詰まったら、オルドにお手本を見せてもらおう。
そして参考にして、また練習の繰り返しだ。
そう、大まかに修行のイメージをしつつ、オルドに返事する。
しかし。
「練習? 実戦の間違いじゃろ」
「……えっ?」
驚き振り返る。
その先で、オルドは森の中へと矢を放っていた。
直後、森の奥から……絶叫が聞こえる。
腹の底から、嫌な予感が滲み出す。
「何事も経験とは言うがの。ワシが思うに、実戦に勝る経験などない」
木々をへし折る音がする。
矢の飛んで行った方向を振り返る。
ヒュっと、喉の奥から悲鳴が漏れた。
僕の視線の先。
片目を矢で射抜かれた緑竜が、森の中から姿を現す。
残った瞳には強烈な怒りが滲んでいる。
オルドに対する恐怖を忘れるほどだ。今すぐ殺してやるとでも言わんばかりの強い意気込みを感じる。
「……オルド? まさか、とは思うけど」
「竜種の中じゃ、緑のが一番弱いでの。片目を潰せばそれなりの練習相手にはなるじゃろう?」
思わず、頬が引き吊った。
それと、緑竜が怒りに吠えるのは同時のことだった。
「……っ」
すぐさま、意識を切替える。
オルドに対する不満の声は、頭の中からすっと消え。
割り切った末の戦意が体を占める。
『どうやったら生き延びれるか』
『あるいは、どうすれば勝てるか』
考え始めると同時に、既に僕は動き出していた。
緑竜は既に走り出している。
「速……っ」
その体格からは思いもよらぬ速度に度肝を抜かれる。
下手すれば自動車に匹敵するかもしれない。それが五メートルを超えるような巨体から繰り出されているわけだ。直撃だけは、何としても避けないと。
僕は、矢の突き刺さった眼球側へと視線を向ける。
片眼を失ってる以上、そちら側に死角は生まれているはず……だと信じたい。
死角へ。とにかく安全な場所へ走り出せ。
鼓舞し力を振り絞り、大地を踏みしめ、走り出す。
緑竜は顔を振って僕を捉えようとしているが、僕が死角へ、死角へと走るため、やがて苛立ち交じりに速度を緩める。
自動車の速度から、今では自転車程度まで。
今の僕なら十分に対応できる速度だ。
未だ脅威には変わりないが……ちらりと、視界の端にオルドが映る。
有無を言わさず『狩れ』と強い視線が身体に突き刺さっている。
僕は思わず表情を硬くしながらも、速度を緩めた緑竜を見定める。
足は止まってはいない。だが、確実に遅くなっている。
今なら僕の方が速いくらいだ……って。
……もしかして、今が好機なんじゃないか?
ふと過ったのは、そんな考え。
自動車並みの速度だったら、確かに手が付けられない。
けど、自転車程度なら対応できると、今、自分で考えたじゃないか。
なら、いけるんじゃないか?
速度が緩んだ今なら近づける。あとは、この短剣で倒すだけ。
ごくりと、緊張に喉がなる。
本当に行くのか、間違った判断してないか、死にはしないか。
ぐちゃぐちゃと多くの考えが脳を揺らす。
思考すらまとまらず、愚かにも僕は、戦闘中の判断を鈍らせた。
ただ今回――その愚が、僕の命を救うことになる。
「……!?」
きぃん、と鋭い耳鳴り。
背筋に悪寒が走り、全身が総毛立つ。
この感覚を、忘れたことは無い。
前世、飛行機事故に巻き込まれる直前。
転生後、山羊頭の悪魔に殺されかけた時。
いずれも、死の淵でのみ感じた嫌な感覚。
それと同じものを、今、この局面でしかと感じ取る。
心も体も、急ブレーキ。
駆け出す間際に、何とか踏み留まる。
その選択が正しかったと知るのは、その直後のことだった。
「なっ!?」
緑竜は、苛立った様子で胸を膨らませる。
その膨張は、胸から喉、口内と移行し。
やがて紅蓮の炎が咆哮と共に溢れ出し、僕の進行方向を焼き尽くした。
「あいつ……炎まで吐けるのかよ!?」
「竜種じゃぞ? それくらいはできるわい」
いつの間にか近くにいたオルドが淡々と教えてくれる。
竜種……そうだよな、竜種だもんな。
個の討伐に軍隊が必要となるほどの脅威だ。簡単に勝てるわけがない。
大きく深呼吸して、目を細める。
落ち着け、焦るな、一歩一歩確実に、だ。
僕が目の前にしているのは、その竜種討伐と言う無理難題。
片目落ちとはいえ、困難なことには変わりない。
浮足立っていた自身を戒め。
「だが、連発など出来ん上に、一度火炎を吐けば、緑竜は極端に動きが鈍くなる」
「……!」
オルドの言葉に、否応なしに覚悟を決めた。
炎が止み、緑竜の姿が見える。
緑竜は口を開けたまま、荒い息を吐いているように見えた。
控えめに言って……物凄く疲れている様子。
隙にしか見えない。
命懸けな以上、オルドの話を鵜呑みには出来ないが……もしかしてと直感が告げる。
試しに駆け出そうと、足に力を込めた。
その際、脳を刺すような『死の気配』を感じなかった。
――この先で、僕が死ぬようなことは無い。
その直感を信じ、迷いや躊躇いを切り捨てる。
そして、この森に来て初めて、全力全開で魔力を回した。
治療訓練を終えて、魔力操作技術が伴って初めて使う、全力の身体強化。
踏み込んだ脚は、大地を砕き。
全速力を遥かに超える域へと、ひとっ飛び。
踏みしめた大地が爆発した。そう錯覚するような勢いで。
瞬く間に、緑竜との距離は消し飛んだ。
『グルァ!?』
「うぇ!?」
あまりの速度に、僕も竜もびっくりしてた。
けど、正気に戻ったのは僕の方が少し早くて。
竜が驚きから帰るより、少し早く。
咄嗟に逆手に持った短剣を、一閃。
素通り際に、無事残っていた眼球を深々と切り裂いた。
『グギャアアアアアアア!?』
「これで、両目だ!」
油断なく、短剣を構えて緑竜を振り返る。
左目をオルドの矢で撃ち抜かれ。
今度は右目を短剣で切り裂かれ。
痛みはもちろん、これで視界を完全に封じた。
あとは、急所を狙って倒すだけだ!
油断も慢心も、絶対にしない。
死の気配のする場所に、近づかない。
狙うは急所。
無駄な一撃は必要ない。
そう自分に言い聞かせ。
緑竜の視界を奪ってから……およそ一時間。
凄まじい泥仕合の果て。
僕は、遂に目の前で動きを止めた緑竜を見つめて、数十秒。
「よくやった小僧。その竜、もう死んでおるぞ」
笑みを浮かべたオルドが歩いてくるのが見えて。
やっと僕は、緑竜を倒せたことを知るのだった。
【豆知識】
〇シュメルハート
神の目以外のほぼすべての『才覚』に恵まれた少年。
あくまで彼に足りない才能は『ちょっと』だけ。
素質としては疑う余地なし。
修行の末、人類最高峰まで高められた魔力量。
神の目には及ばぬものの、それでも年齢に見合わぬ魔力操作能力。
そして、生まれついた天賦の肉体。
千年前の勇者以来生まれてこなかった『強くなるべくして生まれた英雄の卵』。
中身が凡人であること、神の目に恵まれなかったこと。
それらを除けば欠点らしい欠点のない、完璧な素質である。




